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パラキシャル フォーカス(22)




 ■片目の男



 それよりかさ、とルフィはチョッパーに顔を向けた。
「なンか、こっちの目、むずむずする。痒いわけじゃないんだけど」
 あ、そういえば、とすぐにチョッパーはルフィに向かって申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん。ごたごたのせいですっかり忘れてたけど、ちゃんと目薬さしてる?もう日数的に言ってそろそろ眼帯をとっても大丈夫なんだけど」
 あ、とナミの制止の声よりも早く。
 チョッパーはルフィの眼帯(アイパッチ、と本人は主張していたが)を取り去り、両の手でルフィの顎を支えて明かるい方へと顔をさらした。そうして眼帯の下に隠れていた目を覗き込む。瞼を器用にひっくり返して腫れの具合を見ると、
「うん。もうほとんど完治してる。でも目薬はもうあと二日ほどさし続けて。眼帯はもう要らない……け…ど……」
 言いかけた口のまま中途で声が途切れて固まった。目だけをゆっくりと動かして他の面々の顔をひとわたり見る。そして最後にゆっくりと振り返ってジェイを見た。ルフィの顎に手をあてたまま。

 ジェイはそれこそ目がこぼれ落ちるのではないかというくらい大きく見開いて、ルフィの顔を見ていた。
「う、そ。アンタ、そっちの目………」
「片目、じゃあなかった……の……?」
 のろのろとつぶやいた声は、小さかったが。
 しんと静まりかえったラウンジでは充分に大きく響いた。


「あ、アハ! びっくりした? びっくりしたろ?」
 突然ウソップが大声をあげて皆の注目を集める。
「まあアレだ。うん。ルフィはちょっとものもらいを作っちまってさ。なんつーの?アレ。そうそう、眼帯。だから眼帯代わりにしてたワケ。カッコイイだろ? だってオレら海賊だぜぇ? やっぱ海賊っつったらアイパッチだろ。つきもンだもんなー。一家に一台レーゾーコ、一味に一人アイパッチ、必須アイテムってモンよ!」
 ハハ……と明るく笑い飛ばした声がむなしくラウンジの空気をかきまぜる。

「じゃあ、あの人なのかな」
 ジェイはウソップのごまかしなどまるで聞いていない風で、天井の一角に視線を固定したまま小さくつぶやいた。その言葉に一斉に他の全員が色めき立つ。
「あの人って何だ」
「見たのか。何を見た。アイツを見たのか」
「いつよ?いつサンジくんを」
 いきなり自分に向かって集中する言葉の渦に、ジェイはすくみ上がった。見回すと全員の視線が自分に集中している。
 ひぃぃ、と声にならない声がジェイの喉でおこり、身体はじりじりと後ろの壁に押しつけられる。しかし前回濡れねずみで取り囲まれたときとは違い、今回は誰もそこで制止をかけるものはいなかった。
 すいと黒髪の船長が立ち上がり、ジェイの両肩をつかむと、今度は両方の目でもってまっすぐジェイの目を覗き込む。底の知れない黒い目だ。特につかまれた肩に強い力がかかったわけでもないが、その目に見つめられてがくがくと身体が震えた。
「教えてくれ。オマエは、いつ、どこで、サンジを見たんだ?」
 一語一語区切るように絞り出された言葉は抗いようがなく、ジェイを突き刺した。
「お、オレは」
 ごくり、と喉が上下する。
「けけけ今朝、見張りしてて」
「霧が出てた。寒くて目が覚めたけど、すぐお日様が昇ってきて風も出て。その時だ。あの金髪のコックさんがこの船から降りてゆくのを見たんだ」
「……そん時、黒い布きれで片目を隠すように縛ってた」
「で、アレ?って思ったんだ。アレ、おかしいなって」
 ジェイはその時は不思議に思っただけで、その意味までは分っていなかった。なんであんな真似してるんだろう、程度にしか考えられなかった訳だ。しかし、今となっては。

 ターゲットだと思っていた黒髪の男はただのフェイクだった。

(そうだよ、そういえばアノ人は髪の毛たらしてて左目いつも隠してた)
「そうか。あの人だったのか。片目のおとこ、って。あの人だったんだっ!」
 それまでルフィに追い詰められたように怯えて答えていたジェイがいきなり大声をあげたので取り囲んでいたクルーは少なからず驚いた。
 すぐと、反応を表わしたのはウソップだった。
「てめぇっ!この船から出さねぇっ!」
 重大な発見に撥ね飛んだジェイの意識が一瞬でまた萎縮する。
「……可哀想だけど、そうね、今度はしばらく居てもらうことになるわね」
 だけどまあ、怖いことなんかしないぞ、大丈夫だ、オレたちみんな優しいからな、とさらに怯えたジェイを見かねてチョッパーが声を掛ける。
 まあ、コックさんがいないから、食事の出来は我慢してもらわなくちゃならないけど、とロビンが続けた。
「捕虜としては悪くない待遇だと思うわよ?」
 ふふ、と笑う白い顔が何故だか恐ろしくて、ジェイはまたしても顔をひきつらせた。



「あんの………水くさいったら!」
 解散し、チョッパーとルフィがジェイを男部屋に伴って寝入った後、まだラウンジには数名が残って会話が続けられていた。
 いらいらと爪を噛む。ハッと気付いてすぐ止めたが苛立ちは収まらない。
「私たちを何だと思ってるのかしら! 彼ひとりで全て危険をしょってしまうつもり?」
「ま、サンジのこった。きっと何か勝算があってひとりで行ったんだろ。それこそ今更考えたってしゃーねーやな」
 ウソップが宥めるように言った。
「バカね。それは彼が自由に動ける時間がどれだけあるかにかかってたのよ。それなのに、わざわざ朝になってから船を下りて、わざわざ片目覆って顔さらしてたなんて。一体何を考えてるのかしら。これで敵さんはサンジくんを真っ直ぐ追いかけていってしまうでしょ」
「落ち着けよ、ナミ。もしかして、それがサンジの目論んでいたことなんじゃねぇの?」
「敵さんに追いかけられるのが?」
「かもな」
「…………」
「考えたってしょうがねぇぞ。サンジは既に行っちまったんだ。後を追おうにも行き先はわからねぇ。
あの子だって奴らのアジトには来てねぇって言ってたし。しばらく顔さらして歩き回って、島の対岸行きのバスに乗ったらしい」
「……対岸には別の港があるわ。そこから船へ乗ってしまったら……」
 追うのは至難の業だ、と言いかけて口をつぐむ。もちろんジェイの一味は既にそちらへ人出を割いているのだろう。しかし一方でまだジェイがこの港町にいたところから、メリー号の見張りは解かれていないのは知れる。今は動くべきではない。ナミだってそれは痛いほど判っている。だがサンジは。
「ねぇ、サンジくんは本当に戻ってくると思う?」
 問いかけの言葉は虚しく宙に消えた。



 ゾロは、ラウンジでの話し合いの最中、一言も口を聞かずにただひたすら他のクルー達の交わす意見を聞いていた。そしてここ数日のあのコックの行動や言動全てを思い起こし、それらと明かされた事実とを照らし合わせ、自分なりにコックの行動理由を、その背景となった彼の思考経路を考え続けていた。
 ナミもウソップもラウンジを去り、全員が寝静まったところでゾロは見張り台に陣取った。手すりにもたれて暗い海を眺めながら酒を直接瓶からあおる。
 どっかと座って酒瓶を脇に置くと、おもむろに腹巻きに手を突っ込み、中から小さな丸いモノをとりだした。
 月明かりにそれを掲げて目を凝らす。

 ───サンジの義眼───

 いったい、コイツは何を意味する?あのクソ生意気なコックは何故俺にコレを残していきやがった?
 謎だらけだ。わからねぇ。
 ふと、この島に到達する直前、彼と格納庫で抱き合った夜を思い出す。
 あの時彼の目の中で月光をはじいていたコレがやけに綺麗に見えて、くれよ、とねだったんだった。
 まさか、それを律儀に覚えていた、とか? 餞別、のつもりとか?
 確かにコックは義理堅いところがあるのは知っているが、どうもコレは腑に落ちねぇ。
(手切れ金、のつもりかもな)
 フン、と鼻でせせら笑う。
 案外そうなのかもしれない。あの時「目に嵌ったままでいいから俺のモンてことにしろ」なんてこと言ったものだから、もし本当に二度と戻らないつもりならば、清算の意味合いで置いていったのかもしれない。
 ちくしょう。
 ヤツにとって、俺ぁそんな程度のモノだったのかよ。こんなちっぽけな偽の目玉イッコで切れるものなのか。
 昨日の昼、あの路地裏で。
 簡単に煽られて頭に血が上ってしまったが、もっとコックに食い下がっていればよかった。そうしたら、ヤツが隠している何かがもっと見えたかもしれないのに。
 さらにその前、上陸直後にばったり市場でコックに会ったことを思い返した。
 ことさら何も会話らしい会話もしなかったように思うが、あの時のコックはやけに上機嫌だったと思う。自分もその気分に釣られてか、ただのエールがなんだかとても上等な酒のようで、気分がとても高揚していた。それは久しぶりの陸地と街の喧噪のせいだと思っていたし、そのはずだった。ふたりともがその場の雰囲気をただ楽しんでいて。
 こういうのもいいな、って俺は思ったんだよ。そん時。何にも言わなかったが。お前もそうだろ?

 なんだか、胸が痛い、というか虚しくなって立て続けに瓶から酒をごくごく飲んだ。さっぱり味がしない。もっと強い酒を持ってくればよかった。

(待てよ)
 ふと違和感を感じ、じっくり考えてその正体に思い至る。
 ならばなぜ、あれほどおおっぴらに傾倒しているナミには何も残していかなかった? それこそ美辞麗句のあふれかえった置き手紙の一通や二通、もしくは何か装身具の類を記念品として置いていってもいいはずだ。
(つまりこれは)
 感傷的なお別れプレゼント、てモンでもないらしい。

 義眼を手のひらの上でころがす。指でつまんで月明かりに透かして見る。少し躊躇った後、口の中へ入れてみた。噛み割るのはさすがにためらわれたので、舌先で感触を確かめてみる。自分でもフェッティッシュな行為に感じられて口腔から出そうとした時、舌がわずかに違和感を捕らえた。
 その部分を移動させないようそうっと取り出して、今度は爪でその部分を引っ掻くと、表面のフィルムの様に薄く加工された「薄皮」が剥けてきた。つまりそれが虹彩やら何やら『眼球』としての体裁をその様に見せかけている部分で、その表面部分の下は土台、つまり硬質硝子の球体となっている。
 ゾロはその表面を全部剥いて球体を全て露出させた。そこに現われたのは。
(なんだこれは)
 小さな小さな、ナミの手首に常にあるのとは随分大きさに隔たりがあるが───


 ───ログポース?

(いや、これは。多分)


 ──────エターナルポース──────



「…………アンの、クソコックッッッ!」



 ───ゾロの咆吼は海の闇に吸い込まれて、消えた───




 

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お疲れ様です。ここで前編が終了です。どうぞ一息ついてください。