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永遠より長く無限より短い一瞬(21)






 ゾロの「手術」は一週間にも及んだ。生体の手術ではない。脳の「データ」を慎重に移植させてゆく。生体の脳は培養液の中で幾重ものコードに巻き付かれて、最後にその「生」を終えた。
 新しい「ゾロ」は全ての工程を終え、起動を待っている。
「深く眠っているだけみたいに見えるわ」
 ロビンがそっと「ゾロ」を見下ろして呟いた。傍らに並んだルフィが言った。
「もう、起こしても大丈夫なんだろう? 何を待ってるんだ?」
「ええ、全てのデータ移植は完璧に終わっているし、あとは起動すればいいだけ……ただ、私は怖いの。もし、もしもゾロが……」
「大丈夫だ! 何を弱気になってんだ! ロビンもゾロも、すっげえ天才だってじぃちゃんも父ちゃんも言ってたし。人を褒めるなんてこと、絶対にしねぇふたりがあそこまで手放しで褒めたのはお前らだけだったぞ」
 ちなみに俺は一回もよくやったなんて言われたことがねぇ、と少し悔しげに口を尖らせる。くすり、とロビンは笑みを浮かべた。三十をとっくに越え、常に法曹界の話題を独占しているような一人前の男が、未だ子供のような面を持ったままだというのを知っているのは、もしかして特権なのかしら、とちらりと思う。
「それにゾロは、とにかくすっげえ強え心を持ってるし。身体がどうなったって、心は簡単に折れるようなもんじゃねぇだろ」
「そうね」
 ロビンはルフィが慰めてくれる優しさが嬉しかったが、精神論ではどうこうできるものではないだろう、と科学者としての思考にまた気持が沈んでゆく。だって本当に解らないのだ。
「シャトルは、どう?」
「あっちの方は順調だぞ。ずっと前にシャトルの持ち主の会社から合法的に権利は委譲してるし。あんなん、今どこにあるかわからない行方不明のシャトルの権利なんて一体どうするんだ、って変な目で見られたけどな、その時は。そんで後は地球の公転軌道まで来たら速度を同調させた別の作業船から乗り移って、サンジを回収するだけだ」
「それはいつ?」
「もうすぐ。何年も前からゾロが準備してたのを俺が引き継いだんだけど、宇宙って法的にあちこち制約があってさ。意外と面倒臭かった」
 にやり、と笑う顔はどうみても子供のそれだ。ルフィだから楽しんでいることは全く疑いようがないが、ルフィほどの人物が「面倒な」というからには一介の民間人ならば不可能に近いことだっただろう。ロビンは本当にこの男がゾロと出逢えたことを感謝した。
「ありがとう」
「なんで? 俺のほうこそありがとうだよ。ゾロにはいろんなことを教わったし。ゾロのため、っていうんなら、ロビンにこそありがとうだろ。サンジを回収したら、メンテナンスはロビンにしかできないからな」
「ねえ、いると思う?──あの、中に、彼が──」
「ばっか言うなよ! いるに決まってんだろ? それこそ信じろよ!」
「そうね、そうよね──」
 横たわるゾロの輪郭が霞んで見えた。


 そしてその日が来た。
 作業船はシャトルに寄りそうように飛び、相対速度をゼロまで落として数名の作業員を乗り込ませた。その様子を中継を通したモニタでルフィとロビンが見ている。
「……どうかしら……」
 不安で胸が押しつぶされそうだ。
『いました! 予測されたとおり、モデルタイプ2240-MSX-Z、グローバル・ロボット社製のロボット一体がいます!』
「どうなの? 『それ』の状態は──?」
『全く動きません──が、表面上は特に問題ないように見受けられます──』
 ルフィがロビンの顔を覗き込む。
「おそらく、スリープモードに入っていると思われるわ。さもなければ本当に壊れているのか、ここからじゃわからない──とりあえず予定どおり回収をお願い」
『了解。回収後、帰投します』


「──これが『サンジ』」
 ロビンは横たわっているロボットを見て呟いた。ゾロがあそこまでこのロボットに執着した理由までは知らない。二人の間にどのようなことが起こったのか、そこまでは話してくれなかった。でもきっと何か特別なものがあるのだろう。オルビアですら、ぽつりとサンジにだけはもう一度会いたかったと漏らしていたのだから。
 手早く外側を走査し、目についた小さな破損箇所を修復する。さすらっていた年月は長かったが、シャトル内は空気の循環も何もかも停まっていたので、それこそ時が止まった状態で発見されたと同様だった。
 かなり昔の製品ということで、材質が少し古い。劣化しているものはまるごと交換しなくてはならないだろう。だが基本的には大丈夫、問題ないみたいだ。あとは──
「起きなさい。製品番号WEI-FS45EIF980s。それとも、サンジ。どちらでも構わないからとにかく起きて」
 首の後ろ、延髄の箇所にあるスロットにマスターキーを入れて、スリープモードに入っているサンジを再起動させる。これで起きなければ──
 数秒間、息を止めて待った。問題なければすぐに目を開ける筈──じっとサンジの顔を見つめ、瞼が開けられるまでが数分もかかったように感じられた。実際にはほんの数秒だったが、ようやく睫毛が震え、ゆっくりとそれが動いてゆくのを見たときは、たとえようもなくほっとしていた。
 ゾロ。
 あなたの生をかけた賭けは、ここまでは少なくとも、負けてなかったわ。
 あとは、あなた次第──

 サンジはゆっくりと目を開けると、周囲を認識するのにぐるりと視線を巡らせ、そこで自分を見つめているロビンと目が合った。
「貴女は、どなたですか? 何故そんなに泣いているのです?」
 ロビンは溢れる涙に口をきくことができなかった。



 サンジを目覚めさせたあと、ロビンは暫く声を立てずに泣いた。その後はしっかりした声で淡々とサンジに事情を説明した。ひとたび感情を溢れさせた後はてきぱきと、冷淡とも見えるように事務的な口調を崩すことはなかったが、紅くふちどられた瞼が、ときおりひくひくするのをサンジは見逃さなかった。
 とても信じがたいような長い話を、サンジは黙って聞いた。
 本当だろうか。
 サンジの感覚からすれば、ゾロを緊急脱出ポッドに押し込めたのはほんの十数分ほど前のことだった。しかし飛び続けるシャトルの中にいてどんどんステーションから、地球から離れていって、永遠に目が覚めることがないだろうとスリープモードに入った筈なのに、今ここにこうして目の前に自分を再起動してくれた人がいる。
 わざわざ自分を回収して再起動したのに嘘をつく理由なんて思い当たらない。
「ゾロに、会って欲しいの」
「マスターはその……手術後、まだ覚醒していないのですか?」
「ええ。目が覚めて一番最初に見るのが貴方の顔だったら、ゾロが喜ぶだろうって、顧問弁護士がそう言うものだから」
 起こしていないの、とようやくロビンと名乗った女性が笑顔を浮かべた。つられてサンジも笑みをこぼす。
 
 かつん、かつんと固い床を靴の音が響く。サンジは記憶に残るゾロとは全く異なることを予想していたが、実際目に映ったのは、別れたときと寸分違わないゾロの相貌だった。
「驚いた?」
「ええ……俺がついさっきポッドに押しやったのに、どうしてこんなところにいるんだろうって思ってしまいます」
「多分、別れたときそのままの姿で再会したかったのね。もっと若くしてもいいのに、ってからかったことがあったわ」
「そのとき、マスターは何て?」
「うるせえ、って」
 くす、と小さく笑い合う。サンジはロビンに対しては最初から「外向き」モードを作らなかった。
 すぐにロビンは真面目な顔になってサンジの顔を正面から見据えた。
「説明したように、ゾロはその記憶の全てを新しい脳に移植できたかどうか、私たちにはわからないの。最悪、貴方のことも忘れているかもしれない。でもお願いだから、そうなってもゾロを受け入れて欲しいの。でないと貴方を待ちつづけた彼の年月が──」
「わかっています。例えマスターが身体を一部だろうが全部だろうが取り替えたって俺にとっては永遠に彼がマスターだから」
 傍にいられる。もう二度と会うことがないと諦めたのに、またこの存在と共に在ることができる、それだけで充分すぎるほど幸福だと心からサンジは思う。
「ありがとう」
「ありがとうは俺が言うべき言葉です。貴女にも、顧問弁護士さんにも、その他尽力してくださった全ての方に感謝しています」
「ふふ、似たようなことを最近言われたわ……さて、それじゃあ眠り姫を起こすわね」
「ずいぶんごつい眠り姫ですけどね」
 サンジは何もない天井に顔を向け、祈るように目を閉じた。





 ゆっくりと。
 まどろみの中、それはゆっくりとこちらへやってきた。
 誰だ……?
 俺はコイツを知っている。確かに知っている。
 細くしなやかな身体、白く陶器のような肌、金色の髪に蒼い目、奇妙なことに眉尻がくるんと丸まっていて、綺麗な顔だちが妙に愉快に見える。
「何だ、お前」
 しゃがれた声が喉から出た。
 それを聞いたヤツは哀しそうに顔を歪めたが、近づくことをやめなかった。
 俺は混乱した。コイツを目の前にして、ざわざわとした何かわからない感情が湧き起こってくる。危険は感じないが、もっと原初の、何か。
 思い出せ、思い出せ。頭の中で警鐘が鳴る。ものすごく大事なこと──



「マスター」
 久しぶりに、そう、本当に久しぶりにゾロに向けて発した声は少しかすれていたものの、柔らかだった。
「マスター・ゾロ」
「違うだろ」
 ぶんぶん、ともどかしげに頭を振る。
「マスター……?」
 しばらく二人の間に沈黙が落ちた。ゾロが口を開けて閉じる、その動作をきっちり三回繰り返した。ようやく四回目に絞り出すように声が出た。
「ゾロ、って呼べって言っただろう」
「……お前、憶えているんじゃねぇか」
「あれ? 何だろう。ただそう思ったんだ。何か違うって」
 これは何だ。これも記憶なのか。憶えているのか。何かを。何かとても大事なことを。
「ゾロ」
 再びサンジが呼ぶ。今度は間違えずにゾロの名前を、その昔に胸の中でだけ繰り返した愛おしさで。
「もう一回、呼んでくれ」
「ゾロ」
「もう一回」
「……ゾロ……」
 ああ、多分。
 こういうことなのだ。これを自分は待っていた。この甘やかに優しく包むように呼ぶ声を。
「多分、お前といれば」
 きっと取り戻す。全てを。
 その昔に味わった絶望と孤独すらも思い出してその記憶はまた俺を苛むだろう。だけどお前の存在がそれを包んで俺を癒してくれるだろう。きっとまた同じように。

 二つの視線が絡まり合った。
 どちらからともなく、唇が重なった。熱い吐息の下で、サンジが声に出さずに言った。
 大丈夫。今度は俺が教えてやるよ。愛することの喜びを。
 その昔お前が教えてくれた素晴らしい感情を。


 長い別離なんて星の瞬きに比べれば一瞬だ。これからずっと手を携えて生きていこう、それでも無限とはほど遠い短い瞬間だけれども。
 いつまでも、いつまでも、二人は互いの身体を抱きしめて離れようとしなかった。


End.

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あとがき

 

 アイザック・アシモフの「ロボット工学三原則」というSF界でとても有名な言葉?理論?がありまして、それをベースにした数々の小説にまだ学生のころの私は随分とはまったものでした。アシモフの頭脳こそ天才といってよいと思います。科学者としてだけでなく、作家として非常に多作、そして魅力あふれる作品たちを世に出してくれました。もしご興味を持たれたかたは、是非「われはロボット」や「鋼鉄都市」をお手にとってみてください。

 完売してずいぶん経つので今回ウェブにアップしたのですが、読み返すと、これ書いたころって随分小難しいことを考えていたんだなあ……と思います。三原則をベースにしていますがそれ以外は好き勝手創作しまくりです。高々度プレーンや宇宙ステーションはいつかありそうですが、細胞活性化措置……あったらいいなあ……。いや、その前に万能アンドロイドのサンジが欲しいです(笑)。

 書いていませんが、オルビアは裏設定がありまして、夫サウロと共にテロ事件でステーションの一角に閉じこめられたりしてます。サウロはそこでオルビアに酸素チューブを渡して死に、オルビアは白髪化した姿で救助される、とか。あとテロ事件の首謀者はCyberほにゃららNINE、ってテロ集団で、略してCP9というのだとか。フルネーム考えるの面倒だったんで出しませんでしたが(笑)。

 この後、二人はどうなるのか? もちろん手に手を取ってハネムーンです。三原則に縛られているサンジはあっちこっちで人が困っているのを見過ごすことができず、そのたびにトラブルに巻き込まれ、ゾロが舌打ちしながら助け出す、という感じ──感動的(と自分では思っている)エンディングから一転、ギャグになってしまうので書きませんが、「いつまでも幸せに暮らしました」ということです。

 ここまでお読みいただきありがとうございました! よろしければ一言メッセージでもいただけると尻尾を振って喜びます。



 

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