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パラキシャル フォーカス(9)




■捕虜



「おい、気がついたか?」

───……オレは仕事を終えて帰るんだ。ノースの故郷へ帰るんだ。
それだけ考えて暗い海へ泳ぎだした、までは覚えていたけれど。

薄く開けた目に飛び込んできたのは黄色いランプの光。ぐるぐると目が回る。身体が重い。瞼も重い。重くて開けてられない。目を開けるなんて疲れ果ててできない。その代わりなんかいいニオイがする。
その途端、ぐ。ぎゅ。ぎゅるるるるるぅぅ〜〜〜っっと派手にお腹が鳴った。
「え?」
ぱち、と目が開いた。



「あ、目を開けた。おい、チョッパー!来てくれよ」
おう、と声がしてとたたたた、と傍へ来たモノを見れば、ぎょっとしてさらに目が大きく開く。
思わず飛び起きて逃げ出そうと仕掛けたが、なんとか上半身を起こすのがせいいっぱいだった。腕も足も全く力が入らない。

「大丈夫、多分水を飲んだだけだ。あと身体が冷え切っているのと、疲労だね。何でこんな夜の海を泳いでいたかは後でゆっくり尋ねるとして、まず身体を乾かすのと、暖かいスープ、そしてゆっくりと寝かせることだよ」
「なぁに言ってンだ、テメ。他に船もないこんなところで溺れかけるなんて、オレたちを探っていました、って言ってんのと同じじゃねーか。まずこの小僧には、何でこんなことしてンのかきっちり吐かせるのが最初だろ」
「バカゾロ!この子の状態を見なさいよ!そりゃアンタの言うことももっともだけどね。いくら何でもこんな状態の子供から何かを聞き出せると思う?」
「仲間がいるに違ぇねぇじゃねぇか!こんなガキひとりで何かできるわけねぇ!岸とかに人数隠して伏せてるのかも」
「だ・か・ら!わかってるわよ!だからルフィが外に出て警戒してるんじゃない。アンタも早く行って、とっととあるかもしれない襲撃に備えてよ」
だけど私は、今夜は何もないと思うけどね、と付け加えながら、ゾロの肩をラウンジの外へ押しやった。



しばらくして、ラウンジの中はしんとした静けさを取り戻した。
ずぶ濡れの子供はきょときょとと周囲を見渡しているが、自分の置かれた状況を理解しているようには見えなかった。
そうっとチョッパーがタオルと誰かの古着を持ってきて、てきぱきとその子供の濡れた服を着替えさせた。
その様子をちらちら横目で見ながら、サンジはコンソメスープを温め、皿によそって子供の目の前に差し出した。
(なんでこんなガキが夜の海なんぞに漂っているんだか。見ろ、冷え切って体中細かく震えてやがるじゃネェか)
人が、どんなヤツでも飢えたり溺れたりとにかく弱っているところを見るのはサンジにとって非常に落ち着かない気分になるものだった。
(特にこんなガキが膝を抱えて震えている様子なんぞ見たくネェ──思い出したくねぇことまで思い出しちまう)
「───ほら。あったまるぞ。飲め」
その子供が両手で皿をしっかり掴むまで、ずっと支えてやる。
「ほら、しっかり持って、こぼすんじゃネェぞ」
その子供はそれでもまだ警戒心を解いていないようで、ごくり、と喉を鳴らしながらもまだためらっている様子を見せる。
「いいから遠慮するな。まず腹になんか入れるのが先だ」
ようやく、スプーンを動かして一口、二口とスープを啜り始めた。それが段々スピードを増していく様子を見て、サンジはよしよし、と内心でにんまり笑う。
胸のポケットから煙草を一本。慣れた動作で火をつけてすぅっと煙を吸う。その間に子供はスープをあらかた食べ終え、かちかちと皿の底のわずかなしずくをスプーンで掬おうと試みていた。
「おっとお代わりが要るなこりゃ」
「あ……」
手を伸ばして皿を取り上げると、子供も皿のふちを握りしめてくる。
「ばぁか、取り上げるんじゃねぇよ。お代わりよそってやるから、皿よこせ、な」と言うと今度は素直に離した。
サンジが鍋に向かっている間に、子供は視線だけ動かしてナミやチョッパーを盗み見る。でもまだ言葉を発することはせずに、視線がぶつかりそうになるとすぐ下をみて俯いてしまう。

二杯目のスープは最初から躊躇いなく、がつがつとあっという間に飲み下す。空の皿をいじってもじもじしているのを、さりげなくまた取り上げて三杯目をたっぷり注いで返してやると、明らかに嬉しそうに顔がほころんだ。
───そうだろ。クソうめェだろ。旨いもんには力がある。それは当たり前すぎて誰も気が付かないけどな。何も言葉を出さなくても、今のてめェの顔はちゃんと「うめぇ」って言ってるぜ。
煙草を口の端にへばりつかせながら、にやりとしてしまうのが止められない。

「ナミさん、こいつかなり飢えてるようだ」
「腹っぺらしの子供が夜の海に浮かんでるなんて、どんな謎なのかしら……。チョッパー?」
「ん?」
「この子に虐待の痕跡とかあった?」
「いや、ないよ。普通に子供らしく転んだり擦り傷程度。あと船にぶつけたと思われるコブだけだね」
「おい、スープ以外にも食わせていいか?なんだかえらい勢いでがっついてる。クソゴムといい勝負かもしんねぇ」
「ううーん。見たところ外傷もないし、疲労とストレスと空腹程度なら、あとは栄養と安静と睡眠でいいんだけど、今日のところはまだ様子を見たほうがいいと思う。コブのせいで吐き気がしてくるかもしれないし」
「そっか。じゃあ腹一杯食わせるのは今はやめとくか。おいボーズ、とりあえず今はそれで最後にしとけ。うちのドクターは優秀だからな。言うこときいとけば間違いねぇ」

そう言われて、明らかにその子供はがっかりとした表情を見せた。育ち盛りの子供だ。スープ三杯だけでは到底満足できるわけがない。
しかし、乾いた服を着て、暖かいものを腹に入れたせいで、ようやく気持が落ち着き始めたようで、子供はゆっくりと部屋の中を見渡し始めた。ナミやチョッパーと視線を合わせるのはまだ怖いようだが、先ほどよりは目の光がしっかりしている。

「ねえ、あんた」
と、ナミが言った。
「まあとりあえず、細かい事は後でどっさり聞くとして、まず名前だけは聞いておきましょうか」

子供はナミとようやく視線を合わせ、躊躇ったのち、小さな声で答えた。
「───ジェイ」



 

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