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竜の覇者(11)




 人々の視線がようやく自分たちから離れ初めて、サンジはほうと明らかに安堵のため息をついた。(何ヲソンナニ緊張シテイタノ?)とラティエスが不思議そうに尋ねる。
 大概にして竜はそれほど複雑な思考をしない。今も大勢の人間が自分とサンジを注目していたのを感じてはいたが、それに関してもそれほど気にしていたようではなかった。
 サンジは自分の前代未聞の感合が人々に当惑と反発を起こしたという成り行きに、一時は息が止まる思いを感じていたが、ロビンが上手くその場を納め、シャンクスが皆の関心を余所へ誘導したことで、どうやら少なくとも統領と洞母には受け入れられたらしいと知って、ようやく肩の力を抜くことができた。

(オ腹ガスイタワ)
「うん、そうだよね。生まれたばかりなんだから」
 いつも孵化ノ儀の後は、キイキイ鳴き声をあげる雛の声で餌場がいっぱいになるのが常だった。サンジはラティエスのまだ自分より低い位置にある首のつけ根に手をあてて歩き出し、ようやくふたりで孵化場を後にした。
 それでもサンジたちに注がれる好奇の視線はあらゆる箇所から降り注ぎ、これから今後ずっとそれはなくなることはないだろうと心の隅でサンジは覚悟をした。
 残っていた候補生、少年も少女も──感合を果たした他の子たちはとうに孵化場を出ていたので、ここにいたのは感合されなくて置いてけぼりにされた子たちだ──はサンジとラティエスを、特にサンジを険しいまなざしで睨んでいた。
「何であんな子が、女王を感合できたの?」
 納得できない、とまっすぐ疑問を投げつける。サンジはその娘がティレク城砦の太守の娘だ、と認めた。いつだったかちらりと見かけたときの横顔がとても綺麗で、話しをする機会があればいいな、とほのかに思っていたのだが、今はその視線が敵意むき出しでサンジを貫いている。
 ラティエスを得た喜びは何にも代え難いもので、当然今だってどんなに多くの人がそのことによってサンジを責め立てようと、ラティエスを手放すつもりは爪の先ほどもなかったが(もちろんその気になったとしても感合はやり直しも変更も一切できないが)、それでも出来れば他の雛と竜児ノ騎士のように祝福を受けられたら、と思わないではいられなかった。
(せめて憎まれなければいいんだけど)
 ラティエスに自分の落ち込んだ思考が流れ出さないように注意深く隠してサンジは候補者の間を歩き去った。どうしても視線が足下へと落ちてしまいがちなのを、必死で真っ直ぐ前だけを見るよう、頭を上げて。
(竜騎士は誇り高いんだ──)
 まだなりたてのほやほやでも。



 孵化場の外へようやく出たとき、明るい声がサンジを出迎えた。
「よ、おめでとさん!」「よかったわね、サンジ!」
 ゾロとマキノが揃ってそこにいた。
「え、あの…来てたんだ」
「何言ってるの。当然全部見てたわよ。おめでとう。よかったわね、こんなに綺麗な竜に選ばれて。あなたってば暇があると竜ばっかり見てたし、本当は竜騎士になりたいんだって隠そうとしたって全然隠せてなかったからね」
 毎回孵化ノ儀はあなたがうなだれてしまうのも知ってたわ、とマキノがちょっと困ったような顔で言った。
「そっか…。ごめん、心配させていたんだね」
 サンジはマキノの控えめな気のつかいかたに感謝した。マキノとて、サンジが候補者になれればいいとは思っていたが、自分に決定権がないのにただの希望を言いたててサンジに儚(はかな)い望みを抱かせるわけにいかないと思っていた。
 ゾロは言葉少なに、ただ「やったな」とだけ言った。にやりと笑う。言葉がないからといって、ゾロが喜んでいないわけではないことをサンジはとうに知っていた。ゾロはどちらかというと言葉だけでなく表情もそれほど豊かではない。けれども、少し前の早朝に話していたことを思い出すと、ゾロこそサンジの感合を一番に喜んでくれている人間だと素直に確信できた。
「ゾロ、俺──」
「何も言わなくていい。いろいろ大変かもしれないが、おまえはただラティエスのことだけ考えていろ。さ、彼女がもう待ちきれないって顔してるぜ。早く餌場に連れて行ってやれよ」
 こくりと頷いてまたラティエスに手を掛けて先へと促した。よかった。この大厳洞で唯一、家族であるマキノとゾロだけでもちゃんと祝福してくれた。
 ふとゼフの顔が頭をよぎった。ゼフはどう思うだろう。ぶっきらぼうで厳しいが、実は意外に細かくサンジの面倒を見てくれている。実際に厨房をとりしきっている料理長に、まさか後継者にと考えられているとは思っていなかった。あまりにもそれは大それている。しかしこの一刻で、料理長どころかサンジの世界はそれこそ百八十度変わってしまった。ゼフとは逆だ。ゼフは昔竜騎士だったのが、伴侶の竜を失って普通の人間に戻り、どのような経緯があったかは判らないが大厳洞ノ料理長となった。
 ふと、ゼフはサンジが竜を感合したことを喜ばないだろう、との思いがサンジを襲った。だってサンジが料理人にならないのならば、いろいろ気にかけてくれ、教えてくれたことがすべて水の泡になってしまう。
(それに)
 失った伴侶を思い出して、サンジを見るとつらい記憶を蘇らせるに違いない。自分は無理矢理奪われたものを、何の後ろ盾もなくただ偶然にここに流れ着いただけの小僧がぽんと与えられるなんて、理不尽にもほどがある。それを考えて、サンジは多分自分は姿を見せないほうがいいだろうと判断した。寂しいけれど、しょうがない。

 厨房の方角へひとつ頭を下げた。祝宴が開かれているから、間違いなくあそこは今戦場のように忙しい。サンジは本来なら自分もその渦中にいて、めまぐるしく立ち働いているはずだったことに、またしても後ろめたい気分になった。
 と、目の隅に白い料理服を捉えた。
 はっとそちらの方角を振り返ると、ゼフその人がそこに腕組みをして立っていた。
「な、なんでそんなトコにいんだよ…」
 だって今アンタはいっちゃん厨房で忙しいはずじゃなかったのかよ、アンタがいなきゃあそこは回らねぇだろ、何でこんなとこ突っ立ってんだ、と言葉はぐるぐる頭の中を駆けめぐるが、声となって出てこない。
 じっとその場で凍り付いたように互いを見つめていたが、くぅ? と甘えたような鳴き声をラティエスが出したので、サンジがはっと我に返った。

「ジジィ、こんなことになっちまって、俺──」
「こんなことたぁ、何だ」
「だって…!」
「だってもクソもねぇ! 俺ぁただ、ぴいぴい鳴いていたヒヨッコが立派な竜を感合したってんで見物に来ただけだ──うん、これぁべっぴんさんだ。チビナスにゃあもったいねぇくれえだ」
「そうさ。俺なんかじゃ釣り合わないって言いたいんだろ。分不相応なことしちまったって。わかってるさ。でも俺は誰が何と言ったってこいつと離れないからっ!」
「ふふん。そんなこと言ってるたあ、まだまだおまえはヒヨッコか──いいか、俺は『チビナスにはもったいない』って言ったんだ。おまえはもうチビナス卒業だ。これからは竜騎士だ。ちゃんと胸を張れ。そして二度と頭を垂れるな。うつむくな。離れないって気構えはいいが、そんなこたぁわかってる。離れたくても離れられねぇモンだ。魂の結びつきだからな、感合は」
 そこでちょっと言葉を切って、ほんの僅(わず)か眉をひそめた。しかし心をよぎった過去の影を表に現したのはそれだけで、すぐにまた口を開く。
「それにしても女王竜たあ…えらいことやりやがったな」今度は完全に面白がってにやりと相好を崩した。
「まあ、口さがないヤツらはいろいろ言ってくるだろうが、気にしないことだ。大事なのは竜がてめぇを選んだってことなんだからな。それさえ忘れなければ、あとは何とかなる。そのべっぴんさんに見放されないようにしっかり精進しろよ」
 そう言うと、くるりと背を向けた。
「ジジィ! 俺、おれ…」
 サンジは向けられた背中に向かって言葉を投げる。広い背中。今まであの背を見て毎日を過ごしてきた。
「──ありがとう、ございました…!」
 何と言ったらいいかわからない。ただ、この言葉だけを絞り出した。深々と頭を下げる。垂れるなと言われたばかりだけど、これは違う。感謝と決別の礼だ。
 ゼフは振り返らないまま、片手を軽く挙げて歩き去った。彼がどんな表情を浮かべていたのか、それは誰にもわからない。
 サンジは今度こそラティエスと共に孵化場を後に歩き去った。新しい生活へ向かって。


 

  

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