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永遠より長く無限より短い一瞬(10)

 






「おう、調子はどうだい?」
 脳天気な調子で庭先からにこにこと声を掛けられて、サンジは驚いて振り向いた。
 来る、などという予告は今回も何一つなく、いつぞやと同じ様に茶色の陽気な目が面白がってサンジを観察している。
「これはエース様、いらっしゃいませ。今日もまた学会か何かで近くへお越しになったのですか? マスターもエース様のお顔を見れば、大変喜ぶことと存じます。どうぞ中へお入りになって……」
 普段ゾロといる時はぞんざいな口調だが、ゾロと親しいとはいえエースは客だ。サンジもきっちり仕事と同じ「外向けの顔」と切り替えて対応する。
「なあ、ゾロのヤツ、倒れたんだって?」
 途端、前を歩くサンジの背中がぴくりと強ばる。ゾロが倒れたのはまだたった数日前、一週間の安静を言い渡されて不満を全身で表わしながら、毎日サンジに宥められてなんとか形ばかりは安静を保っている。もちろん、世間とは距離を置いて生活しているため、ゾロの不調はどこにも漏れてはいない筈なのに。
「一体、どなたからお聞きになったのですか?」
 サンジの声は平坦だった。当然今は来客対応中の執事として、冷静沈着であるべき姿である。それでも少しばかり底辺に焦りの色が聞こえた気がしてエースは微かに眉をひそめた。
「どなた、ってさぁ……。知りたい?」
「それはもちろん、ロロノア博士は内外に有名な学者ですから、倒れたとなどということが明るみに出ましたらマスコミが押し寄せてくるでしょうし、あちこちの企業やら学会やらからも様子を探りにたくさんの問い合わせが来るでしょう。ですがそれはマスターにとっては負担でしかありません。マスターはとにかく今、ゆっくり安静にすることが何より大事なんです。ですから、どうかマスターとお会いになっても、情報の漏洩に関しては黙っていていただけますか。わたくしが手を回して処理いたしますから。どうか──」
「あー、んだけどなぁ……」
「何か問題が? わたくしは自分で申し上げるのは何ですがそれなりに有能だと思うのですが。構わずおっしゃってください、どうか」
「んふふ、やっぱりゾロのことに関しては必死になっちゃうわけね。なんか妬けるなぁ、って冗談はそこまでにしておいて──あのさあ、情報の漏洩なんてナイの。ゾロのヤツが俺に直接言ったの。倒れちまって、アンタに無理矢理安静にさせられて退屈だーって。もうヤツから研究を取りあげちまったら、ほんと役立たずの穀潰しでしかないでしょ? そんなへこたれてるゾロを見てからかってやるのは凄く面白いだろうな、ってそう思ってさ」
 それに前回相談を受けたことも気になるし、と内心だけで付け加える。
「……それでしたら、何の問題もございません」
 いつもの落ち着いた声で返すと、サンジはまたくるりと背を向けてエースを客間に招き入れた。
 その黒いスーツの、ピンと張った背中に目を落として、エースはまた違和感を感じたが、それがどこから来るのかについてはまるきりわからないままだった。

「よーう、ゾロ!」
「まぁた、アンタはいつもいきなりだなぁ……」
 苦笑しながらも、ゾロは酷く嬉しそうにエースを出迎えた。
「なんだ、サンジ、エースは客じゃねぇぞ。リビングでいい」「は」
「ま、いいや、動くのは面倒だ」
 どっかりと客間のソファに腰掛ける。それは確かにお客を相手にしている態度とはかけ離れていて、ふんぞり返っているという姿勢だった。
 エースは既に似たような恰好でくつろいでいた。場所などには全く頓着しない性格なので、自分が案内された部屋が例えキッチンだろうと寝室だろうとまるで意に介しなかっただろう。
「で、どうよ? 退屈してるって言うから話し相手にでもなってやろうかって来てやったけど、元気そうじゃん。俺サマ、もっとお前がへこんでるかと思って楽しみにしてたのに」
「ぬかせ。確かに退屈してたけどよ。もうコイツが安静安静、ってうるさくて。『一週間は絶対研究室に入るんじゃねぇ!! このクソアホマリモ!!』ってとんでもねぇ勢いでまくしたてるからなぁ。確かに俺もちっと無理したんだけどよ。何もそこまで律儀にやらなくてもいいんじゃねぇの? ってくらいキビシーでやんの」
 さりげなくゾロが漏らした内容に、お茶を淹れようと部屋を出かけたサンジがたまらず口を出した。
「マスター」
 一言だけで、あとは黙り込む。サンジからすれば、別にゾロは危機的状況に陥っているわけでもないし、何かをサンジに命令しているわけでもない。サンジ自身の身に危険が及んでいるわけでもない。執事としてのサンジから言えることは何もなかった。
 エースはというと、ゾロとサンジの間の微妙な空気を感じ取り、状況がわからないながらも何かが起こりそうな雰囲気に興味を抱いていた。黙って成り行きを見守る構えになっている。
 ゾロはちらりとエースを見、部屋の入り口でこちらを向いて黙ってつっ立っているサンジに言った。
「サンジ。エースは『客』じゃない。わかるな?」
 そしてそのままじっとサンジの目を見つめる。強い視線を送られて、サンジは明らかにとまどっていた。
「いいのですか、マスター」
「おう、俺がそうしたいって言ってるんだ。それに、何度言ったらわかるんだ。『マスター』はよせ」
 途端、サンジは天井を振り仰いで、肩をがっくりと落とした。全身を包む雰囲気ががらりと変わったことにエースは気付く。目を瞠ってなおも見ていると、なんとサンジは大きくため息をついた。
(ロボットが、ため息──?)
 しかしゆっくり驚く間もなく、次にサンジが口を開いて言った言葉に心底仰天した。
「ったく、珍しく言うこと聞いて寝ているかと思えば、勝手に友達を呼び込んでるし! 友人の性格くらいしっかり把握しとけこのボケ! ヴィジフォンで弱音を吐けばこの人の性格からすれば飛んでくるだろうことはわかんだろ! それにこっちがおとなしく執事の仕事しているのに、平気でばらすし! そういうつもりならつもりで、最初っから予告しろ! 俺だってなァ、いろいろ取り繕わねえとって内心ひやひやするのは心臓に悪いわこのミドリマン!」
「ってお前心臓が悪くなることってあんのか」
「あるわけねぇだろ、比喩ってヤツだ! もののたとえって言葉を知らんのか。俺の心臓は特殊仕様の柔プラスチック製だ。実際どんな扱いをされても悪くなることがねぇ丈夫な心臓がときどきうらめしいぜ」
 どう見ても、もの凄くガラが悪い。口調はもうとんでもないし、立っているその姿だってポケットに両手をつっこんで、顎を軽くあげ、目は──
(睨んでる、睨んでるよ)
 それはもう、不機嫌が服を着て立っています、という表現がふさわしい感じで。
「え、ええと──。ゾロ? サンジ? お前って、実は人間だったの? 俺ってば今まで騙されてた? これってドッキリの番組ってことは……ねぇよ、な?」
 エースはサンジを見、ゾロを見、そしてまたサンジを見てさてどっちに尋ねればいいのやら、と間に立って質問の答えを待った。
 ふう、とサンジは肩を落としてもうひとつ大仰にため息をつくと、低い声で言った。
「てめェが説明しろよ、このクソマスター」
「ゾロ、って呼べって言ってるだろうが!」
「……俺ァ茶の支度をしてくる。マ……ゾロ……。俺がいちゃあ説明しにくいだろう」
 肩を落としたまま、半分うなだれるようにして客間から去ったサンジの後ろ姿を、ドアが閉まってからもエースはまだ信じられないといった目で追った。
「ゾロッッ! これぁ一体どういうことだ!」
「見たまんまだ」
「見たまんまって──! サンジは! アレは! ──ロボットなんだろう? 少なくとも前回ココへ来たときはそうだったよな? それとも前回からああだったのを、隠してたのか? まさか人間のそっくりさんなんてこたあねえよな? 俺だって一回キリしか会ってねぇっていったって、別人かどうかくらい見分けつくし。 だけど、アレは──アレは──」
 そこでエースはゴクリ、と言葉を飲み込んだ。一拍おいて言葉を探す。
「一瞬間で全く別人に化けやがった」
 エースはゾロを見つめ、よろよろとソファに身を沈める。
「なあ……。『アレ』は一体何なんだ?」
「サンジだ。お前が前に会ったのと同じ、アンドロイド(男性型ロボット)だ」
「じゃあ、あの態度、あの口調は一体何なんだ。そりゃ一応マスターって言っていたみたいだが──。どう考えてもロボットのそれじゃあねぇよ。第二原則はどうしたんだ? 三原則をいじることは不可能だってお前、前に言っていたと思うんだが」
 ゾロは苦笑いすると、ソファから身を乗り出してエースに正対した。
「ああ、三原則には手を入れちゃいねぇ。つかできねぇ。それについてはアンタの言うとおりさ。俺はただ、サンジに『感情プログラム』を施したのさ。口調とか態度はガラが悪くて気の強い男って設定だ。言葉遣いに気を取られて驚いたようだが、実際にはサンジは別に命令をきかないわけじゃあない。乱暴な物言いをして、反抗的に見えるが、俺の言うことはちゃんとこなすぜ? まあ文句を言いながらだけどな。まあ、おとなしくて正論ばっかり言う執事とかメイドなんかより、よっぽど変化があって面白いぜ」
「だけど、お前……」
 エースは言葉に詰まった。ただ口調と態度、って言ったってなぁ? 第二原則ギリギリだろう、あそこまでマスターに対して罵詈雑言平気で浴びせられるのは。それに、ただ標準語をスラングに書き換えさせただけでは済まない。ほんの少ししか聞かなかったが、ゾロに文句を言ったりジョークらしきものも言ったりしてなかったか? 身体全体で落胆や怒りを表わしたり、瞬間に見せたサンジの表情の僅かな揺らぎまでも、それを全部ゾロが『組んだ』というのか? 一体どれくらい複雑なプログラミングだそれは。
 もう一度、エースはゴクリと喉を鳴らした。
「お前って本当に天才だな」

 そこへタイミングよくサンジがティーセットを載せたワゴンを押しながら戻ってきた。
「で、話しはすんだかよ?」
 ちらりとゾロを一瞥してからてきぱきとテーブルにティーカップを並べ、ポットから注ぐ。金茶色の液体が真っ白い磁器のポットからこぽこぽと流れ、豊かな香りが辺りに漂った。
「どうぞ」
 そこはもともとの執事の姿勢を崩さず、エースの前にソーサーを置いて完璧に給仕をしてのけた。
「砂糖は五つ、だったよな」口調は違えど、一度聞いた好みは忘れない。
「じゃ、俺はこれで」
 そっけなく背を返したところ、エースががっちりとサンジの腕をとる。
「───?」
「あ、や、」
 エースは何をしたかったのかよく自分でもわからなかったが、とにかく目の前のこの奇跡をもっと確かめたかった。
「ゾロと俺のふたりきりで放っておかないでさ、アンタもここにいてよ」
「はぁ? この苔頭から聞いたろう? 俺ぁロボットだぜ。こんな規格外のが傍にいちゃあ気持悪りぃだろうが。久しぶりにマ……ゾロと会ったんだから、ゆっくり相手してやってくれよ」
 ぶんぶんぶん、とエースは首を振る。
「全然! 気持悪いなんてとんでもないさ。アンタ面白えよ。ゾロなんて話し相手にはすげぇつまんねぇヤツなんだってば、ホントは。一緒に暮らしてるならわかんだろ? 滅多に口を開かねぇし、開いたときは「酒」とか「メシ」とかの単語か、あとはひたすら研究の専門用語ばっか。おりゃ、大学時代にコイツと周りの部員たちをどうやって馴染ませるか、影ながら苦労してたんだぜえ」
「おい」
 黙ってやりとりを見ていたゾロがそこで口を挟む。
「てめぇは黙ってろって。俺はサンちゃんとお話してんの。な、いいからそこ座れよ。ん? アンタの分の紅茶は?」
「俺はいらねぇ。……だから飲み食いは不要なんだって」
 小さく付け加えられた言葉はエースの耳に少し哀しい響きに聞こえた。黙ってゾロを見、眉をくいと上げて問いかける。
「基本的にはな。だけどつきあい程度の飲食はできるぞ」
「──……だってさ。じゃあつきあってよ。もう一客カップ持ってきて、ここ座ってよ。あ、でも本当にサンジがイヤなら、無理強いはしないけど」
(強く言ったら、命令になっちまうもんな)
 だてに心理学の博士号はとっていない。言葉遣いはざっくばらんでありながら慎重だった。
「別にイヤってこたねぇが。───いいのか?」
 半分はエースに、半分はゾロに問いかける。
 ゾロは大きく頷いた。







 

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