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永遠より長く無限より短い一瞬(8)

 





 ゾロがぎしぎしと痛む身体にうめき声をあげながら目を覚ますと、すでに太陽は中天にかかるころだった。うーんと手足を伸ばして強ばった身体を伸ばす。ピンと張ったシーツが気持ちいい。
 昨日の昼、キッチンで暴れてからずっと頭に霞がかかったようだったのが妙にすっきりしていた。
(あれ?)
 俺ぁ、昨日の夜───?
 ばっと身体を起こす。昨晩の記憶が一気に押し寄せた。自分の下で白くのたうつ身体。あれは──?
 はっとして自分の体を見下ろした。ナイトウェアが新しい。そっと下着をめくってみると、おとなしくなったペニスは綺麗に清められている。

 ガウンをはおって寝室を出る。まっすぐにキッチンへ向かったが、そこはとっくに綺麗に片づけられていてゾロが暴れた痕はカケラも残っていなかった。そしてサンジも。
 ゾロは慌てて家中を見て回る。リビング、客間、ダイニング、研究室、ランドリールームにバスルーム、トイレに書庫まで半ば走りながら人の、いやロボットの影を探して回った。だがサンジの姿は家中のどこにも見あたらなかった。
 まさか、そんなことはあるはずが。ロボットだぞ。勝手に出て行くわけがあるか。
 その時、リビングの窓越しにサンジが見えた。バラの繁みに向かって何やら手を動かしている。
(……は……)
 何で俺はこんなことに動揺してしまったのか。たかがロボットが目の届くところにいなかったからといって。
 しばらくゾロはサンジが立ち働く姿を見ていた。そのうちに空腹を感じたので、窓を開けて、その音に振り向いたサンジに向かって言った。
「おい、腹が減った。何か作ってくれ」
「はい、マスター」
 サンジもゾロも全くいつもどおりの声だった。

「お前、さっき何してた」
「さっきと申しますと、庭でのことでしょうか」
 ゾロはサンジが手早く調理した朝食兼昼食を食べながら尋ねた。
「ああ、そうだ」
「バラがようやく蕾をほころばせましたので、マスターのベッドサイドにでも飾ろうかと。あと、マスター、庭木をそろそろ剪定しなくてはなりません。剪定用のハサミを購入してもよろしいでしょうか」
「好きにしろ。俺ぁそんなこたあわからねぇ。庭のことは全部アイツが采配をふるってたからな。お前も好きにやってかまわねぇ」
「はい、ありがとうございます」
 ゾロが言う『アイツ』とは誰のことか、サンジは尋ねなかった。ゾロはそれに気をよくして続けた。
「庭師を呼んでやらせていたんじゃあねえのか? けど俺ぁ業者の名前なんて知らねえから、お前が適当にみつくろってくれりゃそれでいい」
「問題ありません、マスター。わざわざ業者を呼ばずとも、道具さえあればわたくしがいたします」
「庭の手入れまでできるっていうのか。そりゃすげえ」
「大したことではありません」
「ほんと何でも出来るんだな、お前って」
 口の端を僅かに歪めてゾロが言う。サンジはゆったりと答えた。
「お役に立てば幸いです」

 その日からゾロはサンジを毎晩抱いた。



 サンジは最初から、お仕着せとして黒いスーツを着ていた。執事や秘書業務もこなす(いくらセクサロイドとして造作されていたとしても、表向き昼の間はそういう仕事用に造られている)ため、何の不可思議もないが、黒いスーツの間から見える手首の白さや指のしなやかさに、最近ゾロはともするとじっと目を凝らしてしまう。
 しかし昼の間はゾロはサンジに手を出すことは決してなかった。それまでと全く変わらずに、時折今でも断り切れない講演の依頼に出かけたり、企業の研究チームに請われてアドバイスをしたりといった仕事を、ゾロは文句を言いつつもこなし、サンジはそれをサポートした。家に居るときはゾロはずっと研究室に籠もって過ごし、サンジは家事と庭仕事をして過ごしていた。今や庭木は綺麗に刈られ、バラは見事な生け垣を作り、ますます美しく咲き乱れていた。
 それが夜になると、一転してゾロはサンジを手ひどく扱う。最初の日は思いつかなかったが、すぐに口を使うこともさせるようになった。サンジを引き渡した営業マンの言ったとおり、サンジの舌は実に器用によく動いた。

 口を使うようになると、さすがにサンジの顔も視界に入ってくる。最初は見たくなくて目を閉じたりもしてみたが、じきにばからしくなってやめた。そうしてみると、セックスの最中のサンジの顔は、昼と同じどころか、これが同一人物かと(人ではないのだが)思うほどに妖艶だった。実に色っぽく眉をひそめたり、睫毛をふるわせたりするし、あろうことか涙まで浮かべたりする。
 それでも、多分真正面からサンジを見たら、目の奥に醒めた色を探してしまう。そしてひとたびそれを見つけてしまったら、ゾロはもうサンジを抱けない。ただのプログラムを相手の自慰だということを突きつけられてしまうからだ。
 意味のある言葉を発することは相変わらず禁じていた。なのでサンジが出す声はすべて鼻に抜ける喘ぎ声、喉の奥で押し殺すうめき声、強く突かれて胸から出る叫び声ばかりだった。それらはますますゾロの情動を突き動かし、欲情を揺さぶり、煽った。
 セックスが一通り終わると、ゾロはシャワーを浴びる。その間にサンジはシーツを取り替え、ベッドメイクを済ませてから、ゾロのために冷たい水を用意しておく。そうしてすべての痕跡をなくしてから、ゾロが戻るまでに自分自身の姿も消していた。何事もなかったかのように。そしてゾロはシワ一つないシーツに横たわって朝まで眠るのだった。
 サンジを抱くようになってから、夢はカケラも見なくなっていた。




 そして日々は過ぎる。
 たまにゾロはサンジを抱いたあとも、気まぐれに傍にいるように命令することもあった。
 初めてゾロがそう言った時、ゾロはベッドから離れるときに、「まだここに居ろ」とだけ言った。するとサンジはどのようにしてかわからないが、短い時間にベッドメイクを済ませ、自らもどこかで身を清めて、ゾロがシャワーから戻る前に魔法のようにいつものお仕着せのスーツ姿でベッドサイドに控えていた。
 ゾロは最初それを見たとき盛大に眉を寄せて、「何やってんだ!!」と怒鳴った。サンジが目をぱちくりしてどう応えようか逡巡している間に続けて「出てけ!」と不機嫌に言い放った。サンジはそれこそ脱兎のごとく部屋を飛び出ていった。

 翌朝、ゾロは朝食の席で初めて夜のことを話題にした。
「あのな」
「はい、マスター」
「俺が、あー……終わってから、『ここに居ろ』って言ったときは、あー何だ、スーツを着ないでベッドの中で待ってろ、ってことだ」
「つまり、まだ続きをなさりたいというわけでしょうか」
 やっぱりこういうところはロボットだよなあ、とゾロは胸の内で呟く。
「そうじゃなくてだな……、それはいい。シーツも換えてしまっていい。お前も俺の後でシャワー浴びて、つか、お前って一体どこでシャワー使ってんだ? 今まで全然気にしてなかったんだが」
「ランドリールームですが」
「ばか。それは不便だろう。いいから俺のバスルームを使え。で、そうしたら、シャツとズボンだけで戻ってこい。スーツなんか着てんじゃねぇ。そういや、お前ってナイトウェアなんか持ってんのか?」
「いいえ。必要ありませんので」
「じゃあ、新調しろ。そんでそれ着ろ。で、ベッドに戻れ。ベッドサイドでぼーっと幽霊みたいに突っ立ってんじゃねぇぞ」
「わかりました」
「そしてだな、朝になるまで何も言うな。これに関しては変えるつもりはねぇ」
「はい、マスター」
 しかしその晩、ゾロは「ここに居ろ」と言おうとして開いた口を、何も言わずそのまま閉じてバスルームへと消えた。サンジも何も言わずいつものようにベッドを整えてから退出した。
 何事もなく淡々とセックスする夜が一週間続いた後、ゾロはいつものようにベッドから降り、バスルームへ向かった。サンジはすぐさま用意しておいたシーツを取り出しててきぱきと動き出す。ゾロはそんなサンジに背を向けていたが、バスルームのドアを開けたその一瞬に、ぼそりと「まだ、ここに居ろ」と言った。サンジは条件反射で「はい」と言うために口を開けたが、何も言わないという命令が優先されてそのまま閉じ、その代わり作業のスピードを早めた。

 ゾロがバスルームから出てくると、サンジが裸のままドア前で待っていたのでぎくりとした。
「な、おま──」
 何やってんだ、と言いかけて思い直す。そういや、ここ使えって言ったのは俺だ。サンジは言葉を発しないまま、ぺこりと頭を下げてゾロを見送り、入れ違いにドアの中へ消えた。
 ゾロはベッドサイドにいつものように用意された冷水をあおりつつ、さあさあいうシャワーの音に耳を傾けていた。
 なにアイツ。すげえオカシイ。
 ゾロはなんだか愉快な気持になって、くつくつと忍び笑いを漏らしていた。
(子供みたいな顔してやがった)

 サンジが真新しいナイトウェアを着て戻ってきた。ゾロはサンジの初めて見る姿が珍しく、検分するように頭から足先まで観察した。急いで乾かしたのだろう、髪はまだ半乾きの状態でいつもより金色の度合いが強いような気がする。顔と、うなじあたりは相変わらず白いがこれも湯のせいか上気して見える。夜着の胸元から見える鎖骨のくぼみのところに、ゾロが噛んだ痕がちらりと見えた。
 じろじろ見られているからか、それともゾロがベッドに腰掛けているからか、サンジは次の行動を躊躇していた。言葉を禁じられているので、どうしましょう、と尋ねることもできない。
「いいから、ここへ来い」
 ゾロは広いベッドの真ん中あたりをぽんぽん叩いて、自分もさっさともぐり込んだ。明かりを消すとそれきりサンジのことは無視してすぐに寝息を立て始める。
 サンジはそろそろとベッドにあがり、ゾロに触れないように慎重に横たわって、朝までずっとそのままの姿勢で天井を見つめていた。




 そのようにたまにゾロがサンジを一緒のベッドに入れて寝ることを許すかと思えば、翌日は一転して酷く手荒くサンジを扱ったりもする。
 最初に抱いた夜のように、ゾロ自身が気を失うまで何度もサンジを貫く。サンジは文句一つ言わないものの、喘ぎ声よりも悲鳴に近い声を押し殺しつつゾロを受け入れるのだった。
 終始無言で進行するセックス──もうサンジはゾロがどういうときにサンジの口を要求し、どういうタイミングで尻を差し出せばいいか、すっかり覚えてしまっていたので、ゾロもほとんど言葉を発することがなかった。それでもゾロはよく気まぐれを起して、いきなり繋がったまま身体をひっくり返したり、無茶な体勢をとらせたりとサンジの予測を超えた要求をする。
 そしてどんなに無茶な要求でも、サンジは懸命に従った。そして従えば従うほど、ゾロの眉間のシワは深くなる一方だった。
 どうしてコイツはこうどこまでも従順なんだ──
 ロボットだから。プログラムだから。家電製品の延長にすぎないから、当然だろ──
 解ってるさ、解ってる──
 なら、俺は何だ。ただ八つ当たりしてるだけなのか。相手がけして逆らえないのをいいことに。
 情けない、情けない。なんて情けないんだ、俺は──
 だけど、やめられないんだ。自分を抑えることができない──

 造られたものであっても、サンジの皮膚は温かく、触っているだけで心地よかった。ゾロは母親に抱かれた記憶がない。抱きしめられて甘やかされ、ただ暖かく安心できる場所というものを知らなかった。
 結婚した妻はゾロを一人前の男として扱った。妻として愛されることが当然で、日々の暮らしの中でそれを無言のうちに要求していた。ゾロがあまりにそれに気付かなかったために、最後は言葉に出して詰め寄ることまでしたが。

 コイツは家電。コイツは家電。ただのロボット。ただの──

 サンジを揺さぶりながら頭の中で繰り返し繰り返し唱えていた。








 

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