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灯台(部分)

 







 

 その日は朝から気圧が低く、空は切れ切れにちぎれた雲が飛ぶように流れていて、海は波が高く、とにかくヤバイという感じが空気中にびりびりとしていた。太陽は一回だけちらりと顔を出した後、もう今日の業務はお終いとばかりにその後完全に姿を消した。それでもまだ昼間の時間帯のため、暗くても灯台の真っ白に塗られた壁面はグレーを背景によく見えたし、付属の住居の輪郭もきちんと見て取れた。だからゾロとサンジはだんだん強くなる風に逆らって歩きつつ、艇庫へ降りて足代わりの小舟の舳先とともの両方からもやい綱でもって固定した。
 それから天日干しにしてあった魚やなにかを全部屋内に入れ、外壁に沿って積み上げてあった薪も入る限り小屋の隅に入れた。濡れてしまったら乾くまで使いものにならなくなるからだ。
 延々と薪を運び、もう積み上げても入る余地がなくなったころ、最初の雨粒が落ちてきた。
「来たぞ!」
 ゾロが叫び、サンジは猛スピードでもう一往復した。
 大粒の雨がぽつり、というよりはぶつり、という感じで落ちたと思うと、すぐに次々と雨粒は増えて、サンジが両脇に薪の束を抱えて走り込んで来るまでのほんの数分のうちにだだだーっと横なぐりに降りだした。
 風がびゅうびゅう吹いているため、雨のカーテンはしぶくようにムラが出来、まるで海の上でばっしゃんばっしゃんと波を被っているかのように叩きつけてくる。
「うわ、たったあれだけなのに、すごい濡れようだなこりゃ」
 サンジは髪からしずくをしたたらせながら、自分の有様を見下ろす。ざっくりと編んだ毛糸のセーターを苦労して頭から脱ぐと、その下の開襟シャツまで濡れている。濡れた生地が透けてその部分だけサンジの肌に貼り付いてまだら模様を作っていた。
 ゾロは自分もタオルでざっと頭を拭いていたが、サンジのまだら模様にふと目が留まって、知らず自分の手が止まった。
 白い。
 海から拾ったときにも見たし、そのときも肌が白いなとは思っていたが──。
(こんなに、透きとおるようだったか?)
 サンジは濡れたシャツの感触が気持ち悪いのだろう、特徴的な眉をひそめて、シャツのボタンを外し始めた。ところが直前まで風雨にさらされて薪運びをしていた手はがちがちに固まってなかなか言うことをきかない。のろのろとボタンを外しながら、サンジはチッと舌打ちをした。そのまま舌を突き出し軽く噛む。ゾロは今度はその舌の紅さに目を奪われた。濡れていて、紅い。それがさらに動いて、唇をくるっと舐めた。
「──!!」
 瞬間見えた白い歯と紅い舌との対比が理由は判らないままに酷く扇情的に見え、ゾロは息を呑んだ。
「………」
 サンジはゾロが息を呑む微かな音を聞き分け、そのままゆっくりと顔を上げ、これまたゆっくりと視線を徐々に上げていってゾロを見た。
(だめだ、目を逸らさないと)
 ゾロは頭の隅で理性の声がそう言うのを確かに聞いた。このままでは魅入られる。この陽の差さない暗くて陰鬱な日に現れた何か得体の知れないモノに。
 しかしソレは既にゾロを捉えていた。ゾロは視線を逸らすことが出来ずにサンジの視線を真っ向から受け止めた。
 目はさらにヤバイものだった。青く澄んだ目。最初サンジが目を覚ましたときに初めて見て驚いた。赤ん坊でない成人で、ここまで綺麗な瞳を持っている者がいるなんて。
 その目が、髪がしずくをしたたらせる隙間からじっとこちらを見ている。初めて見たときは澄み切って綺麗だと思ったその色が、今は蒼い焔(ほむら)のようだ。
 やめろ、そんな目で見たら──
 ゾロはサンジが、お調子ものの若造ではなく、得体の知れない別の何かにスッと切り替わったのを感じ、それに気圧されて知らず一歩足を後に引いた。
 ガタン、と引いた足がテーブルに当たり、その音で二人の間に張りつめていた目に見えない緊張の糸が途切れた。
「……ゾロ、俺にもタオル放ってくんねえ?」
 サンジは一旦目を伏せまた上げると、先ほどの怪しげな色を綺麗さっぱり消し去って、何事もなかったかのようにゾロに言葉を投げた。
 ゾロは大きく息を吸って、止めたままなんとか言葉を絞り出した。
「……ああ」
 手に持っていたタオルをサンジに向かって放り投げる。
「サンキュ」
 サンジは言って、がしがしと頭を擦り始めた。ゾロはタオルに隠れたサンジの顔を、それでもまだじっと見つめ続けていたが、ぎゅうと目を瞑ってぶるっと頭を振ると、ようやく床に貼り付いたような足を動かすことが出来たので、サンジに背を向けてその場を去った。
 ──何だったんだ、今のは──
 サンジと視線が合った瞬間、間違いなく欲情していた。
(まさか、あり得ねえ)
 どちらかというと平凡な顔立ちだ、と思っていた。金髪碧眼は確かに綺麗なものだし、肌も若いだけあって張りがある。でもよく動く口とくるくる変わる表情に愛嬌があるとは思っても、けしてそそられるとは思えない。
「しっかりしろ、ロロノア・ゾロ」
 ばしん、と両手で自分の頬を叩く。じいんと痺れる感触がした。
 今日はまだ灯台のいつもの点検作業がまだだった。すべきことがあってよかった、と思いながらゾロは長いらせん階段を上っていった。

「………」
 残されたサンジは無言で濡れた髪を拭き上げ、シャツのボタンを全て外して脱ぐと、現れた上半身もタオルで拭いた。
「感づかれた、か」
 ぽつりと漏らした言葉はため息と同時だった。全くもってそんなつもりはなかった。ゾロを誘うつもりは欠片もなかったのに、ほんの少しの油断でもって、ゾロに自分の素性を悟られるようなミスを犯した。きっと彼は気が付いただろう。
「それとも、俺がうかつなんじゃなくて、もう身に染みついてるモンは隠しようがねえってことなのか?」
 それはそれで業が深いなァ、とサンジは内心で続けた。好きでこんなになったわけじゃねえのに──。