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永遠より長く無限より短い一瞬(19)






 細胞活性化措置は、いつまでも若くありたいと願う人間にとっては夢のような方法だったが、起こりえる有害な可能性として、若返らせた細胞が急激なリバウンドを伴って壊死してゆくというものがあった。ただそれは何度も検証を重ねた結果、かなり低い確率であると保証されている。
 だが例え限りなくゼロに近い確率であっても、そこに可能性が存在する限りは情報を開示し、被施術者はその可能性について納得した旨の宣誓書にサインしなくてはならない。
 当然ゾロは措置を受けるたびに同じ説明を聞き、そのたびに同じ宣誓書にサインをしていた。ただ、その回数が三回を数えたときに、担当医からもう一言追加されたのである。──この確率は回数を重ねればその分当然高く成りうる、と。
 五回目を越えたとき、担当医はさすがにこれ以上はやめたほうがよいとかなり長い時間をかけてゾロを説得しようと試みた。だがゾロの意志は強固で、これ以上何か言うようなら別の病院でやると言い張ったので、とうとう担当医も折れた。次にその病院へ行ったときには、担当医は本人の希望によって別の職場に異動したと告げられた。



 ゾロもロビンも決して取り乱したりはしなかった。起こるかもしれない、と言われたことが起こったにすぎない。起こってしまった事実の前には、確率という数字がどんなに低かろうが関係がなかった。
 緊急入院した先で鎮痛剤を与えられて一眠りした後、ベッドに横たわりながらゾロは脇に佇むロビンの方を見ないまま言った。
「今動けなくなるわけにはいかねぇ……」
「ええ」
 ロビンは言葉少ないながらも、ゾロの一番の理解者でもあった。ゾロの意志をその一言で汲み取って、次に口を開いたのは確認のための言葉だった。
「では、いいのね?」
「いい。手配を進めてくれ」
「わかったわ」

 ロビンが病室を出たところで、主治医とおぼしき白衣の男と出くわした。
「ご家族の方ですか?」と問われ、ロビンは正確には違うけれども、と断りつつ、一番近しい立場のものであると打ち明けるとその男はそれでは、とロビンを別室に呼んだ。
「ロロノアさんの正確な状態をお伝えしたいと思います。その上でご本人と相談してどのような治療を進めていくかを検討したいのです」
「……うかがいますわ」
 医師は淡々と説明し、ロビンは黙って聞いていた。ゾロの腕は壊死が始まっており、このまま放っておけば一気に進んでじきに使い物にならなくなる。それを避けるためには、できるだけ動かさないことが一番であり、年を考えてもとにかく安静に老後を過ごすのがよいということ。壊死の進行を完全に抑えることは難しいが、遅らせる薬は処方できる。安静と薬剤投与の二方向がベストの治療だということ。
「でもそれでは、ロロノア博士は研究を続けることができなくなってしまいますわ。それに今回発症したのは右腕ですけれど、身体の他の部位もいつ発症するかわからない状態でしょう? 右腕だけを動かさないでいてもどんどん動かしてはいけない部分が広がってしまう可能性もありますわね」
「それでは他にどういう方法があるというのです? 放っておいて腕が侵蝕されてゆくのがいいということはないでしょう。ご納得できないことは重々理解しております。ですがロロノアさんの今後の生活を考えれば、多少の不自由を受け入れて穏やかに暮らすことが結果的にはよかったということがおわかりになると思います」
 医師はやんわりとなだめるように言った。思ったより深刻な患者の状態を聞かされて、事実を受け入れがたい家族は大勢いる。目の前のこの女性も同じに違いない、と思っていた。
 しかしロビンの次の言葉に医師は目を丸くして驚愕した。
「腕が動かないというのならば、動く腕と付け替えればよいのですわ。細胞が老化することのないマシンの腕と」
「……な、何をおっしゃっているのですか! もうロロノアさんは八十歳にならんとしているんですよ! 見かけは確かに若々しいですが、今だって限度を超えた細胞活性化のアオリをくってああいったことになっているんですよ? この年齢でのサイボーグ化なんて無理に決まってます!」
「無理かどうかはやってみなければわかりません。前例がないというだけで、老齢に入ってからでもピースメーカーを埋め込んだり、義肢にしたりする人がいないわけではないでしょう」
「ですが、サイボーグ化、というのは脳が若くて柔軟なときに行うのが通例です。さもないと新しい人工神経からの情報を脳がうまく処理できなくて新しくつけた人工の身体部位を脳が拒否してしまい、そのままショック状態に陥ってしまうかもしれません。簡単にサイボーグ化、というとTVアニメのヒーローものみたく、万能な強さを得られると勘違いされがちですが、実体はとんでもありません。長く根気のいるリハビリが求められ、それこそ若い人間ですら根を上げてしまうくらいなんですよ。それに──」
「何か?」
「これこそ勘違いされてしまうものの最たるものなんですが、身体の一部をマシンのものに置き換えるのは、ロボットとは違うんです。ロボットは最初から身体全部がマシンで造られているから強度もみな計算しつくされている。だけど人間は元となる骨格は変わらないんです。腕がマシン化されてもそれを支える肩の骨や筋肉は人間のそれです。スーパーマンになれるわけではない。普通の生活が不便なく行えるといった程度のものです。それもリハビリが上手くいっての話しになりますが」
 一気に説明すると、医師はロビンを見る。きっとうなだれて医師の言葉に最後の希望を打ち砕かれた気分でいるのではないだろうか。もう少し言葉を選んで説明するべきだったと内心密かに反省した。
 しかしロビンはその切れ長の深い色の瞳を真っ直ぐ医師に向けていた。その相貌にはまるで動揺というものが感じられない。そしてゆっくりとした口調で医師に向かって言った。
「ええ、わかっています」
 一端言葉を切ってから、今度はためらうように口を開いた。
「ロロノア博士は、こういったことが起こる可能性を軽く見てはいませんでした。特に活性化措置の回数が増えれば危険性も増大するとわかった上で、それでも必要があったために敢えて繰り返し受けていたのです。博士も私も科学者ですから、そして脳の機能についてはとてもよく知っております──多分、先生よりずっと」
「必要が、あった?」
「失礼、口がすべりましたわ。とにかく、右腕をマシンに付け替えるために必要な手続きを進めてまいりたいと思います。壊死が進む前にさっさとしなくてはなりません。了解していただけますわね?」
 その後もしばらく押し問答が続いたが、最後にはとうとう医師もあきらめざるを得なかった。そうしてほんの数日の検査期間を置いた後、すぐにゾロの手術が行われることとなった。



 何枚もの同意書や誓約書にサインをさせられ、ようやく術着に着替えて麻酔が始まった。全身麻酔のはずがこれも細胞活性化措置の副作用なのか、感覚はないまま意識だけがぼんやりと微かに残っている。
(麻酔が効かねえのか?)
 一瞬ひやっとしたが、皮膚の上をてきぱきと動く看護師の手の感覚が全く感じられず、単に効きが遅いだけなのだろうと思いこむ。
 その状態はゾロにとって都合がよかった。怖いとか気持悪いとかそういった感情も感覚もなく、純粋に自分の身に起こっている事を知っておきたかったからだ。
(科学者の好奇心てヤツぁ底が知れねぇな)
 自分自身、そんな心情に苦笑してしまった。段々と麻酔が効いてきて、意識がふわふわと漂っていきがちになる。
 ごとり、と腕が置かれた。感覚がないからわからないが、腕はけっこう重いらしい。
 ───これで俺はもう自分の手で竹刀を握ることが永久になくなった。剣だけじゃねぇ。ペンも。ドアノブも。エレベータのスイッチだってほんの僅か指先で触れる箇所も自分の指じゃねぇんだ。もちろん人の手を握ることもなければ肌や髪に触れることもねぇ。サンジ。お前に触れる手はもうなくなっちまった。
 まだ左腕があるとは理解していても、おそらく時間の差はあれど左腕も同じ道を辿るだろうことは右腕が動かなくなったときから覚悟していた。
 右手の手のひら全体でサンジの背中をうなじから肩、背骨に沿って細い腰へと微妙になだらかな曲線を撫でおろすのが好きだった。また指先でサンジの唇を割って熱い口腔の中を掻き回し、ねっとりと舌がからむのが好きだった。さらさらした金髪のひんやりとしたその表層から中へ指をくぐらせると、頭皮が汗ばんでしっとりしているのも好きだった。その時左手はすべらかなサンジの腹をなで、へそをくすぐり、尖った乳首へとすりあげたものだった。
 もしも、もしもまたサンジと再会することが叶ったとしても同じ感覚を得ることはない。でも、それでもいいから。何を代償にしても構わないから──


『しょうがねぇなあ、お前は』
 そういって困ったような顔をしながら俺を見るアイツの目は笑っていた。
『いいじゃねぇか』
 拗ねた物言いに、さらにふわりと笑って、さし延べた俺の手を優しく受け止めた。
『クソマスター』
『ゾロ、って呼べよ』
 笑顔がさらに綻(ほころ)んだ。ヤツは何て応えたんだろう……。


「ドクター、患者が涙を流しています」
「何か夢を見ているんだろう。麻酔が効いているときにはよくあることだ。拭ってやりなさい」
「はい」
 ガーゼを取って目尻と頬を伝う雫を拭くと、唇が微かに震えているのが目についた。
(何と言っているのかしら)
 看護師は首を捻ったが声が音になって耳に届くことはなかった。




 ゾロの手術は成功した。その後のリハビリもよく耐え、周囲の危惧をあっさりと裏切ってのけた。
「明日は退院ね」
 ロビンは毎日ゾロの元を訪れ、研究の進捗状況の報告をして、また次の指示を受けて帰ってゆく。世話をしに来るというよりは、学生が教授の研究室にやってくるような雰囲気だった。
 しかし一方リハビリにもよく付き合って、ゾロが脂汗を流しながら卵を割らずにそっと掴めたときはにっこりと微笑んだりもした。
「おう。いろいろ世話になったな」
 ゾロは新しい腕を曲げたり伸ばしたり、また軽く手を握ってみたりと丹念にチェックしている。マシンと言っても、ただの義肢とは異なり、サンジなどのヒューマノイドタイプ・ロボットと同じ技術で造られている腕は、一見生身の腕とまったく区別がつかない。
「……とりあえず、今回はなんとかなったが、いつまで保つか」
 呟いた言葉にロビンは返事をしなかった。


 沈黙が降りた病室に、いきなりバタバタとした足音と共に騒音が満たされる。
「おーう、ゾロぉ、見舞いに来てやったぞー!」
「こら、見舞いに来てそんな失礼な態度をとるやつがいるか! バカモノめが!」
 ごちん、と音が響くくらいの力で頭を拳骨でこづかれて、いきなり涙目になった少年が、それでもゾロを見留めて顔中で笑う。
「ゾロ、サイボーグになったんだって? かっけー! ねぇ、パンチで岩砕ける? 空飛べたりする?」
「ばぁか、お前はアニメの見過ぎだ! そんなことできるわけねぇだろ。それに今回は右腕だけだ。ほれ、こっち」
「へええ、でも全然見た目変わんねぇじゃん。本当にこれって中身機械?」
「……こら、ルフィ……」
 無邪気にゾロの腕をなでまわしている少年はエースの孫で、ルフィといった。ゾロとは当然、祖父と孫くらいに年齢が離れている。それでも何故だかわからないが、ゾロはルフィの奔放さが気に入っていたし、ルフィはゾロの寛容さ、懐の広さに懐いていた。
「すみません、しつけがなってなくて」
「構わんさ、いつものことだ。ま、俺はいいが他の大人には最低限の礼儀をとらせるようにすればいいさ。まあまだ十歳だろ? ガキのことだ気長に構えてやれよ、マルコ」
「はあ……」

 テロ事件の直後に誕生したマルコは、既に貫禄たっぷりの堂々たる大人になっていた。若い頃は気まぐれな父親の血が色濃く出たため、奔放の限りを尽くし、世界中を放浪したが、エース危篤を知って帰国した。その後なんとか持ち直したエースの傍で小さな会社を立ち上げ、その後は今までの放蕩ぶりが嘘のように真面目になって、ぐんぐんと会社を成長させた。遅い婚姻でもうけた一人息子のルフィは現在十歳。マルコが四十歳の時に生まれた子である。
 ルフィもまたエースの血筋なのだろう。とにかくやんちゃで、あらゆることに好奇心を示し、何にでも首をつっこむ性格は周囲を混乱させたが、なぜか最後は笑いの渦で収束させてしまう。
 エースの葬式で初めて会ったゾロに、突然意気投合してしまってしょっちゅう遊びにいかせてくれと駄々をこねるルフィに、マルコは祖父を失った寂しさの故だろうとルフィの望むまま頻繁にゾロを訪ねるのが習慣になっていた。
「なあ、ゾロ」
 ゾロの腕をひっくり返したり手の大きさを比べてみたりと弄っていたルフィが突然真面目な顔をしてゾロの顔を覗き込む。
「ゾロは、サイボーグになったって、人間だよな?」
「あたりまえだろう」
「もしも、腕だけじゃなくてもさ、脚とか機械にしちゃってもさ、ゾロはゾロだもんな?」
「そうだ」
「じゃあさ、例えばさ、身体ぜんぶをさ、機械にしちゃっても、それでもゾロ?」
 ゾロはこの会話がどこへ行き着くのだろうと思いつつ、とりあえず頷く。
「なら、身体が機械になっちゃったゾロと、最初から全部機械のロボットとは、どこが違うの?」
 ゾロはとっさに答えを返せなくて黙ってしまった。
 もちろん、そこまで言うのならば最初からヒトとして生まれた人間と、人間の手で造り出されたロボットとでは発生方法が違う、とか脳の組成がそもそも違う、とかいった説明をすることは可能だった。
 しかしルフィが求めている真の疑問の答えは、おそらくそんな表層のことではないことをゾロは感じていたし、その答えが自分の中で長いことかかって辿り着いたものであることをゾロは知っていた。
「ルフィ」
「ん」
「その答えは、自分で探すしかないんだよ」
「そうなの?」
「ああ。ルフィがこれから出会ういろんな人間、いろんなロボット、それだけじゃあないいろんな命、出来事、全てを通して、ルフィが自分の目で見て感じて、たくさん考えて、そうすればおのずとわかってくると思う。だけど、それにはすごく勉強しなくちゃだめだ。そしてひとつひとつの出会いを大事に、関わり合いを大切にするんだ。そして見つけてごらん。自分なりの答えを。それは必ずとても価値のあるものだから」
「……わかった!」
 まだたった十歳の子供にすぎないが、ゾロはルフィに何かの才があることを見抜いていた。閃き、直感、なんと呼んだらよいかわからないが、ゾロとルフィがこれだけ年が離れていても惹かれ合うのは、互いの中に何か共通するものがあるからなのだろう。きっとルフィは成長するにつれ今はまだ具体的には形を成していない才能を開花させて今以上に周囲を巻き込むようになるに違いない。
「私もそう思うわ」
 ふいに、今まで傍で黙ってやりとりを眺めていたロビンが口を開いた。
「人と関わり合いを持つことを怖れてはだめなのよね。ようやく最近になってそれがわかった気がするの」
 どこか夢見るようなロビンの声音に、ゾロはオルビアを亡くしてから学業にそしてゾロの元に来て研究助手に没頭していたロビンを思い出す。自分は普通の人間とは違うといった引け目に、学問という知識の森へと逃げ込んでいたのだろう。俺もそれに気がつかないなんて、まだまだ全然情けないぜと内心舌打ちをした。
 ロビンも自分でその怖れを克服していかなくてはならないんだ。だが時間はかかっても大丈夫、きっとできる──いつか笑って自分の誕生を語ることができるようになるだろう。
「ロビン」
「なにかしら」
「オルビアは、本当にお前のことを愛してた。生まれる前から愛してたんだ。それだけ憶えてればいい」
 ロビンは目を瞠って突然のゾロの言葉に何も言うことができなかった。
「──ええ」
 ようやくそれだけ言うと、くるりと皆に背を向けて、すんと小さく鼻をすすった。





 

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