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パラキシャル フォーカス(16)




■ 手記・2




 その晩。
 夕食が済んで、全員が満足して一息入れたところで、ロビンがラウンジのテーブルの上に一枚の紙切れを置いた。
「ちょっと面白いものを手に入れたの」
 全員がランプの明かりに照らし出されたそれを覗き込む。
「これって………」
 真っ先にナミが反応した。確かに地図とか海図とか、情報に関するものすべてにおいてナミのかける情熱は誰にもひけをとらない。
 ただ、それには文字しか書かれていなかった。みっしりと書かれたそれは、黒々としたインクのニオイすら嗅げそうに紙面を埋めていた。
「今日、昼間にね、ちょっと『らしい』人が懐からその紙を大事そうに取り出して読んでいたの。でも不思議なことに、その人は熱心に読んでいるのだけど首をひねって「わからねぇ」ってつぶやいているものだから。何がわからないのかしら、と思って興味がわいてね、覗いたところ面白そうだったから、結局いただいてしまったわ」
 船長さんと航海士さんを襲った人たちだと思うのだけれど、私は実際に見ていないから、もしかすると全くの見当はずれかもしれないけど、と続けた後、ゆったりとした手つきでティーカップの取っ手をつまんで口元に運ぶ。
 その優雅な姿態そのままに、ロビンはその紙をどうやってか「覗いて」「いただいて」きてしまったのだろう。ナミはほんの少しだけ片方の眉をあげただけでそれについては言及しないことに決めた。そうしておいて紙面に注意を集中する。
「ナーミィィィ。見えねぇよぅ〜〜」
 ルフィが口を尖らせて抗議するが、黙って紙面を読み進めるナミは返事すらしない。
 一気に読み終えると、ロビンに顔だけ向けて、
「──これは、確かに面白いわ」
「でしょう?」
 にっこりと女性二人で微笑みを交わす。
 取り残された男どもは含みを持った会話についてゆけず、ただ二人の顔とナミの手にした紙を交互に見て、次の言葉を待った。全員ルフィが船長だということは充分納得していたけれど、通常航海においての最高権力者は誰かということも、同様に深く知っていたので。
「じゃあ、読むわよ?」
 ナミの澄んだよく通る声がラウンジを支配した。



「『────片目のガキに託す』ここで終わっているわ」

 ラウンジは沈黙に包まれていた。ナミもロビンも、そしてナミの朗読を聞いていたクルー全員がサンジを注目し、次に言葉を発するのを期待して待った。
 だが、サンジの口が言葉を発したのは。
「お茶のお代わり、淹れますね、ナミさん」
 そして全員の注視の中、ティーポットを手にとり皆に背を向けてしまう。
「ッッオイオイオイッッ!サンジッッ!」
 苛立った声はウソップのもの。がたん、と音を立てて椅子から立ち上がるが、ナミに手で制されてまたゆっくりと椅子に腰掛ける。
「……ねぇ、サンジくん」
「………はい、何でしょう?ナミさん」
 はぁ、と音を立てずにため息をついて、ナミがサンジの背中に向かって語りかける。
「『何』を、託されたの?」
 古い茶葉を捨て新しい茶葉と交換して、熱い湯を注ぐ─── 無駄のない所作ですますと、あとはもう逃げ場はない。ぐるりとテーブルの方に向き直って、ナミと視線を合わせた。
(ナミさんて声も視線も、実に容赦がないなぁ………!)
サンジはこんな時ですら、うっとりとしてしまう自分を押さえることができない。
(でも。ここだけはナミさんに従うわけにはいかねぇなぁ)
 何も託されたモンなんてないですよ。大体そのガキって俺?俺はそんなキチガイに出会った覚えがないんだけど──
 と言おうとして口を開きかけたが。
 ナミの視線が存外に鋭かったのと。

 『───いつかソレがおめェを導く───』

 その言葉がその瞬間頭の中をよぎったので、開きかけた口が何も言葉を発することなく閉じてしまった。
(しまった。タイミングをはずしたっ)
 もうこれでどんな嘘もとおらねぇ。はぁ、とひとつため息をついて、視線を逸らす。
「───勘弁、ナミさん。今は言えねぇんだ。もちっと気持の整理がつくまで、待っちゃくんね?」
 とりあえず、ギリギリ踏みとどまって、猶予を乞う。そう、今のこの紙切れの内容を自分なりに理解して解釈するだけの時間が欲しい。
 ナミは更に探るような目をサンジに向けたが、それ以上の追求は止めたようだった。
「サンジ」
 それまでずっと黙ってやりとりを聞いていたルフィが顔をあげた。しかしそれをナミがさえぎった。
「ルフィ、いいから。今のところはサンジくんに少し時間をあげましょ」
「悪ぃ、ナミさん」
(ナミさん、やっぱりアナタは天使かもしんねぇ。優しくて思いやりがあって、そして聡明だ)
 気持の整理と言いながらふわふわと漂う感情は常のようにサンジを浮き上がらせる。
 表情がイキナリ柔らかく崩れるのを見て、ゾロはち、と舌打ちをした。
(あんにゃろ、てめェの立場ってモンをすぐ忘れやがって)
 だがまぁ、女にでれでれするだけの余裕があるんじゃぁ、特に心配するほどのこたぁねぇか。
 昼間のサンジの様子が、怒っているようで、また余裕で誘っているようで、その実何を考えていたのかがまるきり掴めなかった。感情を逆撫でされてしまって追うのを止めたのだが、時間がたって頭を冷やしてみるとやっぱりちゃんと追いかけておくべきだったと思えて、ゾロにしては珍しく後悔めいたものを感じていたのだった。

「じゃあ、サンジくんには後で話してもらうとして」
 ナミがてきぱきと続ける。
「この紙片に書かれてある内容だけど」
 ぐるり、とテーブルを囲んだ一同を見渡す。
「何か、気付いたことなかった?」

「気付いたことって言ってもなぁ」
 ウソップが声をあげる。
「これ書いたオッサン、オッサンでいいんだろ?てもう死んでいるのか?」
「そうよね、それは私も気になっていたわ。でも多分、死んでいるのじゃないかしら。もし生きているならば、もっと情報があるはずよ。『片目のガキ』の特徴をもっと的確にしているはず。まだ生きていて、これが情報の全てでなかったとしたら、まさかアイパッチしただけのルフィを間違えるはずはないわ」
「この『鍵』ってヤツが何かということがわかればなぁ」
「……それは、あとまわしにしておきましょう」
 サンジの方は見ずにナミがきっぱりと言う。
「おそらく彼らは、この文章に書かれていることを信じて、ここに記されてある場所を目指しているに違いないわ。ほらここ、『ようやく辿り着いた故郷では、何故か不 議なことに皆自分より年を重ねている』ってあるでしょ?『不老』───おそらくそれが彼らの目的ね」
「でも本当に人間が年をとらないことなんてあり得るのか? 聞いたことねぇし、また『悪魔の実』でそういった作用があるモノを食っただけなのかも知れねぇぞ」
 ほら、あの『スベスベの実』食った女、あれって見た目は随分変わったもんな、とルフィが左右に賛意を募る。
「──まぁ、グランドラインは何が起こっても不思議はないけど──」
 ナミは『その可能性』にも考慮を払って考え込む。
「でもその割には彼らはノースから延々と追ってきたわけでしょう?当時の『片目のガキ』が今は麦わら海賊団に入っているってことだけで。──何か確信があって、年数と距離をこれだけかけてまで追ってきているのよ。それが何かまではわからないけど」
 テーブルに置いた紙片を皆でうーん、と覗き込む。
「これ書いた人、かなりストレスが溜まっている、というか精神に失調をきたしているよね。最初の部分は意味が通っているように見えるけど、文字がところどころ抜けているのが変だし、途中からは逆に同じ単語の繰り返しが多く文章自体がおかしい。彼は一体何に怯えていたんだろう?彼をそこまで追い詰めたものは何だったんだろうね」
 ドクターらしくチョッパーが分析する。
 これにも、皆一様に、ふうむ、と首をかしげて考え込んでいたが。

「ちょっといいかしら」
 ロビンが手を挙げて言う。
「船長さんを狙ってきたってことは、船長さんが『ガキ』だったころに託された、と思われているのよね。ということは、今から十年かせいぜい十五年くらい前のこと、と考えられる。その割には、この紙片が綺麗すぎるのが気になるわ」
 皆、はっとした。そういえばロビンの言うとおりだ。文字がにじんでもいなければ、紙が黄ばんでもいない。
「そうよ。そうだわ」
 ナミが声をうわずらせて言う。興奮してきた証拠だ。
「この内容で、この几帳面なしっかりした文字。これもおかしいと思わない?」
「ロビンの言うように、インクもまだ新しいし。紙自体がまだそんなに汚れていない。つまり、これは写しなのよ。写したときに、もともとの原文で文字が読めなくなった部分を、空白にして表わしたんだわ。ほとんどは一、二文字程度のブランクだから、かえってそのほうが不明部分を補完しながら読むには都合がいいわけだけど」

 そうか!と皆が納得してもう一度その文面を読む。が、だからといって特段新発見はなかった。

「写しだとしたら。その男がこれを持っていたことが説明がつくわ。きっと中堅のグループリーダー格なんでしょう。ボスのオキーフという人から写しを持つことを許されたんだわ」
「じゃあ、ボスが持つオリジナルを見れば、更に詳細が判る……と?」
 今まで黙っていたゾロが初めて口を開いた。ナミは意外という眼差しでゾロを見て、
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ブランクまで丁寧に再現して写しているから、文字から得られる情報はこれ以上のものは期待できない。あるとしたら、それ以外の部分だけど」
「多分、だから。彼らもこれ以上の情報を求めて、文中の『鍵』を追ってきたんだと思う」

 ナミはそこで今まで意識して逸らしていた視線をサンジに向け、言った。
「サンジくんは、どう思う?」




 

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