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クロース・トゥ・ジ・エッジ(22)




 今度こそ男達の動揺は大きかった。ざわざわと隣に立つものと言葉を交わし合う。そんなことはあり得るのかといった懐疑的なものから、領主の奇妙な容体、麻薬というモノが自分のすぐ傍に生えているという怯え、いろいろな思いが声となって渦巻く。
「な、何を言い出すかと思ったら」
 ディノンはそれでも平然とした表情を崩さずに応える。
「それこそ、どんな証拠があるんだね。でっちあげにもほどがあるぞ。殺人の罪を逃れようとするあまり、自分に都合のいい話を作り上げているにすぎない。私が領主の座に就きたいから、領主に麻薬を使って病気にさせたと? は! バカも休み休み言って欲しいもんだね」

 サンジはちらと時計塔を見た。十一時四十四分。ギリ、と歯を噛みしめる。ここからが本番だ。
「証拠、ねぇ。もともと領主が病気になったいきさつを聞いたときから、余所者の俺ですらヘンな話だと思ったんだぜ? いきなり倒れてすぐに人事不省。医者の奮闘の甲斐なく、そのまま弱り切って寝たきり状態。見舞いに行った人間にもまともに口がきけないくらい弱った状態で、でもすぐに死ぬこともなく、良くも悪くもならない病状のまま何ヶ月もだ。おまけに病に伏せる前にアンタを領主代行として指名した書面を残している。誰でもちょいとオカシイと思うさ。ただその不自然さを充分に感じていたからか、アンタはこんな孤島の領主代行というあまり実入りのない仕事をきっちり真面目にこなしてきた。島の人たちも、どこかおかしいと思いながらも、誰かが背負わなくてはならない仕事をアンタが積極的に背負ってくれ、それで毎日の生活が変わらず回っていったので文句をつける口実がなかった。そうしてその多少の不自然さには気付かないフリをしたんだ。いや、気付いていないと思いこんだ。だがな、俺ぁ二日前の晩、領主と会ってきたんだが──もちろんお休みになっているところを起こすなんて乱暴な真似はしちゃあいねぇよ?──あの領主の病室には、消毒薬の臭いに混じって別な匂いがした。最初は領主に投与している薬の匂いだと思ったが、その成分は麻薬のそれだ。そう、このティオラ草が微かに発している甘いはっかの様な匂いだ。とんだ投与薬だぜ。俺もね、グランドラインでいろんな島へ行っていろんな人間にも会ったし、それなりに危険な目にも遭ってるから、トカイの匂いを憶えていて気付いたのさ。珍しい、非常に珍しい薬で末端価格はとんでもない額がついてる。まさかその原材料がこの島だったなんて初めて知ったけどな。そして領主の病室に漂っているのがそれの臭いだと気付いた途端、ピンと来たんだ──」

「アンタは領主の地位に就き、領主の仕事を肩代わりするだけでよかったんだ。それが出来さえすれば、ティオラ草を島の外へ自由に持ち出すことができる。それどころか、売買のレートを自分の好きなように操作することだって出来る。なんていったって、この島でしか手に入れることが出来ないんだから。西の森の群生地はさしずめダイヤモンドの鉱脈だ」
「まだ買い付け業者だったころは自分の手で少しづつ隠して持ちだしていたが、この計画を始めるころは、ソツのないアンタのことだ、売買ルートを確立していたことだろうな。そうして領主代行となると自分は島に居て運び屋、つまり仲買人を呼び寄せ、実際に航路を往復するのは自分が決めたその仲買人にさせた。次の目標は安定供給とレートのコントロールだ」
「アンタは決して急ぎはしなかった。領主代行だって、いずれその肩書きは返上するつもりだったんだ。一生涯をこの島で過ごすつもりはなかった。金を儲けても使うあてのない生活だからなぁ。だからいつまでも領主は病床につけておき、殺さず生かさず、その気になればすぐにどちらへころんでもいいような状態のままでキープしておいた。なあ? 領主が長い闘病生活の末に死んでしまっても誰も不思議には思わないし、また逆に回復に向かったとて、喜びが先に立って疑問になど思うはずもない。仮に領主が回復し、元のとおりの地位に戻っても、不在の間その業務をこなしたアンタを恩を感じさえこそすれ、悪く扱うことなんか到底できない。そうなったらその恩を最大限に利用して何食わぬ顔をして元の仲買人に戻るつもりだった。当然、闇ルートと島の供給源は自分が押さえて、だ。もちろん現領主でない別の領主を持ってきたっていい。」

 サンジは煙草を逆の手に持ち替えて深く吸うと声のトーンを少し落として言った。
「ちょっとだけ想像してみた。アンタはもの凄く愉快に感じていたんじゃないか? こんな誰もその存在を知らないような小さな島で。領主代行なんて地味であまり実入りのない地位でありながら、莫大なカネが動く麻薬市場を手のひらの上でコントロールさせている。それを思えばこの小さな島の管理というあまり面白みのない仕事もいいカモフラージュとして楽に受け入れられたんだろ」
「ただ、その素晴らしい商売にもちょっとした障害が起きたわけだ」
 ディノンはもう何を言うのも無駄とばかりに腕組みをして冷ややかな目でサンジを睨み付けている。ほんの少しのほころびを見つけたらそこから大穴を開けて逆にサンジを食いちぎろうというような、冷たいなかに暗い焔が見え隠れするような、そんな目だ。
(ふふん。いつもの平凡て文字を描いたような印象のない顔より、ずっと威勢がいいツラつきだぜ)
 サンジもまた下腹に力を込めて不敵に笑い返す。そうしながらちらとディノンの背後に気付かれないよう視線を投げる。
 十一時四十九分。残り時間はあまりない。急がねば。
「この前の海漣日(かいれんじつ)、つまり俺らがこの島にやって来た日だ。アンタの手のひらの中で親島とここを往復するだけだった仲買人が、おそらく何らかの交渉をアンタに対して始めた」

「少し話を戻そう。俺らがこの島に着いた初日、領主館へアンタを訪ねていったんだが、門番はとにかく俺らを通すことを拒否した。ほんのちょっとでいいから、と俺は脅したりスカしたりその頭の堅い門番を説得した。俺はこれでもこういう交渉ごとには自信のあるほうでね。そのときも、門番は一旦館の中へ引っ込んで取り次ぎをしたんだよ。だけど再び出てきてからは「居ない」の一点張りだった。
 俺はこれを、アンタが本当は館の中にいたんだ、という確かな証拠だと思ってる。実際は居たんだが、どうしても人に邪魔されたくない用事で人払いをしていたんだと。じゃあ、それは一体何か?──それはこの仲買人との取引だ。もちろん絶対に第三者を近づけたくない。
 なあ、この仲買人は、俺らより早く、それこそイの一番で島に着いたんだろ? そして誰にも見られない道を辿って、村を回避してまっすぐ領主館へ行き、アンタと取引をしたんだ。そして本来ならば航路が開いている一日のうちにまたそっと島を出て行って、取引したばかりの品を売買ルートに流す。そういう仕組みだろ?」
 サンジはディノンを見て、ん? と首をかしげたが、特段応えを期待していたわけではないのか、すぐに続けた。
「だが、今回だけはそう行かなかった。その仲買人はこの日のうちには帰らなかった。いつもは一日で航路を往復するのに──そうでないとブツの流通ができないからな──まあもしかすると今回は複数名で来ていて、ブツを持ち帰るヤツはさっさと帰って、ひとりだけ残ったのかもしれない。それはどうでもいい。とにかくひとりは残った。そしてアンタと更に話し合いをもとうとしたんだ。翌日。そう、この時計塔と館を繋ぐ回廊で待ち伏せて。
 アンタは、その場面をちょうど時計塔の調整を終えて出てきたアティさんに見られたというわけさ」

 ほうら、食いついてこい。
 サンジは今や能面のようなディノンの顔を真正面から冷静に観察した。焦りや不安、そんなものが彼の中から少しでもにじみ出てはきていないだろうか? 
 感心したことに、ディノンは少なくとも表面上は全く怒りや狼狽を見せずに静かに立っていた。だが、よくよく見ると領主代行の手は固く固く握りしめられていて、その箇所だけ皮膚の色が白くなっている。
 ヒュウ、と胸のうちだけで口笛を吹く。
(大したもんだ)
 度胸と自制心に思わず感嘆する。そこらの並みの海賊どもよりよっぽど胆力がありやがるぜ、この狸は。

「アンタは──、
 アティさんに島の人間でない仲買人との密談現場を見られて、というより立ち聞きされたんだろう。運が悪かった。普段なら館の中で人払いをして交渉をするところなのに、多分アンタは館の使用人にも仲買人の存在を隠そうとしたためにそんな場所で会うことを了承したんだろうな。
 そうして、アティさんに見られたためにアティさんの口を封じなくてはならなくなった。何を聞いたのか? そこまではわからないが、アンタが独占していることに関しての批判か、それとも下手に出て利権の割合の変更を求めることか──とにかくヤバイ単語が飛び交っただろうことは想像に難くない。アティさんはもともと頭のいい人だし、島でも重要な発言権を持っている。アンタもかなり上手くやってはいるが、時計守として半分神聖化されているような彼女の言葉のほうが重くとられることはわかりきっていた。
 ただ、口を封じるとしても、ずっと隠れて恋心を抱いているような女性だ。アンタにはアティさんを傷つけるようなことはどうしてもできない。そこでとりあえず攫(さら)ってどこかに監禁したはいいが、行方不明とするとまた捜索隊を作って何日も探さなくてはならない。ま、それでもよかったんだが、当然そうなると三年前のアティさんのダンナさんが思い起こされてくる。夫婦揃って行方不明ってのはかなり不自然で作為的だ。アンタが手を出したことが今更浮かび上がってきてはまずいだろ。それにアティさんは時計の点検に来たことになっていて、それは島中の人間が知っているからな。最後に話をした人間が自分というのは都合が悪い。
 だが、そこまで考えて思い当たったんだろう? アティさんが最後に話をした人間は自分だけじゃあなかった。ちょうど前の日から不意にころがりこんできた得体の知れない余所者ふたりもその場にいたんだったよなあ? おまけに癪なことに自分からはなかなか積極的にアプローチをかけられないアティさんの家にちゃっかり泊まり込んでいるときた。
 一石二鳥、って考えたんだろうねえ。
 アティさんをきっぱり島の他の人間から隔離し、殺されたことにして、その犯人に俺らを仕立て上げる。邪魔者はばっさり切ってしまえ、だ。島の人間は哀しみにくれるが、アティさんの不在はこれで説明がつく。あとは次の海漣日まで大事に大事に囲って、当日は薬でも盛ってそうっと連れ出す算段だろう。そして一度島の外に出してしまえば、あとはゆっくり時間をかけて自分をアピールしていけばいい。島の外ではアンタは金も権力もある。裏の世界だけどな」
「まあ、いずれはそれ──アティさん誘拐──も計画のうちだったんだろう。だから突然のこの出来事にも対応できたんだろうけどな。たださすがに時期が早すぎた。次代の時計守、ノービイがまだ現時点では一人前とは言えない。本来ならばもっと、あと数年はこの状態で、ただノービイが時計守として全ての知識を受け継ぐ日を待つ予定だった。ここまで島の生活に厳然と根付いた時計塔、そしてそれを守る役職はアンタですら手を出しかねた。成人とまではいかなくても実際に時計塔をそのシステムを委せられるくらいまでは待つつもりだった」

 ふっ…とサンジは軽く息を吐く。
「実はこの僅かな計画の乱れをアンタがどう取り繕うつもりなのか、非常に興味のあるところだったが……だが悠長にそこまで待っていられないからねぇ。まあその前に、だ」
「アンタにとっては計算外のことが重なった。ひとつは仲買人が一日で戻らなかったこと。ふたつめは、その仲買人が再度アンタと交渉しようとしたところをアティさんに目撃されてしまったこと。
 本当は俺らがアティさんの家にころがりこんだことがこの事件の発端かと思ったんだが、それはついでにすぎなかった。いや、どちらかというとアンタにとって好都合だった。アティさん殺害事件を偽装し、その犯人役がちょうど島の外からころがりこんできたのだから。
 そうして計算外はみっつあったんだよ。犯人役に仕立てあげた俺らがおとなしく処刑されてやるようなタマじゃなかったってことさ」

 さあ観念しろ、とサンジはあたかも眉間からのオーラで睨んだ人を射抜くことが出来るかのようにディノンを睨みすえる。そうしながらも彼の背後に視線を投げることを止められなかった。まだか、まだか──

「言いたいことはそれだけかね」
 ようやくディノンが口を開いた。張りのあるしっかりとした声が淡々と言葉を紡ぐ。
「なかなか面白い推理だと思うが。しかしそれはすべて君の頭の中のことで考え出されたものに過ぎない。君の推理は仲買人が居ると仮定してのものだろう。だが、そんな人間は最初からいなかったとしたら?──簡単に言おう。証拠は? 証拠はどこにあるのだ? 君の言うその仲買人はどこにいる? またレディ・アテナイは君の言う論理だと今も生きてこの島のどこかに居るはずだが、一体どこにいるのだ? 麻薬? たまたまその草の香りが君の知っていた薬と似ていただけだろう。領主の病気? ドクターがつききりで病状を今も看ているよ。私だって領主代行が生涯を捧げるほどの天職だとは思っていないが。でも正直に生きているこの島の人々の助力になりたいと思ってなぜいかんのだね? そう、アテナイさんの役に立てるものならと多少は私情が入っていたかもしれないが、それをおおっぴらにしたわけでもない。私だとて木石(ぼくせき)でもないのだから、少しは心を動かされるものがあっても咎められはしないだろう。
 もう一度言う。証拠をここに持ってこられないのならば、今までの全ての話は単なる君の妄想だよ」

「残念だったね。君の熱弁はなかなか楽しく拝聴できたが、この時計が変わらない時を刻みつづけるように、君と君の相棒の運命は変わらなかったようだ。悪あがきはやめて素直に助けてくださいと言えば多少は罪を軽減したものを──。だが残念だ。まずは君の相棒の命は今まさに尽きるところだ、ほら──」
 くるりと背後を振り返り、大仰に腕を振り上げて時計塔の文字盤を指す。
 十一時五十八分。

「ちょうど広場では君の相棒が今まさに跪いてその首を差し出しているころじゃないかな。正午の鐘とともに処刑は執行される。私が途中で待ったをかけない限り、ね。そして私はここにいてそれをしに赴くつもりはない。ねえ? あきらめたまえよ、君。なりふり構わず組み立てた論理は面白かった。だけど全ては砂上の楼閣、空想にすぎない。万が一、君の言うことが例え僅かなりと正しいことがあったとしても──そんなことはあり得ないがね──ここでは私が権力者だ。私が頷かない限り誰も動きはしないんだよ。
 さあ、あきらめたまえ。君は時間内に相棒の命をあがなうことは出来なかった。全てを絶望のうちに、君も彼の血を吸った同じ刃の元に露と消えるがいい。ああ、だがせめてもの情けだ。君と彼の首は並べて晒してあげよう」
 サンジがぴくりと肩を揺らす。それにめざとく気付いて付け足した。
「それとも先に銃弾で身体に穴をあけられるほうがお好みかね?」


 

  

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