永遠より長く無限より短い一瞬(4)
しかしゾロはソレを家事に使用することなく、すぐに自宅内の研究室へと連れてゆき、そこで改めて自分のテストプログラムを走らせた。ついでに顔の造作もすこしばかり手を加えた。
あまりに整いすぎた顔は人間離れしていて、返って不快感を煽る。少し目を垂れ気味にして、顎の輪郭も尖らせた。なんだかそれでは足りない気がして、頬に渦巻き模様でも描くか、と思ったがそれはあんまりだと思い直して、替わりに眉尻をくるりんと巻いた。これから毎日顔を突き合わせるのだから、少しばかり笑える要素があったほうがいい。そう思った。あんな笑顔を向けられるよりは──
すべて終えて再起動したときは夜中をかなり過ぎてしまっていた。アームチェアに深く背をもたれ、ふうとひとつため息をつく。遠くのリビングで時計が三回鳴った。
「三時か…」
呟いた言葉はほとんど聞き取れないようなものだったが。ちょうど起動したばかりのロボットの耳にはしっかりと捉えられた。
「サンジ、イエス。登録いたしました。マスター、ロロノア・ゾロ」
「──!?」
何の話だ? 俺ぁ何もしてねぇぞ?
目を剥いてアームチェアから身を乗り出して「ソレ」を凝視する。
「素敵な名前をありがとうございます。サンジ、は、誠心誠意マスターにお仕えいたします」
「ソレ」は今度もまた柔らかく笑ってゾロを見ていた。眉尻がくるりとしてヘンな笑顔になっていた。
(まあいいか。どうせ名前なんてただの呼び名にすぎねぇんだし、考える手間が省けたってだけだ)
あまりに安直すぎるとは思わないでもなかったが、たかがロボットに真面目に名前を考えるのもばからしいので、無理矢理いいことにした。
そしてその日からゾロとサンジ、の奇妙な生活が始まった。
「マスター。起きて下さい。マスター」
辛抱強くサンジがゾロを起こす。どんなに前夜遅くまで研究に没頭していようとも、眠りを知らないサンジは毎朝定時にゾロのベッドサイドにやってきて、ゾロを起こそうとした。
大概、ゾロも悪いのだ。翌朝にはサンジに起されることがわかっているくせに、前夜に「起さないように」と指示を出すことを忘れてしまうからだ。ゾロがひとたび研究に向かうとその集中力はもの凄く、ほとんど身体のほうが悲鳴をあげて倒れるまで研究室に籠もる。毎晩眠さに負けてそのままベッドにダイブして気を失うように眠るのだが、研究中はサンジの存在すら忘れているため、そのまま朝を迎えてサンジに毎度同じように起こされるというわけだった。
一旦少しだけ意識が浮上すると、ようやく「もう少し寝かせておいてくれ」とサンジに「指示」が出せ、追加の睡眠を得ることができるのだが、それなら最初から起床時間を遅めにしてくれるようサンジに言っておけばいいものを、元来のんびり気質で研究以外のことには意識が回らないゾロは、結局、毎朝サンジにゆさゆさと起されるはめになっている。
それでも三日間が過ぎるころには、サンジも徐々にゾロの生活習慣を覚えてきて、三十分づつ起床時間を後ろへとずらし始めた。
「マスター、本日のご予定ですが、十時にレクタンシャル・システム社のタキザワ氏がお越しになります。そして十一時に世界汎用ロボ会議のプリ・ビデオミーティングとなっています。午後は───」
朝食の席で半分まだ寝ぼけ眼をこすりながら、ゾロはサンジが伝える今日の予定をぼうっと聞く。サンジは家事全般とあとゾロの身の回りの世話と秘書業務の三役をこなしていた。
ゾロはもうこのごろは大学の研究室勤務を辞めていて、ほとんど自宅の研究室に籠もるようになっていた。既に何もしなくても「ロロノア・プログラム」の特許料だけで一生裕福に暮らしていけるほど収入があったので、人と会うのが鬱陶しくなっていたゾロはすっぱりとその面倒ごとを捨てた。
それでもその道の権威であるゾロを世間は放っておくわけもなく、ひっきりなしにゾロを引っ張り出そうとする。いちいち折衝するのが面倒で、すべて無視していたのだが、さすがに直接自宅まで押しかけられるようになったりし始めたので、ゾロはその交通整理をサンジにやらせることにした。
やらせてみたら、さすが最新型のモデルだけあって、文句なく有能だった。ソツがない。
ゾロが「アイツは文句ばっかり言うから会いたくない。断れ」と理不尽なワガママを言っても、「残念ながらマスターは気分がすぐれず、あなた様に是非ともお会いして論議をたたかわせたいとはおっしゃっておりますものの、そのように体調が万全でない時には却ってご不快な思いをさせてしまうのではと憂慮しております。よって、本日のところはご会談を控えさせていただきたく、誠に申し訳ないのですがどうかご了承くださいませ」と、どこをどの様に捻ってこのような言い回しになるのやら、というような話術を軽々と駆使し、ゾロのスケジュールを管理するようになった。ゾロにとっては申し分ない。面倒ごとは全てサンジに委ね、自分の研究だけにさらに没頭するようになった。
サンジは秘書、家事業務をこなす一方、ゾロの研究のテスト体としての時間もあった。
そのような時は一切の来客や会議をシャットアウトし、一日中ゾロは研究室の中で横たえたサンジの頭脳相手にコードやらケーブルやら繋いで、手元のモニタと壁面一杯のスクリーンモニタを睨み、コードを打ち込み、反応を確認し、そうやって時間を忘れているのだった。
軽くまぶたを伏せたサンジはじっと押し黙ったまま、ひそりとも動かない。意識があるのかないのか、まったく見ただけではわからない状態のまま何時間も「物体」としてそこに存在し続けた。
「博士、ところでセクサロイド用のプログラムはいかがでしょう」
またグローバル・ロボット社の営業マンがやって来ていた。サンジは会話の邪魔にならないよう音をたてずにコーヒーカップを運び、そこに居ることすら気付かせないように存在感を消して背後に控える。
「ああ、あれか」
ゾロはサンジが煎れたコーヒーを啜りつつぞんざいな調子で応える。相変わらず濃さも温度もゾロの好みどおり、パーフェクトな味だった。サンジが最初の日に自己申告したとおり、味に関するゾロの好みは、日を追う毎にサンジの中に蓄積され、試行錯誤による細かな微調整が加えられた後は、毎回申し分なく同じ、ゾロにぴたりと合った味付けのものがサーブされるようになった。
「もう出来ている。ほら、これだ」
ごそごそと内ポケットから小さなメディアキューブを取り出し、テーブルに内臓されているコンピュータのスロットに落とし込んだ。ブゥン、と微かな音を立てて起動し、テーブルの上の空間に三次元モニタが投影される。そこに洪水のように数式が流れてゆくのを満足そうに眺めた。
「ええと、私にはこれを見ても何がなんだか…。ですがこのプログラムを入れると、性行為をすることができるようになるわけですね?」
「うーんと…」
ゾロはどう説明したらよいか、一瞬躊躇した。あんまりこんなことは昼間っから話し合いたいものではない。ましてや営業マン相手に事細かに説明するのはかなり気が引ける。
ちらり、と背後のサンジへ視線をやった。ばかだ、俺は。アイツはロボットだぞ。人間の形をしていると言っても人間ではないんだ。普通に会話したり食事を作ったりいろいろ有能だが、あくまでもそれは家電の延長。何を恥ずかしがることがあるんだ。しかし内心そう思いながらもゾロの口をついて出たのは、
「サンジ。ちょっと向こうの部屋へ行って、夕食の用意でもしてろ」だった。
「はい、マスター」
サンジは何の意見を言うこともなく、すぐさま背を向けて部屋を辞去した。金髪が消えてパタンとドアが閉じるのを目で追ってからゾロはまた男に向きなおる。
「ああ…もっと具体的に説明する」
ガシガシと頭を掻いてもう一度コーヒーカップに口をつけた。髪の毛もこの間サンジに散髪してもらってきちんと短く刈り込まれていた。
ねっとりとした闇の中に浮かんでいた。
そういえば最近は夢なんか見ずに過ごしていたな、と頭のどこかが妙に冴えてそんなことを思う。しかしそんな考えも、いつもの白い腕がゾロを捕まえようと蠢きながら現れるとどこかへ飛んでいき、ゾロはまた闇の中を必死になって逃げ回る。
何故追われているのか。
この白い腕は何なのか。
そんなことはわからない。ただゾロはそれに捕まったら終わりだ、と感じるのでひたすら逃げる。上下左右のない黒い中をどうやってかわからないが、腕を掻いて足を蹴って、追ってくるぼんやり浮かぶ白い指先から数センチ前を進んでゆく。
そうして毎度のこと、その指が伸びてゾロを捉えるその瞬間、もうだめだと思って夢の中で目をぎゅっとつぶると、現実世界へ戻ってベッドの上でじっとりと冷や汗をかいている。
今夜もまた、同じ様にバチッと意識が覚醒した。今まで走っていたかのように(夢の中では必死に手足全部使って走っていたが)息がハァハァと乱れ、心臓もドキドキ煩い。
(…水……)
とりあえず起きあがろうと半身を起こすが、手が震えている。足にも力がどうしても入らない。
「どうしました、マスター?」
気配を辿ってサンジが現れた。夜中なので声をできるだけ落として、明かりもつけないままそうっとゾロのベッドサイドまでやってくる。
ゾロはサンジを見上げたが、暗闇の中ではどんな表情をしているのか判らなかった。そうして表情を気にするなんてばかげたことだと自嘲の笑みを漏らす。
「マスター、何か面白いことが──? 体調が悪くないのならよいのですが」
そうか、こちらからはサンジの顔が見えなくても、サンジの高性能な眼は暗い中でも支障なく見えるのか。
(ほんっと高性能だぜ。これもセックスのためなのかねぇ?)
『それで、博士もテストなさったのでしょう? いや下種な勘ぐりじゃないんです。ただあの型はもともとソレ用に造られておりますし、博士のテスト体として提供したのですから、当然一番先に博士に使って欲しいとこれは別段下心とかではなく思ったわけでして──』
『……奥様もご他界なさって、そちらの方は不自由ではないかと──』
『いえ、別にあんな素敵な奥様と比較できるわけではありませんが、本当に純粋に『使って』いただければと──』
昼間の営業マンの言葉が、今になってぐるぐるとゾロの頭の中に浮かんでは消える。その時は眉をひそめただけで、「一体、何を言い出しやがる」と思っていただけなのに。
(──奥様が──)
(──あんな素敵な奥様が──)
ちっ。
この半年あまり、研究に没頭してようやくアレキサンドラのことは頭から追い出したつもりになっていたのに。
「なんでもねぇ。ただ、水を一杯持ってきてくれないか」
しゃがれた声が出た。
「はい、マスター。ただいま」
サンジはくるりときびすを返し、出て行こうとしてドアのところで立ち止まった。
「マスター、明かりをつけた方が…?」
サンジには見えるがゾロには見えない。水を飲むには明るくしたほうがよいだろうという判断と未だ暗いままにしているゾロの意向を秤にかけてサンジはそう尋ねたのだろう。このやりとりもまたデータとしてサンジの中に蓄積され、次の時はいちいち尋ねることなくゾロの好みとして対応するのだろう。
結局ゾロは何の返事も返さないでいたので、サンジはしばらく待ったのちに明かりをつけないまま水を用意するために去って行った。
サンジが持ってきた水はひんやりとして冷たかった。コップも見えず勘で手を伸ばしたところへサンジがそっと両手で包むようにして持たせてくれ、そのまま飲み終えるまで離すことはなかった。初めて触れたサンジの手は思っていたよりずっと暖かかった。
その後は何の夢も見ずにぐっすり眠った。