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クロース・トゥ・ジ・エッジ(6)




 領主の館はこの小さい島でもそれなりに格式を醸(かも)し出した重厚なつくりをしていた。もちろん、他の家々と比べてとびぬけて大きいというわけではないが、堅固な造りの壁に、中央にしつらえた正面の鉄の扉はがっちりと閉ざされて、いつでも誰でも気軽に中へ迎え入れるという雰囲気ではない。
(やっぱりアポなしじゃあ、面会までこぎつけられねぇかも)
 サンジにしては珍しく少し弱気なことを考える。
(まあ、その時はその時だ。たった五日間くらいのことだしな。なんとかなるだろ。このケダモノさえおとなしくしてくれれば問題ないし。狭い島のことだし、目立つのはしょうがねぇとしても騒ぎを起すのは得策じゃねぇ)
 脇の通用口をくぐり、玄関ノッカーをごんごん、と叩いて暫く待つ。
 ややあって、カシャ、と玄関扉の側壁に小さく窓が開いた。
「……どちら様で?」
 やけに顔色が悪い禿げ上がった初老の男がうさんくさげな視線をよこしながら尋ねる。目の下もたるんで、一見眠そうだが、眼光は油断なく光っている。
「あー……、私は今日の船で到着したばかりの、そのう、この島における磁気の特殊発生がグランドラインの島を結ぶ磁場に対してどのようにか影響を及ぼす可能性を調査しにきた者です。領主様にごあいさつを──」
「島の磁気はグランドラインにゃ影響を及ぼさねぇ」
 サンジの言葉はバシっと叩きつけられるようにその男に遮られた。
「何をもってそうおっしゃられるので?」
 にこやかにサンジは尋ねる。だがその目が笑っていないことを口調だけでゾロは知った。
 始まった。こいつがこういう言い方をしだしたら、まぁ勝てねぇな。
 ゾロは全身の力を抜き、立ちながらリラックスして事の成り行きを楽しむ姿勢に入った。それでも感覚はまんべんなく周囲の全方向を探っている。それは無意識のうちに常に身に付いている習性で、戦闘時に放つ殺気とはまた違う、ゾロという獣の持つバリアのようなものだった。戦いの時の剣の間合いよりもっと広い範囲で異変を感じ取る力は、それこそ天性の感覚と後天的な経験とに培われたゾロ独自の能力とも言える。
 サンジの言は続く。
「どなたがそのように証明なさったのでしょうか?すでに証明が為されたというなら、確かに私なぞの出る幕ではございませんね。でしたらその文献なり論文なりをひと目拝ませていただければ、私の仮説と比較検討させていただき、できましたらその証明なさった方をお尋ねして師事いたしたいところでございますが。そもそもこのグランドラインの島々の磁気というものは──」
 滔々と語り出すサンジの言葉の渦に男は最初のうちこそ目をぱちくりさせていたが、だんだんとついてゆけない苛立ちがちらちらと顔に出て来る。
「──というわけで、ある一定の電圧を強制的に与えた場合、その磁場が影響を受ける可能性と、また磁気の方向について、とある仮説が打ち出されましてね、それを見事に証明したのがあの有名なドクター・チョッパーその人なんですよ。そしてそれがログポースの原型に使用され、これが現在のグランドラインにどんなに貢献しているか、それは充分おわかりだと思います。そういうわけでグランドラインの定説となっているわけなんですが、この島の環境だけ特異点となっておりまして──」
 どうせ口からでまかせに決まっちゃあいるが、よくもまあ「それらしく」舌が回るもんだ、とゾロが感心していると、あからさまに「ちっ」という舌打ちの音が聞こえた。
「そんなこたぁおれにゃあわからねぇ。だが領主様はただいま病気で伏せっておられるし、代行様も今日は忙しい。アンタは大層な学者様らしいが、悪ぃが出直してきな」
「そりゃあつれないねぇ、アンタ」
 がらっとサンジはその口調を変えて言う。
「いいか。俺らはただ、ご領主の代行サマにご挨拶をしてぇだけなんだよ。とりあえず会いてぇって言ってんの。五分もかからねぇだろ? ちょちょいと代行サマの耳にとりついでくんねぇかなぁ?」

 ──ええと。挨拶だけで今夜の寝床をゲットできるのか?まあどうせそんなこたぁ口実で会ってしまえばなんとでもなると思ってるんだろうがね。
 無表情を装ってサンジの後ろに控えていながらぼんやりとゾロは思う。その視線の先ではサンジが小窓の男にさらに一歩詰め寄っていた。
「いや、いいんだぜ? 俺らがな、勝手に島のあちこちを掘り返してここのご領主サマの大事な土地を荒らしてしまうことになるかもしんねぇから、一言メンチ切っておこうと下手に出てるのを、てめェが取り次がねぇってんなら、黙っておっぱじめるだけだ。その結果ご領主サマ、おっと代行サマか、のご不興を買ったとしても、俺らはちゃんと許可を得ようとここまで来たところをお前サンに追っ払われたって正直に話すだけだしな。なあ? お前サンこれだけのリスクをおかすよか、ちょこっと行って代行サマにお伺いたててくる方が何でもねぇって思わねぇか?」

 しばらく男は視線をあっちにやりこっちにやってそして何かを言おうと口を開きかけたが、何も言わないまま閉じた。そしてサンジをぐっと睨むと、ぷいときびすを返して窓から離れ、館の中へ戻って行った。サンジはそれを見送ったあと胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけ、ぷかりと煙を吐き出すと、くるりとゾロを振り返り、どうだい? といったように片方しか見えない眉をくいと上げた。
「えげつねぇ」
 ぽつりと一言、ゾロがそう漏らすと
「んなことねぇ。弁が立つと言ってくれ」
 にやにやと笑う。
「性悪。嘘つき。詐欺師」
「ふふん。褒め言葉と受け取っておくぜ。他には?」
「……女たらし。アホマユゲ。エロアヒル」
「おい、どんどん方向がずれていってるぜ」
 にやにや笑いが崩れてけほけほと自分の煙草にむせている。
 ゾロもまたサンジのそんな表情を見て頬がゆるんでいた。ふたりでもう一度顔を見合わせてくくっと笑う。
「どうだ?」
「わからねぇな。代行がどんな人物か前情報がまるでないしな」
「さっきの女の様子だとあまりよさそうな感じはしなかったな」
「コラ、「女」じゃなくちゃんとレディには名前を呼べ。恭(うやうや)しくな。──てめぇもそう思ったか。何か裏がありそうな臭いがあるぜ。とりあえずまずは会ってみなくちゃ始まらねぇがな。あのクソ男、間抜けヅラしてたからな、上手く取り次げばいいんだが……脅しすぎたか?」
「戻ってきたようだぜ」

 先ほどの男がぜえぜえと荒い息をして小窓から顔を出していた。サンジは男に向き直り、黙って男の息が整うのを待った。
「──で?」
「……代行様は、ご不在だ」
「ンだと?」
「ええい、うるさい! 不在だと言ったら不在なのだ! 明日また出直して来るんだな。明日なら会ってくださるかもしれん。だが今いらっしゃらないからご意向を伺うこともできんが」
 怒ったように男は一気に言い放つと、これ以上サンジと話合うのはごめんとばかりに、窓をぴしゃんと閉めてしまった。
「……どーするよ?」
 顔を見合わせた二人の背後で、時計塔の鐘がゴォォォーーーーン、と鳴った。



「ったく、てめぇは脅かしすぎだっての!」
「ンなわけあるかい! あいつがアホすぎたんだよ! もう少し脳ミソがあれば、絶対代行に少しでいいから目通りさせてもらってたって!」
「今さら「もし」なんて言ったって、どうにもならねぇだろーが! とりあえず今夜一晩どうにかしねぇと」
「ううむ、どこか適当な納屋がねぇか探してみるか。山羊を飼ってるくらいだ。何かあるだろ」
「それしかねぇかもな」
 二人があきらかに肩を落として領主の館を後に歩いていると、正面から小さな影が走ってきた。
「はあっっ…………と、ねぇあなた達、代行様には会えた?」
 ノービイだった。彼女は息を切らせ、走ってきた余韻を膝に手をついてやり過ごし、まだ整ってない息を絞り出すようにストレートに質問してきた。
 一瞬顔を見合わせ、二人は同時にふるふると首を振る。 
「ああ、やっぱり。多分そうなるんじゃないかってかあさんが言ったの。それでもしよかったら、うちに泊まったらどうかって。狭いし、大したことできないけど」
 もう一度顔を見合わせ、サンジが口を開いた。
「いいのかい? 得体の知れない余所者を家に入れちゃって。そりゃあ俺たちにしたら有り難いけど。野郎二人だからどこか適当に野宿したって死ぬこたあねぇし」
「いいの。かあさんも私も、人を見る目はあるつもりよ。それに、たまのお客さんだもん。もっとたくさん外の話も聞きたいしね」
「ああ〜〜、アティさんもノービイちゃんも、なんって心が広くて優しい素敵なレディなんだ……! ねえノービイちゃん、キミとお母さんの好きな色って何色? 青とか金とかが入っていたりしない? そしたら俺そりゃあ嬉しいなぁ!」
 え? え? と後半のサンジの言葉についてゆけなくて目をぱちくりさせていたノービイに、ゾロがぼそりとひとこと「気にするな」と声を掛ける。
「世話になる。ありがとう」
 寡黙な掘削人が発した声は低く響いて、ふと目を上げると陽にあたって琥珀色に柔らかく光る瞳がノービイを見下ろしていた。思わずとくんと心臓が一拍撥ねてそれにさらに慌てて目を伏せる。よく話しかけてくるサンジとは正反対に、「怖いひと」という印象を拭えなかった男だが、今の顔は笑っていなかったか。微かに、だが。
「じゃ、じゃあ」
 少しどぎまぎとしながら二人を先導する。なんだったんだろう、今のは。



「鉱物にご興味が? 夫でしたらもっと的確なお話ができるのですけれど」
 夕食後にリビングでくつろぎながら、海賊稼業を匂わせない程度に航海の話や立ち寄った島の話をさんざ語り聞かせてふたりを楽しませていたが、さすがにノービイがあくびをしだしたのを機に一旦おひらきとした。
ノービイが寝室にひきとった後にアティが「少しだけね」と言ってワインのボトルとグラスを持ってきた。
「夫がいたころは、二人でよく飲んだものですけど。ひとりではボトルも空かないから、なかなか開ける気になれないし。今日は久しぶりのお客様だから」
 となにやら言い訳めいたことを言いながらキュッキュッとオープナーをねじこむ。
「レディ」
 サンジがすい、と自然にその手からワインごと引き取り、軽やかな手つきでポン、とコルク栓を抜き、三つのワイングラスに注ぎ分けた。暖炉の火がカーブしたグラスに映えて、ルビーの様な液体がきらきらと光る。
「この幸運な出会いに感謝するとともに、お二人の素敵なレディの健康と幸福を願って」
 気取った言葉がさらさらとサンジの口から流れ出てくる。それがイヤミに感じられる時も確かに多々あるのだが、その場にふさわしい口調と態度でごく自然に融け込ませることができるのもまたサンジだ。
 昼間とはまるで真逆に静かな夜。暖炉の中で火が陽気にぱちぱちとはぜる音が心を落ち着かせる。そういえばここからは波音も、潮騒も聞こえない。高台にあって、間に森が入るからかもしれない。
 そして先ほどの問いが繰り返された。
「土壌を研究してらっしゃるということは、鉱物学もおやりになるの?」
 動かない足もとと波音のない夜と、芳醇なワインの香りに意識を向けていたサンジはだが予期しない質問に一瞬で現実に舞い戻った。
「実は専門はなんとも言えないのです。今は鉱物全般ではなく、土壌それ自体とも違ってこの島特有の磁気に一番関心があります。それが含まれるのはやはり岩石、なのでしょうか?それとも島の土壌それ自体? それによって鉱物学者でも土壌研究家でもどちらでも呼ばれる立場が変わるというわけですよ」
 少しだけ真実を混ぜることによって、ウソも真実味を帯びる。ログポースを狂わせるという、この島独自の磁気。グランドラインを渡るために利用する島同士が引き合うという磁力とはまた異なるもの。もしかしてそれは。
 饒舌だったサンジがそこでふと押し黙る。ゾロはもともと聞き役、もしくは飲み役だ。
「そう……」
 睫毛を伏せて、アティがワイングラスのフチを指でなぞる。くるくると手の中で回しながら、でも視線はワインを透かして別の何かを見ているようだった。
「夫もそんなことを言っていましたっけ。この島の磁気は他に見られない現象だ、って。そのおかげか植物にも変種というかこの島でしか自生しないものがたくさんあって、それを輸出してなんとか私たちの暮らしは成り立っているのだけど」
「お亡くなりに?」
「──多分。ええ」
「多分、とは?」
「いきなりいなくなったんです。島のどこを探してもいなくて。だけど船を出せるような状態ではなかった──。もともとこの島は常に渦潮に取り囲まれて船で行き来できるのは月にたった一日、という環境なんですが、それでなくてもその日は海がとても荒れていて。絶対船でどこか他の島へ渡ったとは考えられない。ですけれども、この狭い島の中のどこにもいない。となると、どこか観測か採取をしている時に足をすべらせて海へ落ちたとしか──」
 淡々と話しながら、ゾロはアティの手がギュッとスカートの布地を握っていることに気がついていた。あれだけ力を込めたら、その部分がシワになるだろうに、とのんびりとした事と同時にアティのまだ癒えぬ哀しみを考えた。哀しみ? いや違う。あれは怒りだ。哀しみならいつか時とともに癒えることもあろうが、遺体を見たわけではなく、死因もわからず、死さえも信じられないまま、素直に哀しむことができないというジレンマだ。どこへぶつけてよいかわからない怒りが、芯の強いこの女性の奥で静かに燃えさかっている。
 お気の毒に、とか何とかごしょごしょと口の中でサンジがつぶやくがゾロは黙ったままだった。多分何を言ってもアティの気は晴れることはないだろうし、当然サンジもそれは分かっているだろう。サンジが声をかけるのはそれでも、と思う性分から来るのだろう。



 

  

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