こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






パラキシャル フォーカス(8)




■ 驚愕



何だ、あれは。
何だ何だ何だ何だ。
聞いてない聞いてないよ。悪魔の実?能力者?ってそれ何?
ジェイは先ほど目の前で起こったことがまだ信じられずに膝をかかえて路地の奥で蹲っていた。
もちろんルフィを襲ったのはジェイの所属する組織で、ジェイは「案内が済んだら、あとは足手まといになるから出てくるな」と言われていたため、あの男だ、と黒い眼帯をした黒髪に麦わら帽子の男を指した後は、おとなしく物陰に隠れていたのだが。
ほんの僅かの間に仲間たちは皆のびて、地面に這いつくばってしまっていた。
何?ゴム?あれ何?なんで人間があんなに伸びる?
聞いたことはある。悪魔の実って。けど実際に目にしたのは初めてだし。
あんなヤツがターゲットなのか。どうやって確保するってんだ。いいけどオレは。どうせオレの力なんてあてにされてないし。雑用だし。ああでもまた見張り台でずぅっと独りでいなきゃいけないのかな。お腹空いたなぁ。あの堅パンでもいいから、今欲しいなぁ。
がたがたがたがた震えながら、ジェイは思考のカケラをあちらこちらに散らばせていて、何をすべきかとか、何ができるのかという現実的思考へはなかなか戻れないまま、ただ震えているばかりだった。

そのまま小一時間もしたろうか。
ううーーん、と唸りつつ、ひとりふたりと地面から起きあがる。中には腹にパンチをくらった衝撃で胃の中身を地面と自分にぶちまけたヤツもいて、みっともないことこの上ない。

「………おい」
男たちの中で、一番ダメージの少なそうなヤツが、まだ膝をかかえてがたがた震えているジェイを見つけ、低い声で呼びかけた。
ひっ、とジェイの喉の奥で声にならない声が音をたてる。
「……ンだってんだよ。聞いてたか!こんなの!あいつがあんな能力者だったなんて、話が違げぇ!あれを生きたまま引きずって連れてこいってのは、どうすりゃいいんだよ。銃は効かねェ、掴んでもぐにゃりと伸びる、殴っても蹴っても効かねェときた!そんでもって、向こうのパンチはとんでもなく遠くから壁のように飛んで来やがる。おい!ジェイ!この役立たずのムダ飯ぐらい!てめェ、ヤツのこた知ってたんじゃネェのか?間違いなくヤツがターゲットなんだよなァ?ああん?」
傷を負わされ、不機嫌の固まりのような男たちの前で、ジェイはますます口がきける状態ではなかった。
「…………。」
「小僧、ションベンちびってんじゃねーぞ!けっ!胸くそ悪りィ。帰ってオキーフさんに報告しなきゃなんネェが、何て言えばいいんだっての」
男はこの襲撃隊のリーダー的存在でもあった。いわゆる、部隊長とでもいうところだろう。しばらく痛そうに顔を歪めている男達全員を眺め回し、またジェイに視線をやってから、
「小僧、お前、例の海賊船へ行って、様子を探ってこい。幸い、てめェはさっき顔を出さなかったからな、面が割れてねェ。なんとか取り入って、少しでもヤツらの弱点を探り出すんだ。特にあの麦わらに黒眼帯のヤツだ。アイツを手に入れない事には、オレら全員ノースの地を二度と踏めねェんだからな。ああちくしょ、あんなガキみてェなツラしやがって、なんてパンチしてやがるんだ」最後は痣になった顎と胸のあたりをさすりながらひとりごちる。



───どうすればいいんだ。
ジェイは灯りのついた船窓を見つめながらこれで何度目か知らず、胸の奥でつぶやいていた。
様子を探って、ターゲットの情報を掴んでこいっていったって。
その船は静かな入り江に錨を降ろしていて、ふざけた羊のフィギュアヘッドがこちらを見ているのが、ちょっとシュールで怖い。
港の波止場に繋留しているわけではないから、他に船もなく、ジェイがここにいること自体、見つかったらとても言い訳に骨を折ることだろう。何気ない風を装って近づくことだって、無理だ。
でもこうやって膝をかかえてただ船の灯りを遠目に睨んでいたって、何も、そう、彼らが満足するような情報は何もわかりっこないのだ。
 もちろん、ジェイにそんなことを本当に望んでいるわけではないのだろう。ただ一方的にぼこぼこにノされてしまったのが腹立たしくてしょうがないのだ、あの男達は。だからたまたまそこにいながら何も痛い目にあわなかったジェイが辛い目に遭わなくては気が済まないというわけだ。

───どうすればいいんだ。
それでも、ジェイはまだその場所に蹲って、ひたすら灯りを見ていた。時折、船室のドアが開いて人が出たり入ったりする。その時に少しだけ人声が漏れて出たりもするが、何を言っているのかまでは判らない。
街でターゲットの襲撃を失敗してから、既に四、五時間は経っている。あれは午後半ばの頃だったから、今船窓の奥で揺らめいているのは夕食の光景だろうか。頭がふと食事ということへと向いた途端、反射のようにお腹がぎゅぅ、と鳴った。最後に口にしたのは早朝のカビかけた堅パンだったっけ。いやいや、故郷では何も食べないで一日が過ぎることなんか、しょっちゅうだった。もう少し我慢すれば、身体が空腹を忘れてくれる。だけど昨日も何も食べてなかったよなぁ。
このままここで一晩過ごして、何も解りませんでした、と男達に報告したらまた殴られるかもしれない。殴られないかもしれない。わからない。彼らはどれくらい怒っているのだろう。それより、オキーフさんになんと報告したのだろう。オレがいないからといってオレのせいにされていたら。オキーフさんにあの目でじっと見られるよりは、普通に殴られているほうがまだマシなんじゃないだろうか。

───母さん。
ぐぐ、と空っぽの腹に力が籠もる。

───弟と妹。
会いたい。
帰りたいよ、帰りたい。

だけど、この仕事が終わらない限り、故郷へは帰れないんだ。
そう、あのターゲットの人物を、彼が握る「鍵」を手に入れない限り、この航海は終わらない。誰もノースブルーのあの石畳の街には戻れない。


ふらり、とジェイが立ち上がったのは彼自身意識していなかったこと。
視線は丸く黄色い船窓へ固定したまま、そのままふらふらと、まっすぐ波打ち際まで歩き、そのまま止まることなくちゃぷちゃぷと暗い水の中へと歩を進めてゆく。水が膝を過ぎ、腿を過ぎ、胸のあたりまできたところで、ジェイは大きく息を吸うと、とぷん、と頭を水に沈めてゆっくりと泳ぎだした。



「だから、何か別の目的があったんだわ」
ナミがフォークをす、と目の高さまで上げて言った。
テーブルに就いているのは、ナミの他に、ルフィ、ゾロ、そしてチョッパー。サンジはテーブルに背を向けてナミのプレートにお代わりのパスタを盛りつけていた。ウソップとロビンは今晩は街で泊まると言っていたので、これで全員だ。
「へふのもふへひっへ(別の目的って)?」
「口にものを入れながらしゃべるのはやめなさいってあれほど!言ってる!で!しょうに!」
ガンガンガン、スタッカートの言葉に会わせてナミがテーブルの下でルフィの脛を蹴り上げた。しかし全く聞いていない、いや効いていない。
「別にいいだろ、『生かして』って言われてるくらいなら、別に脅威にはなりえねーし。もちろん『殺して』ってんだっておとなしく殺されるタマじゃネェからな、コイツは」
お、珍しく芝生頭が自分の意見てものを言いやがる。あの芝生の中にも脳ミソがあったんか。背中で会話を聞きながら、サンジはナミの次の言葉を待った。
「何か、お金の匂いがしない?」テーブルに肘をついて、上半身を乗り出して。
こういう時のナミさんは本当に活き活きしてるんだよなぁ、とサンジは声のトーンでそう言っているナミの顔を想像していた。きっと彼女はちょっと顎を引きぎみにして、右の口角を少しだけつり上げて、そしてあの大きな両眼をきらきらさせながらきょろっと皆の顔を眺めわたしてるんだろう。たまらないぜ。
サンジはくるっとテーブルに向き返り、ナミの前にお代わりの皿を置いてナミをちらっと伺う。
(ほらやっぱりね)
そのまま他のクルーの皿の様子を見渡しながら言う。
「ルフィを生かして連れてくることに、何のメリットがあるんだろう?コイツが生きてるってことが徳になることが思いつかネェな。ゴムで、大食らいってことぐらいだろ?ゴムはともかく、大食らいなのは損ばっかで徳にはならネェと思うんだが」
言いながら、ほい、それよこせ、とチョッパーの空になった皿に手を伸ばす。
「うーん。それはそうなんだけど。でも何か理由があることは確かよ。まだそれを推測するには材料が足りないけど、多分またルフィを狙ってくるだろうから、そのときにひとりふたりとっつかまえてしゃべらせれば、何か面白い事がわかるんじゃないかしら」
「面白いことかー。いいぞう、なんだって!狙われるのは海賊のサガってヤツだもんな」
(あーあ、いつだってコイツは脳天気だよ。本気で首を狙われたってそれも娯楽にしちまうんだ)
その図太さはいつだって驚嘆に値する。誰しもが死を覚悟するような場面にあって、いつだって笑い飛ばして明日を疑わない強さ。サンジだって自分は相当肝が据わっている方だと自惚れではなく思っているが、ルフィの剛胆さは時にサンジや、ゾロですら息を呑むことがあるのだ。そして次の瞬間、背筋をぞくぞくさせるほどの吸引力を持って───魅せられる。だからこそこの年下のガキを船長と認めて付いていくのだけれど。
「じゃあ、明日……」
ナミが言いかけた時だった。
ゾロがナミを手で制し、静かに刀を手にして立ち上がった。そのままドアノブをそうっと回して細く開け、外の様子を窺う。
するり、とゾロがドアから抜けた後、ルフィ以外は皆そのドアを見つめて息を殺していた。静けさのの中、ルフィの咀嚼音だけが響く。
「サンジー、これおかわりィィ」
「お前は食い過ぎだっつの!クソゴム!これで何回目だ!……まあ、クソ剣士にまかせとくか。物騒な気配でもないしな」

そして、すぐにゾロは戻ってきた。ずぶ濡れの子供を抱えて。



 

(7) <<  >> (9)