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パラキシャル フォーカス(1)




■ものもらい



始まりは、ルフィだった。

「かいぃーっっっっ!!」

魔の海域グランドライン。ゴーイングメリー号はどこまでも青い空のもと、青い海原をかきわけてまっすぐ進んでいる。
昼下がりののんびりした空気の中、クルー達は思い思いに甲板上でくつろいでいた。
そんな中で船長ルフィの声が響き渡る。

「どうしたどうした?」
一斉にむむっ?と全員の視線がルフィに注がれた。

「んー……、目がかいーんだよ、なんだかずっと」
見るとルフィはがしがしがし、と握りこぶしで目をこすっている。
なあんだ、目がかゆいだけか、とクルー達は一瞬でまたそれぞれの本に、鍛錬に、雑誌にと視線を戻すが、この船の専属ドクターのトナカイだけはとととっと走ってルフィの顔をどれどれ、とのぞき込んだ。

「だめだぞ! 目はとても大事なんだ。ほらそんなにこすっちゃダメだ。オレに見せてみろ」
「んん〜〜〜」
不承不承ルフィはこするのをやめ、真剣なトナカイの視線と目をあわせた。
「かいぃよう……」
「ダメ、ちゃんと見せて」
ルフィの顔をしっかりと両の手(?)ではさみ、右を向かせたり、上を向かせたり、ちょいとまぶたをひっくり返したりしたあと、小さな船医はおもむろに口を開いた。

「ものもらい、だね。目にしぶきか何か入ったとき、汚い手でこすったろ?それでちょっとまぶたが傷ついたところへバイ菌が入ったんだと思う」
「うへぇ。いつ治る?」
「そうだね。目薬を処方するから、1日4〜5回点眼して、あとそっちの目は眼帯かけて外気から保護しておかなくちゃダメだ。そうすれば1週間かからずに綺麗に治るよ」
そしてしばらく男部屋へ引っ込んでいたと思うと、小さなビンとスポイトをルフィに渡し、
「こっちのビンの薬をこのスポイトで1滴、この腫れている方の目にたらすんだ。スポイトの先が目につかないように充分注意してね。そしてしばらくは眼帯をつけていて欲しいんだけど……。うーんガーゼはあるけど、それを押さえておけるようなのってどうすればいいかな?」

いつの間にか周囲に集まって、興味深げにルフィとチョッパーのやりとりを眺めていたクルーを見渡し、チョッパーは何かいいアイディアはない?と尋ねた。
「ゾロの手ぬぐいで縛って押さえておけば?」「ウソップ輪ゴムで何かつくれねーか?」といろいろ意見が飛び交う中、
「面倒だなー」と半分顔をしかめていたルフィがにぱっと笑って、
「そうだ!海賊だもんな!アイパッチにしようぜ!そんでドクロマーク描いてくれよそれに。きっとすっげーカッコイイぞ!」
「いいんじゃない」「まあルフィだからしょうがないわよ」「ま、どうせ4、5日の間だしな」
などと嘆息しつつ賛成する声が上がる中。
「な?んじゃ、ウソップ頼むぜ!」
「オレかよーーーッッッ!」
と相変わらずのルフィとウソップの漫才で全員大笑いとなった。その直後。

「なあ。サンジはなぜ眼帯とかしねェんだ?」
アイパッチができるまで一時的に、と包帯で片目を覆われ、しばらく「おお、なんだか世界が狭い」だの、「甲板が揺れる〜」だの、果ては歩いて転びそうになってゴム腕を伸ばしてウソップ工場のがらくたをとろうとしたが、目測がうまくいかなくてウソップにパンチをくらわしてしまい、したたかに怒られていたルフィが不思議そうに言った。

「サンジのそっちの目って義眼だろ?オレ今片目ってすっげー不便だなーってよくわかるんだけど、サンジは全然ヘーキなのか?」

(こ、この無神経船長が……!)

当のサンジとルフィを除く全員が同じようなことを内心でつぶやいたのだが、ルフィはいっかな気付く様子もなく、無邪気にサンジの返事を待っている。

この船のコック、サンジは常に左目を前髪で隠している。
とは言っても、同じ船で生活を共にしていると、当然前髪の間から時折ちらりちらりとその下も見えてしまうこともあるわけで、その左目が焦点を結んでいないことは見れば当然明らかであったが、誰しもそれをわざわざ指摘しようとするものはいなかった。

───今この時までは。

(バッカヤロウ。誰だって触れられたくない過去のひとつやふたつはあるもんだろーが!)
(それも当人がわざわざ隠しているような傷だぜ)

この船に乗り合わせた全員、それなりの「船に乗る理由」は持っていた。だけれども狭い船の上でプライバシーを守る一線というものは各自ちゃんとわきまえていて、だからこそ共同生活がトラブルもなく、──まあ些細なものはこの際数にいれないとして──成り立っていたわけなのだが、たまたまこの日この時、船長たるルフィの好奇心がその一線を僅かにはみ出てしまったわけだ。

 




■義眼の男



「なあ、なんで?」

皆の発した微かな緊張感をまるきり感じなかったのだろう、およそのんびりとした口調でルフィが繰り返した。

ゆらり。
と最初に動いたのは結果として注視されてしまったコック自身。胸のポケットからタバコを取り出し、マッチで火をつけるとふうぅっ……と煙を空へ向けて吐き出す。その一連の動きにはおよそ緊張とかいったものはなく、
「別になんでって理由を訊かれてもなァ」
サンジの通常髪に隠されずに見えている方の右目は、普段はグレーがかった綺麗なブルーだが、今はさんさんと降り注ぐ太陽光の下で、少し暗く翳ってダークブルーに見える。その目を一旦少し伏せぎみに落として、またすぐルフィを真っ直ぐ捉えた。
「ま、いっか。別に隠すようなことでもないしよ。オレ、実のところ、コッチの目をいつなくしたんだか全く覚えてねぇんだわ。つか、すでに物心ついたときには無かったんだ」
サンジはタバコを挟んだままの左手で、自分の「コッチの目」の上を軽く押さえて言った。
「生まれつき、てヤツなのかもしれねぇ。だからな、別に最初からこうだったから不自由がどうたら、なんて感じちゃいねぇんだ。目ン玉なくして痛かった、なんて覚えもねぇから、多分そうなんじゃないのかな」

「うーん、まぁそりゃあそうだよなぁ。いくら小さな子供でも眼球摘出するような事故だったらいくらなんでも覚えているだろーし」
痛みを想像したのか、ぶるぶるっと腕を抱きしめるようにしてウソップが言った。

「ま、そーゆーこった。そんでもってこの義眼もいつ誰が入れたかわかんねぇんだ。もう記憶にある限りコイツとは一緒に生きてるっつか、コイツもオレの一部だしな」
言いながらサンジにしては非常に珍しいことに、左手でそのまま前髪をかき上げ、普段は隠している左目をクルーに対してさらけ出した。

「な?キレーだろ?」

確かに生命を持たないはずの「ソレ」は、いつも生き生きと表情を変える右目──レディの前ではだらしなくやにさがったり、敵に対峙する時はギラギラと挑戦的だったり、料理中や食材の前では真剣そのものだったり──する右目と比べても、色味はほとんど同じで非常に「綺麗」なものだった。

だけど、どうしても。
綺麗であればあるだけどうしても際だってしまう「無機質さ」は如何ともしがたく、「綺麗」だけど「本来あるべき対のもの」の喪失をかえって意識させてしまうのだった。

……ほんの数瞬、時間にして0.5秒くらいサンジはそうやって自らの義眼を皆に見せて、また元通りに前髪を垂らしたいつもの顔に戻った。
彼にしてもこんなことで注視されるのは多少居心地の悪さを感じているらしく、直後はしばらくスパスパとせわしなくタバコをふかしていた。

なんとなく妙な空気がただよい始めたところへ、再度ルフィが口を開く。
「でもよう。オレ最初訊いたのって、なんで眼帯とかしねーの?ってことなんだけど。だってサンジ、目ェ見せたくねえんならその方がカクジツじゃん?」
「バーロ、オレ様のこの麗しい顔に眼帯なんかしてみろ、レディが怖がって怯えてしまうじゃねーか!あ、そうか、あらサンジさんて片目なくしてカワイソウね、わたしがアナタの目のかわりになってあげるわ、なんでもおっしゃってね──なんて言われるかもしんねぇな。そうなったらなんてやさしいんだマドモワゼル、それならこの不肖サンジ貴女の手となり足となりどこへなりともおともします、てな感じになるかもな、うんそうだそれで行こう!おいウソップ俺様にも眼帯イッコ作ってくれ!」

途中から妙な妄想が立て板に水のようにコックの口からまくしたてるにつれ、ちょっとだけ妙な雰囲気になりかけた甲板が、一気にはぁぁぁ、と脱力して元に戻った。
一番遠い位置で、一言も発することなく一部始終を目にしていたゾロもまた。

(こんのラブコックが)
(あいつは本当にアホだ)
(つまり何だ、結局いつものカッコつけなだけじゃねーか。そうだアイツの行動基準に女以外の理由なんてあるわけがねぇ)
(なんだちっとだけ気にしてソンしたな。アイツの左目の理由……)

既に話題はアイパッチにドクロの刺繍を入れてくれだの、美人に紫のアイパッチはすごくそそられるから今度ロビンちゃんにもどぉだのといった別次元になったので背を向けて後甲板へ向かい、午後の鍛錬を始めようとしながら、ゾロの意識はまだコックへ向いていた。
脳裏に浮かぶのは、ケンカのときの上目づかいにギリと睨む目だったり、ざんばらに乱れた金髪の間から見え隠れする薄く膜の張った目だったり、他のクルーに向ける意外に柔らかな視線だったり。
(アイツの目は、イイな)
(どんな時でも、綺麗だ)
(両目とも揃ってたらもっと)
ぶるっとゾロは頭を振ってとりとめのない思いを振り落とした。ないものねだりをしたところでしょうがない。他にもコックを構成するパーツはどれだってゾロにとってはなかなか気に入っているものばかりだったから。

そんな勝手な思考は全く知らずに、当のコックはその見えない目と見える目の、決して焦点を結ぶことのない視線を水平線の向こうへと投げていた。
タバコをくゆらす手が口元を覆っていたので、かすかにその口角の端が上がったのを誰も気付くことはなかった。


───小さな海賊船は今日も平和だった。

 

  

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