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クロース・トゥ・ジ・エッジ(13)




 数刻後。
 領主の館からほんの少しだけ離れた藪の中にふたりは居た。まだそこいらを手追いの男たちがカンテラを持って右往左往しているのが遠目に見て取れる。
 村の中とか島の反対側まで逃げて行くのは二人にとっては容易だったが、それでは相手の様子が見て取れない。とりあえずこちらの姿だけ隠して小声で会話する。

「まったくもってやられたな」
「まあな」
「クソ、まさかこんな鄙(ひな)びた島へ来てたった二日目でいきなりこんなして追われてるなんて信じられねぇ。それもあんな素敵なレディをこともあろうに俺らが手にかけたなんて思われるなんて、一晩かけたコンソメの寸胴鍋をひっくり返しちまったときみてえにショックだ……なんだゾロ」
 ゾロはサンジの嘆きはまるで耳に入らずに顎に手をあてて考え込んでいた。
「ヤツは、全く動揺してなかった。ワイングラスを持つ手が震えてもなかったし、声のトーンも全く平静だった。仮にも恋焦がれた女性が殺されたというのなら、もう少し焦ったりあわてたり、哀しみや怒りなんかの感情がもっと見えていいはずだ」
「何かおかしいぜ」
「ああ」
「だが、わざわざ俺たちを犯人に仕立て上げる意味があるのか?」
「あるさ。真犯人を隠すという大きな意味がな」
「この島は閉鎖されている。外へ出て行く手段がないここは密閉された空間だ。俺らと言えどもナミさんとクソゴムが迎えにくるまでは出られねぇ。それまでどうするか、だな」
「当然、真犯人を捜し出して突き出すさ」
「どうやって」
「…………」
「そこだよ、どうやって?」
「──密閉された空間、だよな。つまり真犯人だって出られねぇ。ソイツもつまりは手に届く範囲内にいるはずだ、だろ?」
「まあ、そうだな」
「だが、あの領主代行が隠してる」
「か、もしくは自分が真犯人かだ」
「あり得るか?」
「可能性は在るさ」
「だが、自分が恋した女を殺すか?」
「それこそ痴情のもつれかもしんねぇ」
「その前に、本当にあの女は殺されたのか? 俺らはそう聞かされただけで、実際に死体を見てねぇんだぞ」
「あの女言うな。あの領主代行の野郎が『恋いこがれた女神のレディ・アテナイ』の死に対してあれだけ冷静なのが気にくわねぇ……しかし確かに怒りとか哀しみとかそういった感情が見えねえってこたあ、この事件そのものが詭弁って可能性も出てくるな……ただ」
「?」
「証人が少なからずいるような口ぶりだったろ」
「ああ」
「発見者もいるらしい。どこまでが本当かどこからが仕組まれていたことなのか──これがやっかいだな」
「あの女が生きているのか本当に殺されてしまったのか、まずそこだ」
「それもあるが、ノービイちゃんが心配だ、俺は。アティさんの死の知らせはまずそこへ行くだろう。まだひとりで受け止めるには大きすぎる」
「…………」
「いずれにしろ、あの領主代行が鍵だ。ヤツが犯人を知っていることは間違いない。そしてその上で俺たちに罪をかぶせて始末してしまうつもりだ」
「おい、この島の司法制度はどうなってるんだ?」
「こういう小さい島なら、たいていは領主が裁判官を務めるな。こんな小さな規模の自治体では、通常、強盗や傷害なんかの重犯罪はもっと大きな島へ容疑者を送ってそこで裁判、というのが一般的だが、この島の特殊性から言って、ちゃんとそれを行うかどうかはアヤシイぞ。あの領主代行が裁判してすぐ刑の執行までやっちまうんじゃねぇか?」
「あり得るな。そして俺らはこの島から今すぐ逃げ出す手段がねぇ」
「いや、あり得るというより、アイツはきっとやるぞ。考えてもみろ。あいつ自身が犯人か、もしくは犯人をかばっているんだ。なら一番安全なのは俺らに罪をひっかぶせてその上で黙らせてしまうことだろ」
「黙ってやられやしねぇけどな」
 ニヤリとゾロが片方の口角だけ歪めて笑う。サンジも同様に笑った。
「じゃあこうだ」
 サンジはさらに声をひそめてゾロに耳うちをした。
 楽しげに嬉しそうに。サンジが戦いの前のゾロをそんな風にキッチンで評したのと同様に。サンジの顔が活き活きとしてきたのをゾロもまた複雑な気持で見ていた。





「──!」
 しかし二人の笑いも瞬時に引っ込む。
「いたぞ! こっちだ!」
 ──しまった。
 追っ手の中にもそれなりに目端の利くヤツはいたらしい。二人が隠れていた茂みを光がサッと走って照らされる。その時には既に茂みを飛び出して二人とも走り始めていた。

 ザザッ、ザザッと時折あちこちで音がする。それが追っ手の音なのか、傍らを走る男のものなのか暗闇では判別しにくい。
 木々の繁った中では暗がりもいっそうその闇を濃くしている。見つかりにくいが同時にスピードが落ちる。小枝がぴしぴしと顔や腕にあたって痛い。そんな痛さは無視するとしても、足もとに何があるかわからない状態で全速力で走るのは不可能だ。
 サンジは先天的な勘と持ち前の反射神経の良さで、そんな中でもかなりのスピードを出して走っていた。もともと隻眼で視野は狭い。それでも通常人以上の動きで己れの肉体のみを武器として海賊稼業をこなしてきているのだ。見えないことのハンデが一緒ならサンジの場合補い方が慣れてる分、却って有利に働く。
 ゾロとはいつの間にか離れていた。まあ致し方ないだろう。お互い子供じゃないんだし? ちらと口角を上げて笑みのようなものを浮かべる。
 その時、月が雲間から顔を出した。昨夜よりほんの少し厚みが増したクリーム色。硬質の冷たい光は影を作り出し、地面に斑(まだら)模様を描き出す。
 サンジは黒々とした影のさらに濃い色を選んでその中にその身体を滑り込ませ、じっと息を潜めた。自身の頭なぞ月光に晒したらいい目標になってしまう。

 と、その時。
 木々のひらけたあたりで大勢の怒号と足音がした。
「このおおおぉぉっ!」
「掴まえろ! ヤツを掴まえるんだ!」
「囲め、囲め!」
(あはん。クソ苔頭はあそこか。しかし派手だねぇ……。)
 怒鳴る声、ぶつかり合う音、走り回る音。何やらわからない音もたくさん。
 しばらくそちらに注意を向けて慎重に音と気配を探った後に、そうっとサンジは闇の中にその身を溶け込ませ、そのままその場を後にした。
 夜が、更ける──。

 ゴオオオオオォォォンンン────
 殷々(いんいん)と尾を引きずりながら、鐘が鳴った。


 

  

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