こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






竜の覇者(21)




 ラティエスの初の交合飛翔から一週間経った。
 今やサンジはれっきとした大厳洞の洞母であった。当然ロビンとフルールスがまだ現役のうちはロビンが首位洞母で、サンジはその補佐としての任にあたるが、とにもかくにも歴史上初の男性洞母の地位を確立したのである。
 それと共に、ラティエスと共に飛んだバシリスの騎士であるゾロは、飛翔隊の隊長となった。大厳洞の統領補佐と言ってもいいが、実質上シャンクスには長年の補佐であるベンがいる。それに大厳洞の統領は洞母と違って交合飛翔で敗れたらその地位を返上しなくてはならない。
 シャンクスのハキスはフルールスの初の交合飛翔から一回も彼女を捉まえそこねたことはなかったし、それに異を唱える騎士、挑戦を試みる騎士も既にいなくなっていた。しかしゾロはバシリスを必ず上手く飛翔させることができるのか、今回一回の偶然ではないのか、これからそれを証明しなくてはならない。とりあえずの飛翔隊長だったが、それでもゾロの若さからしたら充分に高い地位である。
 
 サンジとゾロは伝統どおり、大厳洞ノ伴侶として二人用の広い岩室があてがわれた。
 交合飛翔から数日間は、サンジが熱を出して寝込んでしまったので、その間に新しい住居が整えられ、ゾロとマキノが心を砕いて様々な物を運び込んだ。実際には選んだのはマキノで、ゾロはただ言われるままに担いで運んだだけだったが。

「サンジの具合はどう?」
「あらロビン。ええ、もう熱は引いて、意識もはっきりしているから明日には起きあがることができるでしょう。やっぱりこればかりは女性でないぶん、しわ寄せが来たのね」
 マキノは柔らかな物腰の中に、注意深く言葉を選んで答えた。洞母と下ノ洞窟ノ長は普段から密接にやりとりをする必要がある。
 マキノはロビンよりかなり年上ではあったが、充分に若い洞母を引き立てて、出しゃばりすぎないように気をつけて接していた。ロビンはロビンでこの年長の女人ノ長を敬い、何かとよく相談を持ちかけていた。最後は洞母が決断しなくてはならないが、判断に迷うとき、マキノのアドバイスには必ず耳を傾けた。
「それよりラティエスは? 彼女の世話は一応ゾロが面倒見ているんだけど、さすがに黄金竜、それも交合飛翔後は何か気をつけてあげなくてはならないのかと思って。でもこればかりは私には何ともわからないから、貴女のところへゾロをやったのだけど」
「大丈夫よ、彼女はこれ以上ないくらい大丈夫。よい飛翔だったみたいね。畜獣を三頭、ぺろりと平らげて満足しているわ。皮膚の艶も、眼の色も全く健康そのものだし。サンジも深く眠っているでしょう? もしラティエスに何かあれば、どんなに熱を出していたってサンジが飛び起きるわ。そういうものなの。ゾロにも心配しないでいいって追い返したわ」
「そのゾロだけど…」
「なあに?」
「私ね、今回のことでは、もちろん喜ぶべきことだってわかっているんだけど、でも複雑なの。私の養い児が二人とも竜騎士になり、そして二人で交合飛翔を導いたんですもの。誇りに思っていいはずなんだけど…でも、二人は乳兄弟だったのよ」
 ロビンはマキノの顔をじっと見つめた。
「最初、ゾロがテルガーへ発ったと聞いて、やっぱり、ってほっとしたのに。最後の瞬間、バシリスで文字通り飛び込んできたって聞いて、統領の地位はそれほど魅力的なのか、ゾロもミホークの息子である限り、そういった地位を求めずにはいられないのか、って悲しくなったわ。ゾロは真面目ないい子よ。確かに統領となっても充分その責任を果たしていけると思う。シャンクスとはまた違うタイプの統領になるでしょうけれどね。でも、サンジの交合飛翔に名乗り出なくたってよかったのよ。大厳洞は他にもあるわ。若い洞母だってまだいるでしょうに」
「ゾロは何て? ゾロとは会っているんでしょう」
 マキノはふるふる、と首を振った。
「何も。ただ言われたことはきちんとこなすし、サンジの面倒もちゃんとみてる。でもいつも眉間に皺よせて、何が不満なの? ってくらい難しい顔をしているわ」
「彼もまだ若いしね…。サンジが起きあがれるようになったら、二人できちんと話し合うしかないと思うわ。これに関しては、当事者のみしか解決できなさそう。もちろん、正式に洞母となったサンジには私が付いていろいろ実地訓練とか教育を施さなくてはならないから、忙しくなるけれど」
「そうね。不肖の息子たちだけど、よろしくお願いします」
 ようやく少し微笑みめいたものを口の端にひらめかせ、マキノはきびすを返してその場を辞去した。


(あれ、ここはどこだ)
 サンジは意識が戻ったときに、自分の居室の寝台とは違う寝台に寝かされているのに気づき、ぼうっとした頭であたりを見回した。
(ヨウヤク、目ガ覚メタノネ)
 ラティエスが柔らかな思考を送ってきた。彼女の声は落ち着いてはいたものの、サンジを心配する気色があった。
(俺は…)
 記憶を探る。たしか、交合飛翔が始まって、そして──
(熱ガ高カッタカラ、記憶ガ混乱シテイルダケ。大丈夫、スグニ元気ニナルワ)
 暖かい励ましの思考。サンジは心が満たされてゆくのを感じた。そう、熱の間に何度も冷静な声がサンジを励まし支えてくれていた。
 ラティエスの声が奇妙に重なる感じがした。いや、彼女ではなくて、あれは──
「目が覚めたってバシリスが教えてくれたから、食うモンもらってきた」
 いきなり、扉を開けてゾロが現れた。
「ゾロ」
「おう、もう大丈夫か? 一応スープと軽い焼き菓子と果物だけど、食えるか?」

 ──思い出した。そうだ、交合飛翔があって、そして、俺はラティエスとぴったり重なって。そして──

 サンジはゾロの顔を見上げた。いつもの通り、眉を寄せ気味にして、口をへの字にきゅっと閉じている。そうしているとなんだか機嫌が悪いように見えるぞ、といつも仏頂面をからかっていた、その顔だ。

 俺は、こいつと──

 思い出すと、いきなり羞恥がサンジの全身を染め上げた。しかし、そんなことを言っている場合ではない。あきれた、俺はあれから熱を出して寝込んでいたって? 一体、どれくらい?
(三日間ヨ)
 ラティエスがすぐにその答えを返した。彼女もずっとサンジが心配で心を伸ばしっぱなしにしていたのだろう。
「起きあがって食べられるか」
「あ、ああ」
 応えてバキバキと関節が鳴るのにうめき声を堪えながら半身を起こす。熱が出たせいだろう、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。しかし、それより。
 寝台の上に座った途端、あらぬ箇所から激痛が脳天まで貫いた。思わず出かかった悲鳴をぎりぎりのところで押し殺して、手をついて身体を支えた。脂汗がたちまち滲む。
 ありえねえ。いや、でもやっぱり原因はあれしか考えられないし。
 サンジはじっと待っているゾロに何と言ったらいいのか、いやどうすれば何も言わないですむのか混乱した頭の中に言葉を探した。
「…ああ、そういやこれ使えって言われてた」
 ゾロが寝台の下から取り出したのは、中央が丸くくりぬかれた形のクッションで、そうするのが当然のようにサンジを自分の身体へ寄りかからせて、ひょいとそのクッションをサンジの尻の下に押し込んだ。
「それと、食い終わったら、薬塗るから。まだ完治にはほど遠いから、まめに塗るように療法師に言われてる」
「ゾロ、それってどういう…」
 さすがに、そのゾロの物言いにはひっかかるものがあった。聞きたくはない、認めたくはないが、それでも今でないと聞けないとサンジの勘が告げていた。
「どうもこうも、おまえは熱出して寝てるし、俺しかいねえだろ、面倒みるの。大厳洞ノ伴侶なんだし。それに第一、怪我の原因は俺だし」
 サンジは聞きたくないことをゾロがこともなげにさらっと言うのが恨めしかった。もっとこう、言いにくそうに口ごもるとかしたらどうなんだろう、この朴念仁の飛翔フェチが、と少しだけ悲しくなる。
 多分、ゾロはサンジが寝ている間にそのあたりのことは克服済みなのだろう。解っている。サンジだって自分がこうなることは半ば予想していたし、ゾロが何でもないふうを装ってくれることが却って思いやりなのだと理解していた。

(そう、ドライに割り切らねえと)
 だけどじゃあなぜゾロはテルガーから戻ってきたのだろう。ドライになりきれる自信があったからか。そこでまたサンジは胸にちくりと痛みを覚えた。
 幼い頃は家族だった。成長してもその思いは変わらなかった。だけど今は誰もが認める大厳洞ノ伴侶となってしまった。
(俺も早く慣れないと)
 熱なんかさっさと下げて、この忌々しい怪我も速攻で治して、交合飛翔なんかなんでもないという顔をして強く立っていたい。
 自分の女々しい気分を振り払うように首をひとつ振ると、ゾロからスープの椀を受け取って猛然と食べ始めた。



「では、最初から説明するわね」
 サンジはロビンから洞母教育を受けていた。そうなって初めて、ベンの特別授業の意味が判ってきた。ベンがサンジに拡げて見せた広範な知識は、洞母が知っておくべき事柄の、いわば基礎だった。あらかじめベンによって下地が作られていたサンジの頭脳は、ロビンの一対一の実践教育も難なく吸い取っていった。

「驚いたわ」
 ロビンが岩室に入ってきた大厳洞ノ伴侶に言う。
「サンジって、貴方が拾われてきた当初に語ったところでは、読み書きもできない、飢え死に一歩手前のちっぽけな子供だって話だったじゃないの。私、すっかりそのイメージで固まってたから、実は洞母の仕事がこなせるのかしら、って思っていたんだけど…。あんなに聡明な子だって最初からわかっていたら、もっと早くに全面的に協力してあげるんだった」
 シャンクスはくすりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「何? 洞母さまは頭の悪い子が嫌いだったから、長く様子見をしてたのかい?」
 しばしロビンは沈黙する。シャンクスの言うとおりだと認めるのは癪だった。しかしこんなところで意地を張ってもしかたがないと思いなおす。
「…まあね。だって、やっぱり責任あるもの。あまり先走って洞母のあれこれを教えてしまったあとで、やっぱりダメでした、ってことでは困るでしょ。でもベンがいい仕事をしてくれたわ。私が教えるのがすごく楽。「なぜそれをしなくてはならないのか」ということを一から教える必要がないってのはいいわね。まあ、今後フルールスがまた黄金竜の卵を産んで、次に洞母を育てるときもこのやり方でいくことにするわ」
「お好きにどうぞ。俺もその手でいくかなあ」
「あら、貴方ったら真面目に教えてたりするの? 見たところ全くいつもと変化ないようだけど」
「んー、だってゾロってば、特に教えることないんだもんよ。飛ぶことに関しては天性のものがあるし、あとは訓練で積み上げるだけだけど、どっちもゾロには充分だしなあ」
「あの子に必要なのは、経験だけね。ま、貴方の傍にいてもらって貴方を反面教師としてまっとうな統領を目指してもらいましょう」
「あ、酷いな〜。俺だってそれなりに上手くやっていると思うのに」
 ほほ、とロビンは軽く笑っていなした。シャンクスも卓に置いてあった杯をとると、笑って中身を呷る。
「本当のところ、あの子たちの一番の課題はお互い同士にあるわね。早く統領と洞母の間に揺るぎない絆を作って欲しいのだけど」
「俺らみたいに?」
「貴方に合わせるのは本当に大変よ。私にとって一番の苦行だわ」
「…でも癖になるデショ? 楽しくて」
「…悔しいけど、その通りだわ」
 笑みの形にゆがめながら、二つの口が重なった。


 

  

(20)<< >>(22)