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竜の覇者(2)




 この日は糸降りが予定されていたので、まだ早朝であったがじきに大厳洞中が緊張したざわめきで満たされてきた。空気もどこか張りつめていて、竜騎士も、竜騎士以外の人々もみな大声で忙しく話し、準備に余念がなかった。
 ゾロは決められた自分の仕事をこなしながら、ちょくちょく朝拾った子供の様子を見て、起きる気配がないかどうか確認していた。

 昼すぎ、糸降りの開始予告時刻になると、大厳洞中は一転してしんと静まりかえる。これから二時間か三時間の間、空から襲い来る糸胞状の有機生命体をどんな隙間からも入れてはならないため、窓はぴっちりと鎧戸が閉められ、鉄の扉はしっかりと閉じられて、ただひたすら災厄が通り過ぎるのを待つのだ。
 竜と竜騎士は、それ以前に飛翔隊長ごとに隊列を組んで飛び立っていったので、今は残った人々だけでいつもに増してがらんと感じるこの死火山を利用した大きな虚(うろ)を守り通さなくてはならなかった。
 人々は薄暗い明かりだけで、息を殺しながらお腹をすかせたり傷を負って帰ってくるであろう竜騎士のために、栄養価の高い肉汁や暖かいクラを準備したり、痺(しび)れ草を始めとする種々の軟膏や包帯をたくさん用意したりしていた。
 糸降りが開始して少し経つと、鉢の広場には火焔石の補充に戻る竜騎士が、単独で、もしくは隊を組んで上空から現れたりまた飛び去ったり忙しなく行き来をし始めた。ゾロは仕事をしながらそんな竜騎士たちを眺め、誇りで胸がいっぱいになって高揚した気分を押さえられずにいた。
 いつか。いつか俺もあのように火焔石を袋にいっぱい詰め込んで自分の竜にうちまたがって空を駆ける。

「いつ見てもいいもんだねぇ」
 ふと気付くと、傍らにマキノがいて、同じように竜と竜騎士たちが飛んでいくのを眺めていた。ちょうど一小隊が飛び立ったところで上空を旋回したかと思うと、小隊長の号令一下、間隙に入ってぱっとかき消えた。
「竜と竜騎士がいてこそ、私たちは安心して居られる。あの勇壮な姿にどれだけの人間が安心と心強さをもらうことだろう……おや」
 マキノと同時にゾロも気が付いた。一際大きい青銅竜がちょうど鉢の広場上空に現れたところだった。それは大きな翼を優雅にたわませ、戦闘中ということを微塵も感じさせないゆったりとした動きで広場に降り立った。

「火焔石を! 袋に詰まったやつごと渡してくれ。ああそう、ありがとう。すぐさま行かなくちゃならん。ティレクの東の高原が集中砲火の憂き目にあってる。ベンの隊が踏ん張ってくれてるが、なかなか手強い」
 竜の背から滑り降りながら、てきぱきと指示を出し、竜騎士は騎乗帽を脱いで下に流れる汗をぐいと拭(ぬぐ)った。汗でぺったりと頭に張り付いた髪は、燃えるように赤い──このハイリーチェス大厳洞の統領、赤髪のシャンクスその人だった。
「──まあ、時間の問題で、必ずやっつけられるのはわかってるんだが──あ? あんたか、マキノ。火傷? そんなの後でいいぞ。大した傷じゃない。それよりか葡萄酒を一杯だけくれないか。お、さすがだな。そう言うだろうことは見越してたってわけだ」
 ニヤリと笑いかける顔には額から頬にかけて三本の傷が走っている。これもその昔若い頃に糸胞にやられたものだそうだが、シャンクスはそれを認めず、曰く「かわいこちゃんに引っかかれた」と言い張っている。
「うう…生き返る。喉の奥が乾いてひりひりしてたんだ。感謝!」
 豪放で陽気な言い方はいつものものだが、さすがに目は真剣で、口元もきりりと締まっていた。騎乗帽をかぶろうとして葡萄酒の杯を返したところを、シャンクスはふと視線を泳がせた。

 ゾロはマキノについて脇に控えていたが、シャンクスの視線の先をそのまま追うと、居室の扉を出たところに白い夜着を着てぼうっとこちらを見ている子供が居るのに気付いた。
「あら、気がついたみたい。でももう起きあがれるなんて?」
 例の明け方に転がり込んできた子供だった。
「誰だ? アンタの新しい養い児?」シャンクスが騎乗帽のあごを留めながら問うと、
「多分そうなるでしょうね。なんだか訳アリみたいだけど。帰ったら話すわ。今はハキスに振り落とされないようしっかりと掴まってとっとと行ってらっしゃい」
「たく、俺が一応統領だってこと、わかってるのかね……」
「ええ、わかってるわ。私が下ノ洞窟ノ長だってことと同じ程度にはね」
「へいへい、じゃあまあ、お勤めを果たしてくるとしますか」
 ひらり、と小山のような竜の背に飛びのると、「さあ行くぜ、相棒」と声を掛けて、瞬き二回ほどの間に上空遙か高みへ行ってしまった。

 ゾロは眩(まぶ)しさに目を眇(すが)めながら影となった竜身をしつこく追った。しかしすぐに、ふ、とかき消えて間隙に入ったことが知れた。
「口と行動があれほど食い違う人も珍しいわね。だけど誰もが統領を好きになってしまう。やんちゃでおちゃめでどうしようもないほど甘ったれなところがあるかと思えば、誰よりも厳しくて怖い。竜と飛ぶことと、隊列を組んで糸胞と戦うことに関しては天才的と言っていいくらいだし」
 マキノの統領を語る口ぶりは辛辣なようだったが、しかしその実、だれよりもシャンクスの突拍子もない言動を楽しんでいるのは彼女だった。
「ほらほら、あの子の傍へ行ってあげて。まだ起きられる状態じゃないんだから寝かせてやって、何か欲しがるようだったら食べさせてあげてちょうだい。私は糸降りの間はここを離れるわけにはいかないんだから」
 その声にはっとして、ようやくゾロは戦っている途中の竜騎士を間近に見た興奮から醒め、子供の居るほうへと駆けだした。戻ると、子供は立っていられずにずるずると床にへたりこんでいた。
「ムリするからだ。ベッドへ連れていってやるから、俺に掴まれ」
 ゾロは声を掛けてその子供の腕をとり、自分の肩に回し掛けた。いくら痩せている子供といっても、さすがに子供ひとりを抱いて運べるほどにはゾロも成長してはいなかった。
 問いかけるようにゾロを見上げた目は、大好きな山の上の湖の色のように、深く澄んだ青色をしていた。
(あ、やっぱりこの色だ)
 ゾロはぐいとその子供の体重を自分にもたせかけ、療法師が速乾性の型で固めた脚を地面につけないよう、気を配りながら即席の病室へと運んだ。

「あ…」
「何か言いたいのか」
「りゅう、きし」
「ああ、そうだ。今日は糸降りだからな。竜騎士は全員戦ってる最中だ。ときどき、ああやって補給に戻ってきたりしてる」
「あのひとは、大丈夫?」
「あのひとって?」
「青銅竜に乗ってた…」
「シャンクスか。大丈夫に決まってるさ。この大厳洞の統領だぜ、あのお方は! どんな時だって一番早く飛ぶし、一番巧みなんだ。飛翔隊のだれもが、シャンクスを尊敬し、憧れてる」
「違う…」
「何が違うって?」
 子供をゆっくりと寝台に横たわらせ、布団をかけてあげながらゾロは続けた。統領の凄さは実際に一緒に飛んでみなくちゃわからない、というのを以前酒盛りの最中に他の竜騎士たちが話しているのを聞いたことがあった。普段は軽口ばかりでへらへらしている印象が強いだけに、それを聞いてゾロはほっとした。竜騎士たちが飄々としているシャンクスに対し心のうちでは軽んじているのではないかと思い始めたところだったので。ゾロもまた、シャンクスの人となりには惹き付けられていたものの、自分の実父ミホークとあまりにも違う統領像に少しく混乱していたのだが、竜騎士たちはそんなことは何でもないという風に自分たちの統領を当然の様に敬っていた。そしてゾロもその理由が徐々に判ってきたところだった。
 そうして、ここハイリーチェス大厳洞の一員にようやく自分もなってきたのだと自覚した。
 シャンクスのすばらしさをどう言ったらいいかと逡巡し、「なあ」と子供に向かって呼びかけたところ、その子供はすでにすうすうと寝息をたててしまっていた。
(フェリスの果汁飲ませたっけ?)
 軽い麻酔薬として使われているこの果汁は、枕元にマキノが置いたとおり、そこに在った。
 そっと、こけた頬に手を触れると、じんわりと熱い。骨折からくる発熱に違いない。ただでさえ弱り切っている様子だったし、とりあえず眠っているのならば寝かせておけ、と自分で言い聞かせ、灯を細くするとそっと部屋を出て行った。


 

  

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