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クロース・トゥ・ジ・エッジ(16)




 いつの間にか正午をすぎたのだろう、陽は西へと回ってリビングの窓から斜めに白い影を落としている。三角に突き刺さる光の束の中に小さな埃が舞い、時折、ふうわりと風が白いカーテンを揺らしてその光の束を乱していた。
 と、びゅうといささか強い風が通り、カーテンが勢いよくばたついた。そのあおりで、暖炉の上のフォトスタンドがぱたりと床へ落ちる。
 音に気がついて、ノービイがさっと駆け寄り床から拾ってまた同じ位置へ戻す。その手で窓をパタリと閉めた。
「やだ。縁起が悪いったら。風が強くなってきたのね。この時期はいつもそう。天気がよくて油断してると突風で洗濯物とかもって行かれちゃうの」
 ノービイは口ではサンジに向かって説明しながら、その実はもういちどフォトスタンドの位置を直す振りをしてじっと覗き込んでいた。
 ゆっくりとリビングを横切ってサンジはノービイの隣に立ち、肩を抱きながら一緒にその写真を見る。
「お父さんなの。お父さんとお母さんと私」
「うん」
 それは最初の日にゾロとサンジが招き入れられてお茶とスコーンをご馳走になったときに見留めおいた写真だった。それを見てゾロが、父親は既に他界しているだろうと推理してのけた物である。
 サンジは稲妻のように頭に浮かんだ考えに、ノービイの肩に置いた手をぎゅっと強く抱き寄せた。
 あり得る。しかしそれは── 

「ノービイちゃん。お父さんが…行方不明になったのって何年前?」
「え? ええとあれは──」
 意外な質問に少しだけ驚いた声が出る。
「…二年前よ。私が十歳になってすぐのことだから」
「季節は?」
「季節?」
「いや、ああ、大潮っつーか、航路とか開いた日だったとか?」
「? いいえ? もし海漣日(かいれんじつ)だったなら、親島の方へも捜索の範囲を広げたし、多分もっと長く探し続けたと思う。多分、二年経った今でも母さんはまだお父さんが死んではいないってどこかで思ってるから、もしあの日に船でどこかへ行った可能性があるのなら、今だってその可能性を追ってどこまでも探しに行ったかもしれない」
「そっか、やっぱそうだよね」
 さすがにそんな都合のいいことってあるわけないよなあ。
 しかし続いてのノービイの言葉にサンジの眼が小さく眇められた。
「でも、島の人たちが諦めても代行が熱心に探してくれたんで、母さんも自分の気が済むまで島中を探すことが出来た。そしてそれができてようやく最後には諦められたのかと思うわ」
「──え! その時、代行は島に居たのかい?」
「そうよ。たまには次の海漣日まで一ヶ月滞在してた、って言ったでしょ。母さんに取り入ろうとしてるのかと思ったけど、別段それほどつきまとってもいなかったんで放っておいたの」
「へええ。なかなか手厳しいんだねぇ。じゃ俺は?」
「……サンジさんは、だってすぐに行ってしまう人だし」
「…………」
「それに、どう見ても母さんに害をなすようには見えなかったし」
 嘆息。男としてそれってどうよ。もう少し警戒されてもいいんじゃね? 
 その言葉はムリヤリ押し込め、
「…まあ、それはそれとして、だ。その後代行はまた島を出て行ったんだね?」
「そうよ。だから言ったでしょ。海漣日には必ずやってくるようになったって。一日だけか一ヶ月かはその時その時でまちまちだったけれど」
 そうか。その中途半端な位置づけのおかげで注意を惹かずにいられたのか。気持の上では島民の仲間うちと認められ、しかし実際は居たり居なかったりと存在感が薄い。

 サンジは自分が想像した領主代行のシナリオに、ぞくっと背筋にいやなモノが走る気がした。
 何も証拠はないが。ただの可能性の一つと考えるには出来過ぎている。
 たぶん。
 ディノンは最初からアティを手に入れたかった。
 そのために邪魔なアティの夫を消した。
 それから時間をかけてアティを口説くために島へと移り住むようになった。
 
 次は?
 これだけ年数をかけて、一体彼の最終目的は何なのだろうか。
 たまたまアティさんの家に得体の知れない余所者二人が現れて、あっさりと滞在を許してしまったことで、奴はきっと急いで俺ら二人を排除しようと画策したに違いない。
 ただこれはおそらく、突発事項にしか過ぎないだろう。俺達の出現自体予定外だったんだし。
 まだ何か見落としている気がする。もっと決定的な何かを。

 気が付くと明るいハシバミ色の目がサンジをじっと覗き込んでいた。
「ノービイちゃん。今から話すことをよく聞いて」
 そしてサンジは自分の仮説を話した。ノービイの父親が領主代行に殺されたかもしれないとは、何の証拠もないため話すことを躊躇われたが、それでも彼の意図の目指すところをはっきりさせるためには話さないわけにはいかなかった。

「──でもそんな」
 大して長くもない仮説を聞き終わって、ノービイはさすがに絶句した。
「だって、多少気にくわないところがあったとしても、彼の今までの仕事はとても真面目で信頼のおけるものだったのよ……」
「もしそれが、全て目的のために培ったフェイクだとしたら? 俺はね、ノービイちゃん、ある資産家のご令嬢の持っている財産を手に入れるために、三年も執事として傍に仕えて、家族の一員と同等の信頼を勝ち得た海賊の話しを聞いたことがあるよ。その海賊は遺書を書かせてからそのご令嬢を殺そうと画策し、同時にその街全部を部下の海賊たちに襲わせる計画だったのさ」
「──そんな、酷いことが──」
「あったんだよ、哀しいことにね。ま、その海賊に関しては、最後の瞬間に計画が漏れてなんとか無事にご令嬢も街も助かったんだけどね。他にもあるよ、偽のエターナルポースを仲間と思っていた奴から渡されて──」
「いい。とにかくそれは全て仮説に過ぎないわ。もしそれが真実だとしても、何の証拠もないから領主代行は鼻で笑ってすましてしまうわ」
「わかってる。だから今晩、確証ってやつを探してくる」
 どうやって? というノービイの問いはやんわりとした笑みによって返された。





 ひゅううっと突風が吹き抜け、窓ガラスをがたがたいわせた。昼間の気まぐれな風は徐々に強くなってきて、夜の帳が降りてからは春の嵐と言ってもいいほどになっていた。
 窓の外では家を囲む木立が黒々としたそのシルエットをざわざわと風に蠢(うごめ)かせている。月はちぎれ飛ぶ雲に覆われてその姿を隠しているが、たまさか、雲と雲の隙間からちらと弱々しい光を投げかけることもあり、その折りにはうっすらと夜闇に浮かぶ諸々のモノが、昼間のたたずまいとは全く異質な雰囲気を投げかけていた。

「本当に行くの?」
 ノービイはサンジがこれからそこらへんを月見散歩にでも行くかのようにのんびりとした風情で、じゃあね、とにっこり笑いかけて出て行こうとしたときにたまらず声を掛けた。
「ごめんね、こんな夜にひとりで心細いよね。大丈夫、明るくなるまでには帰るから、布団かぶってギュッと目をつぶっていて、ね?」
 相変わらず黒いスーツの上下をまとった痩身は夜の闇にはなんなく溶け込みそうにノービイの目に映ったが、
「目立つわ、その頭」
 サンジの意志が固いことを知った彼女はせめても、とどこかから取り出した黒いベレー帽をサンジの頭に被せた。
「スーツにこれじゃあ合わないけど……でも少しはマシじゃないかしら」
 首をかしげながら全身を検分する。その視線にサンジは優しく微笑みを返し、
「ありがとう。それじゃ少しの間借りてくね」
 乗せられたベレーに両手をあてがい、キュッとあらためて深く被りなおした。
「お父さんのなの……あの、くれぐれも気をつけて」
 全ての出来事に対し、不安で堪らないだろうにじっと押し殺しているその心の内を察して、そっとサンジは手を延べてノービイの頬に触れた。いくらしっかりとしててもまだこんなに柔らかな頬を持つ、たった十二歳の少女なのだ。いずれこれから背も伸び胸もふくらみ、匂い立つように美しく開花するだろう予感はどこか堅く内包したままで、今はまだ不安に顔色を青白くしている。
 視線を上げ、どこかすがるような眼差しに自然にサンジは唇をその頬に寄せた。それだけで何も言わずに今度こそするりとその身体を戸外へと解き放った。





(やっぱオンナノコって守ってあげたいよなー)
 不安を押し殺した表情のノービイを脳裏に思い描き、サンジはほんの少しだけ笑った。今はまだ固くて青い蕾だけど、もう二、三年もしたら誰しもが目を離せなくなるような素敵な女性になるに違いない。それは予感ではなくて確信だったが、それが理由でノービイを好ましく思っているわけではなかった。
 もちろん美醜問わずに女性全般をサンジは好きと言い切ることができたが、それ以上に彼女の夢に向かう真摯さがサンジの保護欲をさらに掻き立てているようだった。
(だってやっぱり)
 真っ直ぐ向かう眼差しが綺麗なんだよなぁ──。
 それごと全部、本当は抱えて大事に大事にしてあげたいけれど、誰しも夢は自分で掴み取るものであって、抱え込まれていては手を伸ばすこともできないから、何にも言わないし、何もしない。
 頑張って欲しい。自分達はいなくなって、夢の実現のその時を見ることはできないけれど。でもいつか風の噂に小さな島の変わった役職の名前を聞くかもしれない。
 夢の価値は──その人間次第だと思うけれど、決して人の夢が自分のそれより劣っているとも優れているとも思わない。サンジは自分の性格として手を貸すことも借りることも是としないが、出来ることならそこへ至る道の露払いくらいはしたいと思う。
(あのクソマリモだって)
 こんな島まで着いてきやがって。
『何を焦ってる』
 あの時そう言ったゾロの顔は、煌々(こうこう)とした月に照らされて、それこそあまりに真っ直ぐな目がそのままサンジを射るようだった。
 ああそうだよ、俺ぁ焦ってたよ。
 しかしな、てめェが心配するようなことは何もねェ。ただ手がかりのまたそれの可能性に過ぎないものにでも、縋り付いてがむしゃらに突き進んでやるさ。
 てめェはその綺麗な眼差しのまま、真っ直ぐ突き進めばいい。


 

  

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