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竜の覇者(24)




 今度もまた長い時間がかかった。極寒の虚無空間。しかし二度目であったためか一度目ほど不安に駆られることなく、同じくらいの時間で間隙を出る。今度はすぐにバシリスの姿を見つけ、サンジは心の底から安堵の吐息をついた。
(遅イッテ、ぞろガ言ッテル。ドコヘ行ッテイタノ? 二人トモ全然思念ガ感ジラレナインダモン、心配シチャッタヨ)
(悪い、バシリス。ゾロに心配ねぇって伝えてくれ)
 しばらくバシリスとゾロの間で思念が交わされたようで、その間を利用して、サンジは息を整えた。まだ心臓がどくどく鳴っている。あれは──
(迷子ニナルナンテ、さんじトらてぃえすラシクナイ、ッテサ。ぞろダッテ、最近ジャホトンド道ニ迷ウ事ナイノニ)
「いやそれは、間隙以外はバシリスまかせに飛んでるからじゃねえか、あいつの場合」
 思わず口に出して言ってしまって、ようやくサンジは先ほどの驚愕から抜け出すことができた。

 いつもの峰を眼下に見下ろし、次にはすいっと優雅に翼の角度を変えただけで滑空して二人の岩室の縁へ降り立った。洞母とその伴侶の岩室は今まで二人が与えられていた独り用のそれよりもかなり広い。竜たちの居るスペースもゆったりと広く、大きな体躯の二頭がいても余裕の広さがあった。
 部屋に着いて、バシリスから降りるなり、ゾロはかつかつと床を鳴らしながらサンジのもとへと歩み寄った。
「てめぇ、一体さっきはドコ寄り道してやがった」
 サンジはゾロの珍しく怒った表情に息を呑む。眉根が寄せられ、目尻がぐいと吊り上がって口元は逆に下へ曲線を描くように引き締めている。
「べ、別に寄り道ってわけじゃ…」
「バシリスがラティエスとおまえの存在をどこにも感じられないと言ったとき、どれだけ肝を冷やしたと思っているんだ」
「そ、それは、悪りぃ…」
 この後に及んでサンジはゾロに時ノ間隙を飛んだことを言おうかどうしようか迷っていた。あれは偶然に発見したものだし、何より過去の自分自身と鉢合わせしてしまうという危険性がある。あの時、とにかく「いやな感じ」がしたのは気のせいではなかったのだ。
「俺は、そこまで信用ねえか。変わってねえ、って言ったばかりなのに。言えよ。一体何してやがった。わざわざラティエスで存在が感じられないくらい遠くまで逃げたと思って俺は──」
 早口でまくし立てるゾロ。こんなゾロをサンジは見たことがなかった。いつだって自信たっぷりで余裕がなくてもあるように振る舞う、それがサンジの知っているゾロだった。
「違う、違うんだ、ゾロ」
 自分たちのミスを、こんな風にゾロに誤解されてはたまらない。サンジは一回息を大きく吸って、できるだけ落ち着いた声が出るようにと願った。
「違うんだ、それは、ゾロ」
 声を低くして、ゆっくり一語一語をもう一度押し出すように繰り返す。
「聞いてくれ。あれは俺が意図したことじゃなかった。あのとき、間隙に入る瞬間、強く昔の記憶が呼び起こされて、そしてその時見ていた風景を心に描いてしまったんだ。そうしたら、俺たち、俺とラティエスはその『昔』へ飛んでしまった。そう、『時ノ間隙』を飛んでしまったんだよ」
 ゾロは視線をサンジに据えたまま黙ってサンジの言った事を理解しようとした。時ノ間隙だって? 竜はそんなことも出来るというのか?
 ゾロの疑念を見てとって、サンジはこくりと大きく頷いてみせた。
「そうだよ、とても信じられないことだと思う。現実に、こんなこと誰からも教わってはいないし、誰も話題に出したことはない。でも、本当なんだ。確かに俺たちは数年前へと飛んだ。ただ、まずいことに、『その時』の自分自身にもう少しで鉢合わせするところだった」
「な…んだって…?」
「怖いことにな。間隙を抜けたとたん、すごーくイヤな感じがしたんだ。全身の肌が泡立つような。そしてみぞおちのあたりがぐいっと持ち上げられるような。そしてバシリスにおまえと一緒に乗っている俺を遠くに見つけた」
「俺と一緒に…?ってことは…」
「ああ、あの日だ。おまえが例の三人組に苛められてる俺を見かねて、追い払ってくれた。その後送ってくれたろ? 俺はあの日のことを思い出してしまったんだよ。間隙飛行の照合座標にできるくらい、鮮明に。そしてラティエスは忠実にそのとおり飛んでくれた」

 ゾロはしばし言葉を失った。時ノ間隙だって? しかしサンジがこんなことで嘘を言うわけがないし、もし嘘だとしたら、あまりにもばかげている。
「だけど、むやみやたらと試そうなんて思うなよ。これはかなりな危険が伴う。だって照合座標は過去自分が経験したことのある風景なんだから、つまりそれって必ず過去の自分に鉢合わせするってことだろ。今回は遠目に見ただけですぐ戻ってきたが、もし実際に「自分」と出会ってしまったら、一体何が起こるのかとても考えられねえ」
「──……」
 ゾロは沈黙を続けた。サンジは呆けたようなゾロの視線に注視されるのがいい加減いたたまれなくなって、そっと、とられた腕をほどいた。
「…そうかもしれねえ。が──」
 忘れた頃にゾロがようやく言葉を漏らした。
「もしそれが自由にコントロールできたなら、もっと役に立つんじゃあ──糸降りだって──」
「──! やめろ!」
 いいかけたゾロの言葉を途中で遮る。
「おまえはあの感覚を味わっていねえからそんなことを考えるんだ。あれは異質だ。同じ「時」に人は二重に存在しちゃならねえ。身体の内と外がひっくりかえるようだった。確かに竜は時ノ間隙を飛ぶ能力がある。しかし──」
 いったん言葉を切って、ゾロの目を正面から覗き込むと、きっぱりと言い切った。
「──人はそれに耐えられねえ」

「…わかった」
 サンジは正しいのだろう。もしこれがおおっぴらになり、新しい竜の能力として訓練ののちに戦力に組み込まれたら──
 ぶるっとゾロは身体を震わせた。竜騎士は過去の糸胞に立ち向かうようになるのだろうか。何度も何度も繰り返して? そうなると一体「いつ」の自分が本当の自分になるのだろう。
「そうだな。おまえの言うとおりだ」
 簡潔に言い、うなずく。その様子にサンジはようやくほっと息をついた。ゾロは一度納得したら信用できる男だ。どんなに短い言葉だろうと、諾と言ったらけして曲げないのだった。
「よし、じゃあメシを食いに行こうぜ。もう夕食の時間だ。遅くなって食いっぱぐれたらまずい」
 そうして二人はこの話題を二度と口に出すことはなかった。



 三週間が過ぎた。
 その夏はいつになく暑さが過酷で雨が少なかった。かと思うと、秋は一転していち早く寒さが忍び寄ってきた。北西からの風は例年より何週間も早く吹き始め、風の中に冷たい冬の息吹が感じられた。
「なんか、気に入らねえな」
 シャンクスが持ち前の勘を発揮して言った。空を仰ぎながら手にした騎乗帽をくるくるともてあそんでいる。
「天候のこと? だけどこればかりは私たちにはどうしようもないわ」
「そりゃそうさ。けどなんっかイヤーな予感がするんだよな、俺の勘だと」
「天候だけじゃないってこと?」
「うーん…それが何かわかればなぁ」
 とりあえず行ってくる、とロビンに軽く片手をあげると、シャンクスは定時の巡回飛行にと飛び立って行った。


 サンジはラティエスの世話に一層気を配るようになっていた。
(ソンナニ何回モ様子ヲ聞カナクテモ、カワラナイワ)
「わかってる。でもレイディ、僕のかわいこちゃん、君は身重なんだよ? もう少し自覚を持って無茶を謹んで欲しいもんだね」
(ソレッテツマリ、オシトヤカニシロ、ッテイウコト?)
「う、まあ、そんな感じ。だって心配なんだもん、俺──」
(さんじガ卵ヲ産ムワケジャナイワ)
 少しすねた口調でラティエスが言った。
「そりゃあそうだけど。ああ、かえって俺が代わりに産んであげられたら…! さあて、どう? どこもかしこもぴかぴか! 光り輝くよう、って本当に輝いてるよお嬢さん!」
 サンジは一歩下がってラティエスの全身をうっとりした目で検分した。お腹の卵はまだそれほど目立たない。しかし日に日にその部分が膨らんできて、そこに確かに存在しているということが知れた。
 ほら、結局はラティエスには何の問題もねえじゃねえか。このまま卵を産んで、その卵から立派な雛が孵ったら今度こそ誰にも一言も文句を言わせねえ。名実共に一人前の黄金竜さ。
 口にはださずに胸の内だけでサンジは呟く。ラティエスに余計な心配をかけさせないよう、できるだけ抑えたつもりだったが、耳聡いラティエスはしっかりそれに返事を返してきた。
(マダ、誰カガ文句ヲツケテイルノ? 私トさんじノ仲ガドウシテソンナニ問題ニナルノカ、サッパリワカラナイワ)
「ああ、ごめんね、余計なこと聞かせちゃったんだね? いや、もうほとんどいないけれどね。大丈夫、変なこと言う奴らには、俺がじゅんじゅんに言って聞かせてやるから──足でね」
(私ノ前ニ連レテキテクレレバ、確実ニ納得シテモラエルヨウニ、オ話スルンダケド)
「い、いやいやいいから。それは気持ちだけで」

 その時、ひゅうと風が吹いた。ラティエスの身体に油を塗り込んでいたサンジは、腕まくりをしてシャツの前ボタンも二つしか掛けずにいたので、冷たい風にちょうど冷えてきた汗を吹かれることになった。ぶるぶるっと思わず身体が震えてしまう。
「まだ夏が終わったばかりというのに、えらく冷たい風だなぁ」
 ひとりごちて空を見上げると、さっきまで太陽が出ていたのにどんよりと曇ってきていた。
「…なんか、もう空は晩秋って色だよな…」
 なおもサンジは空を見上げていた。鼻をひくひくさせて風の中に何かを嗅ぎ取ろうとしている。しかしサンジでもその見えない前兆は何を示しているのか、その時はわからなかった。



「うう、冷える」
 定期巡回飛行から戻ったゾロは騎乗帽を脱ぎながら岩室へ入ってくると、開口一番そう言った。
「まだ秋の初めだっつうのにな。こんな風が冷たいのは珍しいぜ」
 言いながら、バシリスの騎乗帯をはずしてゆく。サンジは伝声管で熱いクラを頼んだ。ゾロはサンジのほうを横目でちらと窺って、バシリスの世話をしながら微かに口元をほころばせた。

 結局、ゾロもサンジも、二人で海へと遠出してから、特に変わった風でもなく毎日を過ごしていた。交合飛翔からのサンジのよそよそしさはなりを潜め、以前と同じように年の近い若者らしく競争したり冗談を言い合ったり、笑いあったり時には喧嘩したりと日々にぎやかに過ごしていたのである。
 もちろん、大厳洞ノ洞母とその伴侶として、毎日シャンクスとロビンの補佐的な仕事をいいつけられ、時には一緒に時には別々に行動する中で、以前よりは真剣なまなざしを交わすことが多くなったことが変化といえば言えるかもしれない。
 熱いクラのマグを受け取って、ゾロにひとつを差し出す。ゾロはようやくバシリスの世話を終え、自分も騎乗服を脱いで汗とホコリで黒くなった顔をサンジに向けた。
 差し出された湯気のたつマグを何も言わず受け取り、すこしづつ喉に流し込む。どっかりと長椅子に座ってようやく長い吐息をついた。

「ティレクの耕地が、冷たい風のせいで酷く乾燥している」
「糸降りは来週だろう?」
「そうだ。普段なら穀物が実りの色に変わりかけている頃合いでそれはそれで細心の注意が必要なんだが──」
「夏が暑かったから、今年の秋は豊作だろうって言ってたのにな。だけどここのところ雨が降ってねえよな? 一滴さえも。そんでもってこの冷たい風だ。実りが遅れるのは確実だな。まあ、糸にやられるよりかはまだマシだろうけど」
「俺たちがいるんだ、耕地に糸なんか一筋だって落とすもんか」
「わかってるって。ただの比喩だっての。俺も明日ちょっと見てこよう」
 洞母であるサンジには、巡回飛行などの通常一般の仕事はない。特にラティエスが身重の今、徐々に免責事項は増えていった。まだ来週の糸降りには参加できるだろうけれどそのうちそれもできなくなるだろう。
(マダ全然問題ナイワ。糸降リダッテ飛ベルシ、キット卵ヲ産ムソノ時マデ普通ノ飛ンデモ何トモナイと思ウワ)
「跳ねっ返りさん、それはあまりに楽観的すぎるよ。自信があるのはいいことだけどね。特に君は初産になるんだから、少しは慎重になってくれよ」
(マア、さんじガソウ言ウノナラ。デモ明日ハ一緒ニ行クノデショウ?)
「そうだね。秋のピクニックとしゃれ込もうか?」
 そして翌日、曇天の冷たい風の吹く中、サンジとラティエスは大厳洞の峰から飛び立った。

 予想していたよりも耕地の色が悪いのにまず驚く。ティレクはもともと緯度も高めで冬は厳しい地であるが、それだけに短い夏から秋にかけては一斉に穀物が実り、美しい黄金色の海がその時期はどこまでも続くのが常であったのだ。
 しかし眼下に広がるこの色はどうだ。夏に育った緑色がくたびれて、枯れた黄土色から茶色に変わりつつある。雨がなく乾燥しきった上に、このところひっきりなしに冷たい風が吹いたので、水という水は全て耕作地から姿を消し、地面はひび割れていた。
(立ち枯れてる…)
 これではまともな実りは期待できない。しかし、乾燥とちょっとの気象の変化だけでこうなるのだろうか?
 サンジは耕地の端にラティエスを下ろし、ざわざわと鳴る穂の間に足を踏み入れた。そっと色の異なる部分の穂を手にとってみる。
「──ッ!」
 まだ未熟のままの穂が、サンジの手の中でぱらぱらと崩れた。
(もしかして、これは──病気?)
 もしそうなら。この一画は全く収穫が見込めないだろう。しかしこの病気はこの一画だけではないような気がした。
 ラティエスと飛び上がり、一定の高度から何度も耕地の上を往復する。目を凝らして観察すると、色が変わっているところは思ったよりかなり大きい面積を占めていた。今はパッチワークのようにあちこちに散らばっているが、健康なところにもこれから伝染してゆく可能性がある。そうなったら、枯れた色の部分は広がる一方だ。
(これは、酷い──)
 そして病気は強い風のせいで今ですらどんどん拡がってゆく。
 サンジはラティエスを促して急いで大厳洞へ戻った。


 

  

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