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竜の覇者(18)




 そして、サンジはそれから目に見えて変わった。
 苛められて黙って下を向くことはすっかりなりを潜め、逆に何かからかうような事を言われると、それが悪意の籠もったものであれば即座に蹴りを繰り出し、相手を黙らせた。なので、しばしば喧嘩両成敗と、揃って罰当番を受けている姿も見かけられた。
 訓練の時も、常に控えめに目立たないようにしていたのが嘘のように積極的に前に出て、貪欲に課題に取り組んだ。サンジのそんな変化を、ヤソップを始め、周囲は始めとまどいを持って受け止めていたが、徐々に好意的に受け入れるようになってきた。
 なにせ、ラティエスは華がある。そしてサンジも黙って耐えていた頃は陰気な雰囲気を漂わせていたのが、この頃はがらりと纏(まと)う空気を変え、とにかくよく笑い、朗らかに明るくなった。最近は黄金の女王とその騎士が居ると、そこが中心となって場が華やぐようになった。

「必死だな」
 ある日ぽつりとシャンクスが言った。
「誰のこと?」
 ロビンがそ知らぬ振りをして次を促すと、片頬をゆがめて笑いらしきものをひらめかせて言う。
「サンジさ。まあ、ようやく黄金竜ノ伴侶の自覚が出てきたってところだろうよ。今まではただの竜児ノ騎士以下だったもんなあ」
「まあ、酷い。あの子の生い立ちと感合の経緯を考えればよくやっている、とこの前誰かさんはおっしゃってませんでしたっけ」
「あれ、俺そんなこと言った?」
 くるりと身体をロビンの方へ向け、おどけた口調でシャンクスが言う。が、その目は口調ほどには笑っていない。
「ま、貴方がご自分の言動を覚えていないことはしょっちゅうですから、別に驚くには値しませんけど」
 ロビンも慣れたもので、シャンクスの視線をやんわりと受け止めつつ嫣然と笑んでみせる。
「まあ、しかしこれからが大変だ。なにせ男性の女王竜ノ騎士ってのは何しろ前例がないからな。交合飛翔がどうなるか、こればかりは俺にも読めん」
「…サンジはいい顔をするようになりました。『自分が黄金竜ノ騎士だ。誰が何と言ったってそれに文句は言わせない』という、ね」
 シャンクスの言葉は聞こえないふりをした。シャンクスだけではなく自分もわからない。というより、誰もわかるものはいないだろう。あの子が自分で初めての道を切り拓くしかないのだ。
「だけど、まだサンジがそれを必要以上に自分に言い聞かせているように感じるのは俺だけなのかな?」
「だとしても、それに関してはそれこそ時が解決してくれるのを待つしかないでしょう。私だとて、女王竜ノ伴侶という自覚と、それに基づく自信とは同時には持ちえませんでしたもの。自信はそれこそ経験を積んで初めて身に付いてくるもの。まだサンジはようやく自覚を持ち始めたってところでしょう。あの子も必死なのよ」
「それでは、そろそろ洞母さまは次代洞母の教育にかかる?」
「…そうね…」
 ロビンは口の脇に人差し指を添え、しばし考えるポーズをとった。しかしシャンクスは彼女がすでに結論を出しているのを長いつきあいからわかっていた。
「やっぱり、交合飛翔を乗り切れるかどうか、見てからにしましょう。サンジにもラティエスにも私個人は含むところは全くないのだけれど、洞母として責任がありますからね。これだけは、万が一を考えておきたいの」
「了解。そう言うだろうと思った。だけどそうなると、交合飛翔への備えはどうする? それを教えるのは誰がやるんだ?」
「あなた、と言いたいところだけど、大厳洞ノ統領も洞母と同じくらい目立つわ。ベンにお願いしましょう。ヤソップでもいいのだけれど、彼は他の竜児ノ騎士たちも面倒をみなくちゃならないし」
「そうだな。ヤツなら適任だ。しかしそうなると、俺の副官としての仕事は? 誰がやるんだ?」
「あなた、ベンにばかり仕事を押しつけているじゃない。たまにはご自分でおやりになったら?」




「──ラティエスはとてもよい調子のようですね。黄金色の艶(つや)が素晴らしい」
 ベンがラティエスを見上げながら、傍らのサンジに言った。

 サンジが竜児ノ騎士の訓練を受けるだけでなく、ベンによる特別授業を課されるようになって、もう大分経つ。この物静かな、ずば抜けて長身の男がサンジの前に立って、「今日からしばらくの間、追加訓練をいたします。これは統領と洞母からの直々のお達しですので」と言った日は、一体どんな苛烈な訓練があるのかとごくりと喉を鳴らしたものだったが、ベンの課題は拍子抜けするくらいやさしいものだった。
 いや、やさしいというよりは通常の訓練とはかなり異なっていたと言うべきだろう。
 大厳洞ノ竪琴師の授業で習う義務ノ歌や教訓ノバラードとはまた違った、大厳洞が乗り越えてきた苦しい時代に関する歴史や、そのときの統領や洞母の行動、庇護下だけでない全ての城砦の特徴、特産物に関すること、各大厳洞の地理的特徴、糸胞の降り方に関するパターンなど、などなど。
 それをサンジと一対一で、平易な言葉で語るのである。しかしただの世間話でない証拠に、ときどきサンジの意見を求めるのだった。それも、ただ記憶していたものを言うだけではダメで、必ずサンジ自身の言葉で、サンジの考えを述べさせた。
 それと平行して、黄金竜に関する注意も細かく受けていた。曰く、必要以上に食べさせないこと。常に皮膚に油を塗って乾燥させないこと。
 前者は、あっという間に成体になったラティエスにとってはたやすいことだった。毎日のようにフェリを食べていた仔竜の頃とは異なり、今では三日から一週間ごとくらいに一頭食べれば事足りるようになっていた。
 後者はサンジがラティエスを感合してからずっと毎日日課でやっているので、これも苦になるものではなかった。
「世話を怠って、万一皮膚がひび割れていたりしたら、遠く、高く飛べませんから」
 もちろん、竜はいつだって飛ぶものだ。しかしベンはラティエスの様子を常に気に掛けていた。ベンがラティエスを見る目は、サンジの愛情を込めたそれとは異なって、観察し前日と比較し少しでも異常がないか点検している、そんな冷静なまなざしだった。

 この日、ベンはいつになくラティエスの様子に満足し、いつも無表情に努めている顔つきも穏やかなものだったので、サンジは思い切ってベンに尋ねることにした。
「…あの、そろそろラティエスも交合飛翔するかな」
 ラティエスを見つめていたまなざしがゆっくりとサンジへ向けられる。
「そうですね、肌の張り、艶といい、彼女は充分成熟しきったと思います。調子も極上ですし、この分なら近いうちに」
「そっか、統領補佐の貴方がそう言うんなら、その通りなんだろう」
「怖いのですか」
「…いや、俺のことじゃねえ。ラティエスがちゃんと交合飛翔に飛び立てるかどうか、って声があるんだろう? 隠さなくったっていいぜ。俺はもうそんな噂にびくつくほど子供じゃねえし。ただ、未だにそう思われているってのが癪でさあ。ようやく、これでラティエスが立派な、一人前の黄金竜だって誰はばかることもなく証明できるな、って思ってほっとした」
「…そうですか、私はまた貴方が、『その日』が来なければいいと言うのではないかと思いました」
「冗談。俺はラティエスのこと、いつだって一番に考えてるさ。──そりゃ、アンタが危惧している意味は判ってる。充分すぎるほど判ってるつもりだ。俺だって大厳洞育ちだ。交合飛翔が何を意味するのか理解してる。だけどさ、」
 サンジはラティエスを振りかぶって誇らしげに言った。
「俺は、俺のラティエスが完璧だって証明したい。そのためには何が何でも交合飛翔を成功させなきゃ、って思うんだ。俺が足枷になるのだけは嫌だ。だから、どんなことだって受け止めてみせる」
 サンジはベンの目を真っ直ぐに見つめた。澄んだ隻眼がベンの落ち着いた双眸に映り込む。視力のない左目は濁っているのを嫌ってサンジは前髪を伸ばして隠しているつもりのようだが、あまり役に立っていない。
(惜しいな)
 ベンはふと心に沸き立った言葉を、それが一体何に対してのものなのか判らないままサンジの言葉に黙って頷いた。


 

  

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