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クロース・トゥ・ジ・エッジ(8)




 翌朝。
 昨晩の綺麗な月明かりをそのまま引き継いだかのように今朝も陽光がたっぷりと降り注ぐ。朝食時はまたノービイがお客様のいる風景に朝からはしゃいでテンションが高かった。サンジも率先してアティの手伝いにキッチンへ立ち、仲良くふたりでなにやら話しながら楽しそうだった。
 そんな三人とは対照的にゾロは寝不足と不機嫌を一緒くたに絵に描いたように顔に貼り付けたようで、珍しく目の下にうっすらと隈が出来ているのはこの男にしては稀有の出来事だろう。
 サンジはひっそりと「どうしたのかしら?」と女性陣二人にささやかれるも、「?多分、枕が変わったせいだと思いますよ。あんなツラしてて意外に神経質でね」とあっさりといなして無視を決め込んだ。

 朝食後、私も途中まで一緒に行く、と大声で主張したノービイも連れだって、結局全員で家を後にする。午前中のあふれんばかりの光の中、小さな集落の人々は道行く一行に半分好奇心の目を向けつつも、先頭に立つアティに暖かく親しみを込めた笑顔で挨拶を送る。
「ほぉい。その方たちは昨日の船で着きなさったんかい」「ええ。たまたま領主代行にお目にかかれなくて、昨晩はうちに」「そりゃあえれぇこったのぅ。後で寄りんさい。ちょうどエリの実が熟れたんで持っていくといい」「うちにもおいでぇな。山羊チーズのいいとこ分けたるから」
 ほかにも「南瓜がたくさん採れて」だの「仕込んだエールが」だの、まるで呼び込み市かという具合に何かかんか理由をつけてはアティに声をかける。
(こりゃまた、確かに尊敬されてるっつーか……どっちかっていったらアイドルか人気者っていったほうが早いんじゃねぇか?)
 サンジは無害な旅人を装って村人の声に適当に会釈しつつ、アティの村での「地位」に内心驚いた。
(確かにこんだけ綺麗な未亡人だしなぁ。それでもって芯が通って気丈で、子供たちの「先生」をして、知識の頂点である「時計守」っつうんじゃ、手を出したくても怖れ多くて手がでねぇよなァ。……って、じゃあなおさら余所モンを近づけるのは警戒するんじゃねぇか?)
 ハタ、と今更その点に思い至ったサンジは、だからか、と村人がしつこく「寄っていけ」という言葉の言外の意味を悟った。
 ちょうどその時、仏頂面で朝から一言も会話を交わしていないゾロが、
「おい、油断すんなこのアホ眉毛」
 とサンジだけに聞こえるように低い声でぼそりと言った。
「わぁーってるってこのクソミドリ」
 サンジもゾロの方は見ないでまた村人に会釈を返しつつその笑顔の陰で応える。
「睨まれてんな」
「島一番のアイドルについた得体の知れない虫だもんなァ俺ら」
「だがまだ警戒されてるだけだ。胡散臭いが何モンだ、程度だな」
「しょうがねぇ。だがヤローに睨まれるのはかまわねぇが、レディに眉をひそめさせるのは胸が痛いねえ」
「……てめぇその何でも男と女で分けて考えるのをいい加減やめろ」
「だって俺のハートが勝手に反応しちまうんだもんよ。ヤロー共のガン付けにはムカっと、レディの柔らかな視線にはふわっと感じちまう」
「視線だけで感じるのか」
「ああ、素敵なレディなら正面切って見つめられたらもう天にも昇ってみせるぜ俺ァ」
「ばかくせぇ……」
「ちなみにてめぇのギラついた視線はうなじがぞわぞわする」
「欲情する、の間違いだろ」
「アホ言ってんじゃねぇ。誰がてめぇの視線なんかに欲情できるかっての。殺気だっててチリチリこっちまでとばっちりが来るってことだ剣フェチ」
「俺ぁ剣フェチじゃねぇ」
「……鍛錬フェチ?」
「だからフェチじゃねぇ」
「るせえてめぇなんか腹巻きフェチで昼寝フェチでついでに傷フェチだ。傷つけられて嬉しそうに笑ってンのなんか海がどんなに広くたっててめぇくれぇのモンだ」
「てめぇこそ、女ヒイキもたいがいにしやがれ。世の中の女は全て優しいレディなんてのは幻想だマボロシだ気の迷いだ。そりゃ人間イイヤツも悪いヤツもいるだろうが、それと性別は一切、全く、関係ネエ。俺はいつかてめぇが女に刺されておっ死んでしまっても全然驚かねぇな。それどころかきっとてめぇはその瞬間うっとりと笑ってるだろうから、その間抜けヅラ見て爆笑してやるよ」
「んだとこのグリーン野郎。俺の最期まで勝手に予想してんじゃねぇよ。そんなんだったら、てめぇはどうよ。レディというレディに怖がられて恐れられるばかりか、ヤロー共だって近寄ってくるのはてめぇを討ちとって名を挙げようって輩か、もしくは海兵だけだろうぜ。いっつだって眉間に皺よせた仏頂面で、楽しく人生を語らう相手もいやしねぇ。老いさらばえてふとてめぇの剣だけの人生を振り返ってみると、自分ひとりしか周りにいなかったっつう寂しいコトになるんだ。いや、てめぇの場合老人になるまで生きちゃあいねえな。斬ったはったの中で華々しく散るんだろ、せいぜい。うわあまりにも目に見えるようで哀しすぎるぜ。俺ァそんなてめェのために墓碑銘だけは考えてやろう。『生涯を剣に捧げ、誰をも何をも愛さず愛されず散った、およそ人類とは思えねぇほどミドリ色の哀れな男、ロロノア・ゾロ』どうだい、あまりにもぴったりすぎて嬉し泣きか。そりゃあよかったよかった」

 一を言えば、十になって返ってくる。サンジを相手に何か口論するといつもこうだ。まったくよく回る口だ。いや頭か。
 こそこそと声をひそめていたハズだったが、どうも最後の方は結構それでも声が大きくなっていたように思う。少しだけ先を行くアティの肩が僅かに震えているので、多分聞こえていたのだろう。
 ノービイは村を抜ける途中で別れた。彼女はこれから昨日の続きで潮流と太陽の観察をしてから家に戻って自習をすると言う。今日もアティの「学校」はお休みなので、子供達は堂々と一日遊んでいられる筈だが、将来を時計守に見据えたノービイにとってはそのために使う時間はいくらあっても足りないらしい。
 そう思ったので言うと、アティはこっくりと頷いた。
「ええ。時計守に必要な知識はそれは多岐にわたっていて。あの子にはすべてを伝えなくてはならないのです。ですからやはり同じ血筋の者が継ぐのが一番自然で理にかなっているのですわ。折に触れ普段の生活の中でも知識は伝えていくので、その積み重ねができるから」
「大変だな」
「血を分けた子供がいないときには、才能のある子を養子に迎えてやはり日々知識を伝授したと聞いています」
「まるで武道の伝承と同じだな」
「そうと言えるかもしれません。先代から受け継いだものをそっくり次代に引き渡す。私の代で時計守を潰(つい)えさせるわけにはいきませんもの」
「そんなにしてまで守らなくてはならないのか。あの時計塔は」
「時計塔は目に見える象徴です。おわかりと思いますが、あれが支えている島の『時』ですわ、守っていかなくてはならないのは。『時計』を持てないこの島で唯一刻む時。規則ただしい生活そのものです。食べて寝て暮らしてゆければそれでいいなんておっしゃらないで。こんな辺鄙な田舎の島でも、人は人として生活して、そして文化を持っているのですから。『時』はその生活の基盤です」
「ははァ。一本とられたなあ、根腐れハラマキ。てめぇは船の上で食って寝て鍛錬しかしてねぇから、時間なんぞ気に懸けたことはねぇだろ。八点鐘が何時かなんてことも知らねぇダロ? こちらの島の住民のみなさんより文化的生活からしたら下ってことだなァ」
 突然横合いから口を出され、ゾロはむぅと唇を引き結んで押し黙る。実際普段時間なぞ気にしたことがなかったので反論できなくて心の中でだけ悪態をついた。
 すでに慣れたのか、ふたりの喧嘩に発展しそうな雰囲気にもにこにことしながらアティは何事もなかったかのように話を続ける。
「あの子には、私のすべてを伝えなくてはならないのです」同じことを繰り返した。
「あんなにまだ小さいのに?」
「武道でしたら年齢は関係ないでしょう。同じことですわ。天文学、機械工学……そして潮汐学。まだまだ教えることはたくさんあります。それらすべて、時計守には必要な知識だから──さて着きましたよ」

 いつのまにか、昨日と同じ領主の館の前に着いていた。同じ脇の通用口をくぐり、ノッカーを叩いてしばし待つ。
 と、連絡が行っていたのか、今日は脇の窓が開いてこちらをちらと確認すると同時に、ギギイと音をたてて大きな樫の木でできた玄関扉が開かれた。
「アテナイ様。どうぞこちらへ。お連れの方もご一緒に」
 昨日ふたりを追い払った男とは違う、もう少し上背があって物腰が柔らかな中年の男が三人を迎えた。
 冷たい石の床にカツカツと男の靴音が響いて、続く三人を威嚇するかのようだ。男はこの館の執事をしていると言い、タイレルと名乗った。先頭に立って三人を案内しつつ、それでも失礼にならないように廊下の端側に寄り僅かに身体を捻って顔を後ろに向けながらタイレルは口を開く。
「昨日は大変失礼をいたしました。他の島からのお客人は、その日中に帰るのが普通ですが、そうでなければこちらの館にお泊まりいただくのが慣例になっているのですが。主があいにく不在で、わたくしも主に付き添って不在しておりましたもので。留守番のものには少々荷が勝ちすぎましたようで、失礼な対応をしてしまったようです。ご不快を感じられたら大変申し訳ございませんが、こちらの事情をお察しくださってご容赦いただければ有り難いのですが」
 ゾロとサンジはちらと視線を交わし、サンジがおもむろに口を開く。
「──いえいえ、それはこちらだってアポイントメントなしのいきなりの訪問だから、面会を断られるのもしょうがないと思ってました。訪問を受ける側の都合に合わせるのが当然ですしね。不在だったんならそれはもうしょうがないことです。別にご容赦のなんの、ってそんな肩肘張った話しではありませんよ。こうして一日遅れただけでちゃんとお会いできることを、こちらこそ感謝しこそすれ、不快に感じることはありません」

(よく言うぜ)
 やっぱりこういう交渉ごとはヤツに任せるに限る。ゾロは心の中で舌を出していた。俺ぁ、荒くれどもに恫喝したりすンのは得意だが、見た目堅気のヤツ相手に同じレベルで会話すんのぁ苦手なんだ。いいぞコック。やっぱりスーツにはスーツだな。海の上じゃあスカした気取り野郎にしか見えねぇが。相手がスーツ着てるようなトコじゃあそれなりにてめぇも堅気に見えるじゃねえか。
 と、サンジが聞いたら「俺は、『それなり』じゃあなくて頭のてっぺんから足のつま先までキマってんだって! アホなこと言うな!」と憤激しそうなことを考えていた。
 しかし当のサンジは。
(こいつ、油断ならねぇ)とこの島の季節とその時期に収穫される果物の話題をにこやかに交わしながら頭の隅で考えていた。
(昨日、こいつはこの館を留守になんかしちゃあいねぇ)
(ということは領主代行も当然この館内にいたはずだ)
(一体何をしていたかは解らねぇが)

 昨日の門番は、確かに一旦はサンジの念の入った要求を入れて領主代行にお伺いをたてたに違いない。そして戻ってきてから「領主代行は留守だ」と見え透いたウソをついたのだ。多分、あの門番は自分がどのような会話をサンジ達と交わしたかまでは詳しく報告していないのだろう。ただひたすら追い返したとだけ言っていたのでなかったのなら、こうも堂々と「昨日は留守」を押し通す筈がない。
(いやそれとも)
 俺らがそれを知っていると承知の上で敢えて押し通すのか?
 いずれにせよ。
 昨日のヤツとは違い、この男は表情も物腰も穏やかで丁寧で、そしてそれが職業上の常であるから、却って裏の感情が読みとれない。
(クセモノだな)
 それでは、こういうヤツを腹心に抱えている領主代行という人物は、一体どういう男なのか。
 あまり逡巡する時間もないままに、案内役の男は三人を重厚な扉の前へといざなった。
「ささ、こちらへ」
 そしておもむろにノックをした後でその扉を開けつつ室内へ入り、そこで部屋の奥に向かって一礼した。
「時計守アテナイ様、島外からのお客人サンジ様、ゾロ様お着きです」

 昼前の明るい光が大きな窓からさんさんと降り注ぎ、奥にしつらえた執務机に座っている人物を明るく照らしていた。
 執事の声に顔を上げたその人物はというと、年の頃は四十代半ば、髪も目も焦げ茶色で顔立ちはこれといって特徴がない───が、視線だけはさすがに領主代行をしているだけあってそれなりに落ち着いて時折鋭い輝きを放っていた。逆に言えば、その鋭い眼の力さえなければ、どこかですれ違っても気付かないような平凡な男、という印象だろうか。
 領主代行はちょうど何か書き物をしていたらしく、手からペンを置くと「おお」と一言声を上げて立ち上がりずかずかと客人たちのもとへ近寄った。
「ようこそいらっしゃいました。わが島が誇る知恵の女神よ」
 まっすぐアティの目を見つめながら、そのままそこへ跪かんばかりに、うやうやしく手をとって軽く手の甲へ唇を寄せる。
(ぬおおおっっ!?)
 驚いたのは当のアティではなくサンジだ。島を訪れたただの客人であり、アティの連れであり、なおアティに依頼されて一緒に来ているという自分たちの立場を考えなければ、すぐさま男の手からアティのそれを奪いとっていただろう。
(な、な、何しやがるんだ、麗しのアティさんに!)
 ぎゅううっと自分の手のひらを握り込む。知らず隻眼が険しいものとなって、目の前の男へと突き刺さるような視線を送っていた。
 しかし領主代行は、唇を寄せただけで手には直接触れず、すぐとアティの手を解放してにこにこと微笑んでいる。
「本当に、毎回ご苦労なことです。大潮の後はこうやって必ず誤差修正にいらっしゃる。それも毎日の細かな測定の積み重ねあってのこと。そういう重責を負う一方で次代を担う子供達の教育も行っていらっしゃる。いやまったくアテナイ殿がいなければ、この島はたちまち立ちいかなくなってしまいますな」
「そんな……代行様こそ、いきなりの領主代行業を快く引き受けられて、もともとこの島ご出身でもないのにいろいろと島のために心を砕いてくださってますわ。私ばかり持ち上げられても──」
「いやいや、私のしていることなぞ、とりあえず領主様が復帰するまでの事務代理業。せいぜい下手をうたないようにするだけで精一杯ですよ。この執事を始め、支えてくれる者がいてくれるからなんとかかんとかやっていますがね。それに比べれば貴女は──」
 まだまだいくらでも謙遜合戦が続きそうな気配だったので、サンジは半分口をあけてそっとため息を逃がした。ゾロは堂々とそっぽを向いて大あくびをしている。
 コホン、とそこへ執事がタイミング良く咳払いをして注意を惹き付けた。
「おお、そういえば」
 領主代行はようやく身体をサンジとゾロへと向ける。一拍おいて視線があとをついてゆく。身体、首、顔とほんの僅か時間差を置いて向きなおってゆき──最後まで視線がアティへ名残惜しそうに向いていた。
 その、ほんの僅か、0.03秒程度のズレがゾロとサンジの勘に引っかかった。当然見目麗しいアティの方を長く見ていたいというのはサンジなどからすればあたりまえの感覚と場合によっては共感を覚えたかもしれない。しかし、アティへ最後に送った視線はどうにもそれとは異なった種類だと、二人は瞬間的に感じた。何がどう、とまでは具体的に言葉で説明できるものではなかったが。
(なんか……ヤな感じ)
 これもまた領主代行の視線が完全に二人を捉えるまでの僅かな瞬間に表層に浮かんだ言葉だった。当然、代行が完全にこちらを向いたときには、二人とも真面目な表情でしっかりと「土壌研究家と助手」に出来るだけ見えるよう神妙なたたずまいで控えていた。



 

  

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