こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






クロース・トゥ・ジ・エッジ(2)




 その日の朝食の片づけが終わり次第、サンジはふらりと何も言わないままに船から離れていった。多分買い出しに追加の物資があるんだろうと思ったクルーはいたのだったか。普段航海中は同じ船中に寝起きを共にしているだけに、基本的に島にいる間はお互いに干渉しないことが暗黙の了解、というか不文律になっていた。
 午後になって大量に購入した洋服の収納のために女部屋の片づけをしていたナミは、コンコン、と遠慮がちなノックの音を聞いて、ハッチを開けるとそこにサンジの優しげな眼差しに出くわした。
「あら、サンジくん。なぁに?」
「ちょっと手を休めてお茶にしませんか? 美味しい茶葉を手に入れたので是非」
「…いいわよ、ちょっと待ってね。今行くから」
 上機嫌のため足取りも軽く、とんとんと軽快にステップを上る。
 ラウンジに行くとふんわりとした、清々しい香りが辺りに漂っていた。
「あら、これダージリン?」
「そ。それもファーストフラッシュですよ。ささ、召し上がれ」
「ふぅん……いい香り……」
「そしてお茶うけにはマドレーヌをね。このダージリン特有の青っぽい爽やかな味に合うでしょ?」
「ああ、なんて素敵……これこそ文明の香りだわ。美味しい…」
 うっとりと紅茶をすするナミと、それを見守りつつ微笑むサンジに、続いてナミが言う。
「それで? 何がしたいのかしら?」
「あっは。さすがナミさん…!何も言わなくてもボクの胸の内を察してくれるとは…!やっぱりボクとアナタは赤い糸で繋がっているんですね…!」
「バカ言ってないで。そりゃティータイムにおやつは今日が初めてってわけじゃないけど、何か言いたげだってのは丸わかりだわよ。で、何?」
「……今朝の話、もう少し詳しく聞いてきたんだけど」
「ログポースが狂う島?」
「そう。俺、ちょっと気になって。もちろんナミさんの言うことは全部信じてる──その上でそれを確証したかっただけなんだけど」
「わかってる。それで何?」ちょっと苛々してナミの声がうわずった。
「あのラッセル島に入れるのが月に一度、って言ってたよね。それが明日なんだって。で、俺さ──ちょっと行ってみたいんだけど、いいかな?」
 そのサンジの言葉にナミはすぐに返事を返さず、ゆっくりとティーカップを傾けてその澄んだ金褐色の液体を最後まで味わってから、おもむろにサンジへと向き直った。
「でも一ヶ月も私達はこの島でサンジくんを待って過ごしていることはできないわ」
「うん、わかってる。それにメリー号のログポースをあの島へ近づけるわけにはいかない。だから、今いるこの島を出立するときに、拾って欲しいんだ。それはクソゴム船長とナミさんでしかできないでしょ?」
「……まあ、確かにそうだけど。通常の海流が描きこまれた海図と、言われている渦の詳細なデータがわかれば、多分……」
「そう言うと思って、これ」
 サンジは内ポケットから折りたたんだ紙を数枚出し、テーブルに広げた。
「まあ、用意周到なこと」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
 サンジは立ち上がると胸に手を置いて深々と礼をした。そして上目遣いにちらっとナミの表情を伺いつつ、軽く首をかしげて「ダメ?」というように目だけで問いかけた。
 その大仰な仕草と視線のアンバランスさに、ナミは陥落する。大げさに肩をすくめ軽くため息をつくと、
「…はいはい、しょうがないわね。他ならぬサンジくんのお願いだもの。いいわ。行ってらっしゃいな。だけど五日間よ。私達はこっちの島を六日後には出発する。タイミングはその時だけ。それを忘れないでね」
「ウィ、マドモワゼル!」
 ぴし、と背筋を伸ばした姿勢から、もう一度深々を頭を下げる。顔を上げた時にはもういつもの柔和な光をその隻眼にたたえていた。
「もう一杯おかわりはいかがですか?」
 カップを差し出しつつナミはサンジの笑顔に負けじとにっこりと微笑んだ。
「ありがとう、いただくわ。そうそう、当然、ピックアップ料はいただくわよ?」

 その晩。夕食後のコーヒータイムにサンジは明日からの単独行動をさらっと告げた。
「ええ? サンジ離れ小島へ遊びに行くのか?俺も行く!」
「……あーー……、悪ぃが、マジで何もねぇつまんねぇ島だそうだぞ?」
「じゃあ何で行くんだ?」
「ちょいとな。あっちの島にしか生育しねぇ野菜ってのが気になってな。できればそれが直接育っているところを見てみてぇだけだ」
「ふぅん。そんじゃ仕方ねぇな!」
「ああ、それにこっちの島の方が遊ぶ場所には事かかねぇ。ちょいと繁華街を流し見たが映画館も劇場もあったし、岬の向こうには遊園地らしきものもあったな。あと、サーカスのチラシも見たぞ」
「ええっ! サーカス! 見てぇ! 行きてぇ!」
「なぁ、サーカスって何だ?」
「そりゃあおめぇ、軽業師がぴょんぴょん跳んだり撥ねたり、目隠ししたまま剣で標的を切り裂いたり、あと動物たちが火の輪くぐりをしたり……」
「ふうん、ルフィみたいな人と、ゾロみたいな人と、あとオレみたいなゾォン系が技を見せるのか?」
「う、まあ、考えればそう言えなくも、ねぇ、かな。いや!違ぇ! サーカスはだな、もっと子供達に夢を見せ、大人達には子供だった頃の郷愁を感じさせるもんだ! ルフィやゾロみたいなのとは全然違うって!」
「……何が俺みたいなのとは違うだって?」
「あ、ゾロ」
 のそり、とドアを開けて入ってきた剣士は自分の名前がちょうど話題にのっていたのが気に入らなかったのか、明らかに眉をひそめてどっかりとテーブルに着いた。
「遅ぇ! てめぇの分の夕食はとっくにねぇぞ、このクソ遅刻マリ藻!」
「あ? ああ、いい。食事は街で済ませてきた」
「…んだよ。ならそう言っておけよ。こっちにも予定ってモンがあるんだからよ」
「悪ぃ。気をつける」
 てっきり怒鳴り返されると思ったのがあっさりといなされたので文句だけをぶつけてみるも、それも簡単に謝罪され、拍子抜けをくらう。
(何だ? 一体この野郎はどうしやがった?)
 まるまる一日この男は船を離れてどこへ行きやがったんだか。到着初日から船を降りて無断外泊とは、そうとう溜っていたのか。そういや、最後にヤったのはいつだったか。
 躯を重ねると言っても、二人共に気が乗って、そういう雰囲気にならないとそうそうコトに及ぶこともない。
(ま、やっぱな、レディの方がいいに決まってるし)
 それに関しては充分理解しているつもりだ。自分だって自分みたいなのと女性の柔らかな身体と比べたらやっぱり女性の方が抱き心地がいい、と思う。
(別に今さらどうこう言うつもりもねぇが)
 皿を拭きあげながら、つとめてそのことは頭から追い払い、明日踏み入れる小さな島のことを考えようとした。なので、ゾロが周囲から今までの話題を繰り返し聞いた後に言った一言は最初頭に入ってこなかった。
「俺も行く」
「へぁ?」
 間の抜けた声が出た。
「俺もその島へ行く」
「…何とおっしゃいましたか、クソ剣豪殿? だから俺様が行くのはだな、ちゃんと目的があって」
「ああ、なんか特殊な野菜がどうたらとか言うんだろ? いいぜ、つきあってやるよ。俺ぁヒマ潰すのはどこだって同じだからな」
「……ッ! てめェが来ると邪魔なんだよ、クソマリ藻! てめぇ自身頭が野菜なクセしやがって。ああ、マリモじゃねぇ、ブロッコリーなのかその頭は? それで自分みてぇな野菜が生えてないかどうか同族探しをしてぇってわけか?」
「ぎゃんぎゃんうっせぇな! そんなに俺がつきあってやるっつぅのがイヤなんか、てめぇは! いつもは『買い出しつきあえ』って体のいい荷物持ちを平気でさせるくせに!」
「じゃあ何か? ご親切にお優しくも荷物持ちを自主的にしてくださるってぇわけか?」
「ああそうだ! ご親切でお優しいからな、俺は!」
「勝手にしろ!」
「ああ、勝手にするさ!」
 その間他のクルー達は、二人の怒鳴りあいはどうせいつものこと、と口出しを控えてどう決着がつくかこっそり陰でコインのやりとりが行われ始めていたが、意外に早く決着がついたのでわたわたとコインを握った手を背中に回して二人の視線から隠した。
「え、えと……、じゃあつまり、六日後に拾っていくのは二人、ってことでいいのかしら?」
 ナミが確認を兼ねて声を掛ける。
(その時スイとテーブルの下から白いなめらかな手が各々の膝のあたりに「生えて」、百ベリー硬貨の回収と分配を行ったがゾロとサンジはぷい、と互いの顔から視線を逸らしていたので何も気づくことはなかった)
「……まあ、じゃあ、そういうことで。仲良く行ってらっしゃい」
 どこをどう見ても「仲良く」はなりそうもない雰囲気だったが、ソコまで世話を焼いてあげる義理も暇もないし、まあそれなりには上手くやるでしょうとさっさとその話題を切り上げる。
 子供じゃないんだし。喧嘩をしつつも肝心なところでは協力しあうこともちゃんと知っている。昼間ロビンに言ったように、結局のところ「似たもの同士」なのだ、彼らは。
 そんなことより、滞在期間を目一杯無駄なく楽しむための計画を練るほうが今は第一の優先事項だわ、とナミは頭のスイッチを切り替えて、そして残りの滞在日をひとかけらも二人のことは思い起こさずに過ごしたのだった


 

  

 (1) <<  >> (3)