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クロース・トゥ・ジ・エッジ(23)




 押し黙ってしまったサンジに勝利を確信して、ディノンは更に言葉を続ける。今までサンジの論説をただ聞き役に回ってしまっていたのを全て返上しようというかのように。
「そもそも、レディ・アテナイのご夫君を私がなぜ手に掛ける必要があるのか。ただレディのご夫君というだけで嫉妬に狂って排除すると? そんな事をするくらいなら彼女を攫って逃げてゆくさ。麻薬だ何だというたわごとも同じだ。私はそんなモノは知らない。だから当然領主の病気は麻薬なんかとは関係ないし、倒れたのだって私のあずかり知らぬことが原因だ。ドクターが原因と治療方法をつきとめようと努力しているがなかなかうまくいかないのは、それはドクターの知識不足かここの設備不足かその両方か。もしくは本当にまだ解明されていない新しい病気なんだろう。麻薬の仲買人? もちろんいるわけがない。海漣日(かいれんじつ)には島の外からの人間がいちどきにやってくるし、ほとんどが何かしらの取引をしているから、その全員が仲買人さ。その内の目つきの悪い男を指してあいつは麻薬を扱っているなんて言われた日には、可哀想に、人を外見で判断するクセをやめないと真の信頼関係は築けないよとしか言えないね。まあ、これから先君に真の信頼関係を作るだけの時間があるとは思えないが。そもそも──」
「あー、悪ぃが、」
 ディノンの今や滔々(とうとう)と流れる得意げな声をサンジが片手を上げて途中でさえぎる。
「悪ぃが、俺が首を落とされるのはいつになるんだ? どうも順番が詰まってきているようで、あまり待たされるようだと他のアポイントメントを優先させたいんだが。もっといろいろやっておかなきゃならんことがあって、悠長に首を落とされるのなんか待ってるわけにはいかねぇんだわ、俺」
「何をバカなことを言って──お前の相棒の後すぐに──」
 そこでハッとディノンが気付いた。
「あと、すぐに?」
 にやり、と笑ってサンジが言う。
 まさか。
 鐘が。
 正午を告げる鐘の音が鳴らない!?
 十二回鳴る最初の鐘の音が、捕らえてあるこの男の仲間の死を告げるものであるはずだった。その瞬間大いに笑って目の前の男の絶望にゆがむ顔をあざけってやるつもりだったのに。
 ばっ、と振り返って文字盤を見る。
 文字盤の上の針は十一時五十九分で止まっていた。
 いや、違う、これから鳴るところなんだ、待っていればきっと。
 ディノンは振り仰いだその姿勢のまま長い分針が動くのを待った。待った。すがるような思いで待ち続けた。

「もういいだろ。認めちまえよ。鳴らねえよ、それは」
 空気すらも固まったような沈黙の中、サンジの声が響いた。ちょうど時計が止まったことでほんとうの「時」が止まったかのような錯覚を起こしていた男達に、それは鳴り響くはずだった鐘の音の代わりの役を果たした。
 そう、時は動いている。時計は止まっても時は。
 しかし、この島に生まれ育って毎日をこの鐘の音で区切られている男達にとって、時計塔はイコール時間、生活そのものだった。それが止まるなんてあり得ない。
 ディノンはまだこの島での暮らしがそれほどは長くなかったため、真っ先に我を取り戻し、サンジへ向かって奇声をあげながら走り寄って掴みかかった。
「貴様! 一体何をした!」
 しかしサンジは終始落ち着いて煙草をふかす手をひょいと上げると、軽く一歩下がってからすう、と長い足を面倒くさそうに振り上げる。
「おっと」
 それはサンジにしてはごく軽い蹴りだったが、ディノンが一瞬にしてくずおれるのには充分だった。
 再度煙を空へ吐き出してから言い放つ。
「何もしてねぇよ。俺はな」
 そして時計塔の下、土手の上にのっそりと現れた人影に向かって言った。
「遅せえよ! まったく処刑人の刀の下でのんきに昼寝でもしてんのかと思ってしまったじゃねぇか! まあ手前ぇならそのまま首を落とされても死んだことすら気付かないってオチだろうけどよ!」
「…はぁ? 何モンク垂れてんだ? お前が『できるだけギリギリまでひっぱれ』って言ったんじゃねぇかよ! だから出来うる限り待って待って直前に止めたんだぜ? この芸術的なまでの技、褒められこそすれ、けなされるいわれは全くねえぞ?」
 現れた人影は抜き身の刀を両の手にひっさげて、ほぼ真上にある時計塔の文字盤を仰ぎ見た。
「ほうら、あと一分てとこでぴたり止まってる。上手いもんだろ?」
 予定どおりならば鐘の音とともにその首が落とされていたはずの男は、子供が出来上がった工作の課題を満足げに眺めるのと同じ表情でにかっと笑った。
「で、そいつは認めたのか?」
 ゾロはディノンへむかって顎をしゃくった。
「今、ちょうど認めるところさ。もうちょい待ってな」
「トロくせえな。さっさと吐かせちまえよ」
「るせ。結構しぶといんだ、これが」
 そしてサンジは膝をついてようやく起きあがろうともがいているディノンに近寄った。
「…なんてことを…なんてことを…」
 ディノンはぶつぶつとそれだけを繰り返している。
 ぐい、とその胸ぐらを掴み上げて無理矢理立たせ、その耳元に囁いた。
「いい加減、認めたらどうだ。なあ? さっき俺の言った推理は全部そのとおりだろ? アンタにだっていろいろ将来のプランはあるだろうが、他人を殺(あや)めてまでそれを貫こうってのはいただけないよなぁ。本当はトカイの件だけだったら、俺らは黙って見逃してやったんだぜ? けどアティさんをノービイちゃんから引き離し、そしてそれを俺たちのせいにしようってのは許せる範囲を越えてるのよ。ん?」

 しかしサンジに急激に身体を揺さぶられたせいと、「トカイ」という単語が耳に入ったことでディノンの視線が急激に定まった。それほどまでに欲望は人間を動かす糧となりうる、いい証左といえただろう。
 胸ぐらを掴んだサンジの手を振り払うと、ディノンは衿を正しつつ一歩二歩と後退して注意深く距離をとった。
「何をたわけたことを言っているんだ。証拠を持ってこいと言っただろう。それは全く変わっておらん。貴様の妄想を裏づけるモノを……」
 
 はぁぁぁぁ、とサンジは大げさにため息をついてみせた。
「アンタも頑固だねぇ。この状況になってもまだ証拠って言い張るつもり? まあ、しょうがねぇか。じゃあ出してやるよ、動かぬ証拠ってヤツをなぁ」
 言うと首を振り仰いでゾロ! と土手の上の影を呼ぶ。
「時計塔の基部の西側のところ、ちげぇ、西側っつったら手前ぇの右手の方だ! そこの回廊側との逆側に小さい扉があるだろう? そこ開けてみな」
 時計塔の上部は四面が文字盤になっているだけのこぢんまりとした造りだが、基部に向かって段々と厚みが増し径が大きくなっており、特に基部はあちこちが出っ張っている。それは内部の機関部分と塔を支える基礎部分とが重なって複雑な外観を形成していることが理由だが、特にその西側の面は、出っ張っている部分の隅から屋根付きの回廊が伸びていて、他の三方よりも、よく言えば末広がり、悪く言えばしまりがなく見えた。
 サンジが指摘したのはその回廊が始まっている部分の裏手で、普段回廊を通って人が出入りするため、そんなところに扉があることすら気付かない影になった部分だった。
 確かによく見れば小さな木の扉がある。
 ゾロは錆びかけたドアノブに手をかけて引いたが何かが引っかかっていて簡単に開かない。ふん、と気合いを込めてぐいと引いたところ、内側のドアノブにひっついて、中から男がよろめき出てきた。
「おやおや、俺と力比べしてたのはお前サンだったのか」
 出てきた男は怯えた様子であたりをおどおどと見渡している。ゾロはクィと片眉をあげて、その男の胸ぐらを掴み、顔を子細に観察した。が、すぐに男には興味を失ってその様子を見上げていたサンジ達に向きなおる。
「お望みの材料一丁、調達したぜ、料理人。さてコイツをどうするんだ?」
「メルシ、ムッシュ」
 サンジは首をすくめてからその場で胸に手をあて大仰にお辞儀をした。
「さてご紹介いたしましょう。あちらにいらっしゃるのが、本日の特別ゲスト、領主代行の取引相手、トカイ麻薬の仲買人、そしてアティさんにこの回廊で領主代行と密会しているところを目撃された方でございます。貴方、お名前は何とおっしゃる? ああ、いえいえ、名前なぞ聞かなくとも…! このところ、この時計塔に押し込められてさぞかし窮屈な思いをなさっていたでしょうねぇ。こんな大昔の時計守の簡易宿泊所なんて、今では使用されていないでしょうに。貴方、煙草はいかがです? 夜中眠れないときには夜空を見ながら一服するのが一番落ち着きますよねぇ。ええ、私には解ります、ようく解りますとも。貴方が、特にこの数日は殺害犯人探索の網にひっかからないように昼間はその狭い小部屋から出られず、夜中にこっそり外に出て足を伸ばしていることも。そうだ、てめェが煙草吸ってくれたおかげで、ここに人が居るってことがわかったんだよ、ああ? 迂闊だったよなあ。明け方に近い頃だったし、誰も見てないと思ったんだろうけどよ、俺が見ていたんだよ。小さくても火ってのは暗闇ではようく見えるもんなんだぜ」

 サンジは二日前の夜を思い出す。領主館に潜り込み、領主の病室を探り当て、そこに漂う消毒薬に別のものが混じっていることに気付いたはいいが、それが何かまではその時点では特定できていなかった。自らの内の匂いの記憶を必死でたぐり寄せながら、館内の探索も時間切れでノービイのもとに帰ろうとしたとき、ふと微かな明かりが目に付いたのだった。強く弱く見えるのは誰かが銜えて吸っているそのリズム。サンジにはいやというほど憶えがあった。
 そうして普段無人であるはずの場所に人がこっそり隠れて居るということの事実を、ノービイの家の屋根裏でひたすら考え続けた。
 匂いが呼び覚ます記憶の連鎖から、ようやくひとつの麻薬の名前が浮かび上がったのはその後。結果ひとつの仮説が危ういながらも組み上げられた。
 仮説はティオラ草をディノンに突きつけることで確証となった。

「なあおい、何か言いたいことがあれば言ってみな?」
 サンジはゾロに胸ぐらを掴まれて震えている男に向かって言う。しかし男は大勢の人間が自分を注視していることに狼狽え、なおかつ目の前三十センチほどの至近距離から底冷えのする眼で睨まれて、弱弱しくかぶりを振ることしか出来なかった。サンジはゾロに目配せすると、ゾロは軽くうなずいて男の顔を正面から覗き込むと低くよく通る声で尋ねた。
「てめェはこの領主代行とどんなことを交渉したんだ?」
 そう尋ねられてようやく眼に正気が戻る。
「お、俺は知らない。俺は何も知らない」
「ほぉう? 自分の今の立場をわかっていて言っているのかなぁ? なあ、俺が牢にぶち込まれ、あそこに立っている金髪男が必死こいて島中の人達から逃げていたのは何故だか知ってるか? 殺人容疑なんだってよ。それも殺人があったと思われる時刻に俺たちだけがアリバイがない、ってそれだけの理由だ。それならてめェも同じだよなあ? 時計守殺害の時刻にアンタが何をしていたのか証明してくれる身元確かな人間がいるか? いるならココへ連れてきちゃあくんねえか?」
 男の目がまんまるに開き、間近にあるゾロの顔を見た。次にそろりと視線を逸らしてディノンを、次にサンジを、そして自分を取り囲む人間の輪を見た。
 嵌められた。見事に。
 殺害時刻に会っていたのはディノンその人だが、それを認めると領主代行との秘密の取引きの存在を認めてしまう。かといってそれを否定すると殺人罪だ。だが殺人など犯してはいない──そもそも殺人事件は起きていないことを自分とディノンだけが知っている。だがそれを言ってしまうと──
 何を言えば自分に一番安全なのか。どの事実を隠し、どの事実を認めればこの自分を戒める手から自由になるのか。そもそもこの島から安全に出ることができるのか。
 頭の中が沸騰しそうだ。口は「あ」とか「え」とか形を作って幾度も開くがひとつとしてまともな単語となって出てきたものはない。
「お前サン、ちょいと口に故障がおこっちまったようだな。んじゃ一発俺がお前サンの言いたいことを代弁してやるとするか」
「おいクソミドリ」
 サンジが止めようと声を掛けるが、呼びかけただけで口を閉じる。いいか。コイツだっていい加減溜ってるモンがあるだろうし。思い直してふと、ゾロはどこまで事件の全容を解っているのだろうかともう一度口を開きかけ──止めて代わりに新しい煙草に火をつけた。
 まあいい、お手並み拝見といくか。


 

  

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