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パラキシャル フォーカス(14)




■過去



(まったく)
コツコツコツコツコツ。
一昨日と同じ道を同じように歩く。足音も同じように響かせて。
(『片目の男』かよ………。たまたまルフィがものもらいつくっちまってアイパッチしてたのが幸運だったなァ。まぁルフィにしたらいい迷惑だったがよ。まあヤツにかかったら箸にも棒にもかからない程度の雑魚だったらしいから、いいけどな)
へっ、と煙草を口の端からぷらぷらさせながらひとりごちる。
(まあ、オレにかかってきたって同じ結果だっただろうがな!)

だが。いい加減そろそろ潮時だ。バラティエにいたころはまだよかった。何しろ遭難のせいで知己を全て失ってしまったのだから、サンジという人物を知るものは誰一人いなくなったはずだ。だが、あのレストランを出てから誰かがサンジを探りに来たらしいことを、グランドラインに入ってからカモメ便で一回だけ届いたゼフの手紙で知った。チビナスよ、海賊とも海軍とも見えねぇ奴らがてめェの過去をかぎ回ってるぞ、せいぜい背中に気をつけるんだな、と。
くそ。一体コレは何なんだ。幼いガキの頃、海辺で独り暮らしていた偏屈な男にあのときなんで近づいたのか、それこそ何千回も悔やんでみても悔やみきれない。
「あーあ、俺もあの頃はカワイくて素直で優しいコドモだったよなぁ」つい独り言が漏れてしまって、慌てて左右をうかがって誰も聞いていないことを確かめてしまった。だが自分の漏らした「あの頃」という言葉がキーワードとなって、自身の記憶を揺さぶり引きずり出してくる。サンジは慌てた。
あ。ヤバイ。思い出すな思い出すな。封をしろ。早く。暗いところへ塗り込めろ。でないと。
 
ぐちゅん。

「………ッッッッ!」
灼熱の感触の記憶が、サンジを責めた。
ぐらり、と上半身が揺れる。サンジは左目に手を這わせ、そうしてそのまま顔全体を手のひらで包み、左右に首を振った。 
だらしねぇ。いつまで昔の記憶に引きずられるんだ俺ぁ。
時間と共に痛みの記憶は薄れるが、どうしても薄れないものが残り、それは逆に年々と明確な輪郭を露わにしてくる。それはその時サンジに向けられた狂気そのものであり、それが「その瞬間」を何度も何度も繰り返しサンジに突きつけ、苦しめる。

石壁に手をつき、荒げた息を整える。震える手で新しい煙草に火をつけて、肺いっぱいに煙を吸う。
情けねぇな、と今度は自嘲の笑いが漏れる。海賊のくせに怖ぇもんが多すぎるだろ。つうか、自分の中にある影に怯えてるってどうよ。
「け、けけ」
俺は存外弱ぇ人間だったんだなぁ。まったく情けなくて涙がでるぜ、いっそこのまんまバックレちまおうかなぁ。こんなメンドくせぇモン、どっかに置いていっちまって、俺ぁ消えていなくなっちまえばいい。ひとりなら楽だ。

『───大事にするんだぁよ───』

向けられた狂気の割にその声は優しかった。そうしてのたうつサンジをぎゅうっと抱きしめて、繰り返し繰り返し耳に囁き続けたのだった。
『───やっぱりな、ダメだ。おれぁもうダメだ。だからそれ、おめェにやる。大事にしてくれ───そうしたら、いつかソレがおめェを導く───』

どこへ、何のために、とかいう疑問は一切浮かばなかった。それより男の言葉を覚えているだけ奇跡と言えるくらいだった。元々視力がなかったとはいえ、生身の左目を抉られ、そこに異物を押し込まれて正気でいられるわけもなく、幼いサンジは激痛に身もだえ、悲鳴を上げ続けて、そして意識を放棄した。
次に気が付いたら男は居ず、病院の白いシーツの上に寝かされていた。男が押し込んだモノは、サイドテーブルの上にきちんとガーゼにくるまれて置いてあり、そっと顔に手をやると包帯できっちりと左半分が巻かれてあった。
病院へ連れてきたのがあの男なのか、それとも別の人間なのか─。しかしサンジにとってはそれはもうどうでもいい事であって、自分の身にふりかかったことを分析するより、これからどうしたらよいかを真剣に悩んだ。何しろ金がない上、そのときは既に係累も何もなかったので。
結局その病院では黙秘を決め込み、とりあえず痛みが我慢できるようになった三日後に脱走した。男がサンジに託したモノは、そのうち売れるかもしれないと思ったので、大事に懐にしまって持ち歩いた。そうして時折取り出してはじっくり見てみたが、何度見ても男が言うほど大事なものには見えず、到底金になりそうには思えなかったのでまた懐へしまい込んでおいたが、そのうち邪魔になってきたので、あるとき、男が最初にしたようにいまではすっかり傷の癒えた左の眼窩に入れてみた。
最初はむずむずしたものの、意外にもサイズがちょうどぴったり合ったので、こりゃ案外いい具合かも、とそのままにしておくことにした。手近にあったマジックで適当に黒く塗ったので、ぱっと見には両目が揃っているように見えないこともない、とちょっと満足したが、やはり左右で色が違うのと少し気をつければすぐ違和感を見破られるので前髪でできるだけ隠すようにした。
バラティエでゼフと暮らすようになってから、ある時ゼフがもっとマシな義眼を造れ、と街へ連れ出したのだが、そのときはサンジはこれでなくちゃイヤだと強情に言い張り、最後にとうとう根負けさせて、多少手を加えて色を右目と合わせるだけに留めた。
『こりゃあ………』
その時、ゼフは初めてサンジのその「義眼」を見て、珍しく声を失った。
『チビナスよ、こりゃあてめェが思っているより遙かに厄介なシロモノかもしれんぞ』
その頃には、サンジも飽きるほどそれを見て、託された状況を思い出しては手がかりを掴もうとしていたのでゼフの言葉に頷くだけで反論はしなかった。
何がしかの厄介の種になりうるだろうとは思っていたが、ゼフの言葉で裏書きされたまま───それは今もサンジの左目の位置に嵌っている。

(とうとう来たか)
いつかは、とは思っていた。しかし今までの無事な年月を思うと、このまま何も起こらないままかもしれない、と思う回数も段々増えてきたのだった。

いっそのこと捨ててしまおうか、などとは微塵も思わなかったが、実際に追われる身になってみると、面倒ごとの元は手放してすっきりしてしまうのも悪くない気になるから不思議だ。
(だぁめだろそれじゃ。海賊が、狙われているブツを簡単に放り投げちゃ)
少なくとも海賊王を目指す男の船に乗る身だ。命賭けたことも一度や二度ではない。ただ。
不気味、というか得体が知れないところがどうも自分の性分に合わない、と思うのだ。何かわからないが誰かが大昔に画策したコトのばっちりを自分は受けた。そして現在その中心にいるらしい。問題は、それがどれだけの規模で周囲をどれだけ巻き込むか、ということだ。その予測が全くつかないから苛々する。

思考は堂々巡りをし、歩く速度に合わせていったりきたり、過去と現在をさまよっていた。
そのため、周囲に気を配るのがホンの少しばかりおろそかになっていたのだろう、背後からサンジの二の腕をぐいっと引っ張る別の腕が現われたとき、サンジは心底吃驚して声を失ったが常の習慣でそれでも振り向きざま腰をひねって脚を上段に繰り出した。
ひゅ、と音を立てて空気が切れた。




 

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