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竜の覇者(30)




(ようやく、真剣に考え始めてくれたようだ)
 そのとき、外にいるベンの竜、ベクマスから思念が届いた。
(会議ノ様子ハドウ?)
 ベンはそっと苦笑した。元来、竜は人間社会の仕組みなどには関心がない。会議の議事進行を気に掛けるなんてあり得ない。ゾロか? サンジか? どちらかの依頼だろう。
(まあまあだ。とりあえずアーステル太守がリードして全体を引っ張っている。数名、事態の深刻さに疑念を持っていたものもいるが、なんとかなりそうた。このままで行けば俺たちの望む臨時体制が採択される──)
 そう思った矢先だった。

「まだこの収穫期が始まってもいないのに、もうそんな算段をしているのか? ティレクは気が早いことだ」
 ベンデン城砦のフィヌカン太守が皮肉げに言った。
「待って下さい。それでは収穫期が終わってから改めてこの依頼をせよ、と? それでは間に合いません! そのころには各城砦でも収穫の配分を済ませてしまっています。それぞれの家の倉庫に収まったものをもう一度差し出せと言えますか?」
 呼応するようにさっとベンが言った。今回の件に関してはティレクと一蓮托生なのだ。食糧難に喘ぐことになるのはティレクや一帯の小城砦だけではない。
「フィヌカン太守」
 柔らかなよく通る声がテーブルの反対側から呼びかけた。竪琴師ノ長、アイスバーグは立ち上がって、その長身を際だたせるようにぴんと背筋を伸ばして合議ノ間全部を見渡した。
「そして他のみなさん。私たちの先祖は糸胞という自然の驚異から自身と財産を守るために竜を生み出し、竜騎士を選び出しました。そして何百年という長きにわたって糸胞との戦いは続いています。今日でも糸胞が降るときは、竜と竜騎士がこの大地の空を縦横に飛び交って私たちを守ってくれています。大厳洞は糸胞と闘うために存在し、我々は彼らを他の面で支えている……そうやって支え合って生きていく術は当然のように受け止めているのに、どうして地域を越えた支え合いができないのでしょう? 今回の災厄はたまたま西部地域で起こっただけに過ぎません。不運なだけで西部地域の人々が苦しまなければならないのは、我々の先祖の建国の理念から外れていると思いませんか?」
 言うだけ言うと、もう一度出席者の面々を見渡して、腰を下ろした。アイスバーグは竪琴師ノ長という重い身分の割に存外年をくっていない。鋭い目つき、殆どの者を見下ろす高い位置からの視線、低くてよく通る声、それらは必要とあればなかなかの威圧感を発揮する。
「…わかりましたよ。それでは、いったいどの程度の量が必要なのだ? 西部全域の必要量を他の地域でカバーするといったって、それぞれ収穫する種類も量も地域によって異なる。ティレク産の葡萄酒とベンデン産の葡萄酒の味が違うように味の違いはこの際呑んでもらうとしても、だ」
(せいいっぱいの嫌みね)
 ロビンはまた胸の内で呟いた。ティレク産の葡萄酒は酸味が強く、ベンデン産の爽やかで軽やかな甘みにはどうやっても届かないのを知っていてわざと引き合いに出したのだ。
 しかしフィヌカン太守の嫌みには全く動じずにアーステル太守は一枚の紙葉を懐から出した。
「これが我々の地域の必要量の見積もりだ」
 これを出すためにここ二、三日アーステルは不眠不休で小城砦の太守たちと協議を重ねてきた。こちらの要求が通ったら、次に必要とされる情報はこれだからだ。そしてこういうことには迅速さが要求される。議事がこちらに傾いているうちに、立て続けに決められることは決めてしまいたい。
 協議は各地域、各城砦からどれだけ分配できるかへという細かなところへ進んでいった。



「なあ、ゾロ」
 ティレク城砦の石造りの屋根の上で、二人は一見のんびりひなたぼっこをしているように見えた。
 実際、バシリスとラティエス、二頭の竜は初秋の日差しで暖まった石の上にでんと陣どって、うつらうつら惰眠をむさぼっている。
 ゾロとサンジ、二人の竜騎士もそれぞれの竜の脚にもたれかかって、四肢をだらりと投げだし、日に日に弱まっていく日光を今のうちといわんばかりに浴びていた。
 今現在、大勢のお歴々がこの屋根の下のどこかで真剣な話し合いをしている筈だ。今回は二人は出席していない。結局は城砦が主となる話だし、ハイリーチェス大厳洞からは首位洞母と統領補佐の二人が出ているからだ。本来なら当然シャンクスが出るべきところだが現在動ける状態ではないので、統領補佐のベンが出席していた。次期統領の呼び声がいくら高くても、シャンクスの名代といえば今はゾロではなくベンだった。ゾロは別にそれで文句は何一つない。今後何年か先、サンジが首位洞母になればハイリーチェスの代表はサンジとゾロだ。もちろんバシリスが必ずラティエスを飛翔させるとしてだが。それに何より、ゾロは息苦しい室内で堅苦しい会議に出るより、高い空を自由に飛び回っているほうが性に合っていると思っていた。おそらくシャンクスもそこのところは同じだろう。

「…なんだ」
 目を閉じたまま、面倒くさそうにゾロが言う。まだ「次期」である今のうちにせいぜい余裕ある時間を堪能しておきたい。
「な、今、下の連中、すげえ大変だぜきっと」
「大変は当たり前だろうが。いくらなんでもいきなり『ちょっとお宅の食料を分けてくれ』と言われて簡単に『うん』と言える筈がねえ。だけど道義上断ったら他の城砦から総スカンをくうし、途中どんなに荒れたって最後には承知するしかねえだろ。後は実際の細かな段取りだな」
 ゾロは普段、飛ぶことばかりに興味があるような口ぶりをして、人といるときも多くを語らないが、実際には大局を掴むことに長けていた。そういった資質もまた統領に向いているな、とサンジは心の内で思う。
 黙っているサンジを余所に、ゾロが言う。
「そんなこと、ここで考えたってどうにもならねぇぞ。なるようにしかならねえもんだ。それより、俺はずっと考えていたんだが」
「何を?」
「おめえ、未だに他の竜騎士の奴らに絡まれたりするだろ。大抵、何か勘違いしてるバカモノばかりだが」
「あ? ああ、まあ、そうだな」
 サンジが黄金竜ノ騎士であることから、変な誘いをかけてきたりする奴らがいるのは事実だった。サンジの金髪碧眼で一見華奢に見える容姿もそれに拍車をかけているのだが、ゾロにそれをこんな場所で指摘されるとは思わなかった。

「だが、全員有無を言わさず蹴り飛ばしてるぜ?」
 だって俺、別に男が好きなわけじゃねえし、と内心で付け加える。黄金竜ノ騎士だからとそんな目で見られるのは感合した直後からずっとついて廻っているが、ゾロに強くなれと言われてからは我慢することを止めて、容赦なく返り討ちにしていた。
「その蹴りだが」
 ゾロはここで言葉を切って少し考え込んだ。サンジは黙って続く言葉を待っている。
「お前は、軸脚と蹴り脚がいつも同じだろう。だから簡単に読まれちまう。特に複数を相手にするときはヤバイ。まずは一回の攻撃で必ず沈められるように威力を増すこと、あと、蹴り脚が同じでも攻撃パターンを読まれないように、何か手を考えた方がいいんじゃねえか、って思ってた」
「はあああ?」
 サンジは思わず大きな奇声をあげてしまった。だってそうだろう。今この屋根の下のどこかでは、大勢のお偉方が集まって、すぐ間近に迫っている食糧難への対策を話し合っているというのに、コイツはそんなことより、俺の喧嘩の効率アップを論じようってんだから。それもこんな真剣な顔で。
(信じられねえ)
「お前ってホント…」
 サンジが我に返って何かを言おうとして、何も思いつかずまた絶句した。
「ああ?」
 ゾロは起きあがってサンジの顔を覗き込む。
「何か変なコト言ったか? あ? それとも既にお前はそんな対策はとっくに考えついてたか? ならスマン、忘れてくれていい」
「い、いやいや、そうじゃねぇ…ただ、まさかそういう話が出るとは思ってなかったから」
「なら、今考えろ。こうやってじっくり考えられる時間はそうそうねえだろ。あとな、もしよければ俺が練習台になっから、ちっといろいろ試してみろ」
「い、今、ここで?」
「そうだ」
 言ってゾロがゆらりと立ち上がる。サンジの傍へ歩み寄ってまだラティエスに寄りかかったままのサンジを上から見下ろした。
 サンジは逆光になったゾロの顔を見上げ、躊躇してたら手が差し伸べられた。
「ほら」
 ゾロの手はでかくてごつごつしてるけど、暖かいな、と引っぱられながらサンジは思った。

(なあ、ゾロ)
(俺らって一体何なんだろう)

 お前は「変わらない」って言ったけど、やっぱり俺ら子供の頃とはもう違う。あのときは俺を安心させてくれるために言ったんだ、って今ならわかる。
 俺は竜を介しただけの大厳洞ノ伴侶でもいい、と思ったけど、お前がこんな優しいとやっぱりそれが嬉しくてならないんだ。かといって乳兄弟の延長にしては、たまに俺を怖じけさせるお前の目の理由が解らない。

 なあ、俺らって──

 サンジの物思いはそこで途切れた。ゾロがすっと真剣な顔になってサンジに向かって拳を繰り出してきたからだ。ぐいと顎をそらし、すれすれのところで避けた。バランスを崩したかに見えたが右足を繰り出しつつ器用に踏ん張った。そこをゾロが足払いをかける。
「───ッッ!」
 蹴りを繰り出したときに軸足を狙われては、さすがに体勢を保てない。背中から落ちる。衝撃に息が詰まった。が、この体勢は格好の餌食だ。ぐ、と腹筋に力を入れて上半身を起こしかけた。そこをまた狙われる。
(ンとに、容赦ねえっての!)
 次第にサンジの思考が削ぎ取られ、ただ身体だけが反応するようになった。一、二回、サンジの蹴りがゾロの腹に入ったが、それ以上にゾロの拳もサンジに当たっていた。
 ぐらり、と身体がかしぐ。ゾロの言うとおりだった。サンジの蹴りは威力はあるものの、単調だったから、一度リズムを掴まれたら終わりだった。
 倒れる、と思ったときだった。
 覆い被さってきたゾロに向かって、右足が伸びた。ゾロが軽くかわしたところへ、くいと上半身を捻って地面に両手を付いたまま、軸足の左足が空を蹴って伸びた。
 これが上手い具合に時間差を持った攻撃となり、ゾロの顎に見事に決まった。
「ぐがっっ!」
 ゾロは一竜身ほどを吹っ飛んで仰向けにひっくり返っていた。
「ご、ごめん、ゾロ!」
 慌てて駆け寄ると、いてて、と顎をさすりながら起きあがろうとしている。
「やりゃ出来んじゃん。ま、お前でなきゃ誰もこんな真似しようとは思わねえけど。腹筋と背筋がよっぽど強靱なんだな。あとバランス感覚か。しかし痛てえ…。俺でなかったら顎砕けてンな」
「……」
「さ、もう少し身に付くまでやるぞ」
「ええ、まだ?」
「たりめーだ。実戦で使えなきゃ何にもならねえだろ」
「実戦っていったって…」
 ただの喧嘩じゃん、と言おうとして黙った。確かに、洞母に強さを求められることは少ない。しかし、男としては単純な強さそのものが優劣の判断基準になることがあるのだ。サンジは、今は洞母として徐々に認められつつあるが、それとは全く別の基準でまだ弱かった子供時代の『びっこのサンジ』のイメージを払拭しなくてはならないのだ。
「わあった。やってやろうじゃねえの」
「おお、来い」
 二頭の竜が面白そうに見守る中、二人は熱心に打ち合った。


 痣だらけになった二人は、帰路ベンからさんざんに小言を喰らうはめになったのは言うまでもない。ロビンはあきれ果てた、という風情で沈黙を守っていた。


 

  

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