こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






パラキシャル フォーカス(32)




 ■戦闘



 ええ?どうするんだろう。だってあんなに人数がいるのに。あのコックさんはひとりで立ち向かうなんて無茶を通り越して無謀だ。だってオキーフさん達は銃だってあるのに。
 死んで欲しくない。あの人は何も言わなかったけれど、オレに優しく触れてくれた手を覚えている。
美味しいスープを覚えている。
「ねえ。ダメだよ。あの人死んじゃうよ。何とかしないと!」
 オレの手は非力だけど。この人なら強いから。もちろんふたりになったところで大して変わりはないかもしれないけれど。でも止めることくらいはできるんじゃないだろうか。
 ジェイはゾロのシャツを掴んでぐいぐいと引っ張った。

 ゾロは教会の大扉に寄りかかったまま、一触即発な状態の門前を見ながら、のんびりとした口調で言った。
「まあ、どうなるか見てみようぜ」



 ススッと身体を低くして相手の懐に飛び込む。そのまま片足だけハードルのように伸ばし、相手の足を払った。オキーフはいきなり目の前から消えたサンジを目で追いきれず、足を払われただけでもんどり打って背中から地面に落ちる。ぐぇ、と悲鳴にもならない声が上がったが、その時はサンジは既に次の相手に向かっていた。地面を這うような低い姿勢から一転、ぐいと伸び上がって男の頭上を飛び越える。飛び越えざまに右足の踵を後頭部へめり込ませる。そのままその右足を起点に左足を長く伸ばして次の相手の顔面を横ざまに思い切り薙いだ。男の頸骨がめり込んだ感触がした。
 ──ここまで僅か0.5秒。
 そのまま身体を捻って、戻ってくる右足の反動を利用し、つま先を脇にいた男の脇腹へめり込ませる。頭が下になった状態で、とん、と手を地面に突き、ついでとばかりに腹を押さえてかがみ込む男の顎を身体全体のバネを使って思い切り下から蹴上げた。さらについでに沈み込む男の背を踏みつけてジャンプすると、そのまま空中で回転して脇にいた男を二人まとめて蹴り倒した。
 ふう。
 サンジが一呼吸ついて立ったとき、既に五、六人ばかりは地面に倒れて、息も絶え絶えな状態になっていた。最初にオキーフの足を払ってから、足が地面を離れたままで。
 
 ──信じられネェ。
 嘘だろう?今、一体何が起ったんだ?
 周囲を取り囲んでいた男達は、驚愕の面持ちで動揺を隠せないでいた。ほんの瞬き数回の間に、今この男は一体どんな手品を使って仲間を倒したんだ?いや、ヤツが尋常でない体技を持っていることはわかったが、それにしても速すぎる。それに──
 一撃でこうも簡単に倒されてしまうとは。

 しかし、それで終わったわけではもちろん、ない。

 ひゅう。
 サンジが息を軽く吸った次の瞬間、また黒いスーツの輪郭がぼやけた。

 ヒュッ。

       ……ゴキッ

    ……バキッ




  ヒュオッ…

     ガツン。ギチッ

    タタンッ ドガンッ


「野郎!ヤツは片目だ!左側からねらえ!」
 怒号が起るが、めまぐるしく体を入れ替えるサンジに、特定な方向からというのは無理で無謀だった。左右のみならず、前後上下すらもまるきり一定してはいないのだ。

 ゾロはゆったりと背中を大扉に預け、サンジの戦いっぷりを楽しんで観戦していた。
(そういや、アイツの戦いを見るのも久しぶりだよなぁ)
 航海中、出会った海賊や海軍とやり合う時は、大抵ゾロも同時に戦いのさなかにいるし、あとはサンジ自身「と」やり合うこともあるが、こうやってサンジが誰かと戦うのをゆっくり見ることは稀だ。
 最初の一連の動きは、さすがにゾロも目を瞠った。キックだけでこうも鮮やかに空中戦をやってのけるとは。おそらくヤツらの中でサンジの動きを全て目で認識できたものはいまい。

「すげぇ………」
 ふと脇で声がしたので、ジェイを振り返ると、驚いて目をまん丸に見開いている。ほんの少し前はサンジを心配してゾロに止めさせてと懇願していたが、今は逆に仲間たちの方を心配しなくてはならなくなってしまった。だがしかし、一対多の絶対的不利な状況をこれほどまでにあっさりと覆すほどの実力と技に、純粋に驚愕し、称賛してしまっている。
 ジェイの心情を計ってか、ゾロが低い声で解説する。
「……乱戦になると、アイツは有利だ。俺も『気』を読むが、アイツも実際読んでいる。と、見る。まあな、フツー片目の人間が近接戦で格闘するのは絶対的に不利だろうよ。けど、見てれば判る。ヤツは目で相手の動きなんざ追っちゃいねぇ。ほらな?今なんざ振り向きざま鳩尾にカカトぶち込んだろう。それもミリ単位で正確にだ。
 ──天性のモノなんだろうよ。もちろん経験も大きいがな。キックの破壊力や正確さは自分で鍛えるしかねぇが、あの流れるような動きは、誰にも真似できねぇな」

(それに多分)
 ゾロは自分の心の中でだけ付け加えた。
 俺の煩悩鳳は斬撃を刃に乗せて発射するが、アイツは『気』を足から瞬間的に相手の身体に送り込んでいるんじゃねぇか。それはおそらく無意識なんだろう。俺は意識して『飛ばす』ことができるが、ヤツはただ触れた箇所から送り込むしか出来ねぇようだからな。
 だがそれだけでもただ蹴るだけよりも数倍の威力を発揮する。コックの蹴りをまともにくらった人間は文字通りふっとんでいくし、ヤツが岩や壁など蹴り一発で砕いたところを何度も見た。

 楽しみながらの観戦からサンジの戦力の分析に移行してゆき、思考が一人歩きし始めてしまったせいか、その時ゾロはほんの一瞬、何が起ったかの判断が現実に追いつくのが遅れた。

 ───パン!

 軽い音。それが何を意味するのか。

 オキーフは、最初に足を払われて背中から落下した際に息を詰まらせて動けなくなったものの、決定的な重傷を負ったわけではなかった。しばらくそのままの姿勢で徐々に呼吸を整え、それとともに手足に力が戻るのを待つ。
 そうしておいてから視線を巡らし現況を掴むと、すぐそばに落ちていた銃を手元に引き寄せ、そっと手の中に握りしめた。
 黒スーツに金髪のターゲットは、群がる部下達をいいように蹴り飛ばしまくっている。
 これだけ密集していることと、サンジがあまりに素早く動き回るために、銃を持っていた数名の男達も構えはするものの、引き金を引ききることはできないでいた。
 だが、オキーフは躊躇なく銃口をサンジに向けると、す、と目をすぼめて狙いをつけ、しぼるように引き金を引いた。



 軽い銃声の一呼吸あと、サンジの身体がぐらりと揺れる。
「クソッッ!」
 サンジは一旦、その灼熱の感覚を無視しようとした。が、ほんの一瞬そこに僅かな躊躇が生まれる。
 流れるような一連の動きにさざ波のように違和感がはしる。そこへもう一回銃声。さらにもう一回。
 今度こそサンジの動きが止まった。ゆっくりと銃声のした方、オキーフへと向き直る。
 サンジを取り囲んでいた男たちは、オキーフの銃口がまっすぐサンジへ向かっているのを見るや、サンジから一歩、二歩、と後ずさった。うちひとりは運悪く三発のどれかがあたったらしく、低くうめき声をあげるとその場にどう、と倒れた。
「……酷ぇことしやがる。仲間だろ」
 サンジは倒れたまま動かない男を一瞥し、オキーフを睨んだ。その言葉に返事はせずに、オキーフは鋭く叫ぶ。
「アル!ディック!トビー!何してる!銃を構えろ!」
 指名された部下達は慌ててだらりとしていた腕を上げ、じっとその場に動かないサンジへ向かって銃を構えた。

 ──腕と足を伝う血が鬱陶しい。一発目は右の太股を、二発目は左上腕の内側の肉を削っていた。その瞬間は痛さよりも熱さを感じて、自分が撃たれたことを知った。とりあえずまだ意識はしっかりしているし、立っていることもできる。ギリギリだが。
 四方から銃口に囲まれて、なぜか笑みが口元を掠めた。これが絶対絶命ってヤツか?
 こういう時の習性で、胸ポケットから煙草をとりだす。さすがに左腕が痺れて動かしづらいが無視していつもの様に煙草を銜え、マッチを擦って火をつける。左手の指を伝って血が煙草に移りかけたときだけは、あ、やべ、と思った。濡らしちまったら火がつかねぇ。

「形勢逆転だな」
 不敵な笑みを浮かべてオキーフはサンジを見ていた。銃で狙いをつけたまま、ゆっくりとサンジへ近づく。
(まだ軸足は無傷だしな。いけるか)
 トントン、とサンジはいつもの癖で蹴り足である右足のつま先で地面を蹴ったが、途端、脳天に突き上げる痛みにぐっと喉をつまらせた。
 脂汗が浮く。クッと顎を引き、奥歯を噛みしめて耐えた。周囲を伺うとオキーフ以外に三人が銃を構えている。
(これはちょっと……ヤバイか?)
 次の瞬間、背後から後頭部を殴られて、耳の奥がキィンと鳴った。同時に横から棍棒が自分へ伸びてきたのを目の隅で捉える。
「グハッッ!」
 腹部に強烈な一撃を受けて胃液が逆流した。口の中に苦い味が広がる。
 がっくりとその場にくずおれる。四つんばいになったサンジの視界にオキーフの靴の先が映った。
「──!!」
 顔面を蹴り上げられ、四肢もくずおれて地面に転がった。ガチ、とこめかみに冷たい感触があり、視線だけをそろりと動かして見上げると、黒々とした銃身とそれを握る手、そしてサンジを見下ろす冷たい眼差しとかちあった。

「さて」
 オキーフが余裕を持たせて言う。
「たかがコックとおもっていたが、やはり海賊は海賊か。だがまあ、こうなっては手も足も出まい────では、本題に移らせてもらおうか」

 サンジを見下ろしていた視線を、今度は門の中のゾロへと向けて、声を張り上げる。
「さあ!仲間のコックの命は俺たちの手に落ちたぞ!コックの命が惜しかったら、お前が持っているエターナルポースを渡せ!」




 

(31) <<  >> (33)