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竜の覇者(3)




 その日から、ゾロの日課にその子供の世話が加わった。
 サンジ、と自分の名前だけを告げたその子は、自分がどこからやってきたのか、どうしてあそこで倒れていたのかについてはなかなか語ろうとはしなかった。ただ、起きあがれるようになるとすぐに鉢ノ広場全部が見渡せる場所に陣取って、竜騎士たちの日課の訓練の様子を眺めていた。ゾロが何度連れ戻そうとも、いつのまにか不自由な足をひきずって、すでに彼のお気に入りの場所と化した一番眺めのいい場所に居るのだった。

「竜が好きなのか?」
 こくり、とか細い首を傾けて肯定する。大厳洞ノ療法師が言っていたとおり、かなり長いこと栄養状態がよくない生活をしていたらしく、怪我も理由のひとつではあるだろうが、全体においてサンジの動きは緩慢で、そのせいかあまり利口そうには見えなかった。年の頃はどう見てもゾロより五巡歳くらい下の六巡歳に見えるが、マキノが聞き出したところ、今年八巡歳とのことだった。
「これだけ大勢の竜騎士がいるの、今まで見たことなかった?」
 この質問にもまた頷くだけで肯定する。今しもちょうど一飛翔編隊が今日の訓練の事前打ち合わせを終えて順繰りに飛び立とうとしているところだった。
 大きな楔(くさび)形の頭を持ち上げると、ばさり、と翼の音をたてて力強く羽ばたく。あっという間に一頭また一頭と次々虚空に消えていく様子は、大厳洞育ちのゾロにしても胸が躍る光景だ。
 青銅、褐、蒼、緑。そして黄金。黄金竜は女王竜で、青銅竜よりもさらに稀少種だ。普通の飛翔編隊には組み込まれないで、糸降りの時には女王竜だけで編隊を組む。通常の飛翔編隊は黄金を除いた他の色の竜で組み立てられるが、ほとんどの場合飛翔隊長は青銅ノ騎士が務めることが多い。青銅竜は一番体躯が大きく、一番小柄な緑竜のほぼ倍くらいの大きさである。
「ああ、青銅竜を感合できたらなあ…!」
 ちょうど最後に飛翔隊長の青銅竜が一段と大きい音をあたりに響かせて飛び立ったところだった。ゾロはその竜と騎士とが一体になった優美な滑空に賛嘆のまなざしを向けて、心のうちを声に出していた。
「青銅竜は唯一、女王竜と交合飛翔で飛べるんだ。それに女王竜と飛べたなら、大厳洞ノ統領にだってなれる」
 サンジは上空に向けていた視線をゆっくりとゾロへと動かした。
「やっぱり青銅がいいの?」
「そりゃそうさ! だけど本当のところ、感合できさえしたら何色だってかまやしない。竜に選ばれなかったら──実のところそういった人間の方が多いんだけど──ずっと一生、憧れだけを抱えて空を見上げるだけだ。俺はやっぱり、竜の背に乗って空を駆けめぐりたいし、糸降りの間は岩の中に籠(こ)もっているんじゃなくて、糸胞と戦いたい。お前もそうだろ?」
 尋ねてしまってから、しまった、と思った。こんなひ弱な子供にとって、竜騎士になるなどとは夢に見るのは自由だろうけれど、現実的に訓練と戦闘に明け暮れる過酷な生活に耐えられようはずもない。必然、竜騎士の候補にもあがらないに違いない。
 失言をゾロが後悔しているとはつゆ知らず、サンジは白く濁った左目と青く澄んだ右目とをゾロの顔に向けたまま、素直にこっくりと頷いた。






「邪魔、するよ」
「あら、統領がこんなところへお越しになるなんて」
 ひょい、と低い入り口を頭をかがめてシャンクスが入ってきた。相変わらず人をからかうような顔つきをしているが、目つきは鋭い。口元はつねにニヤついているか、大口を開けて笑っているか、冗談を言っているかのどれかで、表情が目まぐるしく変わる。
 生気と精力のオーラが、全身からあふれ出ているようだった。
「シャンクス、一体何の御用?」
 マキノが手早く竈(かまど)にかかった鍋からクラをカップに注ぎ、シャンクスに渡した。
「うん、まあ、ちょっとワケアリの謎めいた新入りの顔ってのを見てみたかったのさ。糸降りの日は『あとで』って言ってたろ?」
 熱く湯気のたつマグカップを受け取りながら、パチリとマキノにウィンクをする。
「あの混乱の中、よく覚えていたわねぇ」
「まあね。どうでもいいように思えることが、意外と重要だったりするってのは経験上身に染みているんでね。っていうか、勘かな」
「そういうところ、まるで野獣みたい。本能で生きてるみたいなところ」
 シャンクスはそれには答えず、軽く鼻で笑ってマグカップの中身を啜った。
「一体どんな経緯だったんだ。ロビンが聞いてこいって煩くて。最初に興味持ったのは俺なんだから俺が聞いてくるのが役目だろう、ってさ。でも『俺の』大厳洞に怪我をして放り出されていた、ってんだから。気になるだろ? つうか、気にならないほうがおかしい」
「洞母さまは相変わらずお忙しいの?」
「そりゃ、糸降りが終わってからは彼女はあちこちでひっぱりだこさ。あの治療の腕だし、竜たちを押さえておけるのはやっぱり黄金竜の騎士だけだしな」
「それで、糸降りの英雄は、期間終了後はお払い箱ってわけね」
「バカ言え。だが実際そのとおりでね。まあ、日常の業務はベンが俺なんかよりずっとよく動かしてくれるし。俺は平常時は酒かっくらっていればいい」
 はぁ、とマキノは大げさにため息をついた。一口、クラを啜(すす)って口を開く。

「あの日の朝のことよ。ゾロが、ほらテルガーから来た養い児、あの子が朝の当番に当たっててね。夜明けを半時ばかり過ぎたころに、小径に繋がっている大扉を誰かが叩いたんだそうよ。それでそっと出てみたら、叩いた人物はいなくて、足もとにあの子がぐったりしてた。そして私がたたき起こされて面倒を見させられたというわけ」
「怪我をしてたって?」
「そう。右足をね。酷く骨折してた。意識がない状態だったんだけど、怪我のせいか空腹のせいかはわからなかった。それと他の理由かもしれないし」
「ターリーは?」
「療法師ももちろんすぐ呼んだわよ。さすがに素人判断はマズイ状態だったし。で、治療してもらって、その後はなし崩しに私がそのまま面倒みてるってわけ」
「…誰かがその子供をウチの目の前まで連れてきて、そして何も言わずに立ち去ったというわけか。一体何で」
「知らないわよ。ゾロだって影すら見てないんだから」
「本人に直接訊いても?」
 マキノは軽く肩をすくめて言った。
「いいわよ。その方がいいわ。貴方から訊いてもらうのが」
 しかしマキノの寝室兼サンジの病室となったそこへ行っても誰もいず、がらんとした空気だけが二人を迎えた。
「ゾロ!」
 マキノが入り口から首をつきだして大声で呼んだ。
「どうしたの、マキノさん」
「サンジが居ないのよ。探してきて! 統領がみえているというのに…」
 ゾロはすぐさまきびすを返して走り去った。ほどなくゾロよりひと回り小さい身体をした子供はシャンクスの前に座らされて小さくなっていた。

「サンジ。この方はシャンクス。このハイリーチェス大厳洞の統領です。お前がここへやってきた経緯について直接お話を聞きたいそうよ」
「もう、怪我のほうは大分いいのかな?」
 聞きながらシャンクスは目の前の子供を観察した。
 運び込まれた日からはまだたった数日しか経っていなかったが、ひとりで歩き回れるくらいならば意外と回復が早いほうなのかもしれない、と内心で推し量る。身体は痩せて小さいが、これから遅れを取り戻せば将来的に竜騎士とはいわないまでもそれなりに役に立つ職業に就けるだろう──そう思いつつ、子供の一方の目が灯を鈍く反射して視力のないことが知れた。
(ハンデだな)
 足が多少不自由でもできる職業はいくらでもある。療法師しかり、竪琴師など知識を生業(なりわい)とするものなどがそれだ。しかしそれに片目という枷が加わるとなるとかなりの努力を要求されるだろう。
「怪我は──型で固められていますから、痛みを感じることはないです。ご飯も充分食べさせていただいて、本当にありがたく思っています」
 まだ幼い子供のくせに随分としっかりした物言いをする、とシャンクスは感心した。実際にはシャンクスもサンジの見た目の幼さに騙されていたのだが、それを差し引いても、大厳洞の統領を目の前にして物怖じしないで話すことができるというのは精神が安定している証拠だった。
「さてと。君がどうしてここにやってきたのか、どうしてそんな酷い怪我を負う羽目になったのか、そのところを訊いておきたいんだ。それによって君が本来居るべき場所へ戻してあげなくてはならないと思うからね。話してくれるかい?」
 サンジはシャンクスとマキノを見比べて、しばし言葉を選んでいたようだったが、意を決して話し出した。

「僕は…両親の顔は知りません。気が付いたら旅芸人の中で暮らしていました。でもそこでも親らしき人はいなかったので、多分どこかで拾われたのでしょう。何年も一緒に流れていましたが、とある城砦で市がたった日に、一座の天幕が盗賊に襲われ、僕だけなぜかそのまま戦利品の一部みたいにして連れ去られました。おそらく身体の小さいことと身軽さを見越して盗みの手引きをさせるつもりだったのだと思います。それが恐ろしくて隙を見て逃げ出しました。しかし子供の足で、何も持たない身だったので、食べるものに事欠くようになり、野宿を続けて逃げながらそろそろ飢え死ぬかと思っていたところでした」
「……なるほど。そうなると、君を戻すところがないということだな。で、その足は盗賊たちにやられたのかい?」
「いえ、これは──」
 それまで饒舌に話していたサンジが言いよどんだ。
「僕にもあの日、何が起こったのかよくわからないんです。いつものように街道の脇にあった「走り屋」の避難小屋の中にもぐりこんで眠ろうとしていたのですが、気が付いたらいきなり一頭の竜が空に現れて──」
「竜が?」
 シャンクスとマキノは同時に言い、身を乗り出した。
「ええ。そしてすぐに僕の目の前に落っこちるように舞い降りました。一頭の見事な青銅竜からなぜか二人の竜騎士がもつれるように転がり落ちたかと思うと、激しい勢いで戦い始めました」
「竜騎士同士が決闘していたというの?」
「あれを決闘というのかどうか、僕は知りません。ただ、すごく激しく剣を──ひとりは短剣、ひとりは長剣でした──剣を交わしていて、少なくとも一方は本気で相手を殺そうとしていました。
 短剣の竜騎士の方が武器の長さでは不利でしたが、スピードがありました。身のこなしも軽やかだったのですが、僕が傍にいることに気付いて、『危ない、どいていろ!』って叫んだんです。
 その声に、長剣の騎士が僕に気付いて、僕が短剣の騎士の知り合いと思ったのでしょうか、いきなり僕に向かって突進してきました。僕は恐ろしくなって、すぐに背中をむけて逃げようとしたのですが、長剣の騎士に捕まってしまい、後ろから両腕をまとめて押さえつけられ、首に剣を突きつけられました」
「なんて卑怯な…! こんな年端もいかないような子供を人質にとるなんて!」
 マキノが憤激して声をあげる。シャンクスは黙ったままマキノをそっと片手で制してサンジに続きを促した。
「『剣を捨てろ』と長剣の騎士は短剣の騎士に向かって言いました。短剣の騎士はしばらく躊躇していましたが、結局は短剣を地面に落としました。『その子供は関係ないだろう。離してやれ』と彼は言いました。その時、近くにいた竜が一声高く吼(ほ)え、その長い尾を横薙(な)ぎに振ったのです」
 サンジはその時の情景を思い浮かべるように、一端目を閉じて眉を寄せた。
「竜の尾の一撃はあやまたず僕と僕を捕らえていた長剣の騎士を吹き飛ばしました。その瞬間から後はしばらく気を失っていたみたいで、よく憶えていません。気が付くと、足がヘンな方向へ折れ曲がっていて、酷く痛みました。僕が気付いて最初に見たのは短剣の騎士で、両手をだらんとしたまま仁王立ちに立って息を切らしていました。二人は斬り合っていたらしく、短剣の騎士は身体の前面が血で真っ赤に染まっていました。一方長剣の騎士は地面の上で伸びていて、短剣の騎士が勝ったことがわかり、心底ほっとしたのです」



 

  

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