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パラキシャル フォーカス(21)




 ■再び捕虜



 あああ、もうダメだ。
 この間は夜で、捕まったのも抜け出したのも誰にも見られてなかったけど、今日なんてこんな昼ひなかに、こんなヤバそうな顔の男の肩に担がれて連れていかれるところ、絶対誰かに見られてる。
 でもしょうがないよね。だってオレまだガキで。悔しいけど力も背もこんながっちり捕まえられちゃ逃れようがないことは見ればわかるよね、オキーフさん。
 オレは裏切って奴らの船に行くんじゃなくて、無理矢理連れてかれるんです。そこんとこはちゃんと知ってて下さい。

 ジェイは最初抵抗した。頑張って頑張って足で蹴ったり掴まれた腕をひっかいたりしてみたがどうやっても逃れられない。ゾロはいい加減うんざりしてきて、面倒だからコイツ一発当て身をくらわして担いでいこうかとも思ったが、そのうちに相手はぐんにゃり諦めて力を抜いた。お、よしよしこれで自力で歩いてくれるならそれでいいや、とふと油断したのがいけなかった。ジェイは一瞬掴まれた手の力がゆるんだのに瞬間的に反応して振り払いダッシュで逃げかけたが、やったと思った次の瞬間後頭部に衝撃が走って目の前が真っ暗になったのだった。
「お、いけね」
 ゾロは唯一自分が知っている情報源であるこの子供をどうしても逃したくなくて、手を振り払われた瞬間つい腰の一刀を抜いて目の前の小さな背中に向かって一閃させてしまった。とはいっても全く本気ではなくその証拠に刃は返していない。
加減はしたものの尋常ではないパワーに、すぐに子供はくたりとその場でくずおれてしまい、ゾロにしては結果的に自分が担いでいかねばならない羽目に陥ったことに気付いて小さく舌打ちをしたのだった。
 すぐにナミと合流してジェイを担いだままゴーイングメリー号へ戻る。ゾロの足どりは子供ひとりくらい担いだくらいでは全くゆるぎない。時折ナミを後ろに置いてゆきそうになり、そのたびにぶつくさ文句を言われつつ、目が覚めてからずっとムカムカする腹が治まる方策を考えていた。

何でもいい。あのクソコックが黙って行ってしまいやがったのが我慢ならねぇ。ヤツの腹の内とコレの意味が知りてぇ。

 眉間に深く皺を寄せたまま、ますます足は速まり、途中揺られてジェイは意識を取り戻したのだがちらりと見えた剣士の顔つきにもう抵抗する気力をなくしてただ揺られるがままにまかせることにしたのであった。



 その晩。
 船体を洗う波の音は昨晩と全く同じように、優しく眠気を誘うように繰り返す。
 淡く霞む月も、しっとり湿った風もやはり昨晩と変わらない。
 けれどもゴーイングメリー号のラウンジに集う顔ぶれは僅かに変わっていた。誰も口にはしないけれども、いつもとは違う微妙な空気を、その重さを誰もが感じていた。
 いつもいるはずの者がいない。メンバーの誰かが不在だったことなどいくらでもあった。だが今回の、船の料理人の不在の理由を推測すればするほど、思考が底のない深みへはまり込んでいくような、そんな気味の悪さを感じるのだった。

 誰かが作った夕食を適当に掻き込みながら、成果をつきあわせる。ゾロがむりやりさらってきたジェイはその気まずい雰囲気にのまれたのか、連れてこられたその方法がまずかったのか、また最初に連れてこられた時と同様にびくびく怯えてラウンジの隅で膝を抱えて床を蹴る自分のつま先を見つめていた。
「オレはもう、これ以上のことは何も知らないんだ。本当だ」
 ジェイは問われるままに知っていることに関しては答えていた。生まれ故郷のこと、病気がちの母親のこと、幼い弟妹、どうして今の組織で働くことになったのか、今までの航海とその中での自分の役割、等々。
 故郷での出航までの間にやらされた細々としたことを話している最中、ふと使い走りで行った先の特色ある建物に話が及ぶにつれ、黙って聞いていたロビンの目が少し細められた。
「ねえ。その建物って、もしかして全体が全部白い壁で、だけど入り口の門柱が真っ黒に塗られていて、対のガーゴイルがそのてっぺんに向かい合ってついてるんじゃない?」
 ジェイは目を丸くしてロビンを見、頷くだけで肯定を示した。
「白一色の建物。対の黒いガーゴイル。聞いたことあるわ。多分、ノースブルーで最大の製薬会社、ハスケルバイン社の本社じゃないかしら」
「ハスケルバイン?」
「そう。製薬会社としてはノースだけではなく、イースト、サウス、ウェスト全ての海で最大規模を誇るはずよ。何しろ特許の数一千以上、二万人を超す従業員、抗生物質の発見と開発にかけては群を抜いて先んじているわ。船医さんなら知っていると思うけど」
「うん。ペニシリンを最初に大量生産することに成功して、製薬業業界で一躍頭角を表わしたんだよ。その後次々と新しい物質を発見して製品化し、それと同時に数カ国における販売代理店をネットワーク化したり、製品ラインを拡大していったりして、国際的な大手薬品メーカーに成長したんだ」
 チョッパーはいきなり自分の得意分野を振られてちょっととまどったものの、自分の知識を披露できたことが嬉しそうだった。
「で、その世界的に有名な薬の会社が?」
 なんなの、ロビン、と目でうながす。
 ナミはいきなりロビンがそんなことに皆の注意を引いたので、いぶかしげに眉をひそめた。彼女が何の理由もなくただの会社の業績などに興味を引くはずがない。
「そう。まあ、表もあれば裏もある、ってことでね。表の販売ネットワークの陰で、堂々とは市場に出せないものも扱っている、という話。そしてね」
 ここが肝心なのだけれど、と。
「裏でのうわさなのだけれど。ハスケルバイン社はとうとう不老不死薬の開発に成功した、とか」


 ■ 噂



「……マジかよ………」
「ちょっ、ちょっと待ってよ。じゃあ何?サンジ君は」
 言いかけてジェイを視界にとらえ、ハッと口をつぐむ。
「まあ、うわさにすぎないのだけれど」
 ロビンは両手をひろげて肩をすくめてみせる。私の話はここで終わり、というように。
「……でも全く何もないところにうわさは立たない、わよね?」
 ナミが正確に後を引き取って、ロビンと視線を合わせた。その言葉にロビンは肯定も否定もせず、ただ口の端を僅かにあげる笑みでもって返事とした。

 そうか。やはり敵さんの目的は不老不死薬の開発なのね。ロビンの聞いたうわさとやらは百パーセントうわさの段階にすぎないだろうが、あながち全くのはずれとも言えない。不死──の可能性はさすがにどうかと思うが、不老に関しては、そう、若さを、容姿を老いから遠ざけるために今でも多額の資産が投じられるのだ。個人的にも、企業単位でも。
 もし不老薬が開発されたとしたら。それは僅かな量で莫大な富を生む。資産家たちは先を争って手に入れようと金を積むだろう。
 いきなり背中がぞくっとした。
(待って。もううわさが出回っているということは───)
 ハスケルバイン社はその薬の開発のめどをつけた、と見ていいのかもしれない。うわさはあくまでうわさなので、開発自体成功しなくても何も痛むものではないし、もし成功して製品化したあかつきには、既にある程度の宣伝はいきわたっているというわけだ。

「ねぇ、ロビン」
「裏のルート、って言ったわね?それってどれくらいの規模なのかしら。端的に言って彼らの力はどんなものなの?」
「………私も詳しくは。流通経路は表のネットワークをうまく利用しているから販売に関してはそう人数は多くないとは思うわ。ただ、それ以外で裏独自の生業に関してはそうとうヤバイことも手を出しているから、それなりに力量がある人材が揃っているはずよ」
「ヤバイことって……?」
 ごくり、と喉を鳴らしてチョッパーが尋ねる。ロビンは困ったように首をかしげて、
「裏ルートでしかあつかえない薬ってどんなものだと思う? 答えは二つ。人体を危険にさらす、もしくは悪影響を与えるモノ。もうひとつは、原材料が人体それ自体のモノ、よ」
「………ッ!」
 声はあげなかったものの、船医は目を剥いて息をのんだ。
「……コックさんは、こういった事情をどこまで知っているのかしら。おそらくは──」
「関係ねぇよ」
 突然ルフィが強い口調でさえぎった。
「裏がどうとか。ふろーふしがどうとか。世界最大の薬屋が相手だろうが関係ねぇ。アイツが任せてくれ、って言ったんだから。全部カタつけてくるに決まってる」
 ルフィが言うことは、相変わらず何の根拠もなかったが。それでも、「信じる」ということのパワーは周囲に少なからず明るさの波動をもたらした。ほう、という息は誰が漏らしたものだったか。常に懐疑的で用心深いナミですら、眉根に込めていた力を抜いて、まなじりの表情を少し和らげた。




 

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