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パラキシャル フォーカス(23)




 ■去る男



 ──ゾロがサンジの残していった義眼からエターナルポースを取り出すよりほぼ半日ほど前。

 ゴーイングメリー号を離れた後、サンジは街へ向かった。まだ早朝で人影もまばらだったので、市場を一回りぶらついて時間をつぶし、市場に出入りする仕入れ業者や卸売り相手にこの時間から開いている食堂で朝食をすませ、のんびりと煙草をふかしていた。
 黒いスーツ姿に黒いバンダナを斜めに頭に巻いた姿は、市場で働いている労働者にも見えず、かといって堅気の旅行者にも到底見えず、ちぐはぐな取り合わせのせいで目立っていたもののかえって声をかけるにはためらわれて、誰しも意識はするものの、遠巻きに見るだけにとどめている。
サンジは長い時間を煙を目で追いつつ茫洋とした表情で食堂に座っていた。
 ばたばたと忙しなく、ねじりハチマキをして長靴を履いた男達が入ってきては急いで朝定食をかっこんでまた出てゆく。その際にサンジの脇を通るたびにちらりちらりと視線を投げかけるが誰も話しかけようなどとする者はいなかった。
 たっぷりと時間を使って自身の姿を大勢の目に印象づかせたと判断した後、サンジは食堂のオバチャンに長距離バスの発着場の場所を尋ねてそこを後にした。
 
(さあて)
 新しい煙草を口に銜えてバスディーポへ向かう。この港町からバスで内陸をはさんだアミタブという別の港へ向かい、そこから定期船をつかまえるつもりだった。
(あまりゆっくりもできねぇか)
 小さな手荷物を肩から提げ、前髪をつとかきあげて歩き出す。頭の隅にちらりと最後に見た緑頭の剣士の月光に照らされた顔が浮かんだが、首をひとつ振ってその映像を追い出した。



 ■追う男



 ゾロは怒っていた。
 それはもう、怒髪天を衝く勢いで怒っていた。
(あんのクソ野郎……。ふざけるにもほどがある。とんでもねぇモン残していきやがって、もし俺が気付かなかったらどうするつもりだったんだ……)
 こうなったら何がなんでもツラつきあわせて一発殴らなくちゃ気がすまねぇ。つかその前に一人でカタつけるなんてぬかしやがったことを後悔させてやる。てめェがどんなに嫌がったとしても、むりやり間にねじ込んで充分俺のありがたさを味あわせてやるからな、待ってろよ、クソコック。

 もしこれがゾロではなく他の誰か、例えばナミにしろウソップにしろロビンにしろ、もう少し第三者的な立場の者にサンジが義眼を託していったならば、この超ミニサイズのエターナルポースを大事に保管してサンジの帰還を待つか、帰還がおぼつかないようでも船中に厳重に保管してサンジ救出隊を出すかしたに違いない。
 だがゾロはそれをするには少し、というかかなり、サンジに対して別の関わりを持ちすぎていて、客観的な目を欠いてしまっていた。

(なんとしてでも、これを突き返してやる。慰謝料のつもりか手切れ金のつもりか形見のつもりかそんなんはどうでもいい) 
 そして───
 どんな手をつかっても、てめぇを連れもどすからな。

 手の中の小さなエターナルポースを壊れない程度に握りしめながら暗い海の彼方を見はるかして堅く決意した。



 翌朝。
 ゾロとしては一刻も早くサンジの後を追って行きたかったところだが、一晩眠れないままに思考をフル回転させた後、一人で街中へ「用事がある」と言って出かけた。
(確かこのあたりだったな)
 方向感覚と、場所に関しての記憶についてはかなりあやふやなところがあるのは最近さすがに自覚するようになって、初めて行く場所はしょうがないとしても、目印や、曲がり角の方角などは気をつけるようになったおかげで、以前は「ものすごく時間がかかる」から「ちょっと時間がかかる」程度までにゾロの方向オンチは改善されつつあった。
 さすがに昔、目印を「変わった形の雲」とかにしたときにサンジに鬼の形相で怒鳴られ馬鹿にされたあげく、日のあるうちに船に帰れないことになった時に、野宿をしながら延々とイヤミを間にはさまれながら太陽の位置の意味、方角の割り出し方、目印にすべきものの選定についてレクチャーを受けたのだが、それが今まさに役だっていた。

 サンジが失踪を遂げるその前日、ゾロがサンジを追って最後に別れた地点。
 あの時は狭い路地裏で口論した末、無理矢理サンジがゾロの唇を犯してゾロの気分を害し、ゾロの追う気を無くさせたのだが、今思い返してもやっぱりあの時のサンジの態度はおかしかった。
(なぜああまでして俺を追い払いたかったんだ?)
 もともとコックは秘密主義なところがある、と常々ゾロは思っていたし、狭い船の中、身体を重ねているとはいえ、他人のプライベートな事情に首を突っ込みすぎるのは共同生活をする上でのトラブルになると、どちらかというとサンジに対してはあまり踏み込みすぎないよう一歩引きがちにしていた。、あの時もだからもう一歩踏み出すことよりも、引くことを選んでしまったのだった。
 だが、なんとしてもコックを追う、と決めた今はあの時のサンジの態度が妙に引っかかって、そこに何か手がかりがあるように思えてならない。
 昨夜一晩中考え抜いて出した結論が、朝一番でここに来て、その手がかりを探すことだった。

(ふうむ)
(あの日のコックの歩いた経路からして、目的の方向はこっちだろうな)
 だが、本当にあのときサンジが言ったように、この先にはコレと言って店屋が軒を連ねているような様子はない。
 誰か目撃者でもいねぇモンか──こうなったらここいらへん歩いているヤツ片っ端から聞いて回ろうか──と考えている先に、ふと妙な歩き方をしている男が目に入った。
 背中を丸め、ひょいひょいといった風に軽やかに歩を進めているが、その実、角を曲がるたびにちらりちらりと背後に視線をやり、明らかに追っ手を警戒している。一見、ただのちんぴら風に見えるがその油断ない目配りにゾロの勘がひっかかった。
 腰の刀を押さえ、できるだけ音と気配を断って後を追う。一時、ふいに男が角を曲ったと見せかけて見失わないよう小走りになったときに男がまた戻って逆の通りへ入ったときは冷や汗がどっと吹き出して危うく手の中で鞘同士が滑って音をたてそうになった。
 ──とにかく堅気じゃあねぇ。
 とうとう男が入り組んだ路地の奥の小さな扉に消えたときは、慣れない追跡劇を終えてホッと肩の筋肉が緩んだ。
 さてこれからどうするか。
 男が出てきたところを掴まえて、扉の中がどんなところか聞いてみるか、それともとりあえず中へ押しかけてみるか。
 迷ったのはほんの数瞬。

 ままよ。

 ゾロは男が消えた扉をバン!と開けた。


 
 扉の中は薄暗かった。
 カウンターが大きく場所をとっているだけの室内は、全体的にすすけていて陰気な感じを受ける。
 先ほど先に入っていた男はどこにも見あたらず、狭い部屋の中は完全に無人、に見えた。
 ───が。
「何の用だ」
 カウンターの奥にちんまりと座った姿が声を掛けた。ゾロはたった今まで気配を感じさせなかったその老人に内心の驚いた表情を出さずに顔を向けて、
「ここは何だ。アンタがここの主か」
 と問うた。
「そうだと言ったら?」
「尋ねたいことがある」
 その老人は一分以上たっぷり時間をかけてゾロを観察し、そしておもむろに再度口を開いた。
「お若いの。人にものを尋ねるときにはまず自分から名乗るもんだと教わらなかったのかい? ってここで言うべきなんだろうな、わしは」
「──!」
 口を開きかけたゾロを手で制し、その老人は言葉を続ける。
「だが、わしはお前さんの名前なんか知りたいとも思わん。ましてや目的もな。ただ早く出て行って欲しいとだけ思っとる。どうやらお前さんはわしの客ではないし、それならば用事はない。話もない」
 さあ、行った行ったと手を振って、その後はがさがさと新聞を広げて後はゾロなど一顧だにしない。
 とりつくしまもないとはこのことだ。ゾロは瞬間刀に物を言わせて聞き出そうかと思い、鞘を押さえる手に力が入ったが、
「それはやめておけや、お若いの。今までその刀で有無を言わさず人を従えて来たのだろうが、そういう方法が効かない人間もいるということが判るだけだ」
「……命が惜しくないのか」
 肝が据わっているのか、とてもそうは見えないがこの老人は刀を向けられても動じないほど強いのか。
「そりゃあ惜しいが。ただなぁ、刀を突きつけられるほどせっぱ詰まった質問てのは、大抵ヤバイ事柄で、それをしゃべってしまったら、きっとどのみち命は落とすことになるだろうさ。わしもこの年まで何回も危ない目にはあってきたが、一度力に屈すると次はもっと簡単に膝をつくようになる…まあ老い先短いからな、もう意地を通して若者を困らせるくらいしか先の楽しみがないのよ。頑固ジジイってのはいいもんだろ?」
 そこでようやくゾロに視線を向けて、ニヤリと笑った。
「だがまあ、お前さんが何を知りたいかということくらいは聞いてやってもいい──ロロノア・ゾロさんよ? あんたがそんなにしてまで知りたいことというのは何か興味がわいた」




 

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