こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






パラキシャル フォーカス(25)




■追う男たち



 マシューという名前のその男は焦っていた。
 なぜなら、オキーフから渡された「あの紙片の写し」を紛失してしまったらしいのだ。
 確かに大事に懐に入れておいたはずなのに、一日の終わりにもう一度読んでおくか、と手をそこにやったら何も入っていなかったのだ。もしかして仕舞ったつもりが服に引っかかって、いつの間にか地面に落ちてしまったのかもしれねぇ、と昨日自分が歩いたあたりを、今度は地面に目を凝らしながら歩き回っていたところ、初日にあの黒髪のゴム人間と一緒にいた女が目の前を通り過ぎた。
(あ、やべぇ)
 と思ったが、もともと地面を向いて俯いていたので、こちらには気が付かなかったらしい。後ろ姿を見てみると、あの時はターゲットだと思っていた男ばかりに集中していたから気付かなかったが、確かにいい女だ。いや、かなりいい女だ。
 女が小走りについていく先へ視線をやって、ぎょっとした。
 雑用をやっている小僧が、変わった髪の色の男に担ぎ上げられて連れられていくではないか。小僧は気を失っているのか、それとも抵抗する気が失せているのか全く動かない。
 驚いたが、とにかく彼らの行く先だけでも確かめなくてはとこっそり後を追う。しばらく後、別に何の不思議もなく、彼らは停泊中の自分らの船へと消えていった。小僧を、ジェイを連れたまま。この昼日中に堂々と。

 なんてことだ。片目の男を手に入れるハズが、使い走りの小僧とはいえこちらの身内を逆にさらわれてしまうだなんて。
 ぽかん、と口をあけてしばらく惚けていたマシューは、とにかくこのことをオキーフに知らせねば、とそそくさとその場を後にしたのだった。自分のそもそもの目的であった「紙片」を捜すことはすっかり頭から消えてしまっていたので、後刻ものすごく冷たい目で睨まれ、言い訳を考えることに冷たい汗をかくことになるのだが、それについては今は全く予想できずにいた。




「───で?」
 オキーフはマシューの報告を聞いて深く椅子に沈み込んだ。
 今朝ほどジェイから直接、金髪のコックが船を降りてどこかへ行ったことはその時の様子も含めて聞いていた。
 パズルのピースが嵌っていくように、いろいろな出来事が情報の断片となってオキーフの元へ集まってくる。
 モンキー・D・ルフィ。麦わら海賊団。一億の男。
 金髪のコックはイーストブルーの海上レストランからこのルフィに連れられて来た。
 そのコックの単独行動と、顔半分を覆う布が何を意味するのか。
 そこへ、ジェイが奴らの船へ拉致されたとの報告である。雑用の小僧ひとり、別に見捨てても全く惜しくはなかったが──。
 ただ、奴らが何を考えているのか、それが判れば。
 奴らは我々の目的を知って、それでわざと船長自らが囮となっていたのか…?金髪コックの早朝の出立はどういった目的があってのものなのか?もしもあくまで船長が囮となって片目の男を演じているのならば、金髪コックもまたなぜわざわざ片目を隠すような真似をするのだろうか。
 船長が囮になっている間にコックが別行動をとるのは理解できる。だがそれは囮が囮である意味がある間のことだ。コック自らが片目のふりをしているのは理解できない。

 とりあえずコックの尾行は優秀なヤツをふたりつけた。子電伝虫も持たせていて、細かに定時報告を受けている。コックは島を横断してアミタブ港に向かったらしい。
 ふうむ。
 ということは、コックは完全に単独行動をしているようだ。だがまだ、示し合わせてどこかで落ち合う可能性を考えて、奴らの船も動いたら即知らせるように見張らせてある。

 ──待て。
 コックが片目のふりをしているのでなければ?
 コックがターゲットの「片目の男」ならば。なぜ今わざわざ布なんか目立つモノでそれを言い立てる?
 つまりアレは。
 「ふり」ではなく、それが「必要」だからそうしているのだと考えれば。
(何か、を隠すための布なのか)
 左目を隠す…?
 もしくは。逆に。
 そこにあった「物」が無くなったことを隠す──など──?

「マシュー」
 所在なげに控えていた部下を呼ぶ。
「へい?」
「奴らの見張りを残して、全員集めろ。大至急だ」
 ばたばたばた…とマシューが出て行った後、ニヤリと大きく相好を崩した。さあて、賭けの時間だ。ベットは大きく、大胆に。
 負ける気はこれっぽっちもなかった。
 




 謎めいた老人の店を出てから、ゾロは真っ直ぐ船に戻った。とにかく仕切直しだ。
 ずんずんと大股に歩き倒し、浜と船との往復に使っている艀の迎えも待ちきれず、ざぶざぶと胸まで海に浸かって船の脇まで来ると、舷側に垂らしてある錨綱をほとんど腕の力だけで昇り、雫を垂らしながら甲板に降り立った。
「なあに?アンタ、その不機嫌そうな顔は。それに何でそんなに濡れてるの」
 ナミがゾロの不審な姿に眉をひそめて問う。
「…っせぇ。そんなこたぁどうでもいい。あの小僧はいるか?」
「え。そりゃあいるけど」
「どこだ」
「男部屋──ってアンタ、その濡れた体なんとかしなさいよ!そんな水まき散らしながらそこらじゅうを歩き回らないで──」
 そんなナミの声高な文句もどこ吹く風と聞き流してドカドカと甲板を横切ると男部屋へのハッチを開け、薄暗い中を覗き込む。
 ちょっとの間目を動かしただけで部屋の様子を伺い、すぐにひょいとその筋肉質の体をハッチにくぐらせた。
 ぱたん、とハッチが閉じられる。ゾロが甲板に降りたってからそこに消えるまでほんの三十秒もかかったかどうかという短さだったので、ナミはひょっとしてあれは白昼のまぼろしだったのかと疑いかけたが、ゾロがそこにいた徴にハッチの脇には小さな水たまりができていた。

 マストの下部の手がかり足がかりを実に器用に1本くらい飛ばしてつたい降り、半分くらいから一気に飛び降りた。どすん、という音にソファで半分眠りこけていたジェイは飛び起きる。ぼうっとした頭で音のしたほうを見ると、凄い形相で刀を腰から3本ぶら下げた男がこちらへ向かってくる。この男は、確か賞金が……ええと……
 一気に目が醒めた。最初に溺れかけたとき捕まってしまったのもこの男だし、その後街でいきなり連れ去れたのもこの男だ。今度は何を。
「おい」
「ひ」
「てめぇ、俺と一緒に来い」
「手がかりがねぇ、から。てめぇがいれば足手まといかもしれねぇが、ナンかまだしゃべってねぇこと思い出すかもしんねぇし。だから来い」
 何を言っているのかさっぱりわからなかった。ただギラギラした男の眼が怖くて怖くてたまらなかったので、とにかく抵抗する意志がないことを示すためにひたすら頷いた。
 そうしたら、男はよし、とひとつ頷いて、入ってきたときと同じようにあっという間にハッチを開けて出て行った。
 何だったんだ、今の。
 瞬間的に起ったつむじ風のような。
 ジェイは男が出て行ったハッチを見つめ、ようやく働き始めた頭で男が自分に言った言葉を思い出そうとした。

 再度甲板に出てきたゾロは、ナミに向かってルフィの居場所を尋ねた。男部屋にも甲板にもいないとなると、船から降りていない筈だから、あとはラウンジじゃないのとクールに、でも一応ちゃんと答えてくれる。
「そうか」
「アンタ、あの子に何の用なのよ」
 その問いには答えず、ラウンジでルフィが冷蔵庫を漁っているところを掴まえた。ゾロはその光景に、おいコック、番人がいねぇとあっという間にせっかく仕入れた食材が荒らされるぞ、と胸の内で微かにつぶやきつつ、
「ルフィ。俺はコックを連れ戻しに行く。悪ぃが船ぇ、しばらく離れる許可をくれ」
「ふぉこへ(どこへ)」もごもごと咀嚼しながら鷹揚に聞き返す。
「あてがあンのか」
「実を言うと、全くなくもねぇ。が、それは皆には言わねぇでくれ。ちょっとした賭けのようなモンだが、俺は勝算があると睨んでいる。あとは、勘だ」
「ふぅん」
 しばらく咀嚼音だけが停泊中の静かなラウンジに響く。ゴクリ、と喉を鳴らして口中のものを飲み込むと、
「けどなぁ。サンジは一人でカタぁつけるって言ってたぞ? おめぇ、ちょっかい出してサンジに蹴りくらう覚悟あンだろうな、オレは知らねぇぞ?」
「そりゃあアイツの勝手な言い分だ。ルフィ、おめぇも判ってんだろうが、あの時から事情が変わってきてる。それに俺ぁクソコックの蹴りなんざ今更だ」
「………。」
「俺がアイツを連れ戻しに行くのは、それは俺の勝手だ。アイツはアイツの勝手、俺は俺の勝手、勝手同士がぶつかるだけだ。どうせヤツとはいつだってぶつかってる」
「………。」
 ぽりぽりと後ろ頭を掻きながら、思案を重ねる。心情としてはゾロを止めるつもりはない。だが実を言うとルフィは自分自身がサンジを追っていきたいところでもあるのをじっと我慢しているので、気持ちとの折り合いをどこでつけようか、考えあぐねていた。いっそのこと、いつもの様に単身で敵陣へ乗り込んでいって全て綺麗サッパリとつぶして来たいところだが───
「それに───おめぇは動けねぇだろ?」
 そうだ。実はルフィは動けない。ゴーイングメリー号を動かすことができず、囮がバレてしまったかどうか不明な今はとりあえずまだ『片目の男』として彼らの注意を惹き付けておかなくてはならない。
 だから、ゾロが追うというのならそれが現在のセカンドベストかもしれない───
 ただ、不安はある。一番の問題はゾロの方向音痴だ。それでもゾロが勝算があると言うのならば。
「あと、あの小僧を連れて行く」
 ルフィは(昼間のうちはまたアイパッチをしていた)片方の黒い瞳をくりっとさせて、無言のままゾロの次の言葉をうながした。
「あの小僧はまだ何ンか持っているような気がしてなんねぇ。自分では自覚してなくてもだ。できるだけ情報を引き出しながら行きてぇ」
「そっか。じゃあしょうがないな。いいぞ行っても。ゾロがそんなに考えてるンなら止めらンねぇな」
「悪りぃ」
「そのかわり、絶対連れて帰ってこいよ。うちの専属コック」
「わかってる」
 ニヤリと笑って、あげた右手の拳を互いにガッと打ち付けた。

 また甲板に出ると先ほどと変わらぬ風情でデッキチェアで雑誌を読んでいるナミの元へ向かう。
「ナミ。俺ぁしばらく船を離れることになった。悪りぃが、ここら一帯の海図をくれねぇか」
 突然のゾロの要求にナミは目をぱちくりさせる。しかしゾロの平素の仏頂面の裏に隠れた表情を透かし見たのか、最初の一言だけは驚きを示したものの、すぐさま声を落として冷静なコメントを付け加えた。
「なんですって?………ああ、ルフィが許可したのね。だけど天然で迷子体質のアンタには無理よ」
「いや。大丈夫だ」
「大丈夫って何が」
「…お守りがあるからな」
「??」
「あと、いくらか金も貸してくれ」
 しばらく黙ったままでゾロの顔を見つめる。先に視線をはずしたのはナミだった。
「はぁ〜〜〜〜あ。全くあんたたち男ときたら!何でも自分ならできるって自信ばっかり持っていて!まったくもって始末に負えないわ!いいわよいいわよ、いくらでも貸してあげるけど、いいこと?利息はトイチで、そしてもしサンジくんと一緒に帰ってこなかったら、今までの分も合わせて全額その場で返済してもらいますからね!アンタの刀を売っぱらって、それでも足りなければ海軍に行ってアンタの素っ首賞金に換えるから、そのつもりでいなさいよ!」
 そして足音高く甲板を横切り、自室へのドアを音高く閉めた。

 ナミが海図の束をゾロに渡したのはその日の夕食の後だった。ラウンジに残っていたゾロにぐっと紙束を突きだして、
「はい、これが海図。写しを作ってあげたから、これを持って行きなさい。あとこっちが当座の費用ね。ちゃんと返しなさいよ?アンタ、海図の見方知ってる?」
「知らねぇ」
 はあ〜〜あ、とため息を大きくついて。
「しょうがないわねぇ……。まあ、アンタに海図読んでもらうようなことは金輪際あり得ないと思っていたけど……」
「方角だけでいい。教えてくれ」
「はいはいはい。個人教授料も上乗せしますからね」

 そして小一時間ほど即席でナミにレクチャーしてもらい、頭に数字が詰まったみてぇとつぶやきつつ男部屋へ降りると、ジェイを連れて船を離れた。
 ジェイは、こんな夜更けに今からふたりで船を出ていくと言われても驚いた風でもなく、おとなしくされるがままについていった。



 ───ゾロとジェイの二人旅がこうして始まった。




 

(24) <<  >> (26)