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永遠より長く無限より短い一瞬(11)

 






「あいたたた……」
 ガンガンする頭を抱えて、エースはむくりと起きあがった。昨日は結局ティータイムからそのまま宴会へとシフトし、しゃべって笑って怒って時折足や手が出たり、またひとしきり笑ってそりゃあもう大変な騒ぎだった。
 サンジは酒のつまみと称して、ひょいひょいといろいろな料理をテーブルに並べた。それを片端から空にして、なおかつ酒もぐいぐい煽って、最高に楽しかった。ゾロはサンジに「病み上がりだってのにそんなに飲むんじゃねぇ!」と何度も怒鳴られていたようだったが(ついでに足で蹴られていたのを見たときは最初また驚いたが、何度も見るにつれ結局何でもないことがわかって気にならなくなった)、エースは「いいぞう。やれやれー」と無責任にはやし立てていた。
 もうサンジがロボットだなんてことは全く気にならなかった。というか意識にもあがらなかった。酒は飲むし、怒鳴るし、ゾロがいかに普段研究に没頭しているときは他のことを顧みない役立たずかと延々とエースに訴えるし、まるで普通の同居人としか思えなくなってきた。
 昨夜のことを反芻しながら半身を起こし、ようやく周囲に意識を向けると、ゲストルームだろう、こじんまりとした部屋のベッドに寝かされていることがわかった。自分では全く意識がなかったのにどうやってこんなところで寝ていたのか疑問符を飛ばしながらベッドから抜け出してよたよたと部屋を出て行くと、既に太陽は中天高く上がり、かなりの時間を寝て過ごしてしまったことに気付く。
(水……)
 とりあえずキッチンへ行けば何か口にするものがあるだろう、とあたりをつけて歩き回る。とそこへ黒い影が視界に入った。
「お、起きたか? 昨日は随分飲んでたからなぁ。水、飲むだろ?」
 シミ一つない黒いスーツを昨日と変わりない様子で身にまとい、サンジは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してグラスに注ぎ、エースへと手渡した。
「アンタさあ……全然ヘーキなの?」
 愚問だ、と思いながらもつい口を突いて言葉が出てしまう。ナンカ不公平だ。しんどい思いをしてるのが俺だけなんて。
 キンと冷やされたミネラルウォーターは、するすると喉をとおって身体の細胞の隅々まで染み通るような気がして心地よい。
「何が? 平気に決まってんじゃん。俺アルコールなんていくら口にしても酔っぱらうことなんかねぇし。つか、酔えねえし。その前に酒の味もわかんねえんだけどな」
「え、味……ってわかんねぇの? お前?」
 だって、あんな美味いモンたくさん並べてたじゃん。
「おう。俺の舌にはそんな機能ついてねえんだよ。飲み食いだってできねぇこたあねえんだが、所詮必要なときのためだけに使えるってだけで。身体の中に入れたら、後で出してる──っと、ソコまで言わないほうがよかったか。気持いいモンじゃねぇからな」
 エースは何と返したらよいかわからず、グラスを握りしめたまま固まってしまった。
「ん? 何か気にしてる? 悪ぃ悪ぃ。ここに居るのがゾロだけなんでよ、普通の人間の反応なんてわからなかった。何も気にするこたねぇぜ。別に俺がロボットだってことを忘れなきゃいい」
 そして背中越しに話していたのをくるりと身体を反転させて、エースを正面から見て言った。
「こんな口の利き方してっから、ついつい誤解しちまうだろうけどな。俺ぁアンタらとは違うんだ。おんなじつもりになってていつか違うってことに気がついてがっかりするよか、最初っから判ってたほうがいい。昨夜は俺、いろいろ合わせてたし、マズかったかと思ってたトコだから、やっぱちゃんと言っとくけど」
 エースは目を彷徨わせながらようやく言葉を絞り出した。
「──ゾロは、だって───」
 まるきり対等にやりあってたじゃん。ののしりあって、文句言って、笑いあって、怒鳴り合って。
 サンジはまた作業に戻るふりをしながらエースにくるりと背を向けた。
「あのクソマスターはもちろん解ってるさ。だって俺にプログラム仕込んだ張本人だぜ? 解っててその上で楽しんでるんだ。疑似友人ゴッコをさ」
「…だからさ、アンタもこの家に滞在してる間はさ、ヤツにつきあってやってくんねぇ? だけど、ちゃんとそれはつきあいだってことを自覚してて欲しいんだよね。でないと互いに困ったことになるんじゃねえかと思うんだ」
 アンタとマスターがさ、と小さく付け加えられた。

 口調は乱暴だが、やっぱりサンジはロボットだ。それもかなり優秀な。
 エースは痛む頭を抱えながら、それでもはっきりとその事実を痛感した。さりげなく漏らした言葉は全て計算されたもので、エースを守り、ゾロを守ろうと配慮されている。
 しかしそれは───
 優秀なロボットであることは、とても思いやり深くて優しい人間と酷似している───
 こんなロボットが存在してもいいのか。
 ゾロよ、お前はなんという危険なモノを作り出した。ロボットが外観、口調、その他モロモロで人間とは異なる『モノ』であると、はっきりと使用する人間にも判るのであれば、『ソレ』がどんなに優秀で人間に優しくあろうとも問題はないだろう。しかし見た目すらここまで人間と酷似していては、引きずられ、その優しさに溺れてしまいかねない。
 サンジは自分がそういった危険をはらんでいるということすら自覚していて、エースに一線を引いて離れるよう仕向けているのだ。
 なんてヤツだ。
 ぞくり、と背筋に何かが這いあがる感触に声を失う。そんなエースの様子を知っているのかいないのか、サンジがのんびり声を掛ける。
「ほら、出来たぞ。そっち座って食えよ。二日酔いに優しいリゾットだ」
 ダイニングに座ったエースの前に、コトリと深皿が置かれる。ふわあっと鼻腔をくすぐる匂いに、頭痛がやわらいで、ムカムカしていた胃ですらすっと落ち着いてしまったのが不思議だった。





 エースは高々度プレーンの小さな窓から真っ暗な宇宙空間を見ていた。黒く果てしない空間を見据えながら、考えるのは後にしてきた奇妙なふたりの関係のことだ。
 あれからゾロが起きだして、またひとしきりサンジに小言を言われながらも和やかに残りの午後を過ごした。
 帰り際、サンジが席を外しているのを狙ってゾロに、
「お前、一体サンジをどうするつもりだ」と聞いてみた。ゾロは笑って答えなかった───。

 広い広い宇宙(そら)の下、ちっぽけな人間がぎゅうぎゅうと暮らしているこの世界で、人間だのロボットだの考えるのももうどうだっていいような気がする。
 もう人類は地球だけで暮らしているのではない。月(ルナ)航路は少し前から定期的に開かれるようになっており、次は火星、次は木星の衛星カリストと次々太陽系を開拓している。探査船はかなり以前から太陽系の外へと送り出され、いつの日か我々は別の恒星系へと植民するようになるだろう。その時は人類はロボットという有能で信頼のおけるパートナーが絶対に必要不可欠だ。

 ただ、今ではない───

(ゾロ、お前、そこまで人間らしくしたロボットと暮らしていて、マズイことにならないか? というか、こんなロボットが存在するって世間に知れたら、とんでもねぇ騒ぎになること請け合いだ───)
 もともと見かけだけで人間と見分けがつかないロボットが作り出された段階で、ひと騒動あったのだ。サンジはその第一波のモデルだった。
 エースは人間と見かけはそっくりなロボットが開発されたというニュースに最初は眉をひそめたクチだ。人間とロボットはその間に明確な区切り線があったほうがいい。さもないと、普通にしていてすら優秀なロボットに、人間が不要なコンプレックスを抱きかねない。心理学者として、人間がその意志や闘志や、物事を進めてゆく上で必要な進取の気性を挫けてしまっては、それこそ種としての衰退に繋がってしまうと想像できた。もちろん潜在するコンプレックスを払拭するためのロボット三原則であるのは充分理解して、それが社会に浸透していくことでようやくロボットを受け入れられるようになったことも了解していた。
 三原則は人間がロボットに対して優位に立てる唯一の、そして決して折れない礎なのだ。
 しかし人類はようやく受け入れ慣れてきただけで、まだ自分より優秀な種の台頭に寛容にはなれないだろう。それが人類を決して傷つけず守り庇護する立場を貫こうとしても。
 エースは、その萌芽をサンジに見た。主人であるゾロに優しく、友人として保護者として仕事上のアシスタントとして主人の望むとおりに振る舞うロボット。
 今人間社会のいたるところで見受けられる通常のロボットらしいロボットとは明らかに異なるそれ。
(だけどなぁ)
 軽くためいきをついて座席に深くもたれかかる。
(あそこまで面白いと手放せるもんでもないし。ゾロはその生い立ちに陰惨な影があるうえ、最近では奥さんに事故で先立たれ、その奥さんは他の男の子を身ごもっていたっつー、暗さで言ったらそれこそドツボ真っ暗の状態だったのに、あそこまで回復したのがアイツの存在に拠るのだったら……)
 ゾロがあんなに開けっぴろげの顔で笑うのを見たのは何年ぶりのことだろう。それに釣られて自分も学生時代に戻ったような気分で多いに飲み、しゃべり、腹の底から笑った。何の屈託もなくただ楽しかった。
 エースは、前に訪れたときに相談された夢の話を忘れてはいなかったが、ゾロの様子を見ている限り、わざわざほじくり返すまでもないとそっとしておくことにしたのだった。
 おそらくエースが去ってから何らかの方法で解決したのだろう。もしそうでなくても、忙しさや、時の経過で苦しみを忘れ去ることができたのなら、それに越したことはない。苦しいだけの過去をわざわざ掘り起こして再度傷つく必要はないのだから。
 例え傍にいるのが人間(ヒト)でなくても、ゾロが笑ってすごしていられるのならそれでいいじゃないか、と自分を納得させた。
(そうそう、アニマルセラピーってのもあるんだし。ロボットセラピーがあったっていいじゃん)
 心理学者とはとうてい言えないようないい加減な結論を出して、ようやくエースは背もたれに頭をあずけて瞼を閉じた。





「マスター」
「…………」
「マ……ゾロ」
「おう」
「よかったのかよ? あの人に……バラしちまって」
「…いいんだ。俺はこういうお前を誰にも見せるつもりはないし、お前のプログラムを公表するつもりもないけどな。アイツだけは判ってくれると思ったから」
 何を?
 とは言葉にせずにサンジはつい、と視線をはずした。サンジが黙ってしまったのでゾロもそれ以上言うわけにいかず、カラカラと手の中のグラスを弄ぶ。
 エースはおそらくサンジの持つ危険性を正しく察知したはずだ。その上で何も言わず、最後まで和やかな表情を崩さなかった。ありがたい。

 ゾロがサンジの身体を貪り始めた頃──それによって無理矢理自分の過去(トラウマ)をねじ伏せたのだが──主人に従順に尽くし、その包容力と優しさに自分が溺れてしまうという危険性をゾロは察知して、反抗的で喧嘩腰な性格に見えるようなプログラムをサンジに詰め込み始めた。
 その結果、当初苛々させられたロボット特有の従順さはなりを潜め、いわゆる「人間らしさ」を身にまとうようになった。多分何も予備知識を与えずに今のサンジと会話をさせたら、十人中十人がサンジをロボットだとは思わないだろう。
 しかし。
 時折『サンジ』という単体に惹かれつつある自分を感じることがある。いくら反抗的に見えても、三原則から外れているわけではないため、最後の最後にはゾロの命令に従うし、それが全て人間らしい態度で行われたら、情を移さないほうがどうかしているというものだ。
 ただ、これを単なる「情」だけに留めておきさえすれば、特に問題は無いはずだろう。犬猫や熱帯魚やサボテンにすら人間は情を掛ける生き物であるし。
 目の前にいるのが人間ではないと、単にプログラミングによって人間の様に振る舞っているだけだと何度自分に言い聞かせたことだろう。自分が生み出した疑似人間に執着するなどとはばからしい。
 それは自分の側の問題。サンジはただ、自分がプログラミングした通りに存在し、振る舞っているだけ。
 その事実をきちんと理解さえしていれば、この陽だまりのような生活は実に居心地がよかった。サンジが時折自分に向けるさりげない気遣いはけして押しつけがましくなく、精神を癒し、そしてサンジが支える規則的な生活は張り合いと充実感をもたらした。
 別れ際、エースは、サンジをどうするつもりだと聞いてきた。ゾロは答えられなかった。もしその問いがゾロはどうするつもりだと聞いたのならば、ただ「どうもしない」と答えられたものを。

「いいから、来いよ」
 ゾロはサンジの手首を掴んで引き寄せた。むぅ、とサンジは口を尖らせてそっぽを向く。
「ヤんのかよ」
「たりめーだ。何日ご無沙汰してると思ってる」
「…まだ安静にしてなきゃダメだって」
「もう治った。昨日だってエースとあんだけ酒飲んでたの、見てたくせに」
 サンジの目が恥じらうように泳ぐ。いやこれも俺がそう仕向けたせいだ。ゾロは自分の葛藤を見せまいと、握っているサンジの手首をぐいと引っ張るとベッドに身体ごと放りだして覆い被さった。

 セックスの時ですら、サンジは変わった。伝達系を最適化し、感度をギリギリまで上げたにもかかわらず、声を上げることを我慢するようになった。意味のある言葉は今でも口にしないが、うめき声、喘ぎ声はいくらでも出していいと言っているのに。
 こんなところでも反抗的で嫌がるそぶりを崩さないのか──
 それでも与えられる刺激には顕著に反応し、ゾロが触るだけでびくびくと白い身体をのたうたせる。主人の望むように、と身体の反応は返しながらも何故だか声は押し殺す。まあ、声は特段なくてもそれほど差はないだろうし、と情欲に頭が沸騰しそうになる片隅で思う。あればあったでそそられるというオプションみたいなものだと無理矢理納得しつつも、これはバグなのか、それとも感度を上げたことに起因するものなのかと微かに疑問に思った。
(今度検証してみるか)
 しかしその思考はサンジの内部がぐねぐねと微妙に蠕動し、その部分に取り込んでいるゾロのペニスを例えようのない力加減で刺激したことにより、あっという間に意識から消え去った。
 たまらなく気持いい。
 最初サンジを抱いたときは、まるきり違う意味合いだったし、まったくあの夢を見ることもなくなった今になって、まさかこれほど自分がのめり込むことになろうとは思わなかった。
 ロボットといえど、セクサロイドであるサンジは射精もする。もちろん精液はフェイクだが、女性を相手にすることも前提にそこまで造り込まれているのかと初めてサンジが射精したのを見たときは感心しさえした。肌の色より少し濃い目のペニスは滑らかで形がよく、綺麗なカーブを描いて反り返って、ゾロが揺する動きに合わせてゆらゆらと宙に揺れている。ゾロはサンジを気持ちよくさせているつもりはないが、どこをいじってもきちんと反応を返すのが面白くて、サンジのペニスも軽く握って、ただそこから生じる反応を楽しんだ。前を弄ると連鎖して内側も締まるのがとても具合がいい。
「う………」
 お。少し声が漏れた。
 面白ぇ、ならココはどうだ、と手の置き場をいろいろ変えてみたり、挿入の角度を変えてみたり、緩急をつけてみたりと散々に変化をつけてみる。そのたびになめらかな皮膚の下で筋肉が震え、背中が弓なりに反り返りシーツの上をすこしづつズレて動いた。
 下半身を夢中になって弄りながらふと視線を上げて見るとサンジは首をがくがくと振っている。ぱさぱさと髪が顔を覆って表情を隠している上、自分の指の関節を口に入れて声を堪えていた。
(なんだよチクショウ)
 胸の奥がちりり、とした。ぐいとサンジの手を左右とも掴まえてシーツの上に縫い止める。正面から見下ろす形になってサンジの顔を真っ直ぐに見た。サンジはいきなり顔を晒されてびっくりしたように目を見ひらいている。指を噛んでいた唇がてらてらと赤く光っていた。
 ゾロはゆっくりとその唇に自分のそれを重ねていった。

 いつかコイツに。 
 自分は知らない「愛情」をプログラミングできるだろうか。
 
 自分を殺しかけた母親と、他の男の子を宿しながら自分を罵って死んでいった妻。
 俺は人を愛することができない。愛情なんてモノは理解の範疇にない。それでも「手に入らないもの」をいつか手に入れることができるだろうか。

 何度も身体を重ねながら、唇を重ねるのは初めてだった。激しくサンジの身体に楔を穿ちながら、その唇にはおずおずと遠慮がちに触れるに留めたのだった。






 

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