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パラキシャル フォーカス(36)




 ■ 存在の確たる証明



 そのまま、半時間ほどもその場所に座り込んだまま、ふたりは青く抜ける空と、濃く広がる海と、そしてそれが交わって遠くけぶる水平線とを見つめていた。
 サンジは時折煙草を吸い、たまにゾロも珍しくサンジからもらったそれをふかして、白い煙を風の中へ溶け込ませていく。
 ふいに、ゾロが口を切った。
「俺ぁな。アイツを返してやりたかった」
「うん」
「アイツは帰りたがってた。すごく」
「うん」
「アイツは……帰る場所があるしな」
「ああ」
 俺らは、前に進むしかねぇから。一緒にはいられねぇから。
「アイツは、目指す場所が違うから」

(だけどゾロ)
 胸の中だけでサンジは呟く。俺たちだって、そうなんだぜ?今のところは同じ方向を向いちゃあいるが、目指す場所は皆違ってるんだ。だからいつかは違う道を行く。出会いと別れはワンセットだ。お前とも、袂を分かつ時が来る。そんときは──

 知らずサンジは目を伏せていた。
「アイツな──」
 ふいに何かを言いよどんでゾロが口を噤んだ。
 続きが語られるのをサンジはしばらく待ったが、ゾロはそのまま黙って水平線を見つめたままだ。
「アイツが、何だって?」
 しびれをきらして、サンジが先をうながすと、ゾロはそれでも言おうか言うまいかためらった後にようやく口を開けて、
「アイツって、何か昔のお前に似てるんじゃねぇか、って思ってた」
 その思いがけないゾロの言葉に、サンジは目を丸くしてうろたえた。
「──ッバッッ!金髪なだけでかよ?俺ぁあんなに母親恋しさに泣きながら寝てたなんてこたぁねぇぞ!」
「〜〜あ〜〜やっぱ、そうか。寝てる時、よく寝言で母親呼んでたしよ。てめェの前でも、ってこたぁ、最初にとっつかまえた時か。はは、昼間は結構気の強そうなツラしてたがよ、まだまだガキだったってことだな。んで、そんなとこがよ、あの年頃の時のお前ってそうだったんじゃねぇかなーって思えるんだよ、俺は」
 サンジは口を開け何か言おうとしかけて、そのまま何も言わず閉じた。怒りで頭にかぁっと血が上る。
「─────…………」
 冗談じゃねぇ。このマリモ野郎は人の子供の頃を勝手にあれこれ想像したあげく、それを素性の知れない別のガキんちょに重ねて見てただと?俺サマって人間を一体どう思ってやがるんだ!俺はあんな泣き虫なんかじゃねぇ!母親なんか恋しがったこともねぇし、あの年にはもうコック見習いとして働いていたぞ、俺は!
 だがかぁっと頭に来るのも早いが、すぐその熱が引くのもサンジだ。
(だけどこの爽やかに芝生頭なヤツは)
 海を見ているゾロの横顔をちらりと盗み見る。
 想像上の俺サマ子供時代似のそのガキんちょを連れ回して、最後には憎まれてでも故郷に帰してやるよう画策してやった───。
(ちょっと待て。ちょちょちょっと待て)
 怒りで上がった熱が別の意味でまたヒートアップする。
 深呼吸ひとつ。
 手が胸ポケットに伸びて煙草を探る。火をつけ、胸いっぱいに煙を吸いながら今頭をかすめた考えをもう一度別の角度から見直してみる。
 まさか、そんな都合のいいことはあり得ねぇ───ヤツが、俺を大事に想ってるなんてこと。
 胸の中で打ち消しながら、ゾロがジェイを連れて定期船を乗り継ぎ乗り継ぎ旅した道中を想像した。ガキ連れの剣豪ねぇ。こんな愛想の無い野郎に連れ歩かれて、さぞかし怖かっただろうに、よくもまぁ、最後には懐いていたみてぇじゃねぇか。
 思わずくすっと笑みがこぼれた。
「──あァ?」
 ゾロがそれを聞きとがめてこちらへ顔を向ける。
「何でもねぇよ。俺サマの子供時代は、もっと天使のように可愛らしかったって思い出してたトコさ。てめェなんかの貧相な想像力では到底おいつかねぇほどにな」
「はっ。言ってろ」
「ああ、言ってやるさ。俺サマはなぁ。そりゃあ空から落ちて来た天使なんじゃねぇかって言われたモンさ。愛らしい瞳、ばら色のほっぺた、天使の輪っかをそのまま乗っけてるみたいなゴージャスな金髪………」
 サンジの舌は留まるところを知らず、ぺらぺらといかに自分の幼少時代が可愛らしかったかを述べ、それからいかにその容姿が成長して女性にアピールするようになったかへ移っていったが、ゾロは煩そうにいきなりそれをさえぎった。

「おい」
「……んだ、クソマリモ。今、俺サマの初デートの甘く切ない思い出をだなあ、」
 興が乗ってきて、立ち上がってしゃべっていたサンジは、ゾロの声に口を噤んで半分非難するように、半分からかうようにゆっくりと振り向いた。
 その顔は全くいつものスカした生意気なコックの顔で、薄い唇の端をちらと上げて挑むようにゾロを見る。
(こいつのツラ、そういえば久しぶりにまともに見た)
 そんなコトを頭の隅に浮かべながら、ゾロもゆっくりと立ち上がり、目線の位置を同じ高さにする。
「いい加減、ソレ返せ。まったく、勝手に人の腕から持っていきやがって」
 と、サンジの頭を斜めに縛っている「ソレ」=ゾロのバンダナを指して言った。
「……ハハ、悪い悪い、まあ何か縛るモノが要ったのに、たまたまてめェの無駄に張った筋肉が目の前にあったからよ。まあ俺の目ン玉はてめェに置いてきてやったから、代わりにてめェのモンいただいても文句ねェだろって思ったんだよ」
「なに言ってやがる。てめェの左目はちゃんとそこにあるんだろ」
「あら、バレてた?」
 サンジは別段驚いた風もなく、バンダナをするりと取り去ると、乱れた髪を左手で梳き上げて、そのまま両のまぶたをあげて真っ直ぐにゾロと視線を合わせた。

 そこには。

 今しがた粉々に破壊されたはずの義眼と全く同じものが、陽光の下で生身の右目とは僅かに異なる青色を発していた。

「いつ、気付いた?」
 その問いには無言のまま、ゾロはずかずかと近寄って、くい、とサンジの顎をつかんで上向かせ、つらつらとその両眼をのぞき込んだ。
 以前同じようにのぞきこんだ時は、サンジは眉をひそめ嫌がっていたが、今度は少しとまどいながらもおとなしくされるがままになっていた。
「………この、色が」
 ゾロは一旦言葉を切り、確かめるようにもう一度左目に顔を寄せ、それから右目へと視線を移し、サンジの反応を見逃すまいとするかのように注視したまま、
「あの時、格納庫で見たてめェの目の色と、残していった方の目の色が、ほんの僅か違ってた」
「──あれっぽっちのかすかな月明かりでそれを見分けたってのか。さっすが魔獣」
 一瞬の驚きを隠しつつ、まだ顎をゾロの手で戒められたまま器用に口角を上げて皮肉に見えるような笑みを作る。
「そりゃあな。だって『俺のモン』だろ?」
 今までずっと仏頂面だったゾロが、ここで初めてニヤリと相好を崩し、次の瞬間、ゆっくりとサンジの左目に唇を寄せた。
「おい」
「…………」
「よせ。何……する………」
「…………」
 たまらずサンジは左目を閉じるが、ゾロは構わずまぶたの上からそっと口づけを落とし、そのままちろりと舌を出して目頭を舐め、まつげをくすぐり、ぺろりとまぶた全体を舐め回した。
 サンジは両の手でもってゾロの胸と肩を押し、ゾロの舌から逃れようともがいたが、ゾロの手はがっちりをサンジの顎をとらえ、微動だにしない。
「俺のモンだからな、俺の好きにして何が悪い」
 器用に舌を使い、今度は細い眉を丁寧になぞる。普段見えない方の左の眉も右と同様にくるんと巻いていた。それを確かめるように尖らせた舌でゆっくりとねぶってゆく。
「バッッ……!てめェにやったのは、あれは、さっき壊れてしまってもうねぇだろーが!」
「何言ってやがる。てめェが俺にくれるっつったのは、あん時の格納庫でだったじゃねぇか。だからあの時おめェに入ってたコレが俺んだ。」
 眉の次はこめかみをたどり、唇で左の耳朶を含む。熱い息をふきかけられて、サンジは膝の力が抜けて思わずゾロを押し戻そうとしていた手で、反対にゾロの身体にすがってしまった。
「う……クソ……違ェよ…………」
「何が違うってんだ、いい加減観念しやがれ」
 これは俺ンだ。てめェがどう言い繕おうが、これは絶対ぇ譲れねぇな。お前がこれを大事にして手放せねぇのは知ってる。ならお前ごと俺が全部抱え込む。

 あの時。あの裏路地で手を離してしまったことをどれだけ後悔したか。ジェイとふたりきりの旅道中、どれだけ小さな硝子玉の中の針を睨んで時を過ごしたか。この指針の先にコイツがいる筈と信じて夜ごと刀を振っては自分を奮い立たせていたか。

 ぐい、と肩をつかんでサンジの顔を正面から見据える。
「───?」
 息を弾ませながらそうっとサンジは目を開けてゾロの顔を伺い見た。
「覚えとけ」
 それだけ言って、ゾロはがっと噛みつくようなキスをした。




 

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