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竜の覇者(28)




「ですから、耕地の被害は甚大です。これは見過ごすことができません。今はまだわかりにくいかもしれませんが、このままですとほとんどの耕地に病気が広まり、例え食い止められてもこの異常に冷たく乾燥した風で、大した実りは期待できないでしょう」
 辛抱強くベンがアーステル太守に話し掛けている。
 ゾロとサンジはベンの後に控えて立っていた。アーステル太守は今回、ふたりを最初にちらと見ただけで、無視を決め込むことにしたようだった。
「私の管理する土地の状態を、なぜ竜騎士どのから説明をうけなくてはならんのだ?」
 冷たい声でぴしりと言った。
「被害の報告は受けておる。農夫ノ頭に病害の原因を突き止めてもらうよう、依頼済みだ。すでに枯れてしまった部分に関しては、病気が飛び火しないよう、畑地を焼くくらいしかできることはなかろう。我々の土地は何も穀物が全てではないし。畜獣や野生の獣を狩ったり、あと海べりの城砦での漁で獲れる海産物を分配して賄うしかない。我が城砦内で蓄えているものもある」
(太守はそう言いながら、自分自身に言い聞かせているようだ)
 サンジは内心でそう思った。太守自身も食料不足が深刻になることを理解しているのだ。しかしその少ない食料でなんとか自分の管理している城砦と工舎をやりくりしなくてはならない。まさか大厳洞からその不安を確認されようとは想像していなかっただろう。苦しい判断ばかり強いられているところへ、大厳洞からの訪問はさらなるプレッシャーになってしまっていた。

 ぎろり、と太守の目が動いてベンと、ゾロとサンジ、三人を順に見る。
「大厳洞からの使者、か。後ろの金髪は確か洞母だったな。以前市でちょっとした騒ぎを起こしてくれた。きみがうちの城砦へ来るときは災いばかりだ。まあしょうがない、男の洞母は凶兆の徴だ」
「そんな、根も歯もないことを、太守──」
「いやだってそうだろう。普段あり得ないことが起こった。それは続く『あり得ないこと』の先触れだっただけさ。まあ、私はそんな凶兆なんかに惑わされないがね。悪い出来事が続けて起こっているのは確かにその通りだが、その小僧をなんとかしたところでその悪い出来事が変わるわけじゃない。ときに、統領の具合はいかがかな?」
 ベンが喉を鳴らす音が聞こえた気がした。出来る限りシャンクスが伏せっていることは公にはしていないが、そうは言ってもアーステル太守ほどの地位の人間にとっては隠しおおせるものではない。そもそも、今この場所にシャンクスでなくベンとゾロ、サンジの三人で来ていること自体、何かあったと勘ぐられても不思議ではなかった。
「おかげさまで。療法師の腕がよいので怪我の傷は綺麗にふさがっています。ただ、さすがに自力で飛べるようになるには少しばかり時間がかかるかと」
「確か、片腕を無くされたと聞きましたが──?」
 サンジは座っているベンの後頭部しか見えなかったので、どんな表情をしているのかはわからなかったが、ベンの肩が微かに揺らいだのを見た。
「さすが、太守はよい情報網をお持ちでらっしゃる…残念ながら、そのとおりです。しかし我らの統領は怪我をして帰ってきたときも、実にあっけらかんとしてましたよ。胆力のある方ですから。時間はかかっても、必ずやまた元気な姿でハキスに乗っている姿を見せてくれますよ。保証します。ただまあ、ハイリーチェスの統領が大怪我をしたとは、秘密にしているわけではありませんがあまりおおっぴらに言い立てて欲しくはないですね。無用な不安を煽ることになってしまいます。彼が回復して皆の前に姿を現せば、腕を無くしたことは一発で知れることですが、同時にそれが全く彼にとってマイナスの要素ではないことも証明できるのですから」
「ふん。まあ、そうだろうとも」
 今度は隣でゾロの身体がかしいで、サンジの肩に触れた。いつも寡黙で冷静なゾロが太守の小馬鹿にしたような態度に切れかけている。

(バシリス)
 そっとサンジは屋根の上に控えている青銅竜に呼びかけた。
(ゾロを抑えてくれるかな? 今太守とこじれるのは避けたいんだ)
(ワカッタ)
 バシリスの呼びかけが功を奏したのは、すぐに隣の男から発せられる殺気めいた空気が引っ込んだことですぐわかった。
 無理もない。ゾロとて今こそシャンクスに統領としてその類い希なる統率力を発揮してほしいもののひとりだ。もともとシャンクスが怪我を負ったのだって、不運が幾重にも重なった結果の不幸な偶然なのだ。ゾロはその場面を見ていなかったが、同じ時にその場に居た者として、責任を感じてしまうのは無理もないことだった。

「心得ているよ。そんなただですら人々が不安に駆られているときに、なおさら不安を煽るようなことは慎むさ。それにしても、この間の糸降りは一体何だったんだ? 予定にはなかったじゃないか」
「いかにも。おかげで統領だけでなく、負傷者が平素より多い数にのぼっています。予定外の糸降りに関しては、現在調査中ではありますが、この異常気象にも関係のあることではないかと」
「大厳洞もまだ解明できていないか。まあ、そうだろうな。未だに糸胞が何故降るのかも解っていないのだから。全く災害そのものさ。そして作物の被害、とね。全く頭が痛いことだらけだ」

 そこで初めてサンジが口を開いた。
「太守どの、我々が本日こちらへやってきたのは、この窮状は何も我々だけで抱え込む必要はないと言うためです。ティレクを中心としたこの西の広い範囲の大部分が被害にあっているわけですが、幸い、他の地方は無事です。ここは全大陸の城砦に呼びかけて、不足分の食料をこちらに回してもらうように依頼すべきと思います」
「…なんだって?」
 アーステル太守の太い眉がぴんと跳ね上がった。
「我らは自給自足も出来ないほど無能だから、他の太守の情けにすがれと言うつもりか?」
 ベンがやんわりと諭す。
「──太守、我々がそんなことを言うつもりでないことくらい、聡明な貴方にはおわかりでしょう。事態は深刻なのです。すでに自給自足ができる域をとっくに超えています。収穫が例年の三割以下、というのは、間違いなく飢餓で苦しむことを意味してます。穀物主体の小城砦では、餓死者が出ることでしょう。この冬を越せません。春になって、種を植える土地が一面墓で覆われていた、ということになってもいいんですか?」

(頑迷だけど)
 サンジは表情を変えずに考える。このティレクの太守を説得することが鍵なのだ。他にも近隣の小城砦がいくつも同様の目に遭っているけれど、この地方の中心となるこの城砦の太守の言うことには従うはずだ。
 目の前の黒髪黒髭の壮年の男を、凝視しないよう気をつけて精神を集中させた。怒らせるのが肝要ではない。またあまり冷静でも難しい。そうっと思念の手を伸ばす。できるだろうか。
「──そんなことにはならない!」
 太守とベンが口論を続けている。
「貴方の強い意志と、城砦を維持してゆく手腕は決して軽んじているわけではありません。ただ人の出来ること以上の事が起こってしまっているのです」
「かといって、他の地方から分けてもらう、だと?」
「分けてもらう、というより、安く仕入れると考えられては? あなたは優れた商人でもある」
「輸送費は! もし万が一にでも他の地方から分けてもらうことを互いに納得したとしても、同じ地方の中で配分するわけではないのだ。冬を前に延々と大陸の端から端までどうやって運ぶというのだ。荷役獣で何ヶ月かかると思っているのだ!」
「では、その点を解決すれば、他の地方から仕入れるという点は納得していただけるのですね?」
「できるわけがないがな! 例え安く買い叩けるとしても、輸送費がそれ以上に掛かる」
「では輸送費がかからないとしたら?」
「それはあり得ん!」
「あったら、他地方からの仕入れを?」
 バン、とテーブルを叩いてアーステル太守は叫んだ。
「受け入れるしかないだろう! 誰も飢えて死にたいわけではない!」

 ──言った。

 その瞬間、ベンもサンジもゾロも内心でにやりと笑った。竜たちもすぐそれを感じて低く喉を鳴らしたが、それは室内には伝わってこなかった。
「太守どのの心持ちはしかと受け取りました。さすが、名君と言われるだけある…。城砦民を心配なさる優しい心根と城砦の運営の厳しい配慮。その兼ね合いは困難ですが、いや、さすがです。さて、ご心配の輸送費と輸送時間ですが、我々大厳洞がそれに関しては請負いましょう。なあに、つまるところ、我々も飢えるわけにはいかないのですよ」

 アーステル太守は棒を呑んだような顔つきになっていた。何だと? 今この男は何と言った? 自分は一体全体、どうしてこんなに急いて結論を出してしまったんだ?
 だが、さすがにあちこちの商人との契約や協定、城砦民からの訴えや相談、様々な話し合いのテーブルの経験から、太守は自らの内心は顔に出さずにどっかりと座り直した。傍らの杯から水を呷ってごくごくと飲む。
 短い時間で自分を落ち着かせながら、素早く考えをまとめる。大厳洞が竜で食物を運んでくれるなどとはこれも前代未聞だ。竜はそんなことのために存在しているわけではない。しかし確かに彼らがその役を負ってくれるなら、輸送に関する憂慮は一気になくなる。
「それは…大変有り難いお申し出だが、本当にあてにしてよいのか? 失礼だが、ハイリーチェス大厳洞は統領を始め、負傷者が常より多くでた、と先ほど言ってはいなかったか?」
「確かに。ですが、事はそれほどまでに深刻だということですよ。我々も飢えるわけにはいかない。竜も竜騎士も、糸胞がやってくるというときに空きっ腹のせいで飛べないとは言えません」
「飛翔編隊は現在再編成中だ。巡回飛行の割り当ても緊急に組み直す必要がある。さらに輸送隊を編成するとなると、厳しい」
 初めて、今まで黙って控えていたゾロが口を開いて言った。
「しかし、多くの人命が掛かっているから、やってみせる。これもハイリーチェス大厳洞だけの問題ではないからな。他の大厳洞に呼びかけて協力を要請することが決まっている」
「糸降りの時でなくても、他の大厳洞と一緒に飛ぶというわけか」
「そうだ。竜騎士はもともと庇護下の一般の人々を守るために生み出されたシステムだからな。人々が飢餓の危機にいるときに知らんぷりはできない」
 初めてアーステル太守はゾロをじっくりと見た。若い。が、しかしこの堂々とした態度と口ぶりはどうだ。まるで十年来飛翔隊長を務めてきたような風格がある。以前市の日に会ったときよりずっと──自信に満ちている。
 太守はゾロが先日の糸降りで果たした勇猛果敢な働きを知らなかった。その後ゾロが並み居る飛翔隊長からも一目置かれるようになったのも。
 結局、厳しい環境のこの世界では、人々は伝統を重んじるが、より実践的な場面では実力を示した者がまず重んじられる。城砦の太守も世襲制ではあるものの、最終的には前太守の指名で決定されるために必ずしも長子が後を継ぐというものでもない。
 工舎においてはさらにそれが顕著で、実力のあるものしか上の位に抜擢されない。そして上位の身分を得た者はそれにふさわしい尊敬を得、同時にそれに付随する責任も負うことになる。
 大厳洞の飛翔隊長も同様に、ふさわしい技術と、なにより強い統率力を示すことが肝要だ。そしてゾロは立派にそれらを示したのである。既に交合飛翔で黄金竜と共に飛んだ事実もさりながら、ゾロは一気に次期統領として認められつつあった。


 

  

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