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竜の覇者(19)




 そのころ既にかつてティレクの市でサンジとラティエスが起こした騒動によって、ハイリーチェス大厳洞の黄金竜と一風変わったその騎士の噂は大陸中に広まっていた。黄金竜とその騎士の、距離に拒まれない心話能力や、堅固な結びつき、そして何よりあのレース場での印象的な姿。
 黄金に輝く竜とその前に立った黒一色の男。
 なべて、黄金竜の傍らに立つのは、きりりとしていようとたおやかであろうと柔らかな印象の女性であることに慣れていたものたちは、対照の妙とも言うべき組み合わせに酷く衝撃を覚えたのだった。
 ──あれが噂の。
 ──へえ、意外と見栄えもするじゃないか。
 そしてさらに大きくなった噂は大陸中を席券した。





「男の洞母なんてあり得ない」
「いやしかし、女の洞母の命令に従うよりマシではないか?」
「伝統(しきたり)では、常に洞母は女性だったではないですか! 今更そんなことを言い立てたとて何になりましょう?」
「然り。ハイリーチェスはあの赤髪のシャンクスの統制のもと、最高に繁栄している大厳洞と言えるだろう。あそこの次期統領候補になるのも悪くないと、そう思わないか?」
「あそこで統領となるのは、フルールスが交合飛翔に飛び立たなくなった後の話しですから、ずいぶん先ですがね。それとも、ハキスと争ってみますか?」
 野心のある青銅竜の乗り手が集まると、こういった話題が交わされるようになっていた。
 ゾロも例外なく、青銅ノ騎士同士の交流の場では必ずひっぱりだされた。
「なあ、君はあの黄金ノ騎士と仲がいいんだろう? 同じ大厳洞だもんなあ。どう思う? やっぱり、こう、女王ノ騎士っぽいのかい?」
「…どういう意味だ、それは」
 ゾロは低く押し殺した声でその騎士に尋ねた。最近この手の話しをゾロに振ってくる人間が多くて、ゾロは絶えず苛々していた。
「ああ、つまりだね、それは…」
 質問した騎士はわざと声をひそめ、ゾロの肩を抱いてこっそり耳打ちした。
「…我々青銅ノ騎士が欲情するくらい色っぽい腰をしてるか、ってことさ!」
 ゾロは肩にかかるその騎士の腕をばっと振り払い、力を込めて睨み付けた。
「アイツはそんなヤツじゃねえ! そんな色目を使ってアイツを見るんなら、俺が容赦しねえからな!」
 その青銅ノ騎士は目をぱちくりさせてゾロを見た。一体何でこの若い騎士の気に障ったのかまるで見当がつかないという顔だった。
「おお、こわ。だって、結局「そういう」ことだろう? 俺たちの竜のうち誰の竜があの黄金竜を掴まえるか、それは判らないけど、とにかくそうなったら、その青銅ノ騎士があの黄金ノ騎士を抱くってことじゃないか!」
 ぎり、とゾロは奥歯を噛んだ。このところ苛々してしょうがなかった、それが答えだった。

 サンジのラティエスはそろそろ交合飛翔をしてもおかしくない、いやするだろう、との一致した意見だった。誰が見ても彼女は成熟した立派な黄金竜だった。躯は大きく堂々として、皮膚の色つやも申し分なかった。経験の乏しいゾロですらそれは感じ取れたことだったし、バシリスがそっとゾロに漏らしたところによれば、何となく最近のラティエスは、人間で言うところの色気があるらしい。魅力的になった、と言ったり、あまり離れないほうがいい、とまで言っていた。

(まだ十七巡歳になったばかりというのに)
 ゾロはというと、二十一巡歳。二人ともようやく竜騎士として一人前と認められかけているところだった。ゾロは初陣も早かったし、その後も順調に頭角を現していたので、騎士としての名声が自然に付いてきていたが、サンジの知名度は例のあの一件以来爆発的に跳ね上がったため、実際、有名という点ではサンジの方が断然知られていた。
 それだからこそ、糸降りの際に黄金ノ騎士たちが集まっていても、皆サンジへと視線を集中させる。ゾロはそれもまたいたたまれなかった。
 サンジはというと、初陣のときのような触れただけで切れそうな緊張した顔はすることがなくなったけれど、それでも周囲が洞母や洞母補佐という女性たちの中で、ひとりだけようやく青年期にさしかかった男性であるという状況に、やはり居心地の悪さを感じていてそれを隠せないでいた。
 そこへもって青銅ノ騎士たちのあからさまな好奇心のまなざしである。褐ノ騎士、蒼ノ騎士、緑ノ騎士たちは自分たちは関わりのないこととしていたが、青銅ノ騎士たちから漂ってくる雰囲気を感じ取ってちらちらと目を見交わしていた。

(ええい、くそっ!)
 ゾロとて、どうしようもないことをよく解っていた。どうしようもないながらも、ただサンジに集中する青銅ノ騎士たちの、品定めするような視線がいまいましく、かといって逆に、もしも交合飛翔が成されなかったとしたら、そのほうが遙かにラティエスに、そしてサンジにとって悪い結果をもたらすことも解っていた。
 どうしたらいいかという答えは欠片も浮かばないまま、ただ悶々と毎日を過ごしていた。



 その晩は月が綺麗だった。何かに呼ばれたような気がして、ふらふらとゾロは岩室を出て、いつだったかサンジと朝日を見ながら語り合ったテラスまで出てきた。バシリスが深く眠っているのを心を伸ばして確認し、その穏やかな波にほんのりと笑った。
 振り仰いでみると月は満月にはほんの少しだけ欠けていたが充分すぎるほど明るく、大厳洞のごつごつとした岩肌をくっきりと浮かび上がらせていた。
「ゾロ」
 ゾロは振り返らなかった。なんとなしに、ここにサンジが来るような気がしていたので、サンジが声を掛けてきても驚きはしなかった。
 そのまま黙ってしばらくふたりで月を眺めていた。

 月が少し位置を変えたころ、ようやくゾロが視線を月に据えたまま言った。
「…で、おまえはそれでいいのか」
「──うん」
 お互い、何が、と聞くことは一切なかった。
「俺は、ラティエスの枷にはなりたくない。おまえだってそうだろう? バシリスの可能性をおまえが摘み取るなんてことはしたくないはずだ」
「ああ、その通りだ」
 またしばらく並んで月を見る。しかし目に月を映しながら、心では月を見てはいなかった。
「ゾロ」
 ようやくサンジが視線をゾロに向けた。ゾロも月からようやく視線を引きはがしてサンジを見る。サンジが口を開けて何かを言おうとしたが、言葉として出てこない。ゾロは辛抱強く待った。言おうか言うまいかサンジは随分と迷った上に、結局何も言わないまま黙り込んだ。
 彫像のように押し黙った二人を、ただ月が煌々と照らしていた。

 翌日、ゾロは実父を訪問するという名目のもと、休暇をとってテルガー大厳洞へと飛び立っていった。






 その日は、朝から奇妙な緊張感が漂っていた。
 見張り当番に当たっていた竜騎士は、別段糸胞が降る予定があるわけでもないのに、空気に何か張りつめたものを感じとって、何度も空を見上げていた。
 下ノ洞窟では、騎士たちの緊張は伝わっていずに、いつものとおりの朝の風景、朝食の後の日課へと日常の風景が流れていく。サンジは喉の渇きを覚えて、冷えたクラでももらおうと岩室の階段を下り始めたときに、それは始まった。

 大厳洞じゅうを揺るがすような竜たちの叫び声が起こった。住民たちは皆、自分がしていることの手を止めて、通路に飛び出てきた。
 竜たちの常にない興奮状態に、大厳洞の住民といえど落ち着いてはいられなかった。特に、今は青銅、褐や蒼、緑と全ての竜が鳴き交わしていた。

「ルルスが獲物の血を流している!」
「パウリスもベラミスもだ!」
 一気に大厳洞に緊張が走った。
 サンジは全速力で自分とラティエスの岩室へ駆け戻った。彼女は落ちつかなげに目をくるくる動かし、複雑な色をきらめかせていた。
「──ラティエス?──」
 サンジがそっと呼びかける。しかしラティエスはその呼びかけにも答えず、楔(くさび)形の頭をぐいともたげ、左右に何回も振った。何か空気中の音をもっと聞きたいというように。

 何だろう、彼女が俺の言葉が聞こえないなんてことは一度だってなかったのに──

 ──ああ、喉が渇く。


 

  

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