パラキシャル フォーカス(34)
■ジェイ
少し前。
オキーフがサンジを足蹴にし、銃を突きつけゾロにその眼差しを向けたとき、ジェイはできるだけその身体を縮こめて、自分が壁の隙間、扉の隙間に溶け込んでしまえばいいのに、と思った。
(オキーフさん)
久しぶりに顔を見た。相変わらずその相貌は酷薄で、なお一層視線は厳しい。もちろんそれはゾロへと向けたものであって、オキーフの視界にジェイは入っていたのではなかったが、ジェイはそれを自分への咎と感じられてたまらなかった。
(オキーフさん、すみません。オレ、捕まっちまって。でもできるだけ情報は送りました。オレ、少しは役に立ちましたよね。オレも一緒にノースへ帰れますよね。オキーフさん)
祈るように心の中で繰り返す。
帰りたい。その一心で仕事をこなし、言われたとおりにやってきた。ゾロの強さへの憧憬も、サンジの優しさへの思慕も同時にジェイの心を惹いていたが、その遠因は父母へのそれと繋がっていたのである。
その時。ゾロが視線はオキーフに据えたまま低い声で一言、ぼそっと言った。
「───さっさと斬り捨てておけばよかったか───」
───え?
──────なんて、言ったの?
オレのことじゃあないよね?だって今の今までオレのこと気遣ってくれてたもんね?
でも、やっぱり。
オレは仲間じゃあない、最初っから敵だったし。さっき、オレが情報流してたってのもバレちゃったし。そのおかげで今あのコックさんが危ない目に遭ってるのならば、やっぱりオレのこと斬っておけばよかった、って思ってるのかなぁ。
胸が、痛い。
痛いよ、母さん。
ジェイは胸を押さえてさらに縮こまる。ゾロはそんなジェイを顧みることなく、ざくざくとオキーフへ向かって歩き出していた。ゾロとオキーフのやりとりが耳に聞こえてくる。
『───いやだね、と言ったら?』
『───仲間の命がかかってるんだぞ!?』
うそ。
そんなこと、言うわけない。あの人が。
だがジェイの耳に次の決定的な一言が届いた。
『───さもないと、このお宝を壊してしまうぜ?』
はっと顔を上げると、あの美しい刀がゾロの手指の中の何かに当てがわれていて、今しも切り裂かれてしまいそうな場面が目に映った。
あの刀。夜の船上でゾロが舞っていた。
駄目。それだけは。
次の瞬間、撃て、のかけ声で銃声が響いて、ジェイはゾロが血を吹いて倒れるところを想像してぎゅっと目をつぶってしまった。おそるおそる目を開くと、ゾロは先ほどとまったく同じ姿勢ですっくとそこに立ち、男達の銃口は煙をあげているものの、誰もが目を、落ちんばかりに剥いて固まっていた。
途端、ジェイの頭が真っ白になった。
───駄目。
『あれ』を持ち帰らないと故郷に帰れない。
『あれ』を壊されてしまったら、もう帰れない。
ゾロ。
ゾロ。
ゾロ。
壊さないで。
ゾロ。
死なないで。
ゾロ。
オレたちを──斬らないで。
ゾロ。
『あれ』をオレたちに。
■偶発
足が地を蹴って駆け、手がゾロへと、ゾロの掌中の珠へと伸びた。
銃声が止んだその刹那の空白、ゾロの背後、誰しもが意識していない方向からいきなり手が現われて、ゾロの手から硝子の球体をもぎ取ろうとした。
「ゾロッッッ!!」
「小僧っっっ!!」
サンジとオキーフが同時に叫ぶ。
それ以後の数秒はコマ送りのように、見ていた全員の網膜に焼き付いた。
──ジェイがゾロの手からエターナルポースを弾く。
──弾かれて空中に高く浮く硝子の球体。
──掴んでいたゾロの手が空を掴み、反対側に位置していた刀が持ち上がる。
──オキーフがサンジに突きつけていた銃をゾロに向ける。
──誰の手にも触れず、放物線を描く小さな球。
──手を伸ばすジェイ。
そして、銃声。
パーンッッ………
オキーフがゾロに向けて撃った銃は、長く長くその音を響かせた。
その瞬間、空中にあったエターナルポースが、破裂した。
パリン!という微かな破裂音はほとんど銃声にかき消されてしまっていて、聞き分けられた者はほんの数人だっただろう。
だが、空中に一瞬高く舞った球体が、その放物線の頂点からまさに下降に移ったときに、砕け散ってガラスの破片を飛び散らせた様はそこにいた全員が視認した。
なんという偶然。
なんという皮肉。
エターナルポースを奪い取ろうとしたジェイを手助けしようとしてゾロに向けて放った銃弾が、まさかそのエターナルポースそれ自体を破壊してしまうとは。
今目の前で起ったことを頭は否定したがって、声も出ない。
「う……そだ………」
オキーフはその場にがっくりとくずおれる。
ゾロは蒼白な顔をして立ち竦んでいた。
「おおおおお、うそだうそだうそだ!」
オキーフは四つんばいでにじり寄り、草の中に点在するガラスの破片をかき集めた。すぐさま手に傷がつき、血が滲んだが、それに気がついた様子はなかった。
約束された地位。権力。すべてが一瞬にして砕けてしまった。
ゾロはただそこに立ち竦む。サンジはゆっくりと上半身をもたげ、その場にあぐらをかいた。二人の視線が刹那、絡み合う。