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パラキシャル フォーカス(6)




■ジル 
入り組んだ路地を右へ折れ、さらに左へ折れ、そこへ現われた小さな石段を四、五段上り、石段の途中にあるアーチをくぐった先の小さな扉の前で止まる。
「ここだな」
黒くくすんだ木のドアを開けると、扉の上につけられたベルがちりん、と鳴った。
中は薄暗く、カウンターの向こうにはぼさぼさの頭も髭も真っ白で黒縁眼鏡をかけた老人がぼんやり新聞を読んでいる。
サンジがドアを開けると、その音に反応して、老人が新聞ごしに視線だけを面倒くさそうにこちらになげた。
「──客か?」
「イキナリ客かって言いぐさはねぇだろうが。立派にオキャクサマだ。じゃまするぜ」
「おおそれは失礼した。なんせここ2ヶ月は来る者といえばみな借金とりか迷い猫くらいのモンだったんでな。どうぞいらっしゃいませ、だ」
サンジは狭い室内をぐるっと見回した。天井と壁はすすけていて、全体的に薄暗い。カウンターがでん、とあるだけで、商品らしきものは一切見かけられない。そういえば外のドアにも看板らしきものもでていなかった。
それでも、サンジはここが目的地だと妙な確信があった。
「あんた、ジル、だな?」
「そういえばそんな名前だったかもしれん。いい加減年でな。最近では朝食べたものも昼までには覚えていられんようになった」
ひひひひひ、と自分で自分のジョークに力無く笑う。
「ゼフを知ってるだろう」
にわかに、ジルと呼ばれた老人の目がすっと細くなった。口元に笑いの影はまだ張り付いたままだったが。
「知らん」
「とぼけんなよ。なァ、おれはあんたを脅しに来たわけじゃないんだ。ゼフがあんたを紹介したんだ。まぁ、紹介っつーか、お薦めっつーか」
老人は黒ぶち眼鏡の上からサンジをにらみつけるように見つめた。
(品さだめをしてやがる)
「証拠は」
「証拠なんぞあるもんか。オレがゼフを知ってる。ゼフもオレを知ってる。そうさ、クック海賊団の赫足のゼフだよ。グランドラインに入って航海中、あんたんトコに寄った時はいい客だった、そうだろう? オレもあんたの客だぜ」
一気に言うだけ言うと、ポケットから煙草を取り出し、火をつけて煙を薄く吐いた。
サンジは、自分の容姿が細身で若く、海賊にはむろん到底、船乗りにも見え難いことは実はかなり癪ではあったが自覚していた。外見で舐められること。それは戦闘時は意外性をついて有利になるといえども、どうしても彼の中で折り合いがつけられない箇所でもあった。
なので煙草は常に身から離せず、そのうちにただの見え張りアイテムとしてでなく自らの一部と言えるくらいヘビースモーカーになってしまったが。
それでもそれなりにゴタゴタした厄介ごとを幾多もくぐり抜けてきた経験は、身の回りに一種独特の自信という空気を纏わせている。
ジルはサンジのその空気を正確に読みとった。
「何が欲しい」
「完全オーダーメイド」
「モノは」
「ここでは言えねェ」
「いいだろう。来い」
ようやく腰を上げてカウンターの奥にあった小さな扉へと顎をしゃくった。
サンジはフィルターをちろりと舐め、肩をくい、と丸めて老人の後に続いてその扉をくぐった。

 

■市場にて
上陸一日目。ログが溜まるまでに少なくともまだ数日は余裕がある。ゴーイングメリー号の専属コックは市場の下見から始めた。
旬の食材、この島の特産物、なによりも市場価格。
品物の回転が早く、良心的な店がいい。出入りする客の種類とその顔つきを素早く一瞥するだけで判断してゆく。
買い出し用のメモは今朝皆が飛び出していってからゆっくり作った。倉庫の中をチェックして、残ったものの量をこれからの航海の必要量から差し引いて、ここで購入しなくてはならない量を書き留めて。
でもそれだけでは終わりじゃない。これから物価とのご相談もしなくちゃならない。それによっては牛肉が豚肉に、鴨肉がブロイラーになるかもしれない。
まあ物価サマとのご相談も大事だが、この島だけの特産品ちゃんというバリエーションも仲間に入れてあげると、買い物は途端、楽しいものとなる。
 
(オキュート? キュウリの親戚かぁ? しかし見た感じ、どうも野菜にゃあみえねぇが)
(うーん。ここはどうも鶏肉の類がイマイチだなぁ。種類も少ねェし。肉類はやたら食うヤツがいるから、種類をある程度は確保しておきてェんだが)
(お、ここの白菜に似たヤツはしゃきしゃきしてかなり良さそうだ。サラダにも煮物にもあとスープ類もイケそうだぜ)
そのたびに、「おいおっちゃん、これはどう料理すんだ。そのままナマかそれとも火ィ通すのか?」とか「この菜っぱはなんて言う名前だ?何?ジャンツァイ?端っこちょいとかじっていいか?」と「人なつこさ」を最大限に振りまいて市場でしゃべりまくっていたが、別にそうと意識していなくてもそれが十九歳という若い年齢そのままの素顔でもあった。

船から出て、まず最初にジルを訪ねてから、サンジは大いに気を楽にして市場巡りを心から楽しんでいた。まだ陽は高い。下調べと称して店から店を渡り歩きつつ、たまに露天でエールなど飲んで。
以前ゼフに聞いた「細工師」ジルの島は、グランドラインへ入ってからサンジの心の中で結構な気がかりであった。なにしろグランドラインである。ゼフと同じログをたどるかどうかは全くわからない。しかし、この島はかなり大きく、航路の要衝地点でもあるのでかなりの確立で立ち寄るはずだと思っていた。
それが期待どおりで、ジルもまだ健在であり、(ま、ジジイがぴんぴんしているのに、一応堅気のヤツがおっ死ぬわけがねーやな)懸案事項もおそらく希望どおりに運ぶめどがついたので、サンジは先ほどから足や身体、頭までが軽くてたまらない。
エールを飲みつつ、新しい煙草を取り出して胸いっぱいにニコチンを味わう。悪くない。全く悪くない。パラソルの下で午後の日差しを避けて、長い足を気だるそうに投げ出すと、ふと人ごみの喧噪の中に見知った緑頭を見いだした。

(芝生みてぇ)
少しだけ立った髪の毛はやっぱり芝生のようだ。陽光を受けてきらきらするような派手な黄緑色ではなく、もっと濃い、夏の森の影の深緑だけれども。
あれの手触りはどんなだ。意外に柔らかいのか。それともその下の躯と同様に硬質なのか。
いつも身体を重ねるときは頭などに手を回したことはなく、ふと目にした深緑に感触を確かめたい気分になった。
(やらねぇけどな。つか、今日はオレどうかしてっぜ)
 
深緑の芝生は、まっすぐに雑踏の中を歩いてくる。三本の刀。世にも珍しいハラマキ。非常に奇妙で目立つ出で立ちながら、その男はその気になれば誰にも気付かせることなくその気配を絶つことができることを、サンジは知っていた。
しかし今日は自然体だ。市場の喧噪の中をどんな目的なのか知らないがざっかざっかと歩いている。サンジは一端声をかけようかどうか躊躇したが、浮き立つような気分が、それとざわざわしたここの雰囲気が結局そのわずかなためらいを取り払った。
「おい。そこの芝生アタマ。スプリンクラーを探して自分から歩いてきやがったか」
ゾロは一瞬その声がどこから聞こえてくるのか測りかねて、額にしわを寄せかけたが、すぐにパラソルの下の気だるげにくつろぐスーツ姿に気づき、
「おお」
とだけ応えた。

ゾロもどっかと隣の椅子に腰をかけ、とおりかかったエプロンのウェイトレスをちょいちょい、と指で呼び、サンジのジョッキを指して同じものを、と口を動かさずにオーダーした。
「何してる」
「何も」
「何もってこたぁねぇだろうが」
「エール飲んでる。見りゃわかんだろ」
「買い物は」
「ほぼな。今日は市場調査。本格的には明日。でもまあちょうどいいや」
「──?」
「ちょい、つきあえ。酒まだ見てねンだ」
「いいのか」
「ああン?」
「オレが選んで」
「ばあーか。誰が選んでいいっつったよ。腐るモンじゃネェから初日に買ったっていい。運び屋だ」
「んあ?」
「へへへ。まあ運び賃として一本はてめェの好きなの選んでいい」
「・・・三本」
「一本だ」
「じゃ、一ケースごとに一本」
「・・・てめ、何ケース買うつもりだ」
クルーの目がないと「ここで一発ケリいれておかないと」と気張ることもない。
ゾロはというと口の片端を上げ、悪人ヅラと自他ともに認める目つきでオレを見た。笑って───この顔は結構気にいってるんだよなあ。結構、つうかかなり、だ。
エールのアルコールなんて大したこたないハズなんだが。いろいろ小さな「楽しい」が重なって、日差しは暖かいし、コイツはこんな顔して隣にいやがるし、街も人も全体的にざわざわと楽しそうで。頭とか腹の中がなんだかほこほこする。
 
───いいなァ。

─────ああ、オレ、コイツのこと、好きだわ。

ほっこりと浮かんだ言葉はそのまま胸の中にすとんとおさまった。


 

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