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クロース・トゥ・ジ・エッジ(5)




「それでは、あの時計塔は、そうやって常時アテナイさんによってメンテナンスされているから狂わない、と?」
「アティ、でいいですわ。そう、今まで一度だって時刻を違えたことはありません。でもそれをどうやって証明するか、と言われると無理なんですけどね」
 アティは少しだけ困ったような表情をつくって肩をすくめた。
「検証する時計そのものがこの島にはないんですから。ですけれども、空を描く星達の軌道、太陽の軌道、暦との偏差、潮流の流れ、いろいろな自然を観察し、統合することによって現在時刻を決定し、それを寸分の狂いもなく時計塔の針が辿って動くようにし、そしてそれを規則正しく島の人全員に伝わるように鐘を鳴らすよう作動させる──ひとつひとつは地味に見えますが、豊富な知識と経験が必要とされるんです。それを島の人間は皆わかっていますから、それなりに敬意を払われるといいますか、少しだけ気を遣っていただけるのです」
「でも、自分の食べるモンを自分の手で育てて、そして時計塔のメンテナンスをして、そして次世代にそういった教育を施すのは、かなり忙しいんじゃ?」
「ええ。ですからせいぜい裏庭の野菜畑程度しか。でも私たちは必ずお互いできる面で助け合うことが自然になっています。私は主に島の子供達の教育の面を担当しています。今日は親島から船が着く特別な日なので学校はお休みですけれど、いつもはこの時間は子供たちを前にして綴りや読み方や計算をさせていますのよ」
 にっこりと笑う。そういえば話す口調がどこか、丁寧だけれどもゆっくりと辛抱強く説き聞かせるようなリズムがある。なるほど、この島の規模ならば小さな子供からノービイのような十代まで全部まとめて面倒を見ているのだろう。
 へええ。
 アテナイという名前はよくぞつけたものだ。知恵と知識の女神。おそらく先代というその父親の願いが込められているのかもしれない。
「では、この島はみな自治で成り立ってる?」
 珍しい。相互扶助というのは小さなコミュニティでは必須でありうなずけもするが、親島との交易もあるからには代表者不在は考えにくい。政治単位としてはかなり小さいものとなるだろうが、どのようなものだろう。
「まあ、ほとんど普通の生活については困ることはないのですが、やはり調停役というかとりまとめ役として、島を代表する者はおりますわ。領主、と便宜上呼んでおりますが、この島を領有しているわけではありません。その昔に時計塔のシステムを立ち上げた偉大な先人に敬意を表して島の代表者としたので、領主と言っても皆と同様に普段は畑を耕したり山羊の乳を搾ったりしています。ですが最近……」
「領主様、病気になっちゃってさ」
 ノービイが、口を噤(つぐ)みかけたアティの後を引き取って言う。これ、と母親はたしなめたが、すぐに続けた。
「ここ半年以上も、彼の姿を見たものはいないのです。病気で伏せっているとは聞いておりますが」
「姿を見せない?」
 こくり、とアティは頷いた。
「でも、じゃあ誰がその間領主の仕事を?」
 珍しくゾロが口を挟む。サンジは片方の眉をくいっと上げてちらりとゾロへ視線を投げた。
「それは、代行がおりますから」
 それだけ言って、アティはティーカップを取り上げ、ゆっくりと口へ運んだ。
 ゾロはじっとその様子を見て、もう一度口を開いた。
「その領主代行ってやつもきっちり仕事はこなしてるんだな。今日親島からの船ン中でも特段困ったとかいう話は聞かなかったしな。この島では全員が誰かしらの補助役ができるのか? それは大したコトだ」
 うお、マリモ野郎が初対面のマダムに向かってたくさんしゃべってるよ、珍しーこともあるもんだ、とサンジは内心の驚きを押さえ込んでアティの反応を見た。
「…………」
 今まで順序立てて説明していたのに、領主の病気から代行へ話題が移ったときのアティの反応は奇妙だった。用心深く、あまり積極的に多くを語りたがらない。ノービイですらサンジから目を逸らしている。
 これは何かあるなと思ったものの、余所者である自分たちに綺麗ごとばかりでない内情を知られまいとするのは自然な考えであるし、無理矢理聞き出すほど深い関係でもない。
 つとめて明るい声でサンジは話題を変えた。
「えっと、この島に何かホテルとかありませんか? できればそんなに高級でなくて、飯が美味いところがあればありがたいんですが」
 それを聞いてアティが驚いた表情を向ける。
「ええ? 今日中にお帰りになるのではありませんの?」
「ええでも、一日だけでは満足な調査はできませんし。土壌研究家なんで、あちこちの土もほじくり返してみたいし。なっ? お前もせっかく来たのに何も掘らねぇわけにもいかねぇしな」
 途中からサンジはゾロに向けて言葉を投げるが、ゾロはそれには答えず、むすぅとした顔のままティーカップに手を伸ばした。僅かに下唇を突きだしてハーブティーをすする横顔に大層サンジは満足したが、アティが言った次の言葉に、そのまま表情が凍り付いた。
「それが……この島にホテルとか、そういった宿泊施設はありませんが……」
「──え?」
「なんと申しましても、一ヶ月に一日しか船が出入りできませんものですから。外からの方は皆一日限りで夕方には帰ってゆかれますし。必要がありませんので、そういった施設もないんです」
 確かに。言われてみればその通りだが。
 ふたりとも五日間だけの滞在のつもりだったので、その辺りは軽く考えてなんとかなるだろうと高をくくっていたのだが、さすがにタフな彼らとはいえ、何の準備も装備もないまま五日間の野宿はあまり有り難くない。自然と眉根が寄った少し情けない表情でお互いの顔を見合わせる。
「で、で、でも、一ヶ月滞在していく人間だってまるきりいないわけじゃないんでしょ? そういった人はどうしてるんですか? まさか一ヶ月間テント張って暮らすんじゃ……」
「ああ、もちろん、一日では済まない用事のある方々もいます。この島特産の野菜や果物の産地契約を結ぶために、出荷量や収穫方法、いろいろ調査して採算に見合うかどうか充分検討する仲買業者の方とか」
「そういう人たちはっっ?!」
 少々、口調がうわずっていたのも無理はないだろう。いくら体力に自信があっても、やはり野宿を避けられるものならば、その方が嬉しいに決まってる。
「そういった長期滞在の方々は、領主様の館に招待されることになっています。あらかじめ島に入る前に領主様とアポイントメントをとってやってくるわけですから、その際に、一日で済む用事かどうかで、もし長逗留になるのなら自動的に領主館に滞在することになるのですわ」
 そう言いながらもアティは少しく困った様子でふたりを見やる。
(まあどうしましょう。この方達、本当に何も知らないでやってきたみたいだけれど)

「…あははあ、まあ、何とかなるでしょう。それじゃあ領主様にとりあえずご挨拶にでも行ってみるしかないですね。アポなしでいきなり来た俺たちを快く迎えてくれるかどうか少し不安ではありますが……」
「……………」
 ほれ、とサンジは言いながらゾロを促して立ち上がった。
「スコーンとお茶、本当に美味しかったです。滞在中にレシピを是非教えていただきたいところです」
 少し黙り込んだアティは、サンジの言葉にはっと顔をあげた。にこり、と微笑む。
「あ、あら、こんな素朴なものですが、喜んでいただけてこちらこそ何よりですわ。レシピなんて大したものではありませんけれど、持ち帰って奥さまに作っていただけたら、このちっぽけな島のことを思い出していただけるかもしれませんわね。お帰りになる際は、ラシリスの実も一緒にお持ち下さいな」
「マダム、残念ながら俺ぁまだ人生を共に歩んでくれる運命の女性と出会ってないんですよ。レシピは俺自身が作るためです。俺はこう見えてもコッ……てぇ!」
 サンジは土壌研究家という都合のいい化けの皮をつい油断して自分から破りそうになったところを、ゾロに思い切り足を踏んづけられたのでギリギリぼろを出さずに済んだ。
(クソ憶えてろよこの緑マン)
 内心毒づくものの、食べ物のことになるとつい素が出そうになるのは、もはや習性なのだからいたしかたないし、それを見越されてこのクソ剣士にフォローされているのも事実なので正面切って反駁できない。せいぜいギリ、と歯を食いしばって睨み付けるだけだ。

 丁重にアティとノービイの居心地のよい家を辞去した後、ふたりは島の中心部と思われる方へてくてくと歩いていった。しばらく黙って歩を運んでいたものの、家が見えなくなったあたりでどちらからともなく口を切る。
「おい」
「んあ」
「どーするよ」
「どうするってお前」
「てめェ、向こうの島でこっちの島の情報いろいろ集めて来たんだろ? 宿屋がねぇ、ってこんな大事なコト調べられなかったのかよ!」
「るせえ! んなことまでわかるかよ! たった半日しかなかったんだぞ? それもだいたい酒場と市場中心に聞き込んだから、真面目な話と胡乱(うろん)なうわさ話と半々だ。なにしろ昨日の『明日』にこの島へ渡してくれる船を見つけるだけで精一杯だったんだよっ! 悪ぃか!」
「じゃあどうすんだよ!」
「領主のトコへのこのこ出向いていって、すみません、哀れな海賊なんですが、一夜の宿を与えてくれませんかね? とでも言うか? 畜生、まさか宿屋もホテルもないなんて思わなかったぞ」
「連れ込みもねぇんか」
「ねぇよ!」
「…………………」
「…………………」
 しばらく無言で歩く。
「で」
「……………」
「どーすんだ?」
「……とりあえず、領主に会ってみるしかねぇだろーな。ま、今はその代行ってヤツになるんだろうけどよ。『土壌研究家』なんてウソくせえ肩書きなんかにするんじゃなかったぜ。少なくとも領主なら他の島のヤツらとも頻繁に交流をしてるだろうし、フツーに考えて俺らがそれらしいかどうかぐれえ怪しむのは想像にかたくねぇ」
「代行だろ」
「るせえ。代行だろうが、領主としての肩書きを使って交渉ごとをしてるヤツって意味だ! この掘削人夫!」
「もともと『土壌研究家』が都合がいいっつったのはてめぇだろ。俺ァどうせ穴掘れればそれでいいしなァ?」
 にやりと意味深に笑って肩越しにサンジを振り返る。その声のトーンと半分だけ見えた横顔の含むところに、サンジは瞬時に足を振り上げた。
「な〜にを、言ってるのかな〜あ、このおクチは?」
 振り上げた長い足はゾロの鼻先寸前でぴたりと静止していた。突然目の前に湧いてでた黒いスーツの色に、だがゾロは動じることもなく言い返す。
「別に。しがない助手の掘削人夫は穴ァ掘るくらいしか能がねぇってコトだが? それが土だろうが野郎のケツだろうが、だ。」
「……こンの……!」
 しかし振り上げたまま静止した足を今度こそゾロの顔面に叩き込もうとしても、いつの間にかゾロの手にがっちりとホールドされてしまっている。ゾロは何事もなかったかのように言葉を繋げた。
「領主だか代行だか説得して丸めこむのは土壌研究家サマにお任せするさ。どうせこの島へ来てぇっつったのはてめェの方だし、俺は暇つぶしについてきただけだからな。てめェはとにかくなぜ第一目的の『アレがどうなるのか』さっさと見てみねぇんだ。俺ァそれが不思議だっつってんだ」
 ゾロを睨んでいたサンジの隻眼を縁取る睫毛が揺らいで僅かに伏せられた。
「……るせぇ。別にそんなに急いで確認する必要もねぇし、ナミさんから五日の猶予をもらってんだ。とりあえず今は宿の確保が先だ」
「ふぅん。まあ俺が何か言うモンじゃあねぇけどな。とりあえず俺はてめェの付属ブツみてぇなもんらしいし。ほら、領主代行ンとこ行くんだろ? さっさと行こうぜ?」
「……ち。わーってるよ」
 わざと肩をいからせて、サンジはゾロの前に立って歩き出す。乱暴に煙草を口にねじ込み火をつける手間ももどかしく、断続的に白い煙を吐き出しながらざくざくとほこりっぽい道を進んでいった。



 

  

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