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パラキシャル フォーカス(12)




■尋問



「おっはよーお!おなか空いたー!!サンジ、メシメシッ!メシッ!」
「うっせぇぞ、クソゴム!」
ふいに頭上でかわされた大声の応酬に、びっくりしてぱちっと目をあけると、周囲はさんさんとした朝の光で満ち、キッチンではコトコト、しゅうしゅうという音や、庖丁のトタタタタン、というリズミカルな音、カトラリーのかちゃかちゃ鳴る音でいっぱいだった。
そのうえ。
ぐうううううぅぅぅっっ!
その光や音がすべて印象を霞ませてしまうほどに、暖かくて美味しそうないい匂いでそこは満ちていたので、あまりにも素直に自分の腹の虫が、当人を裏切って覚醒を主張してしまい、それを聞きつけた料理人がキッチンから振り返ってにやりと笑った。
「お、起きたな、おめぇ」
しかし声はコックからではなく、「クソゴム」と罵倒された黒髪の『片目の男』が発したもので、ジェイは慌てて今度はその声の主を見ると、にしし、と顔いっぱいの笑顔を返された。
驚きのあまり声をのんでいるうちに、どやどやと他のクルーたちもラウンジへ入ってきて、口々に「おはよう」「うーっす」「おはようございます〜 んナミ、さんっ」と挨拶を交わす。
とことこ、と蹄の音を木の床に響かせて小さな着ぐるみ医者がジェイの前にやってきた。ジェイはまだマットレスの寝床の上で硬直していたので、ちょうどまっすぐ立った船医とジェイの視線がほぼ同じ高さになり、船医はしげしげとジェイの顔色を観察し、うん、と無言でひとつ頷くと手(手、なのか?とジェイは内心突っ込みたかったが)をジェイの額にあて、また手首で脈をとり、耳の下をぐりぐりさぐった後に「あーんして」と口を開けさせて口中を見た。
「吐き気は?」
「……いいえ、全然」
それどころか、この美味しそうな匂いのせいでさっきからお腹が鳴って鳴ってしょうがないのだ。
「サンジ、夜中に異常は?」小さな船医はキッチンにいるコックを振り返って尋ねた。
瞬間、ジェイは夜中に声を殺して泣いていたことを告げられると思って目を閉じて俯いたが、
「なんもねぇよ」
コックはそんなことより目の前の寸胴鍋の中味の方が今は大切なんだよ、と言わんばかりに関心のない様子でぞんざいに言葉を投げてくる。
「うん、一晩寝たおかげで、顔色はかなりよくなったし、食欲もあるようだから、もう大丈夫だと思う。サンジ、今朝のメニューは何?」
サンジはまたも背中ごしに、
「野菜たっぷりリゾット。ハムとさやえんどうのソテー。干しプラムとトマト煮。ポーチドエッグ」
淡々と単語だけで返答する。その間、少しも手は止まることなく忙しなく動いているところを見ると、確かに言うとおりのメニューが全てテーブルの上に並ぶのだろう。
船医は「いいね。さっすがサンジ。消化によさそうだし、バランスもいいし」と満足げだ。
それでジェイは、この朝食のメニューがジェイの弱った体を考慮されて作られているのだとわかった。
「……んでだ」
んん?
ジェイの押し殺したような声はテーブルにつこうとしたクルー達をいっせいに振り返らせた。
「なんで、海賊なのに、捕まえたオレなんかにこんなに気を遣うんだよっ!海賊なんだろ、あんたら!」
「んあー……」
一斉に顔を見合わせる『海賊』たちは、視線だけで、だれが言うの、あんたが言いなさいよ、オレは面倒はごめんだ、いやオレだって子供相手は、と無言のうちに会話を交わしていたが。
「いーじゃねーか、そんなコト」
あっけらかんと言い放ったのは黒髪の。黒い眼帯の。
「ルフィ」
「ナミ。いいよ」
昨晩はちょっと怖い印象だったその女性も、朝の光の中ではもっと柔らかい雰囲気を醸し出していた。その彼女とお互い最低限の言葉だけで納得してしまった関係は、よほど深い信頼に基づいているのだとはジェイは気付かなかったが。
ルフィ。それが名前か。このターゲットの。

「『海賊だから』、な」
ルフィがまっすぐジェイの顔を正面から捉えて言った。
「オレたちは海賊だから、オレ達のやりたいようにやるんだ。なにも海賊だから捕虜をゴーモンしなきゃいけねぇ決まりなんてねぇだろ?オレ達は行きたいところに行って、したいことをやりたい様にやって、そしてそれぞれの目的をかなえるんだ」
んで、オレは海賊王になる!と続けたルフィの瞳は片方だけだったけれども強く澄んで、意志と、自信と、誇りとをすべて表わしていた。
それはルフィの目だけでなく全身から湧き出るオーラのようで、クルー達は皆その覚えのある吸引力に僅かに目の端や口の端で苦笑した。このゴムゴムの船長は、自らがその意志を介在させた途端全て他人を惹き付けててやまない魅力を持つ「不思議人間」そのものだという自覚はあるのだろうか───と、そこにいる全員が内心そっと表現の差はあっても似たようなことを考えた。

にか、と笑うと、話は全てそこで済んだとばかりに、「じゃあメシにしようぜ!サンジ〜オレもう腹減って死にそう〜」と一段と高い声で宣言する。
ジェイは目を白黒させて硬直していた。意味が通ったような通っていないようなルフィの説明に、ただ勢いだけで納得させられた形のまま、くるくる変わる展開についてゆけないでいたのだ。
「ほれ、ボーズはここ座れ」
自分に向けられた声にようやく正気に返ってその声の方を振り仰ぐと、金髪のコックがテーブルの隅に折りたたみ椅子を置いて、手招きしていた。
(あれ、昨晩は)
最初夢に出てきたと思ったコックの顔はちゃんと両目とも見えていたのに、昼間明るいところでこうしてみると、やけに前髪が長くて顔半分が見えない。ヘンな髪型、と思ったがそれと共に両の眉毛が巻いているのを思い出し、あれなら隠したくもなるかもなぁとそんなところで妙に納得した。

しかしそんなことも、テーブルについて湯気のたつ皿を目の前にすると、全て頭の中から綺麗さっぱり飛び去って、ひたすら皿の中味を口に運んで咀嚼することに没頭した。
暖かい食事自体久しぶりな上に、腹いっぱいに食べたことなど、ほとんど経験がない。
そして「空腹は最良のソース」と言うが、空腹ということを差し引いてもおつりがくるくらいどの皿の中味も舌に染み入るように美味かった。
とにかくジェイは食べた。夢中で頬ばった。リゾットをがつがつと平らげ、ハムの塩味とさやえんどうのしゃきしゃき感を一緒に味わって食べた。ポーチドエッグは塩をひとつまみ振って、フォークでつついた後、とろりと中味が出たのをすくって食べた。テーブル上のこれもほわほわと暖かいロールパンをちぎって食べ、皿に残った黄身をなすりつけて食べた。干しプラムは舌の上でねっとりとねぶるようにして食べた。トマトの酸味と甘みがどちらもお互いを引き立てている煮込みも、多分一緒に煮込んだみじん切りのタマネギとおぼしきものを、スプーンでがばっとすくって食べた。そして樽から汲んだ濁った水ではなく、霜がついてキンキンに冷えたピッチャーからさらさらと甘い水をコップに注いでごくごく飲んでは、食べ続けた。

最初は警戒していたのかもしれない。しかし一晩を弱っていたとはいえ添い寝されて過ごし、船医に診察され、クルーと一緒のテーブルで朝食の席についてしまっている。そこで「食わずにいる」のは用心深いのではなく、ただの間抜けでしかない。
そこまで論理的に思考したわけでもなかったが、結局はそういう判断をしたのと同じことを直感で感じ取り、ジェイは盛大な食いっぷりを披露していた。

「……おお、見事」
三回目のおかわりをさりげなくジェイの前に置きながら、サンジがつぶやいた。
「もう少し年がいけばルフィとも張れるかもしんねぇな」
見張り番あけのゾロが眠い目をしばたたかせながら言う。
「でも、そろそろ止めないといきなり胃に負担がこないかな……。」
チョッパーが声に不安をにじませながら言った。
「育ち盛りだもん、この年頃の子はすぐ回復するし、男の子って意外と頑丈よ。大丈夫大丈夫」
ナミが安易に保証する。
「んん?食べ比べ競争なのか?」
「ちゃうわーっっ!!」
叫び声は見事に唱和する。




 

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