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クロース・トゥ・ジ・エッジ(21)




 ■      午前十一時二十分 ─サンジ─

「ふわあ……」
 大きくあくびをして真ん前の時計塔の文字盤を見上げる。朝から森の中繁みの中草っ原の中、また崖っぷちやたまに畑のあぜ道、果樹園の中ととにかく島中の自然観察でもしてるのかというくらいにあちこち走り回ったせいでさすがに足がずきずき痛む。途中数回は追っ手と遭遇しそうになり、慌ててまた逃げまどうからもう何がなんだか道も何もあったものではなかった。追っ手の中には銃を持った人間もいて、たまに銃声も聞こえ、あるときなどは銃弾がすぐ脇をかすめていったので、なかなかスリリングな逃亡劇だった。
(でも、ま)
 とりあえずなんとかなりそうだ。
 手の中のモノをもう一度見下ろす。すこしばかり萎びているがそれはしょうがない。とりあえず見てそれと識別出来さえすれば問題ないだろう。
 もう一度文字盤を見上げる。あと正午まで三十七分。
 今頃領主館前の広場には三々五々島民が集まってきているだろう。逃げ回っているときにちらりと見たその中心にはやぐらが組まれ、壇上に上がるための梯子段が板きれで雑に打ち付けられていた。その上に上がる予定の人物は今ごろ何を考えているのだろう。
 サンジの今いる場所は、時計塔の裏手の崖で、崖下はそのまま海だった。つまり時計塔は島のフチに建っており、一応塔の四方の壁にそれぞれ平等に文字盤は四つ造られているが、海へ向けられているこの文字盤は見ている人などいないだろうに、と思わず突っ込んでしまいたくなる。
 時計塔からは石だたみの回廊が延びていて、その先は二度ほど折れながら領主館の建物の端へと繋がっている。回廊は屋根こそついているものの壁はなく、アーチ状をした石の柱が間をおいて立ち、それによって支えられている。ごついながらも時計塔と同じ意匠だが、石の素材が違うのか少し色が異なって見える。おそらく当時の領主が自分の館から時計塔へ頻繁に通うのに便利な様に造らせたに違いない。
 時計守のアティはあの日、ディノン、ゾロ、サンジと別れてからその回廊を通って時計塔へ入って来、点検の仕事を終えた後はまた回廊を通って戻っていったはずだ。そしてその途中、回廊で血塗れで倒れているところを発見された、というのが公式発表となっている。
 時計塔と領主館は別々に離れた建物ではあるが、回廊を通じて雨の日でも濡れずに行き来できるようになっているため、なんとなく時計塔は領主館の離れのような感覚を憶える。実際のところ、時計塔はその管理は時計守が行っているが、ひとりでは手に余る外回りの補修などは領主がその責を負っていた。時計塔が島の共有の財産であることを考えれば当然のことではあったが。

(さてそろそろ)
 午前中の時間全て、島中を追っ手の群れと追いかけっこをしていたのだ。いくらまいても向こうの方が圧倒的に数が上、おまけにここはどん詰まりの崖っぷちだ。もう逃げられない。
 サンジは立ち上がってベレー帽をとった。頭上に回った太陽が、海から吹き上げる潮風にばさばさとなびく金髪を遠慮無く照らす。手にしたベレー帽は、瞬時迷ったが追りたたんでベルトの腰のところに挟んだ。そしてようやく追いついてきた追っ手と対峙した。
「よお」
 正面先頭を切ってやってきたのは執事のタイレル。黒い髪に陰気な目をした奴だ。銃を手にしているが、とりあえずすぐ撃ってくる様子はない。ただし油断は禁物だ。いくつかかすめた銃弾は奴のものだろう、とサンジは直感でそう思った。なぜなら目に迷いがないからだ。怯えることもひるむこともなく、目的を遂行するために必要なことなら躊躇なく成し遂げる、そんな目だ。やっぱりな、とサンジは思う。こういう奴は嫌いじゃねぇ。どっちかというと遠慮しなくていい分、気が楽だ。
 そうして次に、領主代行の平凡な顔が見えた。黒いスーツの上下にダークグリーンの短いマントを羽織っている。同色の飾りひもが肩から垂れ下がっているのを見ると、略式裁判官としての正装のつもりなのだろう。
(しかしまあ、領主代行が裁判官代行を務めますってか? 何もかも代理で忙しいこった)
 皮肉めいた感想で内心にやりとしたが表情には出さない。

 男達の集団がざっざっと足音を立てて近づいてくる。その距離が十メートルほどになり、互いの顔がその表情までよく判別できる位になって、サンジが言った。
「待て。それ以上近づくな」




「……?」
 一体、この男は。
 背後は絶壁の崖、正面からは二十人を超える男達に迫られて、どうしてこうも余裕のある表情をしていられるのだろう。たった今まで獲物を追い詰めた安心感と達成感に高揚していた心に何とも言えない不安の影がよぎる。
「……止まれ」
 ディノンが押し殺した声で全員を制した。何か得体の知れない武器を隠し持っているのかもしれない。しかしこの人数に対して相手はたった一人。どう考えても圧倒的不利なのは向こうだが。
 用心深い性格がディノンの歩みを止め、膠着した状態を作り出した。
(大丈夫。あいつの背後は海で、どこにも逃げ場はない。もしどこかへ逃げようとしても、銃のほうが早い)そう言い聞かせて自身の優位を確認する。
「もしかして、今になって投降するというのか? 島中逃げ回った挙げ句かなわないと知って?」
 言いながら、背中に回した手でサンジを銃で囲むように指示を出す。
「──それは少し遅いんじゃないのか?」
 ちらりと背後の時計塔を振り仰いで言葉を続けた。
「今十一時三十分。あと半時間でお前の仲間の首が落ちる。もしもお前が命乞いをしたいというならば聞いてやってもよいが、三十分以内に私を納得させるだけの、そう、話ができるか?」

 サンジはそう尋ねられてすぐに応えようとはせず、胸ポケットに手を伸ばしかけた。すると銃を持った男たちが急に色めき立ったのに気づき、大きく手を広げた。そのまま器用にひょいと肩をすくめる。
「安心しな。煙草をとるだけだ」
 言うとゆっくりと片方の手だけを胸ポケットにいれて、つまむように煙草のパッケージを取り出す。一本取り出してこれもゆっくりと火をつけて煙を味わうと、話し始めた。

「わかっている。交換条件といかねぇか? 考えたんだが、やっぱりどう考えても俺らはやっちゃいねぇ殺人容疑で首を落とされるのは割にあわねぇ。俺らはアティさんを殺しちゃいねぇ。その証を立ててアンタを納得させられれば、俺と俺の仲間を解放してもらいてぇ」
「…は、今更何を言い出すのかと思ったら。では誰が時計守を殺したというのだ? 島中の人間にはアリバイがあり、殺害の時刻に居場所が確定できていないのは貴様らだけだったんだぞ」
「そう、それがまあ、俺らを犯人とした決め手だったんだよな。まあ、その話をするまえに、少しばかり別の話をさせてくれ……三年ほど前だ、アンタが初めてこの島に来たときのことだ。特産の野菜や果物の買い付け契約をするために来たんだったよな。たまたまちょうど酷い嵐が重なって、島の人間が大勢亡くなった。その折りにアティさんと一緒に救出作業に関わって、早い話がひと目で恋に落ちたわけだ」
「下種(げす)なことを! それにもし私が彼女に惹かれていたからと言って、それが一体今回の件とどう関わりがあるというのだ!」
「まあまあ。別に恋に落ちることは責められることでも何でもないぜ? アティさんほどの素敵な女性を目の前にして、惚れるなという方がおかしいってもんだ。それについては俺ぁよーく気持ちは判るね。ともかく、」
 言いながらちらりと時計塔へと視線を投げる。十一時三十七分。
「アンタはアティさんにひと目ぼれをしたが、それを正面切って告げることはしなかった。分別のある大人だもの。結婚してお子さんもいる人妻にいきなり恋心を打ち明けるわけにはいかない。その点実に常識のあるところだ」
「当然だろう。確かに彼女は人間として、またひとりの女性として、際だって魅力的だった。私は確かに彼女に惹かれていたが、彼女には立派なご夫君がいたし、その気持ち──淡い恋心と認めてもいい──は自然に消滅していったよ。その後残念なことに未亡人となってからも、尊敬の念は変わらず、あくまでも時計守として敬意を払って接していた。皆それは知っているはずだ」
「そうだよな。アンタはそう見えるように細心の注意を払っていた。だけど、アティのダンナさんは遺体もあがらずに未だに行方不明なんだよな。それってすごく不自然だと思わねえ?」
「思わないね。足をすべらせて崖から海へ落ちたのだろうというのが一致した意見だ。この付近の海は潮の流れが非常に激しい。近くを渦潮が常時巻いていて、それのせいで島からの出入りが困難になっていることは知っているだろう。しかし本当は目に見える渦潮だけが障害なのではなく、島の周囲の強い潮流が船の行き来を困難にしているのだ。ここの崖下だって、万が一落ちたら強い潮の流れにすぐに底のほうに引きずり込まれて、浮き上がることもできずにあっという間に遠くまで流されてしまう。潮流同士がぶつかってできる渦に巻き込まれたらそれで終わりだ。強い力で引きずられてばらばらにされて何も残らない。彼女の前ではこんな話はできないが、ご夫君もおそらくそういうことだと思う。伴侶を失った彼女の心を思うと非常に痛ましいとは思うがご夫君の失踪は私には関係ない」
「ふうん。そこまで言うならこの件はまあいいや。次へ行こう。アンタが島へ来た目的は実はもともと別なものがあった。そうだろ? この植物はこの島にしか生育しないからなぁ」
 そう言うとポケットに突っ込んでおいた少し萎びた草を高々をあげた。ひかえめな白い花に濃い緑の茎と肉厚の葉、この島のあちこちに自生している、目立たない草だ。名をティオラ草という。
「いやあ、これを探すのは苦労したぜ。何て言ったって、そこらのおにいさん達に追っかけられながらだったからな。探してるものの見た目も知らなかったけど、なんとかな。島の西側の森の中に群生地があった。注意深く見ればそこは人の手が入っていることが判るはずだ。あそこは畑だろ? 俺もそこまでは確証はないが、領主の土地なんじゃねぇか? アンタはこの島の固有種であるこれを専有して売買するために来たんだ──トカイ、そんな名だったよな、最近グランドラインで爆発的に出回るようになった麻薬だ──その原料となるこれを」
 注意深く葉をつまんでそっと香りを嗅ぐ。
「アンタは幻の麻薬と言われるトカイに目をつけ、それがほとんど市場に出てこない理由を探り当てた。原料の供給がとにかく安定しないうえに僅かしか精製されない。だが薬の効果も抜群で他に例をみない独特の効用がある──服用前のある一定時間の記憶を無くすという──これは供給源さえ安定させれば莫大な儲けになると思ったアンタは出所をさがしてこの島へ辿り着いた。

 ざわり、と男達の間を目に見えない動揺が走る。ディノンはぐ、と唇を引き結んでから声を張り上げた。
「そんな草は知らないね。いや、草自体は知っているさ。この島のあちこちに生えている平凡な草だ。しかしそれが麻薬の元だって? それは全くの初耳だ。そんなことは知らないし、もし私がそれを買い付けに来たというなら領主殿が知っているはずだ。全ての島外との取引は領主の認可が必要だからな。領主殿に尋ねてみるか、何か証拠となる書面でもあれば見せてもらおうじゃないか」
「そりゃそうだ。領主の認可が必要だ。最初にこの固有種に眼をつけたのはいいが、黙って密輸出するのにも限度がある。何しろ一ヶ月に一度の便しか使えない。それでこの島の外で栽培できないかやってみた、そうだろ? だから初めて来たときから実際にアンタがここに居座るまで数年という時間が経っているんだ。その間に外の環境でいろいろ試してみたんだろうな。しかしその試みはことごとく失敗した。そうして次にアンタはそれならばと次善の策をとったんだ。アンタ自身が領主に成り代わろうという。だから──」
 サンジはわざと言葉を切って、自分を見つめている男達の面々をサッと見渡してから言った。
「──アンタは領主にこの麻薬を使った」


 

  

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