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竜の覇者(16)




「おい、見ろよ」
「ん?」
「あそこを行くの、あれサンジじゃねえ?」
「まさか。あいつが市なんかに来られる訳ねえだろ」
「でもあの金髪はヤツだろう」
 伸び上がって雑踏の中を見渡したのは、いつぞやサンジを難詰し、ゾロに見とがめられた三人だった。
「…サンジだな」
「へえ、いいご身分じゃねぇか。ヤツが市に来られるほどマルクを溜め込んでいたとはね」
「もともと大厳洞に捨てられていたんだろ? どこの血統かもわからねえ馬の骨のくせして」
「ああして見るとそんなのわからねえな」
「腹が立つことに」
「女王竜を感合したから、いい気になってるんじゃねえ?」
「思い知らせてやんねぇとな」「もちろん」
 この時点で確かに少々葡萄酒を飲み過ぎていたこともあっただろう。しかし鬱屈した心ははけ口を求めて常にくすぶっていたのである。たまたまその時サンジの姿を目にした城砦民の若い娘が首を巡らせて視線を追いかけたのを見て、火がついた。
 あいにく、ゾロは一竜身ほどサンジの先を歩いていたので彼らの視界に入っていなかった。三人は手分けしてサンジを取り囲もうと、ひとりが先回りし、あと二人はまっすぐサンジを追った。人混みの中を無理矢理押し進んだので、ぶつかった人たちに睨まれたりしたが、そんなことは気にしないで小走りになりつつサンジに追いついた。
 ちょうど早駆け獣のレース場の入り口付近でサンジは三人に囲まれることになった。

「よお、奇遇だなあ」
 サンジは、黙ったまま渋面を作った。あれ以来、サンジに面と向かっては喧嘩を吹っかけてはこなかったが、すれ違いざまや背後から聞こえよがしの嫌みを言うことはしょっちゅうだった。サンジは全てを無視という形でやり過ごしていたが、今はその手では上手く終わりそうになかった。
 視線だけ動かしてゾロを探す。別にゾロに助けてもらおうと思ったのではなく、この人混みではぐれることを心配してのことだった。果たしてゾロは、ちょっとサンジが足を留めた隙にすでにレース場に入ってしまったらしく、サンジの視界に濃緑色は入ってこなかった。
(まあいいや、あとでバシリスにゾロの居所を聞こう)
 とりあえずゾロのことは後回しにして、サンジは当面の問題に向き合うことにした。正面から二人がサンジを見てにやにやと嫌な笑いを浮かべている。声を掛けられたときに振り返ったため、サンジの後を追ってきた二人だ。
 二人だけなら、とサンジは人混みの中に紛れてしまおう、とくるりと身体を返したがもう一人がちょうどやってきてサンジの目の前に出てきた。
 さすがに眉間に皺が寄ってくるのが止められない。
「こんなところで、何の用だ」
 とりあえず言ってみる。当然用も何もあるわけはない。形式だ。
「いいや? ただ見かけたから声を掛けただけだぜ? なあ?」
 一人が他の二人に向けて同意を求めるように笑った。
「ここはティレク城砦で、今は市の最中だ。俺をからかうのはやめて、お互い市を楽しめばいいじゃないか。通してくれ」
 サンジが言って、正面の青年の脇をすり抜けようとする。が、青年は身体をずらしてサンジの正面をふさいだ。
「楽しむぜ? 当然。ただおまえがいるとなんだか面白くねぇんだよなあ」
「だから俺のことは放ってくれれば…!」

 最初は声を殺していたが、だんだんと声が高くなってくる。そうすると、人混みの中での騒乱の気配を周囲の人間が察して、ざわざわと注目が集まってきた。
 ハイリーチェス大厳洞の記章だ、騎士か? いや竜児ノ騎士らしいぞ、という声が囁かれる。今や四人の周囲には人垣の輪が出来初めていたが、まだ誰も手出しをしていないので遠巻きに様子を窺っている程度だった。
「つれないことを言うなよ。同じ竜児ノ騎士同士じゃあねえか。これからレース見に行くんだろ? 賭け金のマルクはたくさんあるのか? よければ一緒に楽しもうじゃねえか」
「賭けはしねえ。見るだけだ。それに俺は俺で連れが居る」
「へえ? どこに? まさか女じゃねえだろ?」
 連れ、と聞いて三人とも顔色を変えた。先ほどだって、すれ違っただけの娘がサンジの姿を目で追いかけていたのだ。それを思い出してむっとした。コイツ、こんなスカした顔しやがって、まだ俺らなんかよりずっと年下のくせにいっちょまえに市で女作ったのか?
 そんな彼らの内心を知らずに、サンジはゾロの名を出すべきか迷った。若手騎士の中で名前が売れているゾロの名を出せば牽制になるだろう。だけど前にも一回ゾロの登場によって救われたこともあるし、サンジとゾロが乳兄弟だということは大厳洞育ちの彼らなら知っている。今度もゾロの名を言えば、サンジはゾロの陰に隠れてしか行動できないというレッテルを貼られるような気がしてなんだか嫌な気がしたのだ。
 そのサンジの逡巡を、三人は自分たちの疑念が裏付けされた、ととった。
「…そうか、女連れか。それは結構なこって。じゃあ俺らは邪魔者ってわけだ。それにしてもこんな澄ました顔してて、手が早えなあ。あ、女タラしこむのは得意ってわけ? なんてったって、女王竜の雛さえタラしこんじゃうくらいだもんなあ!」
 サンジはその科白に一瞬、我を忘れた。かあっと頭に血が昇る。しかし最大限の意志を振り絞って殴りつけたい衝動をやりすごした。ギリ、と唇を噛みしめてただそれを言った者を睨み付けるに留める。

 ただ、その科白を聞いたものはサンジだけではなかった。不穏な空気が流れ始めた彼らを眉をひそめて見ていた周囲の人間の耳にもはっきりと届いたのである。
「…女王竜、って言ったよな?」「言った言った」「てぇことは、あの金髪の子が例の」「へえ、あの子が」「何て名前だっけ」「確か、サンジ、とか」「男でありながら黄金竜を感合したって話しは本当だったのか?」「あたしゃ、てっきり竪琴師の作った歌だけのことかと思ってたよ」
 途端、周囲のざわめきが大きくなった。──例の黄金竜を感合した男の子だってよ──へえ、あの子が──わりと男前じゃない? ──ばぁか、洞母になるかもしれねぇんだぞ──
 今やサンジと三人を囲む人垣ははっきりと輪を作り、好奇の視線がサンジに集中した。
 サンジはとにかくこの状況から逃れたくて視線をうろうろさまよわせたが、ゾロの姿はとうになく、誰ひとりとして知った顔を見いだせずに、ただ群衆の無遠慮な視線がつきささるのを黙って耐えるしかなかった。

 形勢が意外なところでサンジに不利に働いたので、三人は気持ちに余裕が出来ていた。にやにやと目配せして、どうサンジをいたぶろうかと画策する。
 ここは大厳洞の孵化ノ儀の砂の上ではない。大厳洞の統領も洞母もいないし、周囲はティレクや、近隣の小城砦からの一般民がほとんどだった。
 リーダー格の青年がサンジへ向かって手を伸ばした。とん、と軽く胸を突きながら言う。
「今日はお美しい女王竜はどこに? 黄金ノ騎士様。伴侶ノ竜をほっぽってのこのこ市へ遊びに来てるってわけ?」
「何言ってるんだ。まだ訓練が終わってないから、竜児ノ騎士は全員自分の伴侶に乗って来てはいけないってことになってるじゃないか! おまえらだってみんなそうだろう!」
 サンジは言いがかりに反論した。こう言ったところで城砦民が納得するかどうかはわからないが、それでもラティエスを放って遊んでいると思われるのは心外だった。
「いいや? 俺らはちゃんと自分の竜に乗ってきたぜ? 竜児ノ騎士といえど自分の竜と離れられっこねえじゃん」
「嘘だ! そんなことしたら竜児ノ騎士ノ長に叱られるだけじゃすまないぞ!」
「そんなの、誰がわかる? それより、サンジ、おまえ女王を放っておいて、早くも浮気かよ? いいご身分じゃねぇかよ。やっぱりどこの誰ともしれない、血統が卑しい生まれのせい?」
「それとも、女王竜の交合飛翔に備えて、男を選んでたとかじゃねえだろうな?」
「は、こりゃいいや! 黄金ノ騎士様は市で男漁りをしてました、ってか!」
 下卑た笑いがサンジを囲んだ。

「…なあ、黄金竜がおまえを選んだってのは一体どういう訳だと思う?」
「………」
 サンジはもうどう反論しようがこの格好の機会を彼らが手放す訳がないと思って、ただひたすら彼らが飽きてこの場を去ってしまうことを願っていた。こうなると反論したところで彼らの思うツボだ。ただ難癖が続くだけだ。
「おまえが本当に男かどうか、療法師が確認したって話しは聞いたぜ。大人たちだけの秘密らしいけどな。で、残念ながら、というかめでたくもちゃんと立派にオトコだって証明されたって?」
 睨みながらもサンジは自分の耳のあたりが熱くなるのを止められなかった。こめかみがジンジンとする。
「それなら、だ」
「もし騎士の方に問題がなかったのなら」
「もしかしてあの黄金竜の方がちょっとどこかオカシイのかもしれねえよな?」

 今度こそサンジは自分の血がざあっと逆流する音が聞こえたと思った。
「……んだ、と……?」
「まともな騎士を選ばない。女王竜にふさわしい、血統の正しい、まともな娘を選ばないってことは、あの黄金竜の目がオカシイってことじゃねえの?」

 ───ラティエス!!───

 サンジは心の中で彼の黄金ノ伴侶を強く思い描いた。優美な身体、光り輝く金色の皮膚、虹色に煌めく多面体の瞳。あの、これ以上ない美しい生き物に少しでも瑕疵(きず)があるように言われるなんて我慢ならなかった。
 その強く伴侶を庇(かば)う思念は遠くハイリーチェス大厳洞にまで届いた。

 ──さんじ…? アナタ、ドコニイルノ…? 何デソンナニ混乱シテイルノ?──

 魂の半分を呼ぶ声が強く互いを呼び合って、それは距離をものともせず繋がった。

「…もしかしたら、あの女王竜の方が雌じゃなかったりしてな。ちゃんと交合飛翔するのか? もししたとしても産卵能力がないのかもしれないぜ。誰もそこまで疑ってみないってのは変な話しだよなあ。黄金色だからって大事に考えすぎだっての」

 サンジの視界が怒りで赤く染まった。
 後で思い返しても、次の数瞬、自分がどう動いたのかまるでわからなかった。
 気がついたら、自分の前に三人とも地面に倒れていて、それぞれうめき声を上げていた。
 急激に身体を動かしたため、まだ弾んでいる息を抑えもせず、目の前に無様に転がっている年長の竜児ノ騎士たちに叫んでいた。

「俺をあれこれ言うのはかまわねぇが! ラティエスは立派な、非の打ち所のない女王だ! 彼女を侮辱するヤツは、たとえ誰であろうと俺が相手になってやる!」

 目の前でいきなり繰り広げられた、つむじ風のようなサンジの反撃に、見ていた群衆は瞬間あっけにとられたが、さすがに竜児ノ騎士たちの無茶な言い様に、サンジに対して一斉に同情の意を示した。
 女王竜は至宝の存在だ。唯一、青銅竜と交合飛翔して、卵を産み次代の竜たちの母となる貴重な種だ。感合ノ儀から話題となっているハイリーチェス大厳洞の黄金竜が、不妊ではないかと疑うことだけでも不敬だとたしなめられるべき話題だし、百歩譲ってもしも万が一彼らの言うように不妊であったとしても、竜と竜騎士は全て尊敬を持って語られるべきだ。実際一番小さい緑竜は不妊の雌であるが、闘竜として、糸胞との戦いでは先陣を切って飛ぶそのスピードと敏捷性が高く評価されている。
 女王竜だとて産卵のためだけに存在しているわけではない。糸胞との戦いでは黄金竜だけの編隊を作り、その力強い滑空力で地面すれすれを飛んで、上空でしとめそこねた糸胞を吐炎具でもって焼き払うのである。
「そうだよなあ。いくらなんでもあそこまで言うのは言い過ぎってもんだ」「やれやれ、あの子もさすがに自分の伴侶を侮辱されるとちゃんと怒るんだねぇ」「おとなしい子かと思ってたけど」「そりゃ竜騎士だもんな」「よ! 兄ちゃんがんばれよ!」ざわめきはいつしかサンジへの声援と変わりつつあった。

 はあはあ、とサンジはまだ怒りのあまり息が整わないでいた。目立たないように、などという最初の気苦労はすべてパアになって、なぜかサンジの反撃に周囲の人間たちが暖かい声援を送ってくれている。
 ようやく少し気が収まって、あたりを見渡すだけの余裕ができたとき、誰かが空を指さして叫んだ。

「おい! あれを見ろ!」
 それを聞いた全員が一斉に空を見上げる。一瞬前には何もなかった空に黄金に輝く優美な姿があった。
「…ラティエス…?!」
(さんじ、アナタ私ヲ呼ンダデショウ。ダカラ来タワ)
 弾むような声がサンジの頭の中に響く。それを聞いただけですっと身体が軽くなった気がした。
 魂の半身。誰だって俺たちのこの絆を汚されるわけにいくものか。
 ラティエスの姿を見上げる瞳には、間違えようもなく誇らしさと愛情が輝いていた。


 

  

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