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クロース・トゥ・ジ・エッジ(9)




「こちらが──昨日到着なさった──?」
 視線をサンジに固定したまま、ほんの少しだけ顔の角度を変えて後ろに控えている執事に質問をする。
「サンジ様でございます。サンジ様はこの島特有の磁場について深く知りたいと、フィールドワークにいらしたのだそうです。そして後ろがゾロ様。サンジ様の助手だそうで」
 紹介を受けて、サンジはにっこりと柔らかい笑みを作った。右手を差し出し、
「サンジと申します。専門は地質学ですが、鉱物、特に磁気に関心がありまして。この島の特異な磁気が何から発せられるのか興味を持って直接調査研究に来た次第です」
 一気に言うと同じく差し出された領主代行の手を握り、軽く握手を交わす。
「それはまた珍しい。少なくとも私がこのささやかな身をこの島に捧げ始めてからは初めていらした学者様です。ようこそナイジェル島へ。領主ファダイラ様が病床に伏せっておられる間、代行を務めているディノンといいます。ここは──」
 一旦、口を切って窓から外を見やる。
「小さいけれども実り豊かで住民みな穏やかな素晴らしい土地です。代行にすぎない私がこう言うのも僭越ですが」
 ディノンと名乗った男もにっこりと笑んで、そして今度はゾロへと視線を移し、執事の耳打ちに軽くうなずくと、
「君も遠いところから同行ご苦労さま」
 とこちらは簡単に一言だけ言って、一応とばかりにゾロとも握手を交わした。かなりおざなりではあったがこれで礼儀は尽くしたと言わんばかりに、すぐにまたアティへと向く。

「同じ島にいながら久しぶりにお会いするのですから、ゆっくりお話をしたいところですが、しかし大事なお仕事の邪魔はできませんゆえ、今はお引き留めはいたしますまい。ですが終わりましたらまたこの部屋へお越しください。ゆっくりお茶でも啜りながらご報告を聞きたいです。まあ報告自体はさっさとすませて、久しぶりにくつろいだお話などもしたいものです。今日はお客人もあることですし、ぜひご一緒に…」
 言いながらアティの肩を抱くようなそぶりを見せる。しかし先ほど最初に手をとった時と同様、ほとんど直接の接触はせずに軽く誘導だけして扉を開けた。
「では後ほど」
 アティは彼に会釈して、扉の向こうへときびすを返した。

 ぱたんと扉が閉まってから、ディノンは二人をソファへといざなった。いつの間にかどこかへ消えていた執事がまた音もなくやって来て、三人の前にコーヒーカップを置いてゆく。漆黒の液体から湯気が立ちのぼってあたりがかぐわしい芳香に満ちる。
 二人は改めてこの領主代行を務めている男を観察する。髪の毛も目の色も、顔の造作も平凡を絵に描いたようなものだ。肌の色も普段館の中で執務しているのを裏付けるように日に焼けておらず、かといってなまっちろいというほどでもない。体つきはこれまた中肉中背、がっしりとしているわけでもないし、ひょろひょろ痩せ型でもない。
 だからこそ、表面から受ける印象というものがあまりないことに戸惑ってしまう。ゾロもサンジも普段があまりにも強烈な個性の人間たちに囲まれているため(また自身もまた強烈な個性を放っているのではあるが)、こういった「どこにでもいそうなオジサン」は珍しい。かといって善良木訥(ぼくとつ)な島の人間相手のように振る舞うのはNGだと、脳の奥深いところでチリチリと勘がそう告げている。
 珍しく二人が身構えるように黙っていると、ディノンがコーヒーカップをソーサーにかちんと戻してからおもむろに口を開いた。
「さて……昨日は当館へお越しいただいたにもかかわらず、当方が門前払いをしてしまったようで、誠に申し訳ない。この島には、お聞きになったと思うが宿泊施設がないので、島を訪れる客人には全て当館にて世話をさせていただくことになっているのですが……。門番が頭の古い男で、私の許可がないとダメだと思いこんでいるのですなぁ。さぞかし不安に思われたことでしょうが、これこのとおり、私から謝罪いたしますので、どうかお許しいただきたい」
 言うと、頭を膝につくくらい深く垂れた。その後頭部を見、次の瞬間二人はちらりと互いに視線を交わす。
「いえいえ、そんなどうぞ頭を上げてください。アポイントメントなしで来てしまったこちらが悪いのですから。月に一度だけの航路ができる日にはお忙しいのは当然のことですから、あらかじめ連絡を差し上げておくべきでした。そんな謝罪などされてしまったら、こちらがいたたまれなくなってしまいます」
 用心深くかつすらすらとサンジが返答する。ゾロが助手という立ち位置なのは都合がよかった。この男はもともとがこういった「適当にごまかす」ことはあまり得意ではない性分なので、会話は全て自分がひきうけるつもりだった。ゾロもまたサンジにまかせることを承知していて、黙ってコーヒーを啜っている。
「それで昨日はアティさんのお宅に……?」
「ええ、困っている様子をみかねてご親切にもお招きいただいたのです。本当にあの方は素晴らしいレディです。美しく聡明で、そして女神のごとく慈悲深い。『知恵の女神』アテナイとはぴったりのお名前だと、うかがった時に感服しましたよ」
「……そうですか。それは本当によかった」
 瞬間、ディノンの目がキラリと光ったことに気がついたが、素知らぬふりをしてサンジが続ける。
「そういえばアティさんのご夫君は行方不明のままだとか。まだいとけない娘さんの面倒を見つつ、ご主人の不在に耐えて立派に時計守と子供達の先生をなさっているなんて、なんて強いお人なんでしょう」
「ご主人は亡くなったとは言っていらっしゃらない……?」
「ええ、まだ希望は捨てていないと。原因もわからず、遺体も遺留品も何一つ出てきていませんから、どうしても死んだとは信じられないと言っていました。まだまだ若いのに、おいたわしいことです」
「そうなんです。大変残酷なことを言うようですが、まだ彼女は残りの人生、いない人を想って独りで生きていくには若すぎます。強いと言っても女性、どうしたって支え手が必要なんです。ましてや彼女はこの島の時計守という重責を担っているんですから」
「そうですね。私も昨日この島へ来て初めて、この時計守というこの島だけの職業を知りましたが──詳しく知れば知るほどこの職の責任の重要さを思い知ります。過去にも女性の時計守がいたのでしょうか?いずれにせよ、こんなに重い役職を、子供をかかえた未亡人の細い肩に背負わせているのはしのびません。私が島外の人間で、一ヶ月後にはここを去らなくてはならないのでなかったら、彼女を支える手の持ち主として立候補したいところです」
 一気に言うと、喉が渇いたふりをしてコーヒーをぐいっとあおった。そうしておいて、カップのフチからディノンの表情を観察する。
 領主代行は、今なら「普通の平凡な顔」とは言わないであろう複雑な表情をしていた。怒り、焦り、苛立ち──そして劣情。複雑に絡み合ったそれらは彼の顔を奇妙に歪ませていた。
(なるほどな)
 サンジはそれを見て納得する。
(アティさんへの態度を見てて気になっていたけど、やっぱりそうじゃん。コイツはアティさんを欲しいんだ──しかし彼女の方はそれに気付いているのか?「何かわからないけど怖い」と言っていただけだが、具体的に俺らに話すのは気が引けただけかもしんねぇし)

 その後はあたりさわりのない会話に終止した。ゾロもサンジも、アティが点検を終えてまたこの部屋に帰ってくるのを待っていたが、さすがに善良な研究者のフリをした会話が少しばかり困難になってきたところで、執事がまたディノンに耳打ちをした。
「あー…、なかなか興味深い話でしたが、そろそろ次のお客がいらしてしまったようです。レディ・アテナイの点検もまだしばらくかかるようですし、ここでお待ちになっていらしてもいいのですが、一ヶ月しかいらっしゃらないのにあまりお引き留めして貴重な時間を無駄にさせてしまうのも心苦しいです。レディは当方で責任を持ってお送りいたしますので、どうぞこの島へ来た目的の研究にかかられてはいかがでしょうか」
 にこやかに提案するフリをして、きっぱりと「帰る時間ですよ」と言い渡されて、それを押し切って居座る理由は二人には見あたらなかった。
「そうですね、こちらこそ貴重なお時間をいただいてしまってありがとうございました。それでは、また──島にいる間にまたお目にかかれることもありましょう。ゆっくりお話できればと思います」
「ええと、ちょっと待って下さい」
 辞去の挨拶を言いかけたサンジに、少し慌ててディノンが言いつのる。
「──?」
「島にいらっしゃる間は当館に滞在されるのが習わし、と言ったつもりでしたが。後ほどタイレルに案内させますので、今宵からはこちらへお泊まりいただきたい。最上等のホテル並みとはいきませんが、なに、軽い気持で過ごしていただく分には不自由はないと思います」
 ぱちん、と指を鳴らして背後の執事に合図を送る。執事は一礼して一歩進み出た。
「ただ今ゲストルームを準備させておりますので。ご心配にはおよびません、研究の邪魔にはならないように、静かな別棟に用意いたしました。六時の鐘が鳴る前にお戻りいただければ、お部屋にまっすぐご案内いたしますし、一息ついてから七時のディナーにちょうど間に合いましょう」
 今度はゾロとサンジはおおっぴらに顔を見合わせる。
「……ご親切なお申し出、大変ありがたいんですが、アティさんに一言断ってからにしておきたいんです。そりゃ、昨日はたまたまアティさんが拾ってくれたので有り難く転げこんだわけですが。でもちゃんとそのお礼も言ってないし。このまま黙って居所を移してしまったら、きっと気分を害されてしまう。薄情者ってね。かわいいノービイちゃんにそんな言葉を言われて哀しい顔されてしまったら俺た……私たちは生きていけなくなってしまいますよ」
 苦笑まじりにそう言ったサンジに、にこやかにうなづきつつ、ディノンはそれでも強く勧めた。
「それでは、明日にでもお礼を言いにゆかれたらそれでいいではないですか。ご存知のとおりに優しい親子です。本気であなたがたを薄情などと責めることはいたしませんでしょう」
「それはそうでしょうが──あいにくと荷物も置いてきておりますし、アティさんに薪割りを、ノービイちゃんには外の話を約束してしまっているので。すみません、今日のところは」
 振り払うように言い切り、ぺこりと軽く頭を下げてすぐにドアの向こうへ姿を消した。ゾロも無言で後へ続く。

 取り残された風のディノンは、しばしその場で立ちつくしていたが、チッと僅かに舌打ちをすると執事を呼んだ。
「……プランを変更するぞ」
「──如何様に?」
 ぼそぼそと、二人しかいない執務室に低い声が落ちた。



 

  

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