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竜の覇者(13)




「なあロビン、サンジはお前サンが直接教えたほうがいいんじゃないのか? 伝統(しきたり)では黄金竜を感合した者は、同じ黄金竜ノ騎士が教えるものだろう?」

 統領と洞母のふたりが使う岩室は、他の個人の竜騎士たちが起居しているものよりもゆったりと広く、いろいろと便宜が図られていた。大厳洞に住むすべての人間に対しての責任と、大厳洞が庇護している城砦、工舎への責任と──二分して担っているとはいえ大厳洞の統領と洞母は実際かなりの仕事量と大きな重圧がある。衣食住に関しては優遇されるだけの理由が十二分にあった。
 今もシャンクスはだらしなく寝台に寝そべって、傍のテーブルから玻璃でできた杯をぐいぐいとあおっていた。
 ロビンはそんなシャンクスを冷ややかに見つめ、ゆったりとした長椅子に自身を横たえると言った。
「確かに伝統(しきたり)ではそうなっているわね。私だって前の洞母のオルビア手づからすべてのことを教わったもの。ただ、サンジは将来洞母になるのかしら?」
「なるだろ、そりゃ。だって黄金竜ノ伴侶だし?」
「確かにそうだけど。ラティエスが交合飛翔をして、ちゃんと卵を産みさえすれば竜はそれでいいわ。でも、果たして大厳洞がサンジを洞母として受け入れられるかしら?」
「そりゃ、受け入れるしかないだろ。だって黄金竜ノ伴侶なんだから」
 シャンクスは同じ調子で同じ言葉を繰り返した。
「もう! これだから男って…! いいこと、確かに伝統(しきたり)にのっとって、黄金竜ノ伴侶が洞母になるのが当然なことだけど。だけどそれで大厳洞がうまく回っていくかしら。上からただ押しつけるだけの「洞母」に皆はついていくかしら。確かに洞母って役割は重責よ。それなりの能力が必要だし、先代から時間をかけて経験も含め教えてもらっていかなくてはならないわ。だけど、人々がついていくかいかないかは別。統領も同じだと思うけど、なんというか、カリスマ的なものが必要だと思うの。必ずしも好かれなくてもいいけど、一目置かれるようでなくては。サンジにはそれが今のところ見えないでいるの。もしかしたら埋もれているだけなのかもしれないし、全くないのかも」
 ロビンはほんの僅か視線を宙に泳がせた。
「代々の洞母は、感合ノ儀式に臨む時に、自分が将来洞母になるかもしれないということを重々自覚している。だから黄金の伴侶を得た時に、自然覚悟も落ち着くべきところへ落ち着くの。それがあるから、振る舞いもすべてその覚悟に基づいて洞母らしくなる。周囲もそれが当然と受け止めるわ。だけどサンジはあまりにも唐突に黄金竜を感合してしまった」
 その分覚悟が足りない、とロビンは言う。
「…とにかく、今はまだサンジを私の手許に置いて洞母としての訓練を始めるには時期ではないと思うわ。他の竜児ノ騎士たちに混じってもまれているうちに洞母としての資質が何であるか彼自身に見えてくるかもしれない。私はそれを期待しているの。サンジ自身にとっては、他の子たちと隔離されてしまったほうが楽だとは思うけど。でもそれは根本的な解決にはならないわ。あの子はまだ「黄金竜ノ伴侶」なだけ。自分から「俺が洞母だ!」という気概を見せてくれたなら、私は誰が何と言おうと、男だの女だのそういったことは一切飛び越えてサンジを洞母として扱うわ」
 いずれにせよ、竜児ノ騎士たちくらいは抑えてみせて欲しいところよ、大厳洞が必要としているのは、強い洞母なんですからね、とロビンは締めくくった。
 シャンクスはくいっと片眉をあげながらまたゴブレットをあおる。
「おお、こわいこわい。真面目な洞母で何よりだ。統領がちゃらんぽらんだからなぁ?」
「あなたは飛ぶことしか頭にないんでしょう。いかに早く飛ぶか、いかにぎりぎりで糸胞をかわせるか──」
「おうよ。いいじゃねぇか。結局、大厳洞がここに有る意味って突き詰めれば糸胞撃退、それだけなんだから」
「わかってるわ」軽くため息をついてロビンが言う。「糸胞から人々と大地を守る、それが第一義。だから竜のためにこんな草木も生えない岩山に住んでいて、生活の他の部分は城砦と工舎による十分の一税でまかなっている。お返しに我々は城砦と工舎を庇護する。重々わかってるわ。だけど、飛ぶことばかりにかまけていないで、あなたには統領としてもう少し自重していただきたいものですわね」
 確かにあなたほど早く巧みに飛ぶ人はいないけれど、とロビンは胸のうちで付け加えた。この奔放な統領をこれ以上つけあがらせるつもりはない。とは言っても、この赤毛の男は褒め言葉もけなす言葉も受け流して意に介しないであろうことも知っていた。他人の評価自体に関心がないというのは、稀有な神経をしているといえよう。



 竜児ノ騎士たちはようやく初飛行の日を迎えた。
「騎乗帯はきちんと締めたか? きつすぎたら竜の皮膚を痛めるし、緩かったりしたら、空の上で投げ出されてしまって地面に激突するぞ!」
 ヤソップがまだ幼い竜とその対たちの間をぐるぐると歩き回りながら、鋭い目で装備の点検をしていた。
 竜たちはぐんぐんと育ち、弱々しかった翼も今では大きく強くなり、羽ばたくと風で目が開けられなくなるくらいだった。すでに餌場の上空では滑空しながら獲物を物色する若い竜たちの姿が自然に見られるようになっていた。胸筋も脚の筋肉もたくましくなり、もう人を乗せて飛ぶことができるくらい充分に育ったと判断された。

 サンジもまたラティエスと一緒に、その群れの中にいた。相変わらずまっすぐ前だけを見つめている。騎乗服をきっちり着込み、騎乗帽を目深にかぶっていると、地上ではじんわりと汗が出てくる。暑い。しかし空の上では風でちょうどよいくらいに身体の熱が奪われるだろうし、いずれ間隙を飛ぶようになれば、極寒の間隙ではぶ厚い騎乗服がありがたく思えるはずだ。

「よし、そうしたら、第一列! 一歩前へ出る! 俺が最初に見本を見せるから、その通りに飛ぶように、ちゃんと自分の竜に伝えるんだぞ! 最初は短い距離からだ。ここからあちらに見える峰までだ。だけど短いからって油断するんじゃないぞ? くれぐれも言っておくが、おまえたちも初めてだが、竜たちも人間を乗せて飛ぶのが初めてになるんだからな!」
 そうやって慎重に訓練は進んでいった。順番を待っている間は退屈で、他の竜児ノ騎士たちはいっぱしの批評家めいて飛行の出来をあれこれ言ったりしていた。サンジはいつもの様にひっそりと立ち、そういった会話に参加しないながらも聞こえてくることは全てしっかりと心に留めておいた。
 あまり静かにサンジが振る舞っていたから、もしかしたらサンジの存在を忘れてしまったのかもしれない。飛行教官が他に注意を向けているときに、声を抑えてはいるが、少々興奮気味の会話が聞こえてきた。

「えー、うっそ、男同士ってそこ使うんだ!?」
「でももともとそういう風に出来てないだろ。用途が違うだろ?」
「出来んの? 本当に?」
「でも出来たとしてもさあ、男同士だろ。子供できるわけないじゃん」
「いいんじゃないの? 女王が卵さえ産んでくれれば、大厳洞は安泰なんだからさ」

 自分のことをまた言われている。サンジはかあっと顔が火照るのを感じた。幼いころ大厳洞に拾われてからはずっと外へ出たことなく、大厳洞で育ちながら竜の生態や営みを間近に見てきた。竜と竜騎士との関係も理解していた。だから彼らが一体どんな事態を想定して会話しているのかも。

「飛翔ノ儀のときはどうするんだろうな」
「当然、女として抱かれるわけなんだろ」
「いや、男を抱くなんて気持悪いって、誰も名乗りでる青銅ノ騎士なんていないさ」
「サンジは実は女だったんじゃねえの」
「ちんこついてるか、見てやろうぜ」

 飛翔ノ儀、つまり女王竜の交合飛翔が何を意味するのか──サンジは十二分に知っていたので、聞こえないふりをしながらもぎりり、と奥歯を噛みしめてしまった。
(キニスルコトハナイワ)とラティエスの穏やかな声がサンジの頭に響く。竜は感情的にはならない。彼らまたは彼女らが気に掛けるのは餌場の畜獣の肥え具合や、水浴び場の水が冷たくて気持ちいいこと、また新しく皮が出来てきたところが痒くてたまらないこと、そういう単純な思考がほとんどを占めていた。
 サンジは竜は複雑な思考をすることが出来ないのではないかと思ったこともあったが、単にそういった性質なのだと最近わかってきた。そしてそういうおおらかな性質に大いに救われていた。

 自分が男であることがこんなにも問題になるなんてサンジは悔しくてならなかった。それでもラティエスが雄の竜だったら、と考えたことは一度もなかった。
(ソウヨ)
 ラティエスもサンジのかすかな思考を読み取って同意した。
(ワタシダッテ、さんじガ何ダッテカマワナイワ。さんじガさんじデアルコトダケデ充分ダモノ)
(うん、わかってる)
 サンジはラティエスの首をやさしく叩いて、心ない竜児ノ騎士たちの言葉を心から締め出した。
「さ、次!」
 サンジとラティエスの番がやってきた。サンジはラティエスに跨り、騎乗帯の前を軽く握って、ラティエスに呼びかけた。
(さ、お嬢さん、行くよ)
(エエ、ヨウヤクさんじト一緒ニ飛ベルワネ。嬉シイワ)
 大きな翼を広げて、力強く羽ばたく。女王竜はただでさえ他の竜よりも大きいので、生まれた風も比例して大きかった。風除け眼鏡をしていても周囲にいた竜児ノ騎士たちは顔を伏せるか覆うかして数歩後じさる。
 ぱっと飛び上がり、ぐいぐいと上昇したかと思うと、翼を思い切り広げて滑空した。黄金の体躯が日の光を受けてきらきらと輝き、優美な身体のラインと相まって、実に美しかった。
 ほう、と思わず見上げた年長者たちの間から感嘆の声が上がる。もうあと二、三年後には──と思った騎士も少なくなかったに違いなかった。
「初めてにしては上手いもんだ」
「ただ、大きい躯のため小回りがきかないんじゃないか」
「別に女王竜に小回りとか機敏性を求める必要はないだろう」
「ま、火焔石を食べて炎を吐くわけじゃあないしな」
「女王部隊は吐炎具を使うんだっけ。やっぱり機敏性はそれなりに必要じゃないか?」
「ま、それもそれだし。交合飛翔の時にだって──」


 ゾロは年長の騎士たちに混じって、そういった批評の声を聞いていた。ゾロは所属の飛翔小隊中では一番若い。しかし初陣から数回の糸降りを経て、徐々にゾロを見る目がただの若造を見る目ではなくなってきた。
「へ、確かに早いけどな、まだまだヒヨッコだぜ、あいつなんか」
 そういった聞こえよがしの声もあるにはあったが、ゾロはまるきり気にしていなかった。今はもうバシリスと飛ぶことがとにかく楽しくてならなかったので、言いたいヤツには言わせとけと思っていた。
 今日は反対側の峰でサンジたち竜児ノ騎士の飛行訓練が行われているのを眺めていた。ゾロたちは巡回飛行から戻ってきたばかりで、これから思い思いに竜たちに水浴びをさせたり、餌場へ行ったりと自由行動になったところである。
(水ヲ浴ビタラ、少シ日向ボッコシテ昼寝シタイナ)
 バシリスがのんびりとした思考を伝えてきた。
「はいはい、おおせのままに」
 言って、ゾロはもう一度上空をよぎる黄金色をちらりと見ると、バシリスと水浴び場へ向かった。

 バシリスがくうくうと安らかな寝息を立てている脇で、ゾロもまたバシリスにもたれて惰眠をむさぼっていた。昼の間日光で暖められていた一枚岩はまだ充分にぬくもりを抱えていたし、なによりバシリスの体温がとても心地よかった。
 意識と無意識の境目でゆらゆらしているときに、争っているような話し声がゾロの耳に入ってきた。
「…だから、絶対なんかの間違いだって言ってんだよ!」
「お前なんかが女王竜を感合できたなんて、何か裏があるに違いないさ!」

 数人の年長の竜児ノ騎士が、サンジを囲んでいた。
 乱暴な物言いに、サンジは低い声で何やら言い返しているようだったが、ゾロの位置までは届いてこない。
「お前は本当は女なんじゃないの? ちゃんとちんこついてるのかよ!」
「俺たちに確かめさせてみろよ!」
「俺、大人の騎士たちが話してるのをちらっと聞いたんだけど、療法師がさ、コイツの性別を裸に剥いて確認したんだって」
「ええ? うっそー!」
「それがさ、統領立ち会いでやったんだって。だから騎士たちも何も反論できなくなっちゃったんだってさ」
「あの統領が、本当に立ち会ったのかな? 適当に『問題ない』ってことにしちゃったんじゃないの? だって統領っていつも面倒くさいこと嫌がって、人に押しつけちゃうらしいじゃん」
「うーん、そういやそうだよな」
「だからさ、俺らが確認してやるんだよ。いいか、サンジそこ動くなよ」


 

  

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