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クロース・トゥ・ジ・エッジ(24)




「お前サンはまず最初の日、航路が開いた当日は早朝に領主館へ来て通常の取引を行った。そして今回の訪問が終わり帰路についたと見せかけて、その夜はそこらへんの納屋にもぐりこんで隠れて過ごした。
 そして翌日、なんらかの方法で領主代行を呼び出す。ヤツはまだアンタが島にいることに驚き、そして一ヶ月間人目に触れないようにこの時計塔の待避小屋を提供した。
 ここは、昔回廊がなかったころに当時の時計守が天候の悪いときに使っていたんだろう。その後屋根付の回廊が造られ、楽に行き来ができるようになってからは使用されずに忘れられていたんだろうな。…回廊に使われている石が塔本体のそれと年代が少し違うから、回廊のほうが後に造られたってわかる。
 アンタは本来ならば領主館の客人として扱われてもよかったと思うが、あっちの人もアンタも後ろ暗いところがあったんで、できるだけ人目につかない方をとった」
「さて次だ」
 ゾロは話の途中で仲買人を掴んでいた手を離し腕組みをしていたのだが、ゾロの視線にがんじがらめにされて、仲買人はその場から一歩も動けずにいた。
「問題となった時計守殺害だが、その日にアンタと領主代行はこの待避小屋で会合を持った。交渉が成功裡に終わったか不首尾に終わったのかまではわからない。ただふたりとも少し興奮していたのだろうな、出入りする際に周囲への注意がおろそかになっていた。そこをちょうど時計の点検が終わって出てきたアティに目撃されてしまった。
 アティは見知らぬ人間がここにいる事に少し疑問を持ったかもしれないが、領主代行の姿が一緒にあったので警戒せずに声を掛けた。しかし誰も見ていないはずの密会を偶然にも目撃されてしまってふたりとも焦る。
 おそらく最初はうまく誤魔化そうとしたことは想像にかたくない。しかし、やってきたのが自分がずっと恋情を抱いて来た女性と気付くと、近い将来に計画していたことを思い切って今実行することを決意した。どうだ、そのとおりだろう?」
 ゾロはここでディノンへと視線を投げた。
「まあまあかな」
 サンジがディノンを代弁するかのように言う。
「悪くない、くらい言えよ」
「じゃあ、『悪くない』」
「…たくてめぇは…、まあそういうわけで、アンタとあの領主代行のオッサンは時計守を気絶させてどこかへ運び入れ、監禁したんだ。そして領主代行は殺人事件をでっちあげた。おそらくそれには執事サンが一口かんでいるのは間違いない」
「アティさんの死体はどうしたんだ。まさか死体がなくて殺人事件は起こらないだろう」
 サンジが疑問というよりは練習問題の解き方を検討しているように尋ねた。
「おそらく、薬を使って気絶させた身体を横たえて、それに上手く細工したんだろうよ。忘れたのか? ドクターも領主がらみで荷担してるんだぜ。他の人間に触らせないようにさえ気をつければ、見かけだけならなんとでも誤魔化せる」
「ふむ、それなら問題ねぇな」
「そうだろ──な?」
 最後の問いかけは目の前の仲買人へ向けたものだった。
「な? 俺の推理は合ってるだろ? そうしてアンタは人目につかないようここで過ごし、一ヶ月後次の海漣日(かいれんじつ)にまたアティさんを薬で眠らせてこっそり島の外へ出す予定となっていた。まあ、その新しい条件のおかげで、アンタの取引が有利になったりもしたんだろ? んー、逆か。取引を有利にするために、アティを島から出すことを請け負った、ってとこかな。で、その結果新しくディノンが呑んだ条件って何だ。ヤクの原材料の寡占をやめるってか?」
「い、言えない。取引の内容に関しては言えないことになっている」
 にやり、とゾロがあからさまに笑った。
「ほーう。では領主代行と取引したってことは認めるんだな」
 しまった。
 ふたりの間で鮮やかに展開される「その日」の出来事に、まだそこが確定事項ではなかったことすら失念していた。
 再び言葉を失ってしまった仲買人の代わりに、ふたりは領主代行を振り返る。
「わ…私はこんな男は知らない」
 さすがに声が弱々しく掠れている。
「今までこんな場所にこんな男が隠れていたなんて知らなかった。誰かと取引? 交渉?…私はまったく関知しないことだ。もちろん今まで会ったこともない」
「そんな……! 何を言う!」
「ええい五月蠅いっ! 早くその男を黙らせろ! よからぬ事をたくらんでこそこそ隠れていただけで怪しいではないか。きっとレディ・アテナイ殺害も──」

「誰が殺されたのですって?」
 落ち着いた、凛とした声がその場に響き渡った。けして大きくも激昂したものでもなかったがその声はその場に雷のような影響を及ぼした。声を荒げて怒鳴りあいを始めかけたディノンも仲買人の男も、ざわざわと周囲を取り囲む男達の声も、その声が聞こえた瞬間、ぴたりと止んだ。
 声のあとから回廊を通って姿を表わしたのは、今まさに殺害嫌疑のその被害者であるはずの、時計守その人であった。
 アティはすぐ脇にノービイを従え、しっかりとした足取りで歩みよった。そしてその場にいる皆から見える位置で立ち止まると、すっと腕を伸ばし、ディノンを指して言った。

「証言します」
「あの男は、四日前の午後、時計塔への回廊裏の、そうちょうどこの扉から出てきて」
 アティの眼差しは真っ直ぐディノンを突き刺し、そのまま彼の心臓を抉(えぐ)る。
「島の人間でない、見たことのない男と会っているのを見ました」
「それは、この男か?」ゾロがまた仲買人の胸ぐらをぐいとつかんでアティに顔を向けさせた。
 アティはじっくりとその顔を見て、肯定する。
「間違いありません、この男です」
「ふたりは私が声を掛けるまで、何やら興奮して話しこんでいました。私が領主代行の姿を認め、挨拶をいたしましたところ、ぎょっとしたように声をのんで話を止め、何やらぶつぶつ言っていました。様子がおかしいので、失礼してすぐにそこを立ち去ろうときびすを返し、館の方へ歩き出したところで何やら濡れたものを口と鼻に押しつけられて───そこで私の記憶は途切れています」
 そこでアティは一旦声を切って、またすぐ続けた。
「意識を取り戻してから今までずっと、軟禁状態におかれておりました。食事などは不自由はありませんでしたが、一歩も外へ出られず、誰とも会えず、話もできません。たまに領主代行が姿を表わすようになって、彼の言葉から私が死んだことになっていると──そしてそのまま誰とも会わせずに島を連れ出すということを聞き、大変驚きました。
 死んだことにされているなんて、そして二度と娘に会えないなんて信じられなかった……」
 ノービイの肩においた手が無意識にぎゅっと自分のほうへと引き寄せる。
「なんとしても私が生きているということを知らせなくては、とそればかり考えて脱出を試みましたがどうしてもかなわずにいましたところ、本日ようやく外から救いの手が現れたのです」
 アティはそこで、仲買人を押さえているゾロへと視線を移した。
「本当に、貴方のおかげですわ、ゾロさん。あのままあの部屋で絶望のうちに狂ってしまうかと思ってしまいました。ちょっと、その、方法は手荒でしたけれど」
 意味深な目配せがちらりとふたりの間を往復したが、ゾロは何もコメントはせずに、ただ「ああ」と頷いただけで終わりにした。

 ──話は一時間ほど前に遡る──

 アティが監禁されていた部屋のドアが砕け散って、それがあった場所に現れたのはゾロであった。ゾロは処刑の時に自分の刀を使用させるよう計り、牢から連れ出されたときに「軽く一暴れ」して自分の身体を自由にし、その後すぐに一緒に持ってこさせた自分の刀(とピアスも)をそのまま取り戻したのだった。
 ゾロが捕らえられていたのは領主館の別館の半地下の牢であり、ゾロはとりあえずアティかディノンを確保するべきと判断し、上へ上へと館中を探して行った。それでも別館の最上階の隠し部屋まで辿り着いたのは、勘も少なからずあるが、ディノンの居住する場所からそれほど遠くなく、また恋情を抱いている相手に、劣悪な環境をあてがうことは考えられないことから、自然と最上階付近だろうと考えていたという理由があった。
 ゾロは時に面倒臭がって言葉を惜しむために、行動の理由を考えていないように誤解されがちだが、戦いの様な反射と経験で動く必要のある時以外は、それなりに行動理由の背景がきちんとある。逆に言葉で誤魔化そうとしないぶん、思慮深い。
 
 ゾロはアティを見つけると、「出るぞ」とだけ言い置いてすぐさま来た道を引き返して行った。背後を振り返らずとも、絶対についてくることを疑いもせず。そしてアティはその通りぴたりとゾロについて館を出たのだった。途中、いきなりの闖入者に何度か誰何の声がかかるが、ゾロの形相と刀を手にした出で立ちに、声を掛けるだけでそれ以上彼らの行く手を誰も阻もうとする者はいなかった。
 館の外へ出ると、アティはノービイの元へ行きたがった。ゾロはそこでアティと離れることを危ぶんだが、既に村人が数名、死んだと聞かされていたアティの姿を見て驚きつつも喜んで傍に寄ってきたので、人さえいれば危険はないだろうと判断し、そこで一旦別れることとした。
 かいつまんで状況を確認しあう。
「やはりアンタを攫って閉じこめていたのはあの領主代行なんだな」
「ええ。彼は私をそのまま島の外へ出して、ずっと傍に置くと言っていましたわ。死んだことにして。あなた方おふたりを犯人に仕立て上げて──。あなた方、このままだと冤罪で首を斬られてしまいます。早く私は殺されてなんかいないと皆の前で証言しないとなりません」
「そっちの方は問題ねぇ。容疑なんざすぐ晴れる。ただ、この落とし前をつけないことには容疑が晴れただけじゃ帰れねぇからな。ちっと教えてもらいたいことがある」
「──何でしょう?」
 アティが不思議そうな顔をしてゾロを見上げる。
「あの時計の止め方だ」

 アティは目を丸くしてゾロの顔を見つめた。
「どうして……? 何故……? そんな必要はないでしょう……? 貴方、あの時計がどれくらい大事なものかわかっておっしゃってるの?」
「充分解ってるつもりだが? だからこそ、だ。だからこそ止める。心配すんな。何も壊そうってんじゃない。一時、ほんの一時止めてぇだけだ。だからその方法をアンタに聞いているんだ。わかってくれ、これは重要なことなんだ」
 さらにじっと互いの顔を見つめて数十秒が過ぎた。琥珀色の目を濃いブラウンの目が覗き込む。目の奥に真意が見えないかと期待して。
「わかりました。が、そんなに簡単なことではないのです。塔の中は全て時計を動かすための機械でできています。わたくしが行かないと、それのどれがどういう役目で動いているのかすらわからないでしょう」
「時間がねぇ。あれの動力源をせきとめるだけじゃまずいのか。あれは潮力を利用してるんだろう?」
 今度こそアティはゾロの目をまじまじと見つめた。
「なぜそれを…? この島の者でもそこまで解っている人はまずいないというのに」
「わかる。ゼンマイ式を主に動力源とする普通の時計は、この島の磁気にすぐやられちまう。だからあれを動かしているのはもっと別の、そして常に得られる身近なものだ。もともと、島の全ての場所から見えることを目的に造られているはずの塔が、なぜこんな島の端に建てられたのか。島の中心部にあったほうが、どこからの距離も平等になるはずなのに。それは時計を動かす元の力がそこにあるからだ。
 あの断崖の下から塔の内部へかけて、何か仕掛けがあるんだろ? 島の周囲に常にある強い潮の流れを利用して、そこから動力を得るような」
「……ええ、そのとおりです…だけど何故見ただけでそんなことまで……」
「さあな。その何故に答えるより、今は具体的な方法だ。動力源を一旦止めたら、おそらく時計は止まる、それでいいな? そしてそれは長続きしないから、また動力が入ったら何事もなく動き出す──はずだ。その後の調整はアンタに任せる。だけどその方法なら時計の駆動部にもどこにもダメージを与えることはないだろう」
「はい……。だ、だけどどうやって動力源を止めるというのです? 塔の下の崖には縦に長い導管が設置されていて、そこを海水が底辺から出入りする際に、中の空気を圧縮して送り出し、その一定の空気圧を溜めて利用しています。つまり潮流の力をポンプにしているわけです。動力システムを止めてしまったら、やはりそれを直すのはすぐにできることではありません」
「大丈夫だ。動力システムも、その伝達系も絶対いじらねぇよ。潮流の力をポンプに使ってる、って言ったな? ならその大元の力を少しの間だけ止めればいいわけだ」
「そんなっっ……! それこそ不可能ですわ。相手は海ですよ?」
「海っていっても、そのホンの一部だろう。大海原の全部が相手ってわけじゃあねぇんだ。崖下に流れてくるごくごく一部だけを相手にすりゃあいいんだから、なんとかなる」
「なんとかって……!」
 アティは絶句し、目の前の男を見つめた。一体この男は何者なの? こんなにも軽々と、自分にとっては大したことないように話すこの男は。流れる水を押しとどめることはできない。それは誰でも知っている、いいやあたりまえ以上に絶対の理(ことわり)だ。なのにそれと対峙して押しとどめることができると言い切るこの男は。
 今日初めて会ったかのように、真剣にその目を見る。目を通して心の奥までを透かし見たかった。だがそこにあるのは猛々しく自分の力を過信している目ではなく、穏やかに澄み切った、あくまでも事実のみを述べている落ち着いた眼差しであった。
 アティ自身はゾロの言っていることができるとはとうてい思えなかったが、ゾロの静かな存在そのものが、ゾロに懸けることを許した。
「……わかりました。これが時計塔の入り口の鍵です。階段がありますから真っ直ぐ下って。突き当たりにもう一つ扉があって、開ければすぐ導管です。導管は天辺が送気管になっていて、圧縮した空気を送り出しています。その脇に吸気弁が二箇所。波が導管の中を下がったときにそこから空気を引き込むしくみになっています」
 地面に簡単な図を描きながら的確に説明してゆく。ゾロは食い入るように見ながら全てを頭の中に叩き込んだ。
「わかった。ありがとう」
 説明を聞き終わって鍵を受け取ると、それだけ言って館の向こうにそびえ立つ時計塔へ向かって走り去った。
 見上げた文字盤は十一時四十四分を指していた。


 

  

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