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クロース・トゥ・ジ・エッジ(12)




 領主館へ着く前から、それは感じていた。
 背後に、道の脇に、ひたひたとゾロとサンジの二人を追い立てるようにひっそりした影の気配。しかし囲むだけで仕掛けてくる気配はない。
(ふうん)
 ポケットに手を突っ込んだまま、サンジは思案した。
(今仕掛けてこねぇってことは、領主館へ俺らが行かないで逃げたりした場合、それを阻止しようとしてるだけって感じか。つうとこれも領主代行の意志だよな)
 ヤツは一体何を考えているのか?昼間会った時はそう悪いヤツにも見えず、かといって善良を体現しているようにも見えなかった。とにかく中庸、と言うか凡庸な政治家、それも代行業程度にふさわしいくらいの人間だと思ったのに。
(例えヤツが島の人たちがおかしいと感じているように、小ずるい手を使って代行の座におさまっているにしても)
 それくらいはアリかもしれない。小さな島の小さな権力を手に入れて少しばかりの優越感にひたっているくらいは、あまり見上げた根性でもないが、どうしても許せないってものでもない。そして島の尊敬を一心に集めている美しい未亡人に恋情を抱いてちょっかいを出そうとしていても、サンジ的には充分許せない範疇だが、世間一般に考えると理解できないことではない。いや、理解だけならサンジだってできるのだ。ただ感情が許せないと訴えるだけで。
(やっぱあんな素敵なレディ、惚れちまうのはわかるよなぁ)
 手が胸ポケットへ伸び、煙草のパッケージの上をさまようが、なんとなく我慢してまた手をひっこめる。
(しかし──)
(着いたばっかりの余所者の俺たちを襲ったり、こうやって呼びつけたりってことは、「何か」があって、俺たちが疑われてるのか?疑われているだけにしちゃあ、さっきの襲撃は突然すぎるし、何か疑惑があって呼びつけるにしちゃあ執事の態度が丁寧だ)
 そして何度も同じ箇所で思考が堂々巡りする。
(到着してまだ二日目だぞ。俺らが何かをしでかしたと思われてるなら当然濡れ衣だし晴らすまでだが、何かの計画に巻き込まれたのなら唐突すぎる。まさかマリモが賞金首だってバレた?──だったらもっと直接的な手段を使うはずだし──)
(とにかくあの領主代行にもう一度会わにゃ何も始まらないってことだよなァ──)
 ちらと隣を歩いているゾロへと視線をやる。ゾロは真っ直ぐ前を見据えたまま、普段と変わらない平然とした顔つきで、これまた普段と変わらない足取りでざかざかと歩いてゆく。
 何が起こっても。
 例え明日お前は死ぬんだよ、と言われてもゾロはきっと今と同じような顔で同じように歩くんだろう。ゾロが表情を変えるのはきっと、さっき勝手口で見たような、これから剣を交えるという時の舌なめずりをしているように嬉しげな顔くらいのものだろう。

 真っ直ぐ前を。
 ただひたすら野望のみを見据えて。
 
 真っ直ぐに追い求められる夢があるのだ、コイツには。それは羨ましくもあり、妬ましくもあり、そして寂しくもある。
 いつかは──いつか俺はコイツと袂(たもと)を分かつだろう。それは分かりきったことだ。人は出会えば別れるものだから。その時俺はどんな顔をしているだろう。コイツみたいに揺らがなくて迷いのない顔でいられるだろうか。
(やっぱり煙草が要るな、これは)
 サンジは胸ポケットから一本取り出して歩きながら火をつけた。
 その一本を吸い終わるころ、二人は領主館の正門を見上げていた。
 




「ようこそ、おふたかた」
 領主代行のディノンは相変わらずもの柔らかな声音で二人を出迎えた。昼間通された部屋とは違って、調度品もなくがらんとした印象の広い部屋の中央。そこにしつらえた一つきりの椅子に腰掛けてディノンは手の中のワイングラスを弄びつつふたりを招き入れた。
 入り口のドアは一つきり。そこには執事タイレルがぴったりと背を向けて立った。
 ゾロは小さな窓の位置を素早く確認した。万が一のときの逃走経路に使える可能性を考える。かなり高い位置にあるが、大きさとしては通れないことはない。

 ディノンは最初に挨拶しただけで、二人に掛ける言葉を探しあぐねている様子で黙り込んだ。沈黙に耐えきれずサンジから口を開く。
「ご招待、といいますか切羽詰まった用向きを執事さんから感じましたが、私たちに一体またどのようなご用事ですか?」
 一応、用心してサンジは研究者の態度をくずさずに尋ねた。
「……困ったことになりましてね」
「困ったこと?」
 それには直接応えず、またしても手の中のワイングラスを見つめて言いよどむ。
「ところで、お二人は今日の午後はどちらへ?」
「どちらって、あちこち島の中を見て回ってました。別段どこ、と言われると難しいですが、そうですね、東側の崖付近から南回りに少し」
「それは何時ころ?」
「こちらを辞去してからだから、えっと十一時頃からだったかな。それからアティさんの家に着いたのが──まだ陽がそんなに落ちていなくて四時くらいだったんじゃないかと──でもそれが?」
「つまり、土壌や岩石を見て回っていたんですね。その間、誰とも会いませんでしたか?」
「ええまあそりゃ。人けのない場所でしたから。私とこの助手のふたりだけでした」
「そして時間は正確にはわからなかったと?」
「やっぱりまだこの島に来て二日目ですからね。鐘が聞こえたらその数を毎回数える習慣が出来ていないんですよ。時計塔も見える位置になかったですし」
 軽く自嘲の笑みを漏らす。
「で、困ったこととは?」
「……あなた方ですよ、困ったことになったのは」 
「?」
「レディ・アテナイが殺されました」

「───!?」
「な……んだって?」
「時計塔と領主館の間の回廊で。誰も犯人を見た者はおりません。ただ、周囲の状況から言って、犯行はおそらく二人以上で行われたものと思われます。最後に目撃されたのが時計塔に籠もる直前、領主館から塔への回廊の入り口でそこを通りかかった使用人に声をかけています。それが私たちのところから辞去してすぐの午前十時頃。彼女の変わり果てた姿が発見されたのが午後五時。この間に誰にも所在を明らかにできない人は? そして彼女を殺害して利益を得られる人は?──後者はまだわかりませんが、前者に当てはまるのは、ぴたりあなた方なんですよ」
「ちょっと待ってくれよ。俺らアティさんに感謝してるんだぜ? だって見も知らない他人の俺たちに親切にも宿を提供してくれて、丁寧にもてなしてくれて! そんな彼女を殺害だなんて、そんなコト想像だってしやしねぇ!」
 さすがにサンジの口調が学者を装ったそれから、普段のぞんざいなものに取って代わられた。
「しかしですね、この島の人間は誰ひとりとして時計守を殺めるなんて大それたことを考える者はいないのですよ。時計守は島の宝。時計塔の守護者なのですから。あなた達はその価値をまるっきりわかっていない。神聖にして侵さざるを得ない人間(ひと)──それが時計守なのです。それを理解せず、アテナイさんの親切にあぐらをかいて金品をせびろうとしたのか、それがこじれてカッとなって手をかけたとか、そんなところでしょう──」
「ふざけんなッッッ!」
「おっと、私に手を上げますか? カッとなるとすぐ暴力をふるうということが立証されましたね……お前も見ていたろう、タイレル?」
「はい、ご主人様」
 入り口のドアを背に、あいかわらず堅い表情を動かさずに忠実な執事は答えた。サンジは数歩ディノンの方へ詰め寄ったものの、そのままの位置で拳を握りしめてわなわなと肩をふるわせている。
「他の容疑者はいねぇのかよ。島民全部のアリバイは調べたのかよ? それから、事故ってセンはないのか? 一体どうやってアティさんは──」
 死んだんだ、という言葉をサンジは飲み込んだ。つい数時間前までは穏やかに笑い合っていたというのに、殺された具体的な方法なんてことは考えたくなかった。
 ディノンもがらりと態度と口調を変えた。
「最有力容疑者の君たちに教える必要はないだろう? だが教えてやろうか。島民は皆、昨日着いた船荷を解いてそれぞれを分配したり格納したり、取引した物品や貨幣を計算したりと忙しい一日を過ごすのだよ、毎月この日は。はっきり言うと、領主館まで往復して犯行に及ぶだけの時間はない。そんなことをしていたら作業が遅れてしまうし、それほどの不在は目立つからな」
「しかし全員が全員、荷解きやなんかしてるわけじゃねぇだろう? 家に居て……」
「作業にかかわっていないのは、体力的に無理となった老人、あと子供や妊婦、そしてお前達だ」
「この館の人間はっ!」
「残念ながら、いや幸運なことにと言うべきだな? 全員その時間にはアリバイがある」
「事故の可能性は──」
「あり得ない。何しろ、鋭利な刃物で斬り殺されていたのでね。ところできみの助手は穴を掘るのになかなか物騒な代物を使っているようじゃないか」

 ──ゾロ。
 はっとサンジはゾロを振り返る。

「すまんが、その腰のモノをあらためさせてくれるかね? 泥土だけしか付着してなければよし、もしも血液反応が出たら申し訳ないが最有力容疑者からもう少し格が上のものにランクアップしてさしあげるが?」
 血液反応だと。さっきおそらくコイツが差し向けたヤツらは、手加減はしておいたがそれでも全員を峰打ちだけで始末はしていない。問答無用でかかってくる敵に対して、それも大勢で囲んでくる者たちには、最初から情けは必要ない。戦意喪失させるか、もしくは完全に息の根を止めるかだ。
 おそらく、いや確実にゾロの刀は血を浴びて、今はそれを軽く拭った程度だろう。化学薬品など使わずとも、一発で新しい血の付着の痕跡は見て取れるはずだ。
 ちくしょう。こいつは何が何でも俺達を冤罪で拘束するつもりだ。俺らの言い分は最初から全て予想して潰してゆくことに決定していやがる。
 ぎり、と奥歯を噛みしめてディノンを睨む。すでに土壌研究家といった隠れ蓑は捨て去っている。

「さあ」
 手を伸ばし、ディノンは椅子から立ち上がった。ぱちん、とドア前に陣取ったタイレルが指を鳴らすと誰もいないと思った部屋の隅のほうからわらわらと男達が出てきて二人を取り囲む。
 黙って佇(たたず)んでいたゾロはそこですいと視線を流し、近づいてくる男達を眺めた。サンジは軽く右足を引いて肩を丸め気味にしている。とんとん、とつま先がリズムを刻んだ。

「おい、クソコック」
 ゾロはサンジの肩越しに呼びかけた。その声は船の上でキッチンへ入って来ながら呼びかけるのとまるきり変わらない。
その落ち着いた声がサンジの頭に昇った血を一気に冷まし、そして同時にゾロの意図もサンジに伝わった。
「りょーーお、かい!」
 声と同時にサンジの身体がふっと縮んだ──と見えたのはただ身体を低くして周囲に近寄ってきた男達のほうへダイビングしたからだった──そうして床に手を着いて身体を反転させつつ長い脚で彼らの膝を一斉に払う。男達はうわ、とかぎゃあ、とか変な声を出しつつ床の上に折り重なるように転がった。静止から転瞬。あまりの速さに黒い影しか認められなかったに違いない。サンジはさらに回転しつつ見事なバランスを見せて脚から床に下り立った。
 その場所はちょうど一つしかない窓の真下で、同じように軽く背後の数人をのしたゾロがサンジ目がけて走り寄る。数歩の助走で軽く飛び上がり、サンジが組んだ手のひらに足をかけ、サンジがぐいと全身で持ち上げる力を踏み台にしてジャンプした。
 かたん。
 ゾロの動きをかろうじて目で追えた数名は、ガラスの割れる音を予想したが、意外にもガラスは割れずに窓枠だけが夜空にぽっかりと浮かんでいる。今まで無口で目立たないただの助手と思われていた男が、空中にいる間に、誰にも見えない速さで腰の刀を抜き放ち、窓枠それ自体を全部斬り落としたとは誰も理解しえなかっただろう。
 それだけではなく、斬り落としつつ同時にゾロは身体を器用に窓枠へと運び、そこで一旦室内へ向きなおった。
 は、と思う間もなく、今度はサンジが持ち前のジャンプ力で高く飛び上がり、その開いた窓へ向かって手を伸ばす。ゾロはその手を掴んでぐいと引き上げ、同じ窓枠へと身体を運び上げた。
 そして二人は室内を一瞥してディノンの姿を確認すると、そのまま何も言わずに暗い夜空へと身体を翻(ひるがえ)した。



 

  

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