こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






クロース・トゥ・ジ・エッジ(10)




「おい」
「んあー……」
 館から出たサンジは、中で我慢していた煙草をすぐ取り出して火をつけた。今は煙を肺に出し入れするので忙しい。ゾロの呼びかけに上の空で返事が返ってくるのがその証拠だ。しかしゾロはそんなことには頓着なく言葉を繋げる。
「あのオヤジ、結局アティにちょっかいだそうとしてるんだろ」
「そーだな」
「じゃああの館に置いてきちまったのはまじいんじゃねぇか」
「わあってる。けどどうしようもねぇだろ? 少なくとも点検の間は手ぇ出さねえよ。大事な時計塔にナニかあっちゃあ困るんだろうしよ」
「理屈としちゃそうなのはわかってるけどよ」
「まあ大丈夫だろ。ヤツはアティさんにホの字だけど、無理矢理ナニかしようなんてこたぁできねえな。ああいう類の、小官僚タイプは勢いにまかせた行動はしないって。もし何かあるなら──」
 そこでサンジは煙草を胸いっぱいに吸った。ああ美味い。ニコチンが指先まで染み通るようだ。
 中途で切ったサンジの言葉をゾロが引き継ぐ。
「『もし何かあるなら』、それはもっと周到に用意された上でのことだな」
 ふん、とサンジが鼻を鳴らす。同意をもっとも簡潔に表わしたものだ。気にせずゾロは続ける。
「昨日着いたばっかりの俺達に対して何か計画があるとは思えねぇ。確かにアティの家に俺らが転がり込んだのはヤツにしてはムカッ腹の立つことだろうよ。胡散臭いのは目ぇつむって、必死こいてアティから俺らを引き剥がそうと躍起になってた」
「ま、気持はわかるけどねぇ。もし俺だって、あんなステキなレディを狙ってたところにどこからともなく得体の知れない野郎が出てきて、一夜の宿をそのレディが提供したなんて聞いたら、すぐさまムートンショット喰らわしに出向くもんね。だけどそれよりもこんな時間かけてないで会ったらすぐに口説きにかかるけどな。見ているだけじゃなくってさ」
「それがてめぇだよ。そんでいつだって玉砕してるだろうが。いい加減自覚しろ。アホの一つ覚えみたく、会ってすぐに歯の浮くようなセリフでもって口説いてっから成功率が低いんじゃねーか。少しは頭使え。学習しろ」
「何をっ! てめぇみたいなクソミドリハゲにレディの口説き方を伝授してもらうほど俺ァ落ちぶれちゃいねぇ! っていうかてめぇ俺が振られたトコロなんて見てるわけねぇだろ!」
「あー……そりゃ毎回全部見てるわけじゃねぇが……ってそんな話じゃねぇ。とにかくだ。あの領主代行は多分ずっとアティを手に入れようと画策してて、現在その計画は進行中だとする。そこへ俺らという計画外の厄介な余所者が出てきた。そいつらはたまたまアティの家に寝泊まりすることとなってしまった。さあどうする? どう出る?」
「うーん……。計画を修正せざるを得ない、よなあ……。邪魔者は始末しろ、って? でもよう、黙っていても俺らは一ヶ月でいなくなるんだぜ? 実際のところはもっと短くて五日だけどな。計画があるとして、それを無理矢理修正してまですぐに突っ走るような奴には見えねえよ。奴が就任して半年、時間かけてアティさんを口説いている最中だとして、これからもずっと時間はあるんだ。あせる必要なんてないじゃねぇか。俺らだって一ヶ月後には必ずいなくなることを思えば」
「まあ、それもそうか。もともと奴が何かを計画しているとしての仮定の話だしな。ただ時間かけて口説くだけなら何事も起こる筈もねぇってか」
「そうそう。まあ、中年の恋は燠火(おきび)のように、情熱を長くじっくりと燃やしてゆく、ってか? ぱっと燃え上がるのは若者だけだ、と」
「まあ、アティのあの口ぶりだと、奴の恋はどんなに時間かけても彼女に燃え移るようには思えねぇけどな」
「それはそれ。結果までは知んねぇよ。せいぜい努力しやがれって。まあ俺らは奴の実らない恋心を生ぬるく見守るのがせいぜいだろ」
 二人は軽い足取りと軽い言葉の応酬で館から村へと戻って来た。

 そしてその夜すぐさまこの言葉を撤回せざるを得ない状況となる。





「母さん、遅いなぁ」
 そろそろ夕食時間にさしかかろうという頃、キッチンで作業していたサンジが振り向いてノービイを呼んだ。
「いつも何時くらいに帰ってる?」
「点検の時は、よっぽど大きな修理箇所が見つかったとかいう場合でなければ昼過ぎには帰ってきてるわ。修理が必要な時だって、遅くなるならちゃんと言づてを寄越してくるもの。何も連絡なくてこんなに遅くなるなんてことは今までなかったのよ」
 むう、とサンジは眉間に皺を寄せる。

 サンジはもともと今日は夕食に腕をふるうつもりでいた。一宿一飯、いや三飯くらいの恩返しとはいわないが、肉体労働で疲れて帰ってくるであろうアティに、美味しい夕食を目の前に用意して迎えてあげたかった。その案はノービイの全面的賛成を得て、堂々とキッチンを使わせてもらっていたというわけだ。
 ノービイもそこそこ料理はできるが、熱意と関心は料理よりも勉学の方へ完全に向いていたので、あまりレパートリーも広くないし、手捌きも上手くない。
 サンジが「夕食は俺にまかせてくれないかな」と言ったとき、口先では「お客様にそこまでやっていただくわけには」とか言いながら心の中ではホッとしていた。
 サンジはそんなノービイの微妙な心の内はお見通しで、
「客なんてとんでもねぇ。俺らはキミら親子の哀れな下僕さ。何でも用事をいいつけてくれていいんだよ。ホント、アティさんとノービイちゃんの親切な申し出がなかったら、俺達ァ夜露に濡れてガタガタ震えて眠るところだったんだから」
 とあくまでも軽い口調で、押しつけがましくなく感謝を示してノービイの申し訳ないという気持を払拭した。
 それなら、とノービイも明るくサンジが料理することを受け入れたわけであった。
 サンジの手元を覗き込んだり、質問を浴びせたり。またサンジからも島特有の野菜について質問を受けたり。小さいキッチンはその間ずっと楽しげな声と笑い声で満ちていた。
 ふと。
 料理もほとんど仕上げにかかろうかという頃、ノービイはまだ肝心の母親が帰ってこないことに気がついて、玄関ドアから外を伺い、ため息と共に先ほどの言葉を吐き出したのである。

 ──ちょうどその時、時計塔の鐘が六回鳴った。
 玄関のドアが開いていたため、その音は鍋がくつくつ煮える音やカトラリーのかちゃかちゃ触れあう音、火のごうごう言う音で一杯のキッチンへも届いた。
「ゾロ、てめェ、領主代行の館へひとっ走り行って見てきてくれ」
「なんで俺が」
「あのなぁ。今暇そーにしてるのはどう見たっててめェだろうが! 様子がおかしかったら堂々と迎えに来たっつって引きずってこいや」
 この時二人が想像していたのは、あの平々凡々とした領主代行が、なんとかかんとかアティをお茶の席から立たせまいとしている光景であった。お茶の席からできればディナーへとそのままスライドさせるべく知恵をしぼって会話を繋げているのだろうと。
 確かに先に帰ってきてしまった負い目も少しあって、ゾロはしぶしぶと腰をあげる。脇に立てかけてあった刀を腰に帯び、さっさと行ってさっさと帰ってこようと、これ以上の反論は飲み込んで黙って玄関をくぐり抜けようとした。その時。

「──……!」

 ぱ、と踏み出しかけた足を空中で浮かせて止まったまま、そのままゆっくりゆっくり後じさる。
 サンジはゾロへと視線をやってその横顔を視界に入れた。
(ちくしょう。なんてイイ顔をしてやがんだ)
 嬉しそうに。楽しそうに。
 ほんの少し前ソファに気だるげに寝転がっていたのと同じ人間とはとても思えない。
 これがゾロだ。獲物を前にし、飛びかかる前にどの順番でほふ屠るかを一瞬で品定めしている。経験にもとづいた計算? いや勘と本能だろう。
 ずくん、とサンジの胸が疼(うず)いた。

 ちくしょう。
 コイツが欲しい。けして手馴らせない野獣のようなコイツが。

 その欲は刹那の間、狂暴にサンジの胸を吹き荒れて、そしてすぐ去っていった。ゆっくりと目を閉じ、細く息を吐く。ゾロの声とそれに応える自分の声を、意識とは別の箇所で聞いていた。

「囲まれてんな」
「ああ。どんくれぇだ」
「ざっと十かそこらだ。だが銃がある」
「は。それっぽっちかよ。じゃあてめェ独りで片ァつくな。さっきも言ったとおり、俺ァ今手が離せねぇ。さっさと片づけてこい。あー口がきける程度にしておけよ」
「言われなくても。何で俺達を狙うのか聞き出すンだろ? まさか俺がそのくれぇのことにまでアタマが廻らないとか思うわけねぇよなァ?」
「もちろん。ただてめェがとっても楽しそうだからよ。万が一ってこともある」
「万が一でも手加減を間違えるなんてこたあねぇよ!」
 言い捨ててゾロは腰の刀を二刀抜くと、勢いよく外へと飛び出していった。
「……どうだか……」
 サンジはぽつりと呟いて、シンクの縁に手をつき、くずおれそうになる身体を支えた。さっきのアレは何だったんだ。セックスの欲とは違う。熱が籠もって互いの身体を求め合うのとは異なって、ただ単純にゾロという存在そのものを欲した。
 戦闘前のヤツのああいう顔なんて、もう何度だって見てるっていうのに。

 ようやく我に返ってさっきのやりとりを思い出す。最後にゾロがサンジに向かって投げていった言葉を別のシチュエーションに置き換えて鼻で笑った。
 手加減ねぇ。いつだって間違えてるってありゃ言わねぇのか?
(ま、いいけどさ)
 身体の欲は単純だ。快楽を刺激しあい、貪(むさぼ)って、耽(ふけ)る。
 ──最近ヤったのはいつだったっけ。そういやこの島へ来ることを決めた時からヤツとはなんかぎくしゃくしているような気がする。別に喧嘩をしているわけではないし、身体の調子が悪いこともない。ただ──
(ただ、何だ?)
 お互い考えていることなんてわからない。そりゃ気が合うときはすごく合うけど、大抵の場合は思考のベクトルが逆を向いている……か、大きくズレているように思う。
(ま、いいか)
 今は考えることはよそう。



 

  

 (9) <<  >> (11)