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竜の覇者(25)




「シャンクス、ロビン」
 落ち着いて報告を、と思いつつも気持ちが急いて息があがる。ラティエスの手入れを上の空でやったのち、騎乗帽と騎乗服だけむしり取って二人の居る岩室へと駆け上がった。
「なんなの、サンジ」
「んん? どうした」
(よかった、二人とも居る)
 サンジはとりあえず安堵した。悪い報せはいっぺんで終わりにしたい。そしてサンジは自分が見てきたことを二人に言った。
「……そうなんだよなあ」
「そう、って! 耕作地が全滅してしまうかもしれないんですよ!? 何か手をうたないと……!」
「待て待て。ちょっと考えてみてくれ。あそこの耕地はティレクの領地だ、だろ? いくつか小城砦の管理下にあるものもあるが、まあ大部分はティレク城砦のモンだ。そして彼らは農夫ノ頭から当然このことを知らされている」
「本当に? でも誰も耕地へ出ていませんでしたよ? 早急に何か手を打たないと!」
 同じことを繰り返す。あの拡がり方は尋常ではない。一箇所だけではないのだ。上から俯瞰して見た者でなければ、あの状態を正確に把握できはしないだろう。そう、竜騎士でなければ。
 シャンクスはロビンを見た。そして彼女が微かに頷くのを確認して、サンジに向き直って言った。
「一昨日、俺がティレクのアーステル太守に直接進言した。できるだけ正確に見たままを告げ、このままではティレク城砦の民がまともな収穫を見込めず、大打撃を受けることになるだろう、と」
「それで?」
 サンジは以前市の時に会ったアーステル太守の謹厳な顔を思い出した。あの市の日は既に遠い。しかし太守は厳しいながらも公正な人物だという印象をいまだに強く憶えている。
「サンジ、城砦と大厳洞は互いに扶助しあう関係ではあるけれど、互いの内政に関しては基本的にノータッチなの」
 ロビンが横合いからやんわりと言った。サンジは一瞬何のことかと言葉を失う。それは基礎の授業で習ったことだろう。
「……つまりだ、ティレクは俺たちの心配を『余計なお世話だ』と言ってるってわけだ」
 ようやくサンジにもロビンの説明が納得できた。
「そうは言っても! これが余計な世話だってんですか? 内政への過干渉ってことになるんですか? これがどれほどの危機だか判っているんですか!」
「わかってるさ、けどコトが城砦の運営そのものであるから、大厳洞は直接関与することができないんだ」
「でも、じゃあ、もしそれで『十分の一税』が支払えないということになったら、大厳洞だって大打撃ではないですか。大厳洞は自力で生産活動はしていない。竜と竜騎士を養うだけで手一杯なんだから」
「そうだ。だが『十分の一税』は全収穫に対しての割合だ。だから収穫が乏しくなれば税も乏しくなるのが理屈だ。そして十分の一という割合が守られていれば別段、大憲章に背いたことにはならない」
「それは理屈だ! あの収穫の十分の一が一体どれだけあるって言うんですか? そして大厳洞は冬を越すのにそんなぽっちでは足りるはずがない」
「そう、そこで我らは今痛む頭を抱えているってわけだ」
 サンジはふと気づいた。岩室に入ってきたとき、二人ともくつろいでいる雰囲気ではなかった。特にシャンクスはサンジが訪ねていくと長椅子に寝そべって葡萄酒を飲んでいるのが定位置だったのに。

「他の土地はどうなんでしょう」
 沈黙が支配するなか、サンジがぽつりと言った。ふたりともハッとする。
 これだけ広範囲に耕作地がダメージを受けているのならば、遠い地域でももしかしたら同じ事態になってはいやしないだろうか。ティレクの土地から他の土地へは、山間部の小さい集落をいくつか越えて街道が通っているが、耕地の病気は街道を辿ってはいかないはずだ。だが──
「とにかく、すぐ確認したほうがいいでしょう」
 山脈を越えて東へ向かえばクロムの城砦、それからルアサ、ナボルといった名だたる城砦がある。まさかそちらまでもやられてはいないだろうが──
 とりあえず至急に確認するのがこの場合一番にすべきことだった。
「すぐ飛びます」
「待てよ、そんなにあちこち、ひとりで行く気じゃあないだろうな?」
 低い声が扉口から三人にかけられた。
「すみません、盗み聞きするつもりではなかったんですが、コイツを追いかけて来て、つい耳に入っちまいました」
 ゾロが戸口に立っていて、そのたくましい身体で入り口を塞いでいた。
「ったく、大事なことを話す際には、見張りでも立てておかなくてはだめでしょう。コイツの声が結構響いてましたからね、不肖ですが俺が見張り番として外に立ってました」
 片眉を上げ、器用ににやりと笑った。サンジは自分が興奮して駆け込んできた後、扉をきちんと閉めずにいたことに気づいて、声を失った。
「話は大方理解しています。今すぐに大陸の他の土地を観察してくる必要があるんでしょう? それもできるだけ口の堅いヤツがいい。……っと、俺は適任じゃないですか?」
 ほ、とシャンクスが誰も気づかないほどの小さな吐息を漏らした。
「当然、おまえにも早急に話をしないとと思ってたとこだ。手間が省けてちょうどいい。行くのはあと俺とロビンと……ベンもだな。できれば目立たないように出立して欲しい。事は一刻を争う。まずは誰がどこへ飛ぶか、大まかな割り振りを決めよう。あとサンジ、ついでにといっちゃあなんだが、ベンを呼んできて欲しい」
「もう彼のベクマスを通じてこちらに来てもらうよう、お願いしました」
 シャンクスはくるりと目を動かしてサンジの素早い機転に満足の色を示した。ロビンはその間に書棚から大陸地図をもってきてテーブルの上に広げた。
 間髪を入れずにやってきたベンには質問の時間を与えずに、すぐにこの五名がどこからどこの範囲を観察してくるか割り当てる。ベンはこういった急ぎの仕事には慣れているのだろう、黙って頷き、シャンクスが「では、皆よろしく!」と言った後も表情を変えずに岩室を出て行った。

 五名が、みなそれぞれ適当な理由をつけて飛び立ち、また戻ってきてシャンクスとロビンの岩室に集結したのは、それから三刻ほど後のことだった。
「では、報告を」
 シャンクスの簡潔な言葉にそれぞれもまた簡潔に報告する。
 結果として、現在ティレクに大打撃を与えている耕地の症状は他の地ではみかけられない、というのが五名の一致した報告となった。
 全員が明らかに安堵のため息を一斉に吐いた。
「はぁぁ〜……、とりあえずこの症状はティレクの管轄地だけに留まっている、と」
 サンジは長椅子に蹲って、眉間のあたりをもみしだいた。よかった。とりあえず大陸中の耕地が全滅という最悪の事態にはならなさそうだ。
「それでは、ますます私たちだけの問題になってきた、ということね?」とロビンが言った。
「大陸全土には関係ない。ただティレクの領地だけ。そして私たちティレクの穀物によって養われているハイリーチェス大厳洞の」
「でもそれは、」
 ロビンの声を遮って、しかしサンジはその後どう言葉を繋いでよいかわからず口をはさんだまま黙ってしまう。
「わかってるさ。このままで良いわけがない。なにかいい方策を考えよう──しかし我々の提案をティレクが受け入れるかどうかだな」
「確かに、それぞれの自治は大憲章に約束されています。けれど、全く独立しているわけではない。俺たちはこの大地の上で互いに助け合って生きているんだ。竜騎士は糸胞の驚異から城砦と工舎を守り、そして城砦と工舎は竜騎士を支える、そうやってこの厳しい土地で生きている、そうではないですか?」
「そうだ。その相互扶助の精神を今こそ発揮すべき時なんだが──」
 シャンクスの言いかけた言葉は、突然走り込んできた竜騎士によって遮られた。
「大変です! 南西の空に糸胞の雲が現れました!」



 周期表にない予定外の糸胞の襲来に、にわかに大厳洞じゅうが蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
 統領シャンクス、洞母ロビン、統領補佐ベン、そして飛翔隊長ゾロと次席洞母サンジは騎乗服と騎乗帽を手に一斉に飛び出して自分たちの竜のもとへと向かう。
「太鼓の伝報で他の大厳洞に報せろ! 大至急だ! 手の空いているものは火焔石を袋に詰めてくれ! 今すぐ飛べる隊はどれだけ居る? 巡回飛行に出ているヤツらを大至急呼び戻せ! いや、いい、途中から合流させよう。誰の隊だ?」
 シャンクスはこれがいつものらくらと葡萄酒を飲んだくれている男と同一人物かと目を剥くくらい矢継ぎ早に指示を飛ばした。ロビンは喧噪の中でも表情を崩さずに、しかし急ぐ足並みは崩さずに、飛んできたマキノと歩きながらやりとりを交わしている。

 ゾロは真っ先にバシリスに跨り、火焔石の袋を受け取ると、怒鳴った。
「統領! まず俺が行ってできるだけ先鋒を食い止めている! オラァ! 俺の後に続いてこれるヤツはいるか? これるヤツぁしっかりついて来い!」
「ゾロ! 無茶だ!」「ゾロ!」
 慌てた声がいくつも上がる。しかしゾロは一切無視して強引に飛び上がった。バシリスは峰の縁まで上がったかどうかといったところですぐさま間隙に入って消えた。
「なんつー無謀なコトを…」
 瞬間、シャンクスは指示を出すのを忘れてゾロとバシリスの消えたあたりを凝視してしまう。
「…まァ、貴方の若い頃そっくり。貴方だって本当なら先頭切って飛んで行きたいところでしょ、本当のところ」
 シャンクスはロビンの揶揄には答えず、ちらりと横目を流しただけだった。しかしロビンはすぐに向こうを向いた彼の口元がにやりとしていたのを見逃さなかった。
「ゾロひとりで行かせるな!」
「続け! ヤツに続け!」
 ゾロの向こう見ずだが熱い行動に、我も我もと竜騎士が争って飛び上がる。竜騎士は基本的に好戦的だ。不測の事態が、却って彼らの血を余計にたぎらせていた。

 サンジはゾロの後について飛び立ちたいという衝動をじっと抑えて、ロビンの脇に控えていた。
 黄金竜は火焔石を噛み砕くと不妊になってしまうため、他の闘竜たちと異なり、吐炎具という器具を騎士が持ち、それで上空で撃ち漏らした糸胞を焼き払う。根本的に戦い方が違うのである。
 大抵は他の黄金竜と隊列を組み、舐めるように低空を飛ぶのであるが、今回は隊列を組むだけの数が見込めない。ロビンはサンジがはやる心をじっと抑えているのを感じていた。
 サンジにはその生い立ちから培ってきた忍耐力があり、それは消して目立たないが、先陣を努めたがる派手なゾロとは対称的な長所であると密かにロビンは思っていた。
 ふと、サンジは首をあげ、空気中の何かを聞き取ろうというような表情を見せた。
(あら?)
 ロビンはサンジに気づかれないよう全身でサンジの気配を探った。
 サンジはきっとラティエスと話しているのだろうと思えた──が、サンジの表情に奇妙な真剣さが漂っていた。自分の伴侶と話しているにしては、竜騎士なら常に見せる柔らかな表情がない。
 確かに今は緊急事態だけれど──
 しかし、ロビンが感じた違和感は、その場に割って入ったベンとマキノの指示を求める声に、突き止められることなく忘れられてしまったのである。


 

  

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