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永遠より長く無限より短い一瞬(16)







 ゾロは素直にエースの助言を受け入れることにし、またゆっくりと独りの生活に慣れようとした。サンジの乗ったシャトルの行き先を突きとめることもやめた。突きとめたところで、何が出来るというのか。追いかけることすらも出来はしないのに。
 まだ身体が完全に回復していないのと、やはり家事全般とりしきっていたサンジが居ないのはどうにも生活をしていくうえで不便なので、ゾロは気が重いながらも、家事ロボットを購入する決意をした。
 ただし、もうサンジのように人間そっくりなタイプは最初から避けて、いかにもロボットという容姿の旧型モデルにすることにした。家事──食事とあと掃除や洗濯、家のメンテナンス程度ができればそれでいい。多くは望まない。

 やってきたロボットはどっしりとして、卵型を縦に長く伸ばして太い部分で横にすっぱりと斬ったような形をしていた。ボディは銀色に鈍く光り、頭部についたカメラアイはレンズがそのままキラリと灯りを反射した。
「初めまして、マスター」
 声も単調で、味気のない、甲高いものだった。
 ゾロは家の中をざっと説明し、自分の生活上の時間や大雑把な食事の好みなどを話して、「とりあえず食事を頼む。その後はおいおい……じゃあ任せた」と言って自分の研究に戻った。
 ソレが作った食事は、確かに美味しいものではあったが、画一的なレストランの様な味だった。ゾロは黙々と口に運びながら、サンジが最初の頃に作っていたのはそういやこんな味だったと思い出す。
(最近じゃあそんなこたほとんど思い出しもしなかったが)
 アイツは時間をかけて俺の好みを少しずつ憶え、それを繰り返しては積み重ねて、俺が初めて食うモノでも美味いと思えるように完璧な食事を毎回出していたんだ。
 しかし目の前のコレにそれを求めるのは無理だろう。自分が慣れるしかない。

 こういった小さなひとつひとつの出来事が、ゾロにサンジの不在を強く感じさせて、その度に小さく胸に痛みが走る。昼間も夜も、できるだけ新しい家事ロボットを視界に入れないよう、できるだけ研究室に籠もった。
 しかし、ある晩、珍しくもそのロボットの方からゾロに話しかけてきた。

「マスター、実は今日、前任者のバックアップデータを発見したのですが」
 ゾロは食事をしていた手をぴたりと止め、ソレの顔──レンズが嵌っている部分──を凝視した。
「今、なんと言った?」
「ハイ、前任者のバックアップデータを発見したと、」
 言いました、という部分はゾロの大声で遮られた。
「どこに!」
「キッチンの端末にアクセスしたところ、そこの中に」
 ゾロはダイニングルームのテーブルを離れて、キッチンのその端末の前へかがみ込んだ。そういえば思い出した。サンジがレシピをまとめるのにデータ保管領域が欲しいと言っていたので、自分の研究室のコンピュータの一部分をサンジが使用できるよう割り当てたことがあった。そしてサンジがキッチンの端末からアクセスできるようにしたのだった。
「で? お前はこの中にバックアップデータを発見して、それがどうした?」
「ハイ、私は前任者の残したデータがあればそれがそのまま経験値としてすぐにマスターの生活全般にわたってお役に立つことができると判断しました。それで早速中身をざっとスキャニングしてから取り込もうとしたのですが、何かあちこちに微かにノイズが見られましたので、取り込まずにまずマスターにご相談したほうがいいと思ったのです」
 それを聞いてゾロは大きく眉をしかめた。ノイズだと? サンジの様な超ハイテク技術のカタマリがノイズなんてシロモノを吐き出す筈がない。
 しかしそれをこのロボットの前で言ってもしょうがない。もちろんコイツがウソをつくはずもないし、つけるほど高級でもない。
「わかった。コレは俺が調べておく。それが済むまでこのデータにはアクセスするな。もしかしたらお前が取り込んだらヤバくなるかもしれねぇしな。前任者とお前とはかなり規格が違うから」
「わかりました、マスター」
 素直に答えて、何事もなかったようにまた給仕に戻った。ゾロはしゃがみこんでサンジの端末をじっくりと見た。これはサンジがゾロの幼児期のトラウマの原因を暴いた端末だった。正確にはその時ゾロが大暴れしてキッチンを半壊させたので、目の前のこれは二代目だったが。
 今でも容易にあの時の昏い怒りを思い出すことができる。しかしそれをすると必ずすぐにサンジの白い腕と姿態の記憶がゾロを優しく包んで怒りを別のものにすり替えてしまうのだ。ゾロはぶるっと頭を振って端末の前から離れた。

 その夜。研究室でゾロは自分の研究用端末からサンジの残していったバックアップデータにアクセスした。ここからならかなり微細な箇所まで検証できる。サンジが残したレシピ集。それは物を所有しないロボットが遺した唯一の私物とも言えるだろう。これはサンジが手間と時間をかけて積み上げていった貴重な「サンジの」経験だ。もちろん、サンジがここに居たら「何バカげたこと言ってやがる! てめェのために培ったデータなんだ、てめェのために使うのがスジってモンだろ! 変な感傷なんか捨てて、とっととてめェの好きな食いモン食うためにアイツに渡せ!」と言うだろう。ゾロにはそう言うサンジの声さえ聞こえる気がした。だがしかし、(お前の努力だもんな。俺の感覚からすると、お前の研究成果だ。それを脇から奪い取るような真似はできねぇよ)と、他人の机を盗み見るような罪悪感でなかなか手が動こうとしない。

 ──俺のことなんか気に掛けるなよ──
 ──お前のことを優先するのは本能のようなモンだ。しょうがねぇよ──

 サンジの最後の声が耳に甦る。
 また、少し前に会ったエースの言葉も。

 ──てめェは生きていくしかねぇんだ──

 前に進まねばならない。サンジのことは忘れて、新しいロボットにデータを預け、サンジの創り上げた味をまた口にして、生きてゆかねば。
 今は独りきりで寂しさに身を切られるようでも、またいつか新しい出会いがあるかもしれない。そして新しい研究に夢中になり、新しい目標に向かうことができるようになるだろう。今度は感情プログラムとはかけ離れたものにしよう。
 長い葛藤の後、ようやくゾロはゆるゆると手を持ち上げて端末を叩く。もうすっかり腹をくくったのか、しっかりとした指使いでサンジのデータへのゲートを辿る。中は予想どおりびっしり細かいレシピデータで埋め尽くされていた。
(そういや、ノイズがどうとか、って言ってたな)
 別の領域で素早く抽出・検査ツールを組み上げ、バックグラウンドでデータ全域を走らせた。確かにかなり微細なモノ、サンジが丹念に記録した堅牢なデータとは関連のないモノが全領域にわたって散逸している。ノイズ? 確かにそう表現するのが一番近い感触だ。ゾロは更に検査ツールに手を加え、抽出したら散らばっているソレを圧縮して知覚できる形にするようプログラミングした。
 それを走らせている間、サンジのデータそのものを斜めに眺めて見る。年代順にきちんと振り分けられ、また細かく調理法や食材によっても分類されている。ゾロが好きだと言ったもの、美味いと言ったものはさらに別のフラグが立てられているのを見て、また胸がちくりとした。

 ぼうっと眺めていると、隅のまた片隅に、古い動画ファイルがあるのを見つけた。こんなところに動画? と不思議に思い開けてみると、いきなりモニタいっぱいに胴着に袴姿で面をはずそうともがいている少年が映し出された。
 背景はどこかの体育館で、ちょうど試合が終わったところらしく、もがくように面をはずして振り返ったその面差しは──
「…俺、だ……」
 モニタの中の自分は、ちょうど少年期から青年期への入り口にさしかかったあたりで、ふっくらしていた頬が若木のような張りを帯び、運動した直後の熱を帯びてきらきらした眼差しがキツく前方を睨んでいる。試合内容に不満があったのか、未熟な己の腕にふがいなさを感じたのか、すこし不機嫌そうな表情をしていた。その時カメラの背後に何か意外なものを見たらしく、キツイ眼差しがまんまるに見ひらかれ、きょとんとしたかと思うと、その一瞬後に大きく顔中を崩して笑ったのである。
 そしてそこで、動画は終わって停止していた。
 いつ頃だろう? 多分ジュニア=ハイあたりか───研究室のメインモニタに大きく映った昔の自分と対面して、ゾロは胸が締め付けられるような痛みを感じた。
 こんなところにこんなものを隠してやがって。
 その時、バックグラウンドで走らせていた検査ツールが、小さくツツーと終了音を鳴らし、謎のノイズを解析したことを告げた。そのまま解析結果を音声で出力する。


 
 ((…ゾロ…))


 ((…ゾロ…))


 ((…ゾロ…))


 ((…ゾロ…))


 ((…ゾロ…))


 ((…ゾロ…))


 ((…ゾロ…))


 ((…ゾロ…))


 ((…ゾロ…))



 ため息のように、そうっと何度も繰り返される自分の名前───。
 若くしなやかな肢体に、ガキのように全開で笑う自分の顔を背景に、いつまでもやまない声──。



「……ッカヤロウ、ンなトコで名前呼んでんじゃねぇよ……」

 そんな愛おしそうな響きで。





 

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