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永遠より長く無限より短い一瞬(20)






 その後数年ごとにゾロは同じ症状を発症した。そしてその都度、身体のあちこちの部位をマシン化していった。右腕に続いて左腕。そして右脚、左脚と末端から徐々に中心部へ向けて細胞の壊死は進む。テロ事件の時に脚は両方とも義足にしていたので、腕よりは長く保ったがそれも十五年くらいの差だった。
 その時ゾロは九十五歳、社会全体が長寿化しているとはいえ、かなりの高年齢だった。ルフィは二十五歳、ゆっくりと学生生活を楽しんで人より遅く卒業したが、その分じっくりと自分がしたいこと、成し得たいことを考えていたらしい。
 子供のころから成長するにつれ、ルフィはひとりでゾロの家に遊びにくることが多くなり、そこでゾロとロビンが精根を傾けているものを理解すると、またひとりで考え込んだ。
 そしてゾロがとうとう四肢全てを機械化したとき、帰ってきたゾロに向けてこう言ったのである。
「ゾロ。俺さ、ゾロが大切に思っているもの、ようやくわかったと思う。それで俺、みんなみんな幸せになればいいな、って思うんだ。ロビンもゾロも、会ったことないけどサンジだって、根っこのところでは皆おんなじものを抱えているんだと思う……だから、俺、何ができるかわからないけど、出来るだけ助けになりたい」
 法律を勉強する、と言った。
 科学のことはわからないけど、別の方向からゾロ達の力になれるようにするよ、と。



 
 テロ事件から七十二年が過ぎた。
 ようやくサンジの乗ったシャトルがその軌道を確認できる位置まで近づいてきた。毎日毎日、このときのために張り巡らせたコネクションからシャトルの位置の情報を仕入れて、また私財を投入しての具体的な回収プランを組み上げてきた。
 ──ようやく。
 ようやくもう少しでサンジと再会することができる。
 何もトラブルが起こっていなかったとして。サンジが第三原則を何とかしてねじ曲げて、自壊してしまったりしなかったとして。何か隕石の衝突、何か磁気嵐、何か予測できないことがなにも──起こっていないとして。
 万に一つの可能性かもしれない。これだけ年数をかけて、これだけ必死に生にしがみついて、それでも全てが無駄に終わるかもしれない。
 それでも、だ。
 それでも俺はまだアイツに何も言っていない。このまま終わるのはどうしても耐えられなかった。

 今やゾロは内臓までほとんど全てをマシン化してしまっていた。
(こうなると本当に昔ルフィに聞かれたように一体ロボットとどこが違うのかわからねぇな)
 とそれでも皮肉めいて人間臭い仕草で肩をすくめ苦笑する。途端、頭の奥が鈍く痛んだ。
 苦い不安に、今はすでにあるはずのない胃がきゅっと締まった感じがした。最近頻繁にやってくる頭痛。
 間に合わなかったか──。ぎりぎりサンジを回収する時まではなんとか保ってくれよと願っていたが。
 最後の生身の部分、脳と脳幹が悲鳴を上げている。

 サンジ。
 窓の外に広がる青空の向こうから、ようやくアイツが帰ってくるというのに。

 ゾロの意識が、黒く沈んだ。





「……俺、は。一体……?」
「床に倒れていたのを発見して、すぐ救命措置をとったけど、三日間意識不明だったわ」
 ロビンがいつものように冷静に状況を説明する。ピンと伸びた姿勢は変わらずに威厳を伴っているが、黒い髪に白い筋が混じるようになっていた。ゾロは彼女の冷静な声と態度に、毎度のことながら安堵して感謝する。時折、もうだめかと何度も諦めかけた。これだけ時間と情熱をかけても、全て無駄に終わる可能性のほうが遙かに高い。先の見えない焦燥感に身を灼かれるような気持になったことも二度や三度ではない。
 特に身体が利かなくなってからは、マシン化しつつもそのたびカウントダウンをこの身に刻まれているようで不安がつのった。その不安を拭うために、さらに研究に没頭した。テロ事件からのゾロの一生をかけた研究はほとんど完成していたが、その完成を確信する手段はない。

 ゾロは、シャトルの帰還まで七十二年もの歳月がかかるとわかったときに、それまで自分が生きているかどうか、どんなに延命措置を施しても難しいと悟った。そして最後の砦として、自分をまるごと機械化する方法を模索し始めたのだ。
 身体は問題ない。既にロボット工学は人間とまるきり変わらないボディをその時点で可能としていたのだから。しかし、問題は脳だった。
 人間の脳の機能はあまりにも複雑多岐にわたり、それを逐一人工脳に置き換えることは困難を極めた。そしてゾロはこの脳は既存の陽電子頭脳とは異なったアプローチで創り上げると決めていた。つまり、ロボット三原則の束縛から放たれた自由なものとして。
 しかし、陽電子頭脳が三原則をベースに造られたのには、それなりの理由があった。基本倫理観をしっかり根幹に据えることで、機能の安定化をなしえたのである。おかげでどんなロボットも安定した論理思考を持ち、その思考の上に安定した行動をとることができるのである。
 ゾロはこの三原則がもたらす安寧をよく知り尽くしていたが、同時にそれによって制限される目には見えない懊悩を取り払いたかった。当然このような思想は、昔サンジに組んだ感情プログラムと同様、いやそれ以上に危険視されることは解りきっていたが、いつかロボットを人間の僕(しもべ)という立場から引き上げるためにどうしても自分の手で造り出したかったのである。

 今や、自分の肉体(と言っても生身の部分は脳と脳幹だけになってしまっていたが)を手放して、全て新しい人工の身体へ乗り換える用意は整った。ただし、脳の機能が問題なくても、もともとの自我、記憶、意識といったものが全て問題なく移植できるものだろうか。マウスや小動物を使った実験は何度も何度も試みた。しかしどんなに回数を重ねても、人間の抱える記憶の糸の全てを人工のそれに写し取ることが可能かどうかは確証が持てない。記憶という過去の経験に基づいて性格は形どられる。自我も究極のところそこから発生する。果たして脳細胞に散らばる全ての記憶のピースを壊すことなく拾い上げ嵌め込むことが可能なのだろうか。
 最後の禁じ手として、ゾロは自分の能力全てをつぎ込んで自分を写し取る器を造り上げたが、出来うる限りその手段をとることは避けたかった。
 間に合ってくれ。俺が確実に俺である時間のうちに、アイツを目の前に立たせてくれ。
 祈るように思うゾロの気持とは裏腹に、ゾロの容体は日を追って悪くなっていった。



「……──っ」
 浅い眠りから意識が戻る。最近は眠っていることが多くなった。起きている時間はほとんどシャトルのデータを見て過ごしている。とりあえず確実にシャトルは近づいてきていた。それが唯一救いといえば救いだったが、それに縋りつくしかない自分をゾロは弱くなったと嘲笑いたくなる。
「あら、何か幸せそうな寝顔ね」
 病室に入ってきたロビンがそう言うのを遠くに聞きながら、また眠りの淵に引きずり込まれていた。


『へんてこな眉』『グル眉野郎』
『そんな顔にしやがったのはてめぇだ!』
『似合ってるぜ、ダーツ』
『クソったれ…。てめぇなんかいっぺん死にくされ!』
『へ、悔しかったら殺してみろ。できねぇくせに』
『くぅぅぅ〜〜〜。ほんっっとうに性格悪いな、てめェってご主人サマは! いつか見てろ! 俺がいつもてめェにやられっぱなしでいると思うなよ!』
『おう、頑張れ。期待して待ってるぜ』
 翌朝、俺は洗面所の鏡に映った自分の顔を見て、心底仰天した。一晩で髪の色が鮮やかな緑色に変わっていたのだ。
『〜〜〜〜〜!?』
 サンジは確かに頑張った。主人である自分の身体にこんなことをしでかすなんて。痛覚を伴わない髪の毛を選んだとはいえ、人間にはあり得ない色を、それも身体の一番目立つ部分に施すとは。身体的には確かに痛くないが精神的には大打撃だ。
 眉毛を攻撃された仕返しとしては、なかなか良くできている。俺は最初の驚愕から立ち直ると、サンジの努力を褒め称える気分にすらなった。
 よくもまあ、第一原則をだましたもんだ。
 きっと何度も逡巡を繰り返し、「いけないこと」と目に見えない命令が手を止めるのを振り払ってこれをしでかしたのだろう。
 おもしれえ。
 くっくっと喉の奥で始まった笑いがなかなか収まらなかった……。



 意識が一気に覚醒した。
「……ロビン。ルフィもいるか」
「いるぞ。どうしたゾロ」
「決めた。今度俺が意識を失ったら、やってくれ」
「……いいのか?」
 ルフィは言葉どおり法律を勉強し、あっという間に弁護士資格をとっていた。そしてロボットを利用した犯罪を主に担当し、一風変わった弁護をするということで徐々に注目を集めていた。弁護士としてはまだまだ若造のうちだが、切れ者として評価は高い。
「いい。これ以上だらだらと先延ばしにしていても、脳細胞それ自体が使い物にならなくなってしまうだろう。そうなる前に、やってくれ。ここまできて、可能性が高い方に賭けないなんてバカのすることだ。そうだろう? 今のままではただ緩慢に死を待つだけだからな」
「でも、がんばれば、あと一ヶ月以内にはシャトルを捕捉できるところまで来ているのに──」
 これはロビン。
 ロビンもゾロの意志を汲み取って、ゾロと一緒に新しい人工頭脳を開発してきた。一番近い場所でゾロを見てきて、ゾロの目的とそれをするに至った思いの深さも充分理解していた。だからこそ、今この時に至ってと惜しむ言葉が口を突いて出てくる。研究の成果よりも、ゾロの願いの成就のほうを優先させてあげたかった。
 願い──というよりは既に執念と言ったほうが正確なそれを。
「大丈夫。俺は容れものを替えたくらいで変わっちまうようなヤワじゃねぇよ。ここまで粘ったんだ。これでもしも俺が、俺として生きてきた全ての記憶を失ってしまったとしたら、俺はそこまでの男だったってことだ。きっと無くしてしまっても大したことがねぇ思いなんだろう──そう思い切って、俺を、移し替えてくれ──あの新しいロボットに」
 そう言ったゾロの目は強く光をたたえて、まっすぐ自分を見下ろすふたりの視線と交わった。片方は人工眼球で、もう片方はかろうじて生身の目で。微妙に異なる色のそれは、全く同じ強さでもってゾロの意志を伝えてくる。
「わかった」「わかったわ」
 二人は同時に頷いた。それ以外の言葉は考えられようもなかった。






 

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