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永遠より長く 無限より短い一瞬(部分)

 







 

「まさか博士から連絡をいただけるとは」
「なんだ、まさか迷惑だったとか言うんじゃないだろうな」
「とんでもない! ただ、うわさでは博士は奥さまを失った哀しみのあまり、人と会うのを、その──」
「人間嫌いになった、ということか?」
「まさか、そんな意味では──」
「ふん…まあ、あたらずとも遠からず、というところか。人間嫌いで引きこもりの偏屈ドクター・ロボノア、ね。聞くつもりはなくてもそれくらいは聞こえてくる…。別に人間自体が嫌いになったわけじゃない。単に新しいプログラムを開発してただけだ。ただ、コイツに関してはひとりで完成させたかったのと、他人(ひと)の雑音を入れたくなかったので、意識的に人と会うのを避けていたと言えば言えるかもしれない」
「博士の単独研究ですか」
「まあ、そうだ」
「それで、つまり私を呼び出したのは、その研究が完成したというわけで──? 私どもグローバル・ロボット社の製品に載せて試したいということですね?」
 ゾロはその直裁な質問、というよりは断定の言葉には何も答えずにふいと立ち上がって部屋を横切った。バーカウンターでボトルからウィスキーを二個のグラスに注ぎ、ソファに戻る。ひとつを男にすすめ、もうひとつを軽くあおってから、おもむろに口を開いた。
「その質問に答える前にまず言っておきたいことは、私はこの研究成果を公表するつもりはない、ということだ。というか、今後どのような結果が出るかについてあまりにも未知なシロモノなため、すぐには公表できない、と言ったほうが正確だな」
「すると博士は動作テストを博士おひとりでなさるおつもりで?」
「そうだ。全て私ひとりが行う」
「失礼ですが、大丈夫ですか?」
「…どんな意味だね」
「いえ、あの」
 ふい、と男は視線をそらせてしまう。確かに新しいモノの開発というのは、チームを組んで検証に検証を重ね、絶対安全と確証を得てから市場に出すのがセオリーだ。ことロボットに関しては、人間の生活に密接に関わるため、間違いなどというものは許されない。もし万が一、ロボットが原因で人間が傷ついたり、生活が脅かされるようなことにでもなって損害賠償で訴えられたりしたら、莫大な賠償金はもとより、社としての今後の信用に関わってしまう。
 実は些細な事柄では常に会社は訴えられているのだ。その対策として専門の弁護士と契約をし、勝訴もしくは示談に持ち込んでいることは実はそれほど知られていない。まあ、ほとんどの案件が持ち主(オーナー)の指示が不明瞭だったことによって引き起こされた瑣末な出来事だったりするわけだが。
(ばかだな。目の前の男はこの分野の第一人者中の第一人者じゃないか。彼に出来ないことは他の誰にも出来ないとまで言われた男だぞ)
 男の逡巡を見て見ぬふりをして、ゾロが言う。
「君も知ってのとおり、三原則を曲げることは、陽電子頭脳の基盤そのものに関わることだから、どんな新しいプログラムを載せたとしても、ロボットが人間を傷つけるようなことは絶対にしでかさない。というより出来はしないのだ。その点については私が保障しよう」
「…わかりました。しかし博士はこの研究成果を公表なさるおつもりはない、と先ほどおっしゃいました。それではテスト用に最新の素体を提供するわたくしどもには、見返りに何がいただけるのでしょう? 率直な言い方をお許しください。ですが会社というものは利潤がなければ動かないということをどうかご理解いただきたいと思います」
「それは至極ごもっともな要求だな。ではこうしよう。最新素体を私に提供するのと引き換えに、以前君が言っていたセクサロイドを開発することに手を貸そう。それでどうだね?」
 男はゾロの言葉を聞くや、目に見えて明るい顔になった。
「それはもう…! 願ってもないことですよ! いやあ、よかった、博士が考え直してくださって! マーケティングの連中はもう自信満々で需要を説くし、その気になった上は上で、実用化へ向けて開発部をせっつくけれど正直お手上げだったんです。博士が手を貸してくださるならもう百人力ですよ。ああ、これで私もこれ以上やいのやいの言われなくて済みます」
「では、詳しいことはまた後日あらためて打ち合わせようか」
「はい、社へ戻って細部を詰めて、契約書類のたたき台を作成してまいります。もちろん、博士にご満足いただけるような素体を見繕いますよ! これ以上ないくらいの最新モデルをね。どうぞ期待していてください」
 言い終えると、男は上気した顔を隠そうともせずに、慌ただしくゾロの家を辞去していった。




 そうして二週間ほどが過ぎたある日、大きなトラックがゾロの家に横付けされ、その荷台から頑丈なプラスチリートの箱が家の中へと運び込まれた。
「どうです、博士」
 グローバル・ロボット社の営業マンはここ毎日のようにゾロの家を訪問してはゾロの注文に応えるべく奔走していたのが、ようやくこれで最後とばかりすこしばかり隈ができた目を輝かせてゾロを振り返った。
 ゾロは自分の身の丈よりも大きな箱を注意深く開けた。
 中に横たわっているのがロボットだと予め知っていなければ、息づくこともない白い顔に、死体のそれを感じただろう。唯一の違いは「それ」の手が自然に身体の側面に沿って置かれていることぐらいか。
(胸の上で手を組んでいたら洒落になんねえよなぁ)
 あまりにひっそりと横たわる「それ」にゾロは妙な感慨を持った。
(死体と違うところは、コイツはこれから動くってことだ──命を吹き入れるなんて大層なモンじゃねぇが、これから俺がコイツの「マスター」になる。神サマ代理ってところかな。まあ、こんな偏屈な神もいたもんじゃねえだろうが)
「どうしました? 博士、起動キーを。私は下がってソレの視野に入らないようにしていますから、マスター登録をなさってください」
 ロボットは工場出荷後、最初に起動したときに視野に入った人物をマスターと認識する。もちろん出荷前に購入者のデータはプリインストールされており、名前と人物像データは与えられているが、三次元で実際に「会う」ことで正式にマスター登録が為されるのだった。
 ゾロは起動キーを首の後ろ、人間でいえば延髄にあたる箇所に差し込んで、一歩下がって待った。
 「ソレ」の瞼がゆっくりと持ち上がり、まっすぐ前にいるゾロを見た。
(青い目か)
 金髪、碧眼ってのは受けを狙ったモンか──ゾロは内心そっと舌うちする。まあ、見映えがいいに越したことはないが、あまりにもハマリすぎだぜ、これじゃ。
「はじめまして。このたびはお買いあげありがとうございます。私はグローバル・ロボット社製品番号WEI-FS45EIF980s、タイプ2240-MSX-Zです。これからどうぞよろしくお願い致します。マスター・ロロノア・ゾロ」
 ソレは低いテノールでなめらかに自己紹介をした。製品番号を自己紹介と言うならば、だが。
 整った顔。こりゃあ万人受け狙いだろうけど、出来過ぎだぜ。顔の造作は、確かに醜いよりは見栄えがいいほうがいいだろうが、あまりに綺麗すぎると返って反感を持たれるってことぐらいは判るだろうに──ゾロは機会ができ次第、このロボットの顔を変えてやろうとひっそりと決意した。
「やっぱりこれもアレ用の素体なのか?」
 ゾロはロボットの背後に隠れるように立っている営業マンに呼びかけた。視線はロボットからはずさないまま。
「は、まあ、ええと、そうです。別に博士に含むところがあるわけではないのですが、今現在、一番最新のモデルがそのタイプなのです。といいますか、あとは博士のプログラムを待っているだけなのですが。まあうちの開発チームもいろいろ試行錯誤しておりまして。見た目とか、あと皮膚の触感とかはよくできておりますでしょう? 顔の表情筋と、あと手の指先の神経は通常よりも多くの筋電位を使用しているんです。それとですね、」
 立て板に水のようにセールストークをしゃべり続けているのを、一段声のトーンを落としてゾロの耳もとで囁いた。
「舌、にですね。力を入れておりまして。通常サイズより大きく長く造られておりまして。その上非常に微細な動きができるんです」
 ゾロはそれには無表情に頷いたが、ふと気がついて尋ねた。
「その舌は味もわかったりするのか?」
 そこまで力を込めて造ったのなら、本来の用途も可能なのか、と振り返る。
 それに答えたのは営業マンではなく、当のロボットだった。
「いいえ、マスター。私の舌は人間の舌の味蕾に該当する機能は備えられておりません」
 意外な方面から返ってきた答えに、ゾロは驚くでもなく頷いた。
「…ふん…それは不便だな。だがもともと食事をする必要がないんだから、味を知覚する必要もないってわけだ」
「はい、マスター。ただし味覚に換えて、マスターの嗜好に合わせるためには口蓋部分にあるセンサーで成分分析をし、プリインストールされているベース料理の「味データ」から細かな調節をいたします。ご安心ください。味覚はなくても、充分にお役に立つことができます」
 なるほどね。
 充分、つーか、「十二分に」役立つってわけだ。まあいい。所詮ロボットは人間の役に立つために造られた機械にすぎない。家電製品と一緒だ。たとえその姿がどんなに人間に酷似していようとも。
 それにこれから自分がテストを行うことを考えたら、同情めいたものなんか感じるのもばかばかしい。
 「ソレ」は一歩踏み出して自分から箱を出た。そうしてゾロの前にまっすぐ歩み寄ると、ふんわりと笑って言った。
「お役に立てれば光栄です。マスター」