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永遠より長く無限より短い一瞬(17)






「ニコ・オルビア?」
「ええ、そうよ。ようやくココを突きとめることができたわ。初めまして、ロロノア・ゾロ博士」
「アポなしでいきなり来て、一体何の用だ?」
「ご挨拶ね。そりゃあいきなり来た、ってのは申し訳なく思っているけれど。これでも何度もヴィジフォンを入れたのよ? だけど貴方、いっつも居留守を使っているじゃないの。この調子ならメッセージを入れても聞いてもいないんでしょう。まあ、とにかく私の話は貴方にとって必ず興味が持てるはずよ。ね、いいかしら? 中へ入れていただいても」
 ゾロはち、と聞こえない程度に舌打ちをして身体を捻り、どうぞという風に手を家の中へ向けて振った。

「へえ、なかなか綺麗に片づいているのね。独り暮らしって聞いていたからもっと汚いかと思っていたけど」
「家事ロボットがいるからな。ソイツが掃除してる」
「サンジ、の後にロボットをまた使っているのね」
 サンジという名前をいきなり初対面の女性が言ったことに、ゾロはぴくりと反応し、いぶかしげな目でこの胡散臭い来訪者を見た。
「別に私はそのことで貴方を責めるつもりはないわよ。ちょっと意外に思っただけ……ところで、私がわざわざこんな所まで来た目的はね、そのサンジに関することなの。多分貴方がすごく欲しい情報だと思うわ」
「……サンジはもうどこに居るかわかんねぇ。残念だったな。アイツはお空の星になっちまったよ」
 フン、と軽く鼻を鳴らそうとして、失敗した。ごまかそうとしてコーヒーカップに手を伸ばす。
「そういうことになっているわね。公式では。だけど、貴方のロボットが乗ったシャトルが飛んでいった軌道の情報と言ったら、欲しくない?」
「───!」
 それこそ、ゾロが助かって意識を取り戻してから必死に捜し、求めていたモノだった。
「アンタは、ソレを持っているのか?」
「どうでしょうね」
 しれっとした顔でニコ・オルビアと名乗った女性は自分の前に置かれたコーヒーをソーサーごと手に取り、優雅に口に含んだ。ゾロは苛々としながらその顔を睨む。
「だけど、私がそれを貴方に提供できるといっても、貴方がそれを受け取ったところでどうするかを先に知っておきたいわ。見たところ、貴方はすでに新しいロボットを使い、サンジに対して未練も執着も残していなさそうだし」
「…………」
 未練も執着もない、と言い切ってしまえたらどんなに楽か。ゾロは目の前の来訪者の言葉がどんな意味を持つのか掴めないまま黙り込んだ。サンジのことは忘れるべきだという思いとそれでも毎日のそこかしこにサンジを忘れられない自分との葛藤でゾロは憔悴していたところだったのだ。
「私はね、月面での会議のとき、サンジを初めて見たの」
 何も言わないゾロにじれたのか、オルビアは話題の方向を変えた。
「最初、あれがロボットだなんて信じられなかった。なめらかな動き、なめらかな言葉遣い。少しだけ言葉も交わしたわ。とても礼儀正しくて、まあ礼儀正しくないロボットはいないんだけど、指先の表情や女性に対して向けられる自然な心遣いは、とてもロボットだなんて感じ取れなかった。だけど、『貴方はロロノア博士の秘書?』と聞いたら『はい、正確には秘書ロボットです』って。そりゃあもう驚いたわ。そして私、ずっと彼を目で追ったわ。そしてたまたま偶然、貴方達が他に誰もいなくなった控え室で会話してるところを、すぐ外の廊下で耳にしてしまった」
 ゾロは黙ったまま、オルビアを見つめた。表情は一切動かさないまま。
「ねえ、『彼』は本当にロボットなの?」
「ロボットだ」
 這うように低い声でそれだけを言った。
「三原則はどうしたの?」
「あるに決まってんだろう! 確かにアイツに他にはあり得ないようなプログラミングを施したのは俺だ! けど、三原則は陽電子頭脳の根幹を成しているんだぞ! そこをとっぱらったら普通に機能することすらできねぇ!」
 そしてそのお陰で──今ここにアイツが居ないんじゃねぇか。

 ふう、とオルビアは軽く肩を落とす。
「私は、もっとサンジと話しがしたかったの。そして貴方ともね。あんな公式な場所で外面をとりつくろった彼ではなく、もっと素の状態の彼を知りたかったわ。貴方と彼の関係も興味があった。あら、いいのよ。別に私は他人の性癖には興味ないの。私がそそられたのはね、純粋に精神的な活動。それだけよ」
 ようやくのろのろとゾロは口を開いた。
「精神的……っつっても、ロボットに精神なんてあるわけねぇだろ……」
 あら、とオルビアは居住まいを正してまっすぐゾロをねめつける。
「貴方がそんなことを言うなんて──」
「ほんの少ししか彼と接していない私ですら、彼が他のロボットと違うことはすぐ判ったのに。どこが違う、ってことはそりゃすぐは判らなかったけれど。けど彼と話した人は誰しもそれを感じたと思うわよ? まあ、私だけがその違和感の説明をすることができるでしょうけれど」
「アンタ、一体何モンだ?」
 ゾロはようやくオルビアの正体に興味を持った。
「名刺は渡したでしょ。肩書きはそこに」
「あんな肩書きじゃ、アンタが何をやっているのかわかるわけねぇだろ」
 オルビアの名刺には、どこそかの研究所の研究員ということと、あと遺伝子工学博士、生物情報学博士という肩書きがついていた。
「フフ、そうよね。私の研究は、学問として分類してしまうと多岐にわたってしまうの。簡単に言うとね、───ヒトという生物が発生して、社会を作り子孫をつくり繁栄してきた。そこへロボットという自分たちに似た人工物を造って、生活の補助とした。だけど今やロボットはヒト社会にとってなくてはならないものとなったわ。ロボットはヒトの良きパートナーになれるのか? それともただの電化製品の延長として隷属するモノでしかないのか。私は、ロボットは自然発生したものでないという一点を除けば、ほぼヒトと変わらない能力を早晩身につけると思ったの。そうなったときに、ヒトは自分たちが創り上げたモノと真の意味で対面しなくてはならない。ヒトはロボットと心を通わせることができるのか───と、まあこんなテーマね。私は今のところ理系の博士号しか持っていないけど、多分学問として分類されるとしたら、ヒトとロボットの融合社会学とでもいうものになるのじゃないかしら」
 長い説明をして、ゾロの反応を窺う。
「──へえ、そんな壮大な研究をなさっているんだ」
 俺とは関係ねぇな、と続けようとしてしかしその言葉は発せられなかった。ヒトとロボットとが心を通わせることができるのか──オルビアはそう言った。そしてその答えを俺は知っていると思う、多分。
「私は、ロボット工学の最先端が今どこまで進んでいるのが知りたくて、月面の会議にもぐり込んだわ。会議自体では期待していた情報は得られなかったけれど、貴方と貴方のロボットに会った」
 明らかにゾロを睨みながら続ける。
「ずるいわよ、あんなすごい研究成果を隠しているだなんて。全く人類社会の損失と言ってもいいのではなくて? そして明らかに貴方と貴方のロボット、サンジとはヒトとロボットを超えた繋がりがあると睨んだのだけど、それはまだ私の勘にしか過ぎないわ。それを証明したくて、貴方達を追いかけることにしたのだけど」
 オルビアの目が哀しげに伏せられた。長い睫毛が苦しそうに震える。
「宇宙ステーションのテロ事件に、私も巻き込まれてしまって──」
 語尾までが震えて、声が途切れた。
「幸い、私は怪我もすることなく救助されたのだけど、精神的に立ち直るのに時間がかかってしまってね。ようやく最近になって貴方達をまた追いかける気力をとりもどせたというわけ」
 だからこんなに時間がかかってしまったの、と顔を上げてなんとか笑みを浮かべようとして──失敗した。
「酷い事件だった、な」
 ゾロはそれだけ言って冷めてしまったコーヒーを飲み干した。彼女が「私は」と言ったということは、彼女の傍にいた人物は被害を受けたということだろう。家族か友人か──確かめる必要もないが、かなりショックを受けたようだ。
 傷を舐め合うつもりはないが、痛みは判ると思った。
 
「とにかく、貴方達をもっと知りたかった。なのに、再度追いかけ始めてみたら、あのテロ事件でサンジは貴方を助けるために独りでシャトルに残ってどこぞの宇宙空間を漂流してるっていうじゃない。もう冗談じゃないわ。一体どこまで私の夢の邪魔をすれば気が済むのかしら。私はその事実を知ったとき、本当にそう思ったの。この世の終わりみたいな絶望を味わったけれど、それをやり過ごしたら次は怒りが来るのね。ちょっとした発見だったわよ? で、この怒りを貴方とも分かち合おうと思ってやってきたわけ。で、どうなの?」
 いきなり振られてゾロは戸惑う。
「どう、って──?」
「何を呆けてるのよ。サンジを取り戻したくはないの? 貴方はサンジをどう思っているのよ」
「待ってくれよ。俺がどんなにアイツのことを取り戻したくても、アイツはもう手の届かないところに居るんだ。それに、アイツが俺を最後に独りでポッドで脱出させたのも、ロボット三原則の第一条に従ったためなんだぜ?」
「呆れた。本当に貴方はそう信じているわけじゃないでしょ? うーん、まあいいわ、一応そうということにしましょう。それなら、貴方は同じタイプのロボットに、同じプログラムを施すことができるわよね? 費用ならなんとかするから、是非やってちょうだい。ヨンジでもゴジでも同じ様なロボットを生み出して欲しいのよ」
「冗談じゃねぇ! 金輪際ごめんだ!」
 ゾロはそれまでオルビアの言葉にはあいまいに消極的な言葉しか返してこなかったが、この提案には真っ向から反対した。
 無理だ。サンジと同じタイプに同じプログラムを入れたとしても、サンジには絶対なり得ねえ。却って似ていながら僅かな差違にサンジと比較してサンジの不在を強く感じてしまうのがオチだ。
「サンジは。アイツは俺と過ごした日々があって、それがサンジという『人格』を造ったんだ。プログラムさえ同じならいいってわけじゃねぇ」
 オルビアはにやりと笑って言った。
「そうよ、解っているじゃない。貴方の『サンジ』はもう同じ者は出来ないの」
 ねえ、こういうの知ってる? オルビアは一転して真剣な眼差しをゾロに注ぐとおもむろに話し始めた。

「人間は自分で思考するから、故に人間というのだというのですって。誰か思想家の言葉だったと思うわ。だけどロボットだって、自分で常に思考し、判断し、行動している。そこにどんな違いがあるというのかしら。
 人間は頭脳を持っているから人間……?
 ロボットだって頭脳を持っているわ。ただの電気の信号に過ぎないと言うかもしれないわね。でも人間の神経細胞だって、つきつめれば信号のやりとりをしているにすぎないわ。
 ──ねえ、「命」はどこからやってくるのかしら。「自我」はどうやって生まれるの。自分で考え、行動し、「自分」というものを他者と区別できるロボットは、その発生方法が人工的というだけで、既にもう一個の無機生命体と言ってもいいのじゃなくて?」

 話し終えるとしばらく沈黙して、ゾロの反応を待った。
「……わかっているさ……」
 ぽつりとゾロは言って、一言一言を区切るようにゆっくりと話し始めた。
「俺はアイツを取り戻したい。それが不可能だと思ったから無理矢理アイツがただの──ロボットだったと思いこもうとしてた。だが、ここへ来てアンタがそれを全部引っ掻き回した。アイツの居場所がわかるっつったな。さっさと出せ。とりあえずそこから初めてやる。どこまで足掻けるか解らねぇが、足掻けるだけ足掻いてみようじゃねぇか」
 それを聞いてオルビアはバッグの中からデータキューブを取り出し、ゾロの前に置いた。
「私がある筋から入手した、事件当時のシャトルのデータよ。シャトルの速度、加速時間、予測燃料残量値から推し量った推進力、その時の方向、それとシャトルの重量や太陽風やなんかもね。私は残念ながら天文関係は専門外だからこれらのデータからサンジの位置までは解析できないのだけど」
「ちょいと待て。俺も専門外だが、解析するつてがある」
 言ってゾロはデータキューブを手に取ると、テーブルのスロットに落とし込んでその部屋の端末を操作した。結果を待っている間、二人は会話を交わすことなく、黙りこくったままあちこちへと視線を彷徨わせていた。
 サンジに手が届く。ようやくその第一歩が踏み出せる。それがこの結果如何にかかっている。もしもまた会うことが出来たなら、文句を言ってやりたいことがたくさんあるんだ。

 端末に結果が返ってきた。二人で見るために三次元モニタに映した。
 サンジの乗ったシャトルは──非常に長大な軌道を描き、ぐるりと太陽の反対端の遠くまで行った後、また地球の公転軌道の付近へと戻って来るとの予測値だった。

 戻って、来る。戻ってくるんだ。時間がかかるけれども、どこへとも知れない遠くへ飛んでいったっきりになるのではなくて、また戻ってくる。
 大きな安堵がゾロを包んだ。が───
「七十二年後?」
 予想帰着時間を見て、頭を殴られたような衝撃を受けた。





 

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